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憧れていた女騎士が女色家だった。


 朝焼けが霧と混ざり合う早朝。

 ルーシーの家の畑からザクッザクッという音が、一定のリズムで鳴っていた。

 そこにはヘンリーと、白髪交じりの中年の男が鍬で畑を耕していた。


 中年の男はルーシーの父親である。

 ルーシーは騎士の出ではなく、農家出身であり、父親と母親の三人でエストリアの郊外に暮らしていた。



「いやあ、はっはっは。娘に騎士の友達おったとは驚きだよ」



 父親は手を止めることなく、ヘンリーに話しかけていた。

 ヘンリーも父親のほうへは顔を向けずに、畑を耕し続けている。



「いえ、友達というよりもむしろ――」


「なんだ? もうかっぷる(・・・・)とかいうやつだったか? はっはっは!」


「そんな! 恐れ多い! というか、マジで「恐れ」が多い……」


「……おい、こんな朝っぱらからなにやってんだ、おまえ……」



 コップと歯ブラシを持ったタカシがパジャマ姿で畑に入ってきた。

 髪はボサボサで、まだすこし眠いのか、まぶたはトロンとしている。



「こら、ルーシー! そんな恰好で男子の前に出るもんじゃないぞ! 寝ぐせもそんなにつけて……」


「へいへい……」


「『へい』は一回でしょうが!」


「『はい』だろ……」


「おはようございます! 姉御!」


「おう。相変わらず声デケーな。……じゃない、おまえこんな朝っぱらから何やってんだよ」


「手伝いっす!」


「ちっっげぇよ! なんでオレん家にいるんだっつってんだよ!」


「そりゃもう、オレの身も心も姉御のものっすから」


「バーカバーカ! おまえもう帰れよ!」



 タカシは手に持っていた歯ブラシを、ヘンリーめがけて投げつけた。



「うう……親としては嬉しいような寂しいような……そんな気持ちですっ!」


「みろよ! 見事に話がこじれてるじゃねえか! しかも、おまえがツッコませるせいで、おめめぱっちりだよ! ありがとう!」


「そんなぁ、殺生な……」


「なんなら、いまここで殺生してやろうか?」


「お暇させていただきまーす」



 ヘンリーは鍬を持ったまま、その場からつむじ風のように消えていった。



「……ルーシー、あとで鍬を回収してきなさい」


「……ちっ、へいへい」


「『へい』は一回だって、言ってるでしょうが!」


「だから『はい』だろ……」


「ああ、それとな」


「なんすか……」


「さっきなんか身なりのいい兵士さんが来て『おめー』とか言ってたから、追い返しといたぞ」



 タカシはしばらく考えてから、父親に言った。



「……ちょっと、それってもしかして『王命』じゃ……」


「そうそう、そんなかんじだったな。いきなりきてオメーって……。さすがに父ちゃんキレちゃったよ……屋上に呼び出そうとも考えたけど、さすがにそれは大人げないなっておもって控えたね。んでも、もうやばかったよマジ」


