出会い
山を登っていた。ただひたすらに。ただ頂上を目指して。
小さい頃から続け、既に一年に一度、新しい学年が始まる少し前の春休みの習慣にまでなっている。
この山に登る理由としては、山の頂上にある一本の桜の樹、それが満開になって創り出す得も言えぬ美しい風景を観るためである。
今日は普段より少し暖かかったため、登っている僕の頬は汗の珠を滴らせ続けていた。
僕は汗を袖で拭い、荒い息を吐きながら頂上の景色を想像した。毎年、素晴らしい景色であるのには変わりないが、年々で少しずつ受ける印象が違ってくる。その違いを感じることが楽しみの一つでもある。
今日は去年よりも森の中が騒がしいように感じる。やはり暖かいからであろうか。
ふと周りに気を配ってみると、葉と葉の間から射し込む陽光に照らされた地面が輝いている。そこには小さな植物が芽吹いていた。上を見上げると、名も知らぬ小鳥たちが会話するように囀り合っている。
その景色は僕に生命の芽吹く季節の到来を告げているかのようだった。これらの景色は普段、機械的な社会で、大洋にただ浮かぶ様に生きている僕に生の実感を与えてくれる。
僕はそれらの景色に後押しされるかのように歩を進める。
それから歩き続け、程なくして木が少なくなってきた。
頂上が近づいて、暖かい陽光が背にあたる。
僕は頂上の桜の樹の根元に座って下に広がる街の景色を眺めながら読書をするのが好きだった。
少し歩くと頂上が見えてきた。
そこで、頂上に誰かがいることに気がついた。今まで登ってきたときには、まだ少し肌寒い季節だからか頂上に人がいたことは無かった。今まで偶然が続いていたのか、それとも今年が稀なのかは僕には判りかねた。
そのまま歩いて、頂上のひらけた場所に出た。
その瞬間、目に入ってきた景色に僕は。
ただ、見惚れてしまった。
時間が止まったかのように感じた。
いつもとは全く違う景色だった。
一人の少女がただ立っていた。
彼女は、丈の長い薄い黄色のワンピースにその上から淡い青色のカーディガンを羽織っている。
彼女はただ街を眺めていた。
ただその瞳は、清く、深く、そして哀しみに満ちているようだった。
彼女の肩程までの黒髪が風に煽られて躍っている。
舞い散る花びらが雪のように錯覚され、彼女はあたかも吹雪の中で孤独に佇んでいるように見えた。
気温としてはいつもより高い筈なのに、僕は寒気が止まらなかった。
どれくらい経っただろうか。わずか数秒、それとも数十分か。それさえも判断できない程に、僕は時間が止まっている錯覚に陥っていた。
そして。
彼女が僕の存在を認識した。彼女は哀しみの満ちた瞳をこちらに向け、薄く微笑んで小さく会釈した。
僕も彼女に向かって会釈をした。
まるで言葉の存在しない世界のように、言葉を発することが罪となる世界であるかのような空気が間には漂っていた。
僕も彼女も、ただの一言も発さず、僕はいつもの桜の樹の根元に座り、本を取り出して読み始めた。彼女も元のように街を眺めている。
彼女の周りには、目に見えない壁があるように感じた。その壁は、人との深い関わりを拒絶するように感じた。
僕は彼女の表情が少し気がかりではあったが、無理矢理飲み込む事にした。
これが彼女、いや、君との最初の出会いだった。