日常の崩壊 1
彼女、立花桜と僕、桜野祐は友達になったらしい。
今までそんな間柄の人は存在しなかった。
どんな関係かと尋ねられても、どう答えていいか分からない。ただ、彼女との在り方がそうなのであろうという他にない。
彼女との関係を友達だということを知ってから約2週間が経っていた。1週間はいつもと変わらず平々凡々な日常だった。問題は2週間目、というよりは昨日の出来事である。
2週間目、その期間中は図書委員としての仕事は休みだった。というよりも、図書室自体が封をされていた。中間試験の勉強期間になったからである。
この学校は何故か図書室で勉強をしてはいけないという規則になっている。図書室に人が来ない原因の1つはそれで間違いないだろう。
友達という関係を彼女に明示されたが、それまで図書室でしか会話をしなかったため、これからもそうなのだろうと思っていた。しかし結局のところ、それは間違いだった。
僕のクラス内での平穏が崩れ去ったのは、テストを6日後に控えた昨日、金曜日だった。昼休み、いつもとは違い、昼食を終えた後に数学のテスト範囲の演習をしているところに彼女がやって来た。
そして、彼女は周囲に聞こえるくらいにはっきりと言った。
「祐くん、明日暇なら一緒に勉強しない?」
「…………え?」
その発言が原因だった。騒がしかった教室がいつの間にか静まり返っていた。皆、唖然という空気が漂い、前の席の坂口健ただ1人がニヤニヤと笑っていた。
彼女はそれに気が付くと、ばつが悪くなったように顔をしかめ、僕を半ば強引に廊下へ引っ張り出して先の内容を再度繰り返した。
「明日暇だったら、朝10時から市立図書館で勉強しない?」
「……勉強って1人でするものじゃ?」
「解らない所を教えてもらおうと思って。祐くん、頭良いでしょ?」
「……何でそう思うの?」
「だって年度始めの試験でクラスの中で上の方だったでしょ? 他の人たちに聞いても上位の人数が合わないんだもん」
「……まぁ、特に用事も無いからいいけど」
僕がそう答えると、彼女はぱっと花が咲くように笑った。
「じゃあ、明日10時に市民図書館で! 遅れないようにね!」
僕が肯定の意味で首を縦に振ると、彼女はもう一度笑って教室に戻っていった。僕も教室に戻ると周囲の視線で焼かれているような感じがした。
自分の席に座った時、前の席の彼がからかうように言った。
「僅か2週間ちょいで名前呼びとはやるなぁお前。もしかして、女の扱いに慣れてる?」
はっきり言って、僕は唖然とした。
彼から見ると僕という人はそういうふうに見えるのだろうか。彼の中で僕がそう定義されてしまっていては意味も無いが、そうならないように願いながら一応否定をする。
「僕がそんな風に見える?」
「いや、全然。でも、立花が名前呼びなんて珍しいもんだから」
「何故か知らないけど、彼女が勝手に呼び始めたんだ。理由を聞こうとしたけど、教えてくれなかった」
「そりゃあ、教えられないだろ。っていうか、その事実だけで解りそうなもんだけどな」
「おそらく、君の思っているような事じゃないとだけ言っておくよ」
そう言って、僕は会話を区切った。そうして、彼女の方をちらりと見やると、彼女は案の定男子女子問わずに取り囲まれていた。
というのが、昨日のあらましである。
しかし、実際来てみると合計10人ほどが集合していた。全員名前と顔は覚えていたが、しっかりと彼らの在り方を見るのは初めてだったかもしれない。
彼女に何故こんなにも集合したのかを問い掛けると、彼女は少し恥ずかしそうに言った。
「話が終わって教室に入った後、皆に何するのか聞かれて、一緒に勉強するって答えたら、何故か私も、俺もって集まっちゃって……」
そんな事だろうと思っていた。彼女は男女問われず好かれている、いわば陽の人間だ。だから、彼女が在る所に人は集まってくるだろう。まるで電灯に惹かれる虫のように。
僕は一度嘆息をしてから彼女の途切れた言葉に応えた。
「……まぁ、仕方ないとしか言いようがないかな。君が動けばこうなる事は想定済みだし、僕は自分の勉強に集中していれば問題無い」
「そう言ってもらえて良かった。じゃあ、解らないところあったら聞くからよろしくね」
「……応えられる範囲内ならね」
「良かった。皆入っていってるし、私たちも入ろっか」
僕は首を縦に振って肯定した。
市立図書館は木々との調和を保ちつつ、透明感を出した現代的なデザインだった。確か建てられたのが2008年くらいだったから、10年ほどしか経っていない。