「ば、バカ! なにやってんだよ!」


「ちょ、親に向かってバカだと!? 親の顔が見てみたいわ!」


「てめえだよ! ……はぁ、親がこんなんじゃ娘もああなるわけだよ」


『んぇ? なんの話ですか?』


「おまえも苦労してんだなって話だよ」


『ええ、はい、そりゃもう! 毎日、お昼になに食べよっかなとか、晩御飯にも何食べよっかなとか、すごく悩んでましたね。ちなみにわたしは好き嫌いのない良い子でしたよ』


「はぁ……」


「ルーシー、ため息をつくと幸せが逃げていくから、やめなさい」


「あんたが逃がしたんだろうが! むしろ、狙ってオレの幸せリリースしてんだろうが!」


「今度はあんた呼ばわりですか……父ちゃんキレちゃうよ? 父ちゃんキレッとアレだからね? まじ、アレだから。謝るなら今のうちだから」


「はぁ……、もう城に行ってくるよ……」





「ようこそ。ここにお名前とご用件を記入して、番号札をお持ちになってお待ちになっていてください」


「あの、今朝王命を伝えてくれる人が来てたんですけど、父が追い返しちゃって……」


「あ、そうなんですね。わかりました。少々お待ちください」


「はい、すみません……」



 タカシはあの後、エストリア行政区にある王城へとやってきていた。

 王城一階のエントランスは市役所の待合室のようになっていた。

 そこには多くの番号札を握りしめた国民で、ごった返していた。



「……あれだな、エストリア政府って意外と事務的なんだな」


『民主主義ですからね。王様も国から給料もらってます。だから国民の声に耳を傾けるのも、立派な仕事なんですよ』


「雰囲気ぶち壊しなんだよなぁ……あちこちで水道の工事してたりとかさ。もうちょっとファンタジーなアレはねえのかよ!」


『工事は……けっこう急でしたね。なんでも、大臣さんの計らいで、よりよい水回りを目指そうとかなんとかで』


「なんだ? そこらへんのインフラは整備されてねえのか?」


『いえ、十分だとは思います』


「じゃあなんでだよ」


『王様が「生活の基盤となるのは水である」ってかんじの演説をしたんですよ。それを聞いた国民もみんな、その気になっちゃって……』


「それで、いまみたいな?」


『はい。風のうわさでは、発案者は王様じゃないとか』


「じゃあ誰なんだよ」


『わたしは大臣が怪しいんじゃないかと』


「大臣?」


『はい。今の騎士団がこういう仕様になっているのは、大臣のお陰らしいんですよ。そのお陰で色々と指令系統の細分化に成功して、王にダイレクトに負担がいかなくなったんです。そのほかにも色々と功績を立てていて、支持率はかなり高いんですよ』


