第三章:円樂寺(2)
「ふむ。なかなかうまいな、これは」
台所でのちょっとしたハプニングから半時後。風呂から上がったアラティは聖の料理に舌鼓を打っていた。
ここ数年一人暮らしをしているというだけあって聖の料理の腕はなかなかのものだったし、初めて経験するヒトの食事というものにアラティはすっかり機嫌を直していた。その隣でトロルも自分の顔ほどの大きさもある海老のてんぷらにがっつり食いついている。いつも一人の時は広すぎた食卓が今日はたくさんの皿で埋め尽くされていた。
「ところで…だ」
食事も中盤に差し掛かった頃、聖が突然切り出す。
「なんじゃ、人間」
「人間って…僕には聖という名前があるんですけど」
「おおそうか、それで聖。何か用か?」
「用があるから声をかけたんでしょうが・・・いや、まぁ、それはいいとして、なんなんだ、そのかっこうは?」
「??」
そう尋ねる聖の顔はまるでワインでも飲んだかというほど真っ赤になっている。聖の言うのも無理はない。今アラティはどこから引っ張り出してきたのか男物の白いシャツをがっぽりと着ているだけなのだ。リボンできっちり束ねられていた長い黒髪もまだ半乾きのままでゆったりとその華奢な背中に落ちている。
「なんじゃ。お主は自分が持っているシャツのことすら知らんのか。しょうがないやつじゃな」
そう言いながらアラティは何匹目かのてんぷらを口に運んだ。
「あ〜・・・やっぱりそれ、僕のなんだ!!・・・って、ちょっと、勝手に人の服とか着ないでください!!」
「いいではないか、シャツの一枚や二枚。それに妾は着替えを持ってきていないのじゃ。さっきまで着ていたものは風呂で洗って干してあるし、乾くまで裸でいるのも何だろう?どうしても駄目だというのなら仕方ないが・・・」
「わっ、わーーー!!!タンマ!ストーップ!!いい!いいですから、脱がないでくださぁい!!!」
シャツの裾に手をかけたアラティを聖はものすごい勢いで止めた。その顔は茹で上げられたタラバガニのようで額には汗まで噴出していた。
「ふふん。面白いやつ」
「お嬢様〜、何遊んでるんですか。もう食べないんならトロルが残り、食べちまいますよ」
「がぁっ!トロル、その黄色いのは最後にとっておるのじゃ!最後のひとかけらなのじゃからって・・・あああ〜〜〜!!!」
聖をいじって遊んでいたアラティの隙を盗んでトロルが最後の甘い卵焼きをその口にほおりこんだのだった。
*****
「ふー食った食った」
大騒ぎの夕食が終わり、アラティは入り口そばの床にごろんと横になった。板の間に薄いカーペットがひいてあり、質素だがすわり心地の良い座布団が置かれている。もちろんそんなもの、魔界育ちのアラティにはさっぱりわからないが、その上に頭をおくと楽だということだけはわかった。
「食後にすぐ横になると牛になるんだよ」
食器の後片付けを終えた聖が居間に入ってくるとごろごろしているアラティをたしなめながらちゃぶ台を挟んでアラティの向かい側に座った。なにやら書物を出してせわしなく鉛筆を動かしているところを見るとどうやら宿題をしているようだ。そんな聖の姿をしばらくぼーっと見ていたアラティだが、ふとここに来てからずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。