未来をつくるもの
「啓斗!」サヤの通信が入った。「ブルートは? まだ?」
「サヤ、それが……」
啓斗は、兵員輸送車を運転していたのがロボット兵士のジョルトだったことを告げた。
「何だって?」
そのやりとりを聞き終えたアキの声が返ってきた。声の後ろには銃撃音が混じっている。アキは接近してきた敵クラージュ戦車に応戦しながら話していた。マリアも対戦車ロケットを持ち出してアキに加勢し、コンソール席にはハンガーから移動したサヤが座っていた。指令室にはタエ、ミサ、コトミの姿もあった。アキが全員をヘッドクオーターズに集め、いざとなればレジデンスとハンガーを放棄することを告げ集合させたのだった。
運転席ではスズカも窓からライフルを構え、アキとマリアの援護をしている。
ルカとクミだけが病院の中で女性のそばについていた。
「ミサの入れたコーヒー、おいしいのよ。サンドイッチはコトミが作ってくれたの」
クミはコーヒーを注いだカップとサンドイッチを女性の枕元のサイドテーブルに置いて声を掛けた。女性は依然まぶたを閉じたままだった。クミとルカもコーヒーの入ったカップを手にして、サンドイッチはすでに食べ終えていた。
「外が騒がしくなってきたわね……」
ルカは窓の外に目を向けて言った。クミは一度外を見て、またベッドに視線を戻し、
「私はね、お味噌汁が得意なの。これだけは、タエじゃなくてお母さん直伝なの。タエもみんなも、おいしいって褒めてくれたんだ」
そう呟いて、カップを口につけた。
「ミズキ!」
「駄目! この速度で精いっぱい!」
カスミの声にミズキが答えた。カスミたちが乗るクラージュ戦車は、十字路に差し掛かったところで待ち伏せていた二台の敵戦車の十字砲火を受けてしまった。その攻撃で履帯にダメージを負い、カスミ機は機動力を大幅に失っていた。コーディが砲撃で応戦しているが、二体一のうえスピードの差もあり、カスミ機は徐々に追い詰められつつあった。
迫る敵戦車の一台が砲塔を回しカスミ機に砲口を向けかけたが、飛来したロケット弾が砲塔と車体の繋ぎ目に命中して砲塔の回転は止まった。
「レイナ!」
カスミが、ビルの三階窓からロケット砲を構えているレイナの姿を見つけて叫んだ。残る一台の敵戦車の機銃がレイナを狙ったが、すでにレイナは窓際から姿を消していた。
レイナはロケット砲に次弾を装填した。最後の一発だった。
「アキさん! どういうことですか? ブルートはどこにいるっていうんですか?」
「まさか……」アキは、「ここ頼む!」と、マリアに告げて、ヘッドクオーターズに走った。
「サヤ!」アキは指令室に飛び込むなり、「映像を見せてくれ!」
「アキ!」サヤは振り向いて、「映像って?」
「カスミが軍施設に入ったときの映像だ。台所を映した映像があったろ、それを!」
サヤは何も訊かず、コンソールを操作して件の映像をモニターに出した。
映像には、カスミのヘルメットカメラが台所の流し場を捉えた様子が映っていた。
「ここ! 止めろ!」
アキの声にサヤは映像を停止した。
「いち、に、さん……」アキは食い入るようにモニターを見ながら呟き、「くそ……」そう漏らすとコンソールのマイクに向かって、「啓斗! いいか、私の言うことをよく聞いてくれ……」
「啓斗! しっかりして!」
病院の廊下にサヤの声が聞こえた。足音が近づき、病室のドアが開け放たれる音がした。
「サヤ、タエ、どうしたの? ――啓斗?」
ルカは椅子から立ち上がる音をたてて言った。
「啓斗がやられた」
タエが言うと、直後サヤの声が、
「そこのベッドに」
ベッドに、どさり、と体を置く重い音がした。同時に、「うう……」という啓斗の呻き声が発せられ、ばさり、と、毛布を掛ける音が続いた。
「啓斗」サヤの声で、「啓斗がいなくなったら、もう、ブルートと戦えない……」
「サヤ! 啓斗は大丈夫だから」と、タエの声が、「ルカ、クミ、こっちを手伝って」
「どうしたの? 啓斗は?」
ルカが訊いたが、
「早く! 一刻を争うの!」
タエの有無を言わさない声がした。
「クミ」サヤは静かな声で、「大丈夫だから、あなたの手が必要なの。お願い、一緒に来て」
クミの返事はない。ただ、すすり泣くような声が聞こえるだけだった。
「クミ……」サヤの声にも嗚咽が混じり始めた。「お願い……」
「……分かった」
クミが言った。椅子から立ち上がる音がした。
「急いで」
タエの声が続き、四人の足音が部屋を出て、ドアが閉められる音がした。廊下を走る四人の足音は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
病室に静寂が訪れると、ベッドに寝かされていた女性のまぶたが、ゆっくりと開いた。女性は掛けられていた毛布を静かに剥ぐと、床に裸足の足を付けた。
立ち上がった女性は隣のベッドの毛布の膨らみに視線を向けた。今までまぶたに隠されていたその双眸は異様な迫力を帯びていた。敵意、殺意を内包した鋭い目。人間のものとは思い難い眼光を放っている。
その目が真っ赤に染まると、女性の体はうねるように変化した。頭部は左右に開く鋏のような顎を持ち、背中には四枚の透明な羽が生えていた。左腕前腕は先端に短い針が突き出た楕円球のような形状となった。その針の先端から滴が垂れ床に落ちると、じゅう、という音とともに煙を上げて床材を融解させた。
