スキャーリィ編 35話 表情
人間の感情というものは決して正確に他者へと伝わるものでは無い。しかし、私達人間は連なってこそ、その真価を発揮する。その為、何かを媒介とした他者へのコミュニケーションという物が必要となる。
例えば、それが言語であったり、動きであったり、声色であったり。
……そして、表情もコミュニケーションを円滑にする為に必要な一種のパーツである事は確かだ。そう思う理由は私はこれまで事あるごとに表情……特に『笑う』事に対して、周りの人たちから言われ続けてきた。
それに対しては自覚もあった。それに対して億劫な気持ちになる程、心に染みた言葉であったからこそ、私の表情が周りの人間に対してどれだけの物なのか理解はしていた。
私を親友と呼んでくれた衿華ちゃんは幾度となく私に対して『笑って』と言ったことか。
黄依ちゃんがどれだけ、私が幸せに『笑える』日を来る事を願ってくれたか。
瑠璃くんが何を賭けてまで、私を心から『笑える』ようにしてくれたか。
それなのに、それなのに。私から消えてしまったのは感情を表すためのその『表情』。
あるいは私の本質とも呼べる『死にたい』という感情……『自死欲』がただ浮き出てただけなのか。
簡単に言ってしまえば、私は一生涯治らないであろう『表情筋を動かす事のできない病』に罹ってしまったのである。
目が覚め、黄依ちゃんにその病を指摘をされた後、私の義理の兄であり、主治医でもある色絵青磁に話を聞いた所、それはやはりDRAGの服用によって起きたものであるという事だった。
しかし、それだけの対価を払ったからなのか、私は衿華ちゃんの特異能力を獲得する事ができた。もしくは、獲得してしまったからこそ、その対価として私は表情を失ったのか……
そんなのは、『私自身の感情を整理する事以外何にも役に立たないどうでも良い話だ』と昔の私なら簡単に切り捨てる事もできたであろう。
しかし、今の私は特異能力者。
感情を感情以上に情に感じなければいけない。その上、それ以上に働く『自我』を持ってそれを操らねばいけない。そういう存在になるべくしてなったのだ。
そして、特異能力者は答えの無い問いに対して、自分なりの回答を持って答えねばいけない。それが折れた瞬間、待つのは理性の無い『感情生命体』としての生き方であったから。
そうして、私は今数々の哲学者が必死に頭をこねくり回して考えて来たような事を改めて整理して、自分の思考を整えていた。
それと同時に、今回の合同任務で必須となるであろう、衿華ちゃんの特異能力ーー『痛覚支配』を発動させる訓練をしていた。
ベッドの座禅を組み、まるで悟りを開く為に修行に勤む僧のような姿勢で訓練に取り組む。
「……これが衿華ちゃんの特異能力」
痛覚を支配すると言っても、それは『痛覚』だけには留まらず、あらゆる神経の支配。筋肉の弛緩から硬直、感情の由来となる物質の支配、触覚などの感覚を鈍感にしたり敏感にしたり、様々であった。
しかし、それを使っても『表情』は治らず……というか『表情』が無いからこそ、この特異能力を感触よく使えているのだと結論付け、同時に悩ませていた問いに対して『今はやるべき事をやる』という回答を得られた事は意外とすぐに受け入れる事ができた。
「全く……運命なのか、偶然なのか。それとも……ただ起こってしまった結果なのか」
ただ、受け入れた事と、納得した事というのは全く別の問題だ。全く持って理不尽な業だし、もし、神がいるなら殴って同じ目に合わせたいくらいの理不尽だ。というか、神なんかじゃなくて、もしこれが青磁先生や祖父達の何かの計画の内だったりしたら、なんて非人道的なんだろうか。
それにもしこの世界に魂っていう概念があって輪廻転生するような世界だったら、『前世の自分の罪が回り廻って私に来ている』だとか文句の一つも言えたかもしれないのに、あの樹のせいで『死の概念』と『魂という概念の不確実さ』が証明されてしまったからそんな事、言えない。
「なんて酷いザマ、これが女の子を誑かした結末」
呼吸と溜息と過去に犯した罪への自嘲を混ぜ、全て吐き出した後、特異能力を発動させる事だけに集中をする。
「それでも、生きていくしかないんだから……全く最悪だよ」
部屋には一人しかいないから、小言のように呟く。
「あぁ……それでもあの『恐怖』だけは命に換えても殺す」
今を動かす感情はこれだけで良い。これ以外、要らない。
そう思えば思うほど、洗練されていくこの『特異能力』。
「これなら……きっと大丈夫」
何度も確かめる、この感情を絶やさないように燃やし続ける。
今はそれで良い。




