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ヴィーナスドライヴ  作者: 庵字
第2話 強制的プラトニック
9/74

人類対ブルート

 時計が午後十時を指した。

 啓斗(けいと)は目を閉じるが、すぐにまぶたを開き、じっと天井を、間接照明が灯る壁を見つめる。寝返りを打ち目を閉じるが、またすぐにまぶたは開かれる。そんな動作を何度も繰り返すうちに三時間が過ぎ去っていた。

 啓斗はベッドから起き上がるとブーツを履いて、来たときのように荷物の中を切り開かれた細い道を通って自室を出た。廊下を歩き、医務室の前で立ち止まりドアを見つめていたが、啓斗は再び歩き出し、タラップを踏んでレジデンスから外に出た。


「うわー」


 啓斗は空を見上げて感嘆の声を上げた。満点の星空が啓斗の頭上に覆い被さっていた。しばらく夜空を見上げていた啓斗の隣に足音が近づいてきて、


「よく眠れた?」ミズキが声を掛けてきた。


「あ、ああ。うん、とても」啓斗は顔を横に向けて答えた。


「そう? まだ疲れた顔してるみたいだけど?」

「そ、そんなことないよ」


 啓斗はそう言うと、再び夜空に視線を移す。


「何見てるの?」

「え? 星、だよ」


 啓斗は意外そうな表情で答えた。


「星? 星がそんなに珍しいの?」

「いや、こんなにたくさんの星なんて、見たことなかったから」

「ああ……」ミズキは納得したような声で、「そっか、昔は星って、町の明かりでよく見えなかったんだってね」

「そうなんだ。凄いよ」

「そっか」ミズキも星空を見上げながら、「私にとっては、普通だな。夜に町に明かりが灯るなんて、ほとんどなかった。物心ついた頃には、もう戦争状態が当たり前だったから……」

