第二章:園落聖(3)
「誘い方とはどういう意味じゃ。妾の誘いが魅力にかけると申すのか」
「え、あ・・・うん。少なくとも僕へのアプローチの仕方じゃ…ね」
むっとするアラティに少年はやや遠慮しながらもそうはっきりと答えた。
アラティには何がいけないのかよくわからない。だが、今まで目星をつけたターゲットから尽く契約を断られている以上、少年が言うことは確かなのだろう。少年の言葉にアラティの肩にいたトロルがその小さな肩をがっくりとうなだれる。期日までまだ日はあるが、住む場所のない二人に課題の達成が長引くのはいろんな意味で歓迎できることではない。例えなんとかターゲットにうんと言わせることができたとしても、契約を完結させて魂を持ち帰るには、先に相手が望む何かを叶えてやらなければならないのだ。内容によっては契約したその日に叶えてやれるだろうが、少年の言うように、人の根源である魂との代償になるような望みがそんなに短期間で叶うものであるはずもなかった。今になってあれだけ父王やゲーデが気を揉んでいた意味がよくわかる。
妾としたことが、こうもあっさりと奴らの策に嵌るとは…。
さすがに事の重大さに気づいたアラティはくやしさに歯をぎゅっとかみ締めた。
「どうして・・・そんなことをしているの?」
突然の質問にアラティは何を聞かれているのかわからずに少年の顔をまじまじと見返した。本当なら少年の瞳を見てその真意を探りたいところだが、少年のかけている眼鏡のレンズは最近では珍しいほどかなり分厚いものだったのでその奥の瞳をうかがうことはできなかった。
「人の魂を買いたい理由だよ」
「別に妾が買いたいわけじゃない」
少年の問いかけにアラティは憮然として答えた。
「欲しくもないものを・・・買ってるのかい?」
アラティの答えに驚いた少年は尚もしつこく聞いてきた。アラティに話してやる義理はなかったが、別に隠す理由もないので傍に転がる適当な大きさの石に腰掛けると今までのことを話してやることにした。
「そう・・・だったのか」
一通りアラティの話を聞き終わった少年は悪魔ってのも大変なんだね、とため息まじりにつぶやいた。
「でも安心したよ。君が自分の意思で人間の魂を撮ろうとしてるんじゃないってことがわかったからね」
その少年の言葉にアラティは大きな目をさらにまん丸に見開いた。
安心した・・・だと?一体お主は何を言っているのだ。
そう食って掛かろうと口を開いたアラティは少年の姿がないことに気がついた。慌てて辺りを見回すと、いつの間に移動したのか少し離れた桟橋の外に少年はいた。やっと雨が止んだらしい。手のひらを上に向けて小雨が落ちてこないか確かめると少年は笑顔でこちらを振り返った。
「どうやら止んだみたいだね。でも、まだ雲が残ってるからまた降り出す前に帰ったほうがいいかもしれない」
「そうか。ならばさっさと帰れ。いつまでもここにいられると迷惑じゃ」
少年の言葉にアラティはぷいとそっぽを向くと突き放すようにそう言った。傍目には冷たい態度に見えるがその実、アラティの胸中は穏やかではなかった。少年がいなくなってしまう。そのことに得体の知れない寂しさを感じたからだった。
(なんだこのきゅっと締め付けられるような、もやもやした気分は。寂しい、だと?この妾が?ありえん。そんなことは絶対に…)
そう自問自答するアラティを少年は思案気に見つめた。一向に動こうとしない少年にトロルが不審な目を向ける。大きな硝子の奥に隠れた少年の瞳がトロルのそれを捉えると少年はまた大きな笑みをつくると明るい声でこう言った。うちに来ない?と。
その言葉に驚いたアラティがはっと顔をあげる。
「なんじゃ。お主、まだいたのか?」
自分の考えに没頭していたアラティには目の前に立ち尽くす少年の姿など見えていなかったらしい。とっくにどこかへ行ってしまっていたと思っていた少年がまだ目の前にいることにアラティは心底驚いたようなあきれたような複雑な表情を浮かべたが少年はお構いなしで続ける。
「行くあてがないんだったら、うちに住めばいい。なんにもないところだけど、こんなところにいるよりは雨風も防げるし、よっぽどましだと思うよ」
「なっ…ば、ばかにするな。妾を誰だと思うておる?妾は魔王マーラの次女にして時期魔王と噂される魔女アラティであるぞ。そなたのような庶民の、しかも新都などという如何わしい宗教にへりくだる道化の家になど誰が…」
そこでトロルが慌てて口をはさんだ。
「わわわわ!!!お嬢様、なんてこと言ってくれちゃってるんですか!こんなありがたい話はないってのに、な〜に勝手に断ろうとしてくれちゃってるんですか、こんちくしょう!」
「なんじゃトロル。お主はこんな人間風情の家に転がり込もうと言うのか」
「そうですよ!いいですか、お嬢様。今あっしたちには宿も、食べ物も、な〜んにもないんです。今にも餓死しそうだっていうのにこの先お嬢様はどんなプランがあると?」
「そっ…それはそうじゃが妾にもプライドというものが…」
「しゃーらーっぷ!!お嬢様、今あんたプライドなんて言える立場っすか?!なら聞きますけど、このままずっと宿なしで過ごす気なんですか?こんなところでお嬢様と心中なんてあっしはごめんですよ」
「うっ…うるさいなぁ。ならばさっさと帰ればよいではないか」
トロルのもっともな意見にアラティは唇をとがらせながら、それでも小さな声で言い返した。
「そうしたいのは山々なんです。それができないからこーやって一緒にいるんじゃないですか!もともとゲーデさまがあっしを世話役につけたのはお嬢様一人じゃ心もとないからってことだったんです。それなのにお嬢様一人を残してあっしが勝手に帰ったなんてことがしれたら、あーた!あの!泣く鬼も黙る砂かけ婆でさえうっとりする死神のゲーデさまが黙っているとでも?!」
興奮したトロルは黒い頭を真っ赤にしてまるで機関銃のように次々と悪態をついている。頭の毛が雷に打たれたかのように逆立って傍から見ているとまるで怒ったふぐちょうちんのようだった。
「わわ・・・わかった、わかったから、落ち着け、落ち着くのじゃトロル。こやつの家にやっかいになることにするから…」
「じゃ、じゃあ、そろそろ行かない?急がないとまた一雨きそうだよ」
ようやく痴話げんかが終わったらしい二人に声をかけると少年は先に歩きだす。その後姿にアラティは慌てて効きそびれていたことを訊ねた。
「あっ。その前にお主、名はなんというのじゃ?」
「僕?僕は聖。神守聖。よろしくね、アラティ」
こうしてアラティとトロルは聖の家にやっかいになることになったのだが、これがまさか二人にとって運命の出会いになるなどとはこのときは誰も夢にも思わなかったのである。
やっと少年の名前を紹介することができました(汗)。次から聖のことを少しずつ明かしていく予定です。