春の終わり
週が明けて5月になった。
周囲の木々は緑色に染まり、生物も活発になっている。だからといって、周囲の人々に大した変化は無い。強いて言うなら、クラスに慣れてきたのか、以前より少し騒がしくなったくらいだろうか。
気温も上がり、冬の張り詰めていた空気は既に弛緩しきっている。ついでにクラス内の空気も。
しかし、いつもと違う光景が後ろにあった。
いつもは他のクラスメイトと笑い合っている彼女、立花桜が一意専心に読書をしていた。その光景が他の人たちも珍しいのか、彼女に何の本を読んでいるのか問い掛けてから、皆一様に驚いていた。
僕自身もその光景を眺めていると、前の席の男子、坂口健がまた、ニヤニヤしながら話しかけてきた。
「立花が気になるのか?」
「うん、そうだね」
そう答えると、返答が無かったので気になって彼の方をちらりと見やると今回は彼の方が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
と思ったのも束の間、彼はすぐに表情を変えて、ニヤニヤしながら聞いてきた。
「どこが気になるんだよ?」
「いつもは他の人と会話ばかりしている彼女があんなに集中して本を読んでいることかな。彼女に本の貸出をしたのは僕だから」
「何の本なんだよ、あれ」
「太宰治の『人間失格』」
「マジかよ! 似合わねー」
「それについては僕も同意だったよ。彼女からその事指摘されたけど」
僕は別段、会話が苦手と言う訳ではない。平々凡々な日常において必須といえる能力だからだ。かと言って、自分から話しかけることは、まず無い。小説を読む時の癖なのか、言葉の裏を読もうとしてしまい、精神的疲労とともに、人の言葉を信じられない自己嫌悪に陥るからだ。
そんな事を考えながら、ぼーっと立花桜の方を見ていると、彼はまたニヤッと笑って、不要な忠告を伝えてきた。
「まぁ、狙うなら気を付けろよ。他に狙っている奴、沢山いるし、今まで告った奴、全員振られてるらしいぞ」
「…………」
彼は良い人間なのだろう。他の男子とも仲良く喋り、僕にまで声を掛けてくる。スポーツも出来て、女子からも少なからず人気があるのではないだろうか。けれど、やっぱりニヤッと笑った顔は少し頭にくる。
彼との会話が終わった後も、僕は、集中して本を読んでいる彼女を見ている僕がいる事に気が付いた。