「あっ、ごめん……」

「啓斗が謝ることじゃないでしょ」


 ミズキは、クスクスと笑った。カーディガンを羽織った肩が揺れる。


「お店、もう終わりなんだ?」


 啓斗が訊くと、ミズキは、


「うん、今日はお客さんが捌けるの早かったな。昼間にあの騒ぎがあって、みんな疲れてるのかも。ねえ、ちょっと飲まない?」


 ミズキは啓斗の腕を取った。


「え? ふ、二人で……?」

「み、みんな、いるよ……」

「そ、そっか、そうだよね……じゃあ、飲む、飲まないは別にして、何かもらおうかな。い、行こうか」


 啓斗は食堂の出入り口に向かって歩き出したが、腕を掴んだミズキが立ち止まったままだったため、一歩踏み出しただけで啓斗も足を止めた。


「ど、どうしたの? ミズキ」

「私と、ふ、二人きりが、いいの……?」


 ミズキは伏せていた顔を上げて訊いた。


「えっ? そ、それは……」

「おーい! ミズキ!」と、食堂の出入り口から声が掛かった。グラスを掲げたコーディだった。「おお、啓斗も。一緒に飲もうぜ!」


 そう続けて二人に向けて手招きをする。星と月明かりに照らされたその顔は、かなり赤かった。


「い、行こう」


 ミズキは啓斗の腕を取って駆け出した。啓斗もミズキに引かれて、ネオンサインが消え閉店したばかりの〈ヴィーナスドライヴ〉に足を踏み入れた。


「あら、いらっしゃい」


 カウンターの中に立っていたレイナが声を掛けた。隣にはカスミの姿もある。その他のメンバーは、テーブル席やカウンター席に思い思いに腰を下ろし、グラスを傾けていた。


「どう、よく眠れた?」

「あ、はい」


 レイナの声に啓斗はそう答えたが、


「嘘、目の下に隈が出来てるわよ」


 レイナに指摘され、啓斗は目の下を服の袖で擦った。それを見たレイナは、ふふ、と笑い、


「何か飲む?」

「じゃ、じゃあ、ジュースを――」

「おい! 啓斗!」


 カウンター席に腰を据えた啓斗の背後から、コーディが首に両腕を回してきた。


「コ、コーディ?」

「お前? 今、何て言った? ジュースだと? 啓斗、お前、そんなことが許されると思ってるのか!」

「コーディ! 酔ってる?」


 啓斗はコーディに背中からのしかかられ、カウンターに胸を付けながら言った。


「酔って悪いか! 記念すべき初勝利の日だぞ!」

「コーディ! お酒臭いよ!」

「なにおう?」


 コーディは自分の頬を啓斗の頬に密着させていた。


「あー、ほらほら」


 テーブル席に座っていたスズカが立ち上がり、コーディの両脇から手を入れ、啓斗の背中から引き剥がした。そのまま引き摺ってテーブル席壁側のソファに投げ落とすと、その回りに座っていたメンバーは席を立ち、全員がカウンター席に移った。コーディは呂律の回らない意味不明な言葉を呟いていたが、すぐに目を閉じて寝息を立て始めた。


