侵略者ブルート
「結城くんと、ミズキもブルートのいる方向に進み始めました」
指揮車両ヘッドクオーターズの司令室でメインモニターを見上げながら、ヘッドセットを付けたサヤが言った。モニターの上下左右中心を貫く線の交点、つまりモニター中心は、ヘッドクオーターズの現在位置。モニターには周辺の地図が表示されている。モニター上部、ヘッドクオーターズ前方の位置には、緑のマーカーが点灯している。そのマーカーはゆっくりと、画面中心の交点、ヘッドクオーターズから遠ざかっていく動きを見せている。そのマーカーの横には、〈6〉と〈10〉の二つの数字が記載されている。〈6〉はミズキを、〈10〉は啓斗を表している。
地図の縮尺が小さいため、ほぼ並んで走る二人のマーカーは重なって表示されており、そこに二人のメンバーがいるということを分からせるための表示だった。
「何をやってるの、ミズキは……」レイナは苛立つような声を出し、「サヤ、ミズキを呼び出して」と、命じた。
数回のコールの後、ミズキが応答した。
「レイナ……」
「ミズキ! 何をしているの!」レイナは通信マイクに叫んで、「早く結城くんを連れて――」
「啓斗、戦うって……」
「え?」
「啓斗、ブルートと戦う、って。カスミとコーディを、助けてくれるって……」
「バカな!」
レイナは唇を噛んだ。
その後ろでツナギ姿で立っていた小柄な女性は、
「いや、やれるかもよ」
「アキ! あなたまで!」
「アキ」と呼ばれた小柄な女性は、眼鏡越しにモニターから視線を下げ、自分を振り向いたレイナの目を見ると、
「レイナ、やってみよう」
「アキ!」
「レイナ、カスミとコーディを見殺しにするつもりなのか」
「アキ」と呼ばれた女性の言葉に、レイナは、すぐには言い返さなかった。その目が曇り、唇を小さく震わせると、
「出来ている。覚悟は……出来ているはずよ……カスミも、コーディも……」
「レイナ!」
アキがレイナを一括すると、レイナは、ぴくり、と肩を震わせた。
「……すまん」アキは詫びて、「レイナ、私からも頼む」
「アキ……」レイナは逡巡するような表情を見せたが、それは一瞬だけだった。口元を結び、真っ直ぐにアキを見て、「アキ、距離はどう?」そう言ってモニターに視線を移した。
「駄目だ、足りない。近づいてくれ」
アキもモニターを見上げて言った。
「分かったわ」レイナはマイクの通信先を切り替えて、「スズカ、前進して!」
レイナの声はマイクとスピーカーを通じ、レイナたちのいる司令室とは別のヘッドクオーターズ運転席に伝わった。
ハンドルを前にした運転座席に座った「スズカ」と呼ばれた女性は、「オーケー」と言ってアクセルを踏み込む。ヘッドクオーターズは車輪を回し、ゆっくりと車体を前進させた。
走行による振動は司令室にも伝わり、司令室脇のカートに折りたたんで入れられていたパイプ椅子が、カタカタと音を立てた。
「私は、念のため装備のチェックをしてくる」
アキはそう言って、司令室奥のドアへ向かった。
「頼むわ」
レイナはアキの背中にそう声を掛け、モニターに視線を戻した。モニター中心のヘッドクオーターズ現在位置と、ミズキ、啓斗の二人とは、徐々に距離が詰まりつつあった。〈6〉と〈10〉の数字のマーカーのさらに上には、同じ緑色のマーカーが表示されていた。その横には、〈4〉と〈5〉の数字が並んでいる。友軍メンバー、カスミとコーディの現在位置だった。
「レイナ!」
サヤの隣に座った、もうひとりのヘッドセットを付けた女性、マリアが振り返って言った。
レイナは、「どうしたの、マリア」と声を返した。
「コーディから映像が入ります」
マリアが言うと、レイナは、「サブに出して」と、さらに返した。
「了解」マリアの声と同時に、メインモニターの横のサブモニターに映像が映し出された。映像と一緒に、女性の声も送られてきた。
「レイナ! やばい!」
「どうしたの、コーディ!」
レイナが室内スピーカーから聞こえたコーディの声に答えると、
