○○新聞拡張員VS気弱人間
私は新聞拡張員が苦手だ。
何故なら三か月前、初めて新聞拡張員と出会いテンパった私は、わけのわからぬまま新聞契約をする羽目になったからだ。
「お酒飲みます?洗剤って使います?お米は使います?」と捲し立てられ、勢いに負け、「お酒は飲みません。洗剤は、まあ。お米も、食べます」と答えたら、「ああよかった」と、その拡張員は契約書を差し出してきた。
(え?私、質問に答えただけ。新聞いるとかいらないとか、なんにも言ってない)
呆然とする私に構わず、拡張員はドンドン手続きを進めていく。
「ここにサインお願いしますね。ハンコはこっち。朝刊だけでいいですから。洗剤は今ある分、置いていきますね。お米は後日届けます」
「え、いや」
「ああ、よかった。私これでようやく会社に帰れます。××さん、ありがとうございます」
「あの、」
「後ほど、朝日の会社の方から契約確認の電話が来ますので、よろしくお願いしますね」
「………」
ここで断れるなら、気弱とは言われていない。
結局、私は流され、三カ月の新聞契約を結んでしまった。
最初は「まあ、新聞読むの大事だよね」などと自分を誤魔化し慰めていたのだが、まあ、そんな人間が実際新聞を配達された所で読むわけがない。
ポストから出されてそのまま靴箱に置かれた新聞がタワーをつくる。そのタワーを見る度虚しくなった。
新聞の集金に読まない新聞の代金を払う。集金の人にお金を渡す度、何やってるんだかと悲しくなった。
(三カ月経ったら、次の契約は断ろう。絶対に断ろう)
近年まれな固い決意を、私はした。
そして三か月後、最後の集金に来た人に「もう三カ月どうですか?」と言われた時、私は頑張って言った。
「いや、新聞、結局読めなかったんで」
何か言われるかと怯えたが、集金の人はあっさり「そうですか」と帰っていった。
数日後、今度は携帯の方に新聞社から電話があり契約を勧められたが、同じような流れで断ることが出来た。
(なんだ。断るって、けっこうすんなりできるんだ)
私は安堵し、自信を持った。
そして6月某日、遂にある意味トラウマの新聞拡張員が家に訪ねてきたのだ。
玄関を開けてしまった時は「やばい」と血の気が引いたが、何とか自分を落ち着かせた。
(大丈夫、読まないって言えば帰るんだから)
そして、集金の人や電話口で言った言葉を繰り返した。
これで帰るはず、と思った。
が、
「そうですか。ところで××さん、ビールって飲まれますか?」
(………え?なんでその話になるの?)
男は帰らなかった。
「いや、お酒は飲まないんで」
「じゃあ、洗剤とかは」
「え、いや、」
「お米とか。自炊とかってされます?」
(ヤバい、この流れに乗ったらまた契約させられる!)
帰らない男に怯えつつ、勇気を振り絞って流れを切った。
「でも、新聞、読まないんで。溜まっちゃうだけで」
「そこをなんとか。ポストにいれさせてくれるだけでいいんで。品物料金分サービスしますし、ご迷惑は掛けませんから」
「家の中の新聞、困りますし」
「袋を用意しますから。ポストに下にセットして、ポストから取った新聞、そのまま入れてもらって構いませんから」
「………は?」
このあたりから、雲行きが怪しくなる。
「(なにそれ、新聞の意味ないじゃん)いや、え?」
「捨てるのが大変なようでしたら、配達員に持って行かせますんで。ちゃんと僕が言っておきますから」
「いや、ちょっと」
意味不明で、とにかく頷いたらヤバいという思いで言葉を濁し続けると、男は手段を変えてきた。
「××さん、引っ越しのご予定ってあります?」
「え!?はあ、まあ」
突然の話題変換についていけず、また、するともしないとも断言したくなくて(実際は引っ越しの予定はなし)再び言葉を濁す私に構わず、男は続ける。
「契約、今すぐでなくてもいいんで。年末からとか、でなければ来年の今頃とか。もしその間に引っ越しとかされても、新聞社に連絡の必要はないんで」
なんと、暗に契約だけしてバックレろとのお誘いである。
ビビった。こんな妖しい男と契約なんてしたら、何があるか分かったもんじゃない。そもそも、何でこの男は新聞を読まないと言っているのに帰らないのだろう。新聞を読まない以外で男が諦める断る理由を私は探した。
「(………これだ!!!)あの、申し訳ないんですけど、新聞代、ちょっと厳しいんで」
金がない。
これは男にもどうにもできないし、引かざるを得ないだろう。
「厳しいですか?」
「ええ、ちょっと」
「―――そうですか」
(お、諦めたか?)
「じゃあ、新聞代はこちらで払いますので!」
「え?」
「××さんはポストに新聞を入れさせてくれるだけでいいんです。集金には伺いますが、新聞代は要らないと言われたことを伝えてくださればお金は取られません。どうでしょう?」
ここまでくると、ビビるどころではなく完全に恐怖である。
絶句する私に男は畳みかける。
「実は私△△の方から来てまして、後ノルマが三件で、でも、××さんが協力してくださるなら何とか達成できそうです」
「今日、午後から雨が降るんですよね。雨が降る前には会社に戻りたくて」
「僕を助けると思って、どうか、ね?」
私は優しい人間ではない。
ノルマなんか聞いても同情しないし、雨なんか関係ないし、男を助けたいとも思わない。
しかしヘタレなので、「あんたが協力しないと俺が大変なんだよ」という言葉にしていない威圧はビシビシと感じた。
一瞬、もう契約してしまおうかとの思いがよぎる。それでこの面倒でわけのわからない現状から逃れられるなら。新聞代いらないって言ってるし、新聞が溜まるのにさえ我慢すれば。
(いや、ちょっと待て)
けど、じゃあ、なんのためにここまで頑張ったんだ?散々後悔したじゃないか。二度と取らないって決意したじゃないか。思い出せ、あの虚しさを!!!
「その、ちょっと、申し訳ないんですけど」
なけなしの勇気と根性で、私はドアノブを握り、そっと引いた。
「××さん、お願いしますよ」
「いや、ちょっと」
「僕を助けると思って」
「申し訳ないんですけど」
「××さん」
「申し訳ないです」
一気に引く度胸はなく、「申し訳ないんですけど」「ちょっと」を繰り返しながら徐々に徐々にドアを閉める。
足や体を挟んでくるんじゃないか、と警戒したが、流石にそこまではしてこなかった。けれど、狭まる隙間に顔を覗かせ、最後までこっちを見ていたのは怖かった。
完全に閉まったドア。
男は流石に諦め、階段を下りていく音がした。
こうして、私は新聞拡張員に辛くも勝利した。
「こんなグダグダせずにきっぱり断れ」と傍から見れば思うだろうが、実際自分自身そう思うが、これが精一杯であり、頑張った結果である。最終的には断れたので良しという事にしていただきたい。
その後、男が言っていた新聞代無料、玄関の新聞を運ぶなど、本当にあるのか気になり検索した。無料だったという人もいればトラブルになったという人もおり、あの時、逃れたい一心で契約しなくて本当に良かったと改めて思った。
今後も、自分は新聞を読まない人間なんだから、新聞勧誘は断っていこう。
調べたところ、セールスの類は「帰れ」と言われたら帰るのが原則で、守らない場合は警察に通報しても大丈夫とのことらしいので、今度からは第一声に「お帰り下さい」と言うつもりである。