「ごめんね。たちの悪い酔っぱらいがいて」スズカはそのまま啓斗の隣に座り、「私、スズカ。ヘッドクオーターズのドライバーをしてるんだ。よろしく」


 少し癖毛でショートヘアのスズカは、そう言って手を差し出した。その手を握り返して啓斗も、よろしく、と挨拶をした。


「はい、結城(ゆうき)くん」


 カウンターの向こうから、レイナが液体の入ったグラスを差し出してきた。


「あ、ありがとうございます」啓斗は礼を言ってグラスを持ち、縁に唇を付けたが、「な、何ですかこれ? お酒?」と、グラスを引き離した。

「そうよ。甘くて、強くないカクテルだから。初めてお酒を飲む人には丁度いいと思うわよ」


 レイナはカウンターに肘を付いて言った。


「そ、そうですか……」


 啓斗はグラスを目の高さに掲げて、中身のオレンジ色の液体を見つめていた。


「レイナ、私にもちょうだい。啓斗と同じの」


 隣に座っているミズキがレイナに声を掛けた。


「ミズキも、お酒飲むの?」


 啓斗が訊くと、ミズキは横を向いて、


「うん、ちょっとだけね」と笑って首を傾げた。


「ねえ、ミズキって、いくつなの?」

「私? 十七だけど」

「あ、俺と一緒だ」

「それがどうかした?」

「ね、分かったでしょ」レイナはミズキの分のカクテルを差し出すと啓斗を見て、「ここじゃ、もう法律なんて通用しないのよ」

「どういうこと?」


 ミズキがグラスに口を付けて訊いた。


「結城くんがね、自分は未成年だから、お酒は飲めない、って」

「みせいねん、って?」


 ミズキは、きょとん、とした顔で啓斗を見た。


「あら、そんなこと気にしてたの?」レイナの隣に来たカスミが、「ふふ、かわいいのね」


 と、カウンターに肘を付いて啓斗に顔を寄せた。その頬はほんのりと赤く染まっている。顔を前に突きだしたことで、大きく開いた胸元の谷間がさらに強調された。


「あ、いや、気にするというか……」


 カスミとは別の理由で頬を染めた啓斗は、そう呟いて俯いた。それを見たミズキは、むっ、としたような表情を一瞬見せて眉を吊り上げる。


「私、カスミ。ヴィーナスドライヴの戦闘隊長をやらせてもらってるわ。よろしく」


 カスミは背筋を伸ばすと啓斗に握手を求めた。ストレートロングの黒髪を揺らして微笑む。啓斗も、よろしくお願いします、と手を握り返した。


「私とコーディの上官なのよ。すごく強いんだから」


 隣からミズキが話しかけた。


「ミズキ」カスミはミズキに向かって、「ここは軍隊じゃないんだから、上官も部下もないのよ。みんな同じ仲間なんだからね」


 ミズキは「はーい」と返事をして、グラスに口を付けた。


「ということは、ミズキとコーディは、ここでは戦闘が役割なの?」


 啓斗が訊くと、ミズキは、


「そうよ。私とカスミは、ブルートに対抗する連合軍のメンバーだったの」

「そうなんだ。ミズキは軍人だったんだ」

「うん、でも、軍籍にいたのは、ひと月くらいだけだった」

「ヴィーナスドライヴに誘われたから?」

「ううん……」ミズキはグラスを置いて、「壊滅したの、連合軍が」


 ミズキの口から、その言葉が聞かれると、カスミは一瞬表情を強ばらせたが、すぐに元に戻り、


「軍の仲間はみんな散り散りになってね。私とコーディと、ミズキもレイナに拾われたの」

「そうだったんですか……」啓斗はグラスをカウンターに置いて、「あ、あの、ヴィーナスドライヴって、女性しかいないんですか?」

「そうよ。男はね、みんな死んだの。戦争では男から死んでいくのよ」


 そう答えたレイナの顔を見て、カスミは意地悪そうな笑みを浮かべた。


「す、すみません……」


 啓斗は、そう言って顔を伏せた。それを見たレイナは微笑んで、


「でも、結城くんは別よ。あなたのことは私たちが命に替えても守るから」

「え? な、何言ってるんですか! やめて下さいよ」

「本当のことよ。あなたは人類唯一の希望なのよ。命を張って守らないでどうするの」


 レイナはそう続け、カスミ、ミズキ、スズカを始め、眠っているコーディ以外の全員が頷いた。


「ちょ、ちょっと……」啓斗はぐるりを見回して、「お、俺のほうこそ……皆さんを守ります。俺しか、俺しかブルートと戦えないっていうなら、俺が、みんなを……」


 最後は消え入るような声になり、啓斗はベルトに指したナイフホルダーにそっと触れた。


「そうだね」スズカは啓斗を見て、「二体もブルートを倒すなんて、凄いことをやってのけたんだもんね。啓斗なら私たちのこと守ってくれるよね」

「い、いや、凄いだなんて、あのときは、もう必死で……」

「結城くん」レイナが話しかけてきて、「ちょっと、昔の話をするわね」

「え? は、はい……」


 啓斗は手を膝の上に置いて姿勢を正した。レイナの表情が引き締まっていたせいだった。


「ブルートの侵攻が始まってから十年目の2513年、今から七年前のことね」レイナは話し出した。「連合軍が、サハラ砂漠の一角に一体のブルートを誘導してきたの。そのブルートのコードネームは、〈スラッグ〉」

「スラッグ、なめくじ、ですか」

「そう」


 啓斗の声にレイナは答えて、話を再開する。


「ブルートが誘導されてきた位置には、前もって連合軍が仕掛けた核地雷が埋設されていた」

「核地雷? じゃあ……」

「そう、ブルートが核地雷のほぼ爆心位置まで誘導されたとき、連合軍は地雷の起爆スイッチを押したわ。ブルートに核爆発の直撃を浴びせることに成功したの。その際、誘導任務に就いていた機動兵器が数機逃げ遅れたけれど、作戦司令はスイッチを押すことに躊躇(ためら)いは見せなかったというわ。機動兵器からの通信も、自分たちに構うな、と告げていたそうだけれど。そこへブルートを誘導してくるだけでも、かなりの犠牲、被害は出ていたけれどね……」


 レイナはそこで、カウンターの奥から自分のグラスを取ってきて、ひと口煽った。


「そ、それで、どうなったんですか? ブルートは?」


 啓斗に話の続きを促され、レイナはカウンターに戻ってくると、


「……生きていた」

「や、やっぱり……」

「でもね、これまでに見られなかった変化が確認されていた。ブルートの全身を覆うように張られたバリアの色が変わっていたの。結城くんも見たから分かるでしょ。あいつらのバリアは通常緑色をしている」