緑を大事にした道を抜け、正面入口から入ると右斜め前にある階段を上って、スタディルームへ行く。白を基調とした内装が空間に静謐な空気が漂わせている。図書館に入るまで騒いでいた連中もその空気に強要されているかのように黙している。
スタディルームに着くと、他の利用者もちらほらと見られた。しかし、開館してあまり時間も経っていないので少なかった。
各々、気の合う友達と一緒に座っていた。僕は邪魔にならないように、机の端に座ると、隣に彼女がすとんと座った。
他の人たちの邪魔にならないくらいの小声で、隣に座った理由を彼女に問い掛けると、彼女は軽く口を尖らせて小声で「解らないところ教えてもらうって言ったじゃん」と、答えた。
僕は、別に隣に座らなくてもいいんじゃないかという疑問が消えなかったが、口には出さないようにした。彼女のもう一方の隣には彼女とよく喋っている女子が腰掛けた。彼女はその女子に何やらこそこそと話していたが、声が小さくて聞こえなかった。
僕は今日は日本史の範囲を復習する事に決めていたので、リュックサックから取り出して、ノートに関係図を樹形図のように書き出していく。それを書き出していくうちにふと考えが頭をよぎった。
僕と友達になったという彼女、その彼女と友達であるだろう隣の女子、その女子と――と言った風に繋がる。決して1人1人が繋がっているわけではないが、人と人が繋がることで全てが繋がる。これが人間なのだと。今まで、自分の中の概念でしかなかったものが、彼女と友達という関係を築いたことではっきりと像を結んだ。
その関係を途切れさせない為の努力は恐らく、途方も無い労力を伴うのだろう。しかし、繋がっている間の個人個人が1つとなったような安心感。これを失わない為に失格の烙印を押された主人公は足掻いたのだろうか。
新しい知見を与えてくれた彼女に少しだが感謝の念を抱かずにはいられなかった。
その彼女を見やると、こめかみに手を当てて難しい顔をして悩んでいた。僕はその様子を見て、不覚にも笑ってしまった。彼女はそんな僕の様子に気付いたようで、顔を赤くしながら解らない問題を聞いてきた。そこは既に復習済みだったので、自分の言葉で説明すると、彼女は頷きながら説明を聞いていた。説明が終わると彼女は感心したように言ってきた。
「祐くん、教えるの上手いねぇ。先生の説明よりわかり易かったかも」
「それはどうだろうね。わかり易さなんて人それぞれだと思うし」
「でも、私にはわかり易かったよ? 私でわかるんなら、他の人たちにもわかると思うけどなぁ。そうだ! 祐くん、先生とか向いてるんじゃない?」
「僕にあんな人前で話す度胸は無いよ」
「うーん、そっかぁ。あ、じゃあ私の先生になってよ。解らないところもっと教えて?」
「先生にはならないけど、教えられる範囲なら教えるよ」
「これからもよろしくね、祐先生」
「…………」
友達というものがいた事はなかった自分に、どのように振る舞えば良いのか、どこまで人に踏み込んでいいのか、自問自答しながら慎重に探っていく。僕はちゃんと彼女の友達として振る舞えているのだろうか。それを判断するのは第三者で、否定しようとその人の中で定まってしまうと覆す事は難しい。
僕は慣れない友達という関係に疲労感を覚えながら自分の勉強に戻った。
その後、何分くらい経ったのだろうか。肩を叩かれ、横を見てみると彼女がちょいちょいと指を指していたので見てみると、彼女の横にいる子が少しおどおどしていた。どうやらその子に教えて欲しいということだった。その子の名前は確か山口葵といったか。
僕は空いている彼女と山口さんの間に立って、他の人に邪魔になら程度の声で説明をした。説明が終わると、山口さんは小さく「ありがと」とだけ言った。
僕は人に感謝してもらう事など滅多にないのでどう答えれば良いか判らず、ただ「どうも」とだけ返した。
自分の席に戻ると彼女と山口さんが何やらこそこそと話しているのが見えたが、聞き取ることはできなかった。
また少し経ってから、空腹を覚えたので時計を見やると、既に午後1時を回っており、何処かに食べに行こうかと思い席を立つと、彼女がどこに行くのかを尋ねてきた。図書館内は飲食禁止なので何処かに食べに行くという旨を伝えると、彼女も一緒に行くと言い出した。そうなると、結果は火を見るよりも明らかだった。その後、俺も私もとぞろぞろとついてきて、結局全員で少し離れたところの商業施設の中のファストフード店に入る事になった。
勉学の方面が忙しくなっており、書いている端末も没収となってしまったので、少し間が空いてしまいます。本当に申し訳ありません。