女性の姿から変貌したブルートは、左手の針をベッド上の毛布の膨らみに向けた。針の先端に床を、軍施設の人間たちを溶解させた蟻酸が滲んだ。
銃声。
蟻酸が飛ばされる前に毛布の中からフルオート弾が放たれ、ブルートの左腕を吹き飛ばした。ブルートは胸と頭部にも弾痕を穿たれていた。焼け焦げた黒い穴の開いた毛布が舞い、ウインテクターを纏った啓斗がライフルを構えてベッドの上に膝立ちしていた。
「き、貴様……」
クイーンアントブルートは顎を鳴らしながら言葉を漏らすと足を踏み出したが、さらなる銃撃を胸部に浴びて自分が寝ていたベッドに倒れ込んだ。動かなくなったブルートの体は青白い光を帯びたのち爆発、四散した。サイドテーブルに置かれていたカップとサンドイッチが吹き飛んだ。
「と、止まった……?」
カスミは交戦していたクラージュ戦車が停止したのを見て、茫然とした表情で呟いた。カスミ機は敵戦車からの被弾を受け続け、履帯は完全に破壊され立ち往生し、三方を敵戦車に囲まれた状態だった。
レイナも撃ち尽くしたロケット砲を捨て、アサルトライフルを構えてカスミ機に取り付こうとするスプリンガーの掃討を続けていたが、自分に銃口を向けたスプリンガーが突然停止したのを見て、
「やったのね。啓斗が……」
そう呟いてライフルを下ろした。
「ふわぁー……」
「はぁー……」
カスミ機の中では、ミズキとコーディが安堵の表情とともに、大きなため息を吐いていた。
「やった、か……」
同じ頃、アキもそう呟いていた。
病院のほうから爆発音が響くと同時に、目の前に迫っていた敵戦車が進行を停止した。数体走り回っていたスプリンガーも同時に動きを止めていた。うち二体は、すでにヘッドクオーターズに取りついていた。
スズカはライフルを構えながら窓から乗り出していた体を引っ込めると、運転席のシートに、ごろり、と横になって大きく息を吐いた。
マリアはその場に尻を突くと、そのまま後ろに倒れ込み、「た、助かった……」そう呟いて空を仰いだ。マリアはスプリンガーの一体に完全に背後を取られ、銃撃される寸前だった。
司令室ではミサとコトミが抱き合って、外の状況も知らず未だ震えていた。
病院出入り口すぐのロビーでは、タエが椅子に座って俯くクミの手をしっかりと握り、サヤはクミを背中から抱きしめて落涙している。ルカはその様子を沈痛な表情で見つめていた。
啓斗を残してきた病室から銃撃音と爆発音が響いたとき、クミは堪えていたものが一気に噴きだしたかのように嗚咽して涙を落としていた。
「流しの水切りに刺さっていた箸は、全部で九膳しかなかった」
アキが言った。全員がヘッドクオーターズ駐機場に戻り、町からかき集めた飲み物で喉を潤している中での発言だった。
「死体の数が九、生き残った人を入れて、全部で十人。数が合わなかったってわけね」
アキの言葉を聞いて、レイナが言った。
「アキ、名推理」
コーディがペットボトルを口から離して言った。アキは首を横に振り、
「推理なんてものじゃないさ。賭けだった。啓斗をあのまま残して戦わせていたら、カスミたちか私たちか、どちらかのグループは生き残っただろう。どちらも生かすには、女王蟻であるブルートを倒す以外になかった。私の勘が外れていたら全滅だったろう……」アキは、そう呟いた。
クミは渡されたペットボトルに手も付けず、椅子に座って俯いているだけだった。
「……ごめんなさい」ようやく、クミが口を開いた。
「どうして、クミが謝るの?」
レイナがやさしい声で訊くと、クミは、
「だって、私……」一度は引いたその目に、再び涙が滲んだ。
「クミ」レイナはクミのそばに屈んで手を握り、「今回は、こんな結果になってしまったけれど、その心だけは、いつまでも忘れないで」
「レイナ……」
クミは潤んだ瞳でレイナを見つめた。
「クミ!」クミの背中にミサが抱き着いてきて、「私がクミのお母さんになる!」
そう言って、泣きながらクミを強く抱きしめた。
「わ、私も!」コトミも泣きながらクミに抱き着き、「私もクミのお母さんになる!」
「ミサ、コトミ……」
クミは嗚咽しながら二人を見た。レイナは、そっとクミから離れて微笑んだ。
「ありがとう。ごめんね、ミサ、コトミ……」
三人は抱き合って号泣した。
アキたちのそばに戻ったレイナは、
「天使ね」
「え?」
レイナの言葉にアキが顔を向けた。レイナは、
「人を信じて疑わず、誰に対してもやさしい。こういう時代に生まれたからこそ、それを当たり前の考え方として生きていくのね。ああいう子たちが、この先の世界を作っていくのだとしたら、人類の未来は明るいかもね」
「天使、か」アキは呟いた。
「理想が過ぎるかしら?」
レイナは訊いた。アキは笑みを浮かべながら首を横に振ると、
「悪魔は実際にいるんだ。天使がいたって、おかしくないさ」
タエ、カスミ、コーディ、ミズキ、マリア、サヤ、スズカ、ルカも、抱き合う三人を見て微笑み、サヤは堪えきれずに泣き出した。
啓斗も目に涙を浮かべながら、何度も大きく頷いていた。