「見て」コーディの声がさらに答え、直後、映像が横に動き、「二体いるよ……」
「二体……」
レイナは唇を噛んだ。サブモニターの映像には、二人の男が映し出されていた。
「おいおい、何だ何だ……」
男は足下に落ちている瓦礫片を蹴り飛ばす。瓦礫片は勢いよく飛んでいき、数メートル先の建物の壁にぶつかって跳ねた。およそ人間の脚力ではない。
「人間どもが集まってるっていうから来てみたが、人っ子ひとりいねえじゃねえか」
「探す楽しみが増えたと思えばいいさ……」
その横に立つ、もうひとりの男が言って不気味に口角を上げた。
その様子を、十メートルほど離れた建物の陰に身を隠した二人の女性が窺っていた。二人は軍用の強化外骨格を纏っており、手にはアサルトライフルを構えている。ヘルメットから覗く髪は、ひとりが黒、もうひとりは金髪だった。
「カスミ、どうする?」
金髪のほうが男から視線を離さずに訊いた。そのヘルメットにはカメラが備えられており、二人の男の姿をヘッドクオーターズにモニターしている。
「ぎりぎりまで手は出さないで」
「カスミ」と呼ばれた黒髪の女性も、視線を男たちに向けたまま答え、
「どうせ」と、自分が持つライフルに一瞬だけ視線を落として、「あいつらに、これは効かないんだから。こっちから無闇に攻撃する必要はないわ」
「ねえ、見た?」
やはり視線を外さずに、コーディが小声でカスミに話し掛けた。
「何を?」
「救世主」
「……ええ、見たわよ。ベッドに寝てるところを、ちらっと」
「結構いい男だったよね。私、タイプかも」
「いい男か。私に言わせれば、かわいい子ね――」そこまで口にしてカスミは言葉を止め、「動く!」
周囲を窺うようにして足を止めたままだった二人の男は、同時に歩き出した。
「みんなが避難した方角だよ。カスミ!」
コーディはライフルを構え直したが、カスミは、
「待って。すぐには追いつかれないわ。本当にまずいときまで手は出さない。戦ったら……確実に負ける。……死ぬ」
「死ぬ……」
コーディは、冷や汗を流して、ごくり、と唾を飲み込んだ。
「併走しましょう。音を立てないように、ゆっくりと……」
カスミとコーディは、遮蔽物に隠れる状態を保ちながら、静かに二人の男と同じ方向に歩き出した。
コーディは、カスミに二、三メートルほど遅れていた。瓦礫や雑草で足場のおぼつかない中を、音を立てないように歩くのに苦戦しているようだった。カスミは時折振り返り、コーディの様子を確認しながら歩いている。
「!」コーディが声にならない声を上げた。踏み出した足下に積まれていた瓦礫が崩れ、ガラガラと音を立てたのだ。
「ん?」男のひとりが立ち止まった。ほぼ同時に、もうひとりも立ち止まる。二人は、きょろきょろと周囲を見回して、先に立ち止まったほうが、「ふふ、いたぜ……」不気味な笑みを湛えながら声を出した。
「カスミ、ごめん!」
コーディは小声で言って、カスミを拝むように手を立てた、が、
「いや、違うわ」
カスミは男たちを見たまま言った。男は、コーディがいる方向とは反対側に向かって歩き、建物の壁に立てかかった状態の、二メートル角程度の大きさのコンクリート片を両手で掴み、引き剥がすようにして後ろに放り投げた。コンクリート片は地面に落ち、砂や埃を舞わせ、表面に亀裂を走らせた。
今までコンクリート片が立てかかっていた場所を見下ろして、男は口角を上げる。その陰には、二人の人間が隠れていた。壮年の男性と、その腕にしっかりと抱かれた少女だった。二人とも、遠目にも分かるほどに体を震わせていた。
後ろで、その様子を見ていたもうひとりの男は、
「31、お前の獲物だな」
と言って、にやり、と笑った。
「悪いな、27」
31と呼ばれた男は、一度自身が27と呼んだ男を振り返り、すぐに足下で震える二人に視線を戻し、「男に用はねぇ」そう言いながら、男性のほうに手を伸ばした。
「やめろ!」
建物の陰からコーディが躍り出て、ライフルの銃口を31に向けた。
「ん?」31は振り返った。
「そこの人! 