「はい、確かにそうでした」

「それが、超望遠カメラで確認したブルートを囲ったバリアは、今までに見たことがないオレンジ色に染まっていたの。でも、その色は徐々に変化を見せ始めていた。六角形が密集したオレンジ色のバリアは、斑模様に、冷えていくかのように青く変化していく箇所が見受けられた。これがどういうことか」

「――バリアにダメージを与えた! でも、回復してきている?」


 啓斗が言うと、レイナは頷いて、


「でも、司令部は慌てていなかった。司令部でも地雷の一撃だけでブルートを倒せるという期待はしていなかったの。核地雷が爆発すると同時に、ブルートの位置に向けて核ミサイルもすでに発射されていたの。時間差で三発。ブルートは核地雷によるダメージの直後に、続けざま核ミサイルを浴びることになったわ。一発目のミサイルが命中、直後の映像ではブルートの周囲を覆うバリアは真っ赤に染まっていた。そして二発目、ブルートの周囲からバリアが消えていた。三発目が続けざまに命中。凄まじい爆煙が収まり映像が復帰したとき、そこにブルートの姿はなかった」

「じゃ、じゃあ、倒すことに成功した?」


 啓斗の言葉に、レイナはゆっくりと頷いた。


「す、凄いじゃないですか。人類もブルートを倒すことが出来るっていうことじゃないですか!」


 興奮した様子で言う啓斗に、レイナは、


「でもね。地雷、ミサイル合わせて四発よ。核地雷と二発の核ミサイルでバリアを破った時点で、もしかしたら核を使うまでもなくブルートを倒せていたとしても、あいつらのバリアを破るだけで三発の核爆弾が必要なのよ」


 レイナはそこで、ふう、とため息をついた。啓斗の顔から興奮した表情は消えていた。


「それがあってから」と、レイナは再び口を開き、「ブルートが砂漠みたいな広大な土地に姿を見せることはなくなったわ。誘導に引っかかることもね。あいつらは人の住む都市や町だけで暴れるようになったの。普段は人間そっくりに擬態してね。これが人類がこの十五年間でブルートを倒した、ただひとつの事例なのよ」

「えっ? 一体だけ?」

「そう」レイナは真っ直ぐに啓斗を見つめて、「十五年で一体、たったそれだけなの。我々人類がブルートに勝った戦いは。だから、ねえ、結城くん、あなたが、いかに凄いことをしたのか分かるでしょ」


 レイナは微笑んだ。啓斗は無言のままカウンターテーブルを見つめた。目の前に置かれたカクテルの中の氷が溶けてグラスに当たり、乾いた音を響かせた。


「啓斗」横からミズキが声を掛け、自分のグラスを手にして、「乾杯しよ」と、微笑んだ。


「あ、ああ」啓斗も微笑みを返し、カウンターの上のグラスを見つめて、「で、でも」

「結城くん」と、カスミが、「レイナの酒を断ると、後が怖いわよ」

「ちょっと、カスミ」横からレイナが割って入ったが、横目で啓斗を向き、「怖いわよ」

「結局、怖いんですか!」


 レイナとカスミは、ふふ、と笑って、それぞれ自分のグラスを手にした。スズカを始め他のメンバーもグラスを掲げる。啓斗もグラスを持ったことを確認したレイナが、


「それでは。ヴィーナスドライヴと結城くんに、乾杯!」

「かんぱーい!」


 皆が声を揃えて叫び、一斉にグラスを傾けた。啓斗もひと呼吸遅れてグラスに口を付けた。喉が、ぐい、と鳴る。


「どう? 啓斗」


 ミズキが訊くと、啓斗はグラスを口から離して、


「あ、おいしい」

「そうでしょ」


 ミズキ、そしてレイナたちも笑顔になった。


「これなら、俺でも飲めますよ」


 啓斗がグラスを空にすると、すぐにレイナが同じものを二杯目に差し出した。

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