「……いまではその仕様が一般化してるんだけどな……」


『ん? なにか言いました?』


「いや……ちなみに、ルーシーってどうやって騎士団に入ったんだ? 実力とか必要になってくるんじゃないのか?」


『わたしは騎士の学校を出てますから、そのままですね』


「騎士の学校……てことは、そこさえ卒業すればだれでも騎士になれんのか?」


『どうなんでしょうね。わたしはなれましたよ』


「おまえでなれるんだから、だれでもなれるんだな……」


『ちょっ、どういう意味ですかそれ! あまりわたしの堪忍袋を刺激しないでください! パンっていきますよ、パンって!』


「おまたせしました」



 戻ってきた受付嬢は、自らの窓口に「休止中」と書いてある立札を置いた。



「ルーシー様ですね。こちらへ」


「あ、はい」



 タカシは受付嬢に促されるがまま、王城内にある謁見の間に通された。

 謁見の間には近衛兵などはおらず、王座にはだれも座っていなかった。

 しかし王座の前には長い黒髪の、丈の短い紫色の着物を着た女が、入り口に背を向けて立っていた。



「こちらですルーシー様」


「ありがとうございます。あの、王様は……?」


「王はいま席を外されております。もうすぐお戻りになられると思いますので、そのままでお待ちください」


「えっと、あの人は……」



 受付嬢はタカシが言い終える前に、謁見の間から去っていった。



「……王様、いないってよ」


『それよりタカシさん、あの人!』


「なんだよ、あの女の人がどうかしたのか?」


『あの人があの人ですよっ! うひょー!』


「だからなんだって――」


「お、君がルーシーちゃんだね」



 謁見の間にいた女性がタカシに話しかけた。

 背丈はタカシよりも、頭ひとつ分高い。

 女性の顔は上半分が、切り揃えられた前髪によって隠れていた。

 したがって鼻より下からでしか、その表情を読み取ることはできなかった。



「え、は、はい。自分がルーシー……ですけど……?」


「ああ、ごめんね。あたしは雨ヶ崎紫乃(アマガサキシノ)。みんなからはシノって呼ばれてるんだ。こう見えて聖虹騎士団の一員だよ」



 雨ヶ崎紫乃と名乗った女はそう言って右手をタカシに差し出した。

 タカシは怪訝そうな表情を浮かべたが、やがて握手に応じた。



「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」


「!?」


「おっと、ごめんね。なんか立ち眩みしちゃったみたい。……って、ずっと立ってたんだけどね」


「い、いえ……それであの……そろそろ手をはなしてもらえますか」


「ああ、ごめんごめん。……もうちょっといいかな?」



 タカシのほうからバッと手を振りほどくと、シノは残念そうに口を尖らせた。

 タカシはその反応に、小首を傾げる。



「あ、ごめん。前髪気になるよね」


「え? いえ、ちょっと不便かなって思って……」


「見るぶんには大丈夫だけど、ちょっと自分の目にコンプレックスがあってね」


「そ、そうなんですね……」


「え? 困った顔かわいい……かわいくない?」


「はい?」


「抱きしめたいんだけど」


「はぁ?」


「……ヌハッ!? いや、ちがうちがう! じつはあたし、今日は王様に呼び出されたんだ」


「……えと? 先客ってことですか? じゃあシノさんの用事が終わるまで外で待ったほうが……」


「ううん。その必要はないよ。だって、あたしの件がルーシーちゃんの件だもの」


「じ、自分ですか?」


「うん。内容はちょっと言えないけど、ルーシーちゃんの同伴者みたいなものって思ってもらって構わないからね! なんなら、その……お姉ちゃんって、呼んでもらっても構わないからね」


「は、はぁ……」


「それにしても、ルーシーちゃんって騎士なんだよね? その鎧を見る限り」


「はい、まだ雑兵クラスですけどね」


「そっか、だったら後輩ちゃんだ」


「そういうことになります……かね?」


「ね、ねえ、『先輩』って呼んでみてくれる?」


「はい?」


「う、うっそぴょーん。なんてねっ」


「は……はは……おい、ルーシー」


『な、なんでしょう?』


「聖虹騎士団って、変なのしかいないのか?」


『そんなことはないと思うんですけど……』


「そもそもおまえ、こんな変人に憧れてたのかよ……!」


『そんなはずは……あのときはもっと凛としていて、カッコよくて、凛としていて……』


「リンリンかよ」


『そのツッコミもどうかとおもいます』


「ん。ルーシーちゃん、どうかした? なんかコソコソしてるみたいだけど」


「あ、いえ……。王様に会うので、ちょっと緊張してるだけです」


「そ、そう? あた……、あたしがルーシーちゃんの緊張をほぐしてあげても――」


「すまん、うんこいってた。めっちゃでた」



 謁見の間、その入り口からマーレ―が自らのマントで手を拭きながら現れた。

 マーレ―はのしのしと王座まで歩いていくと、ものぐさそうにドカッと座った。

 シノはマーレ―が玉座に座るのと同時に、渋々といった様子で跪いた。

 タカシはそれを見て、見様見真似で跪いた。



「あ、なんだ。もう来てたの……あー、あー、オホン……よく来てくれた。ご足労であったな」


「王よ、取り繕っても、もう手遅れです。全部見られてます」


「そんなことは、ぬぁい!」


「えっと、あー……、王直々よりの拝命、大変嬉しく――」


「ここにいるルーシーちゃんは信用に値します!」



 シノがタカシの口上を遮るように発言した。



「え?」


「よし! 信用する!」


「は?」


「ご苦労であった。帰ってもよいぞ」


「やった。今日はもう終わり。帰ろっか、ルーシーちゃん」


「ちょ」


「ルーシーだったな。君には、青銅騎士に上がることができる(・・・・・・・・・)資格を与える。これから一年以内に以下の武勲を――」


「せ……説明を! せめて最低限の説明をお願いできますか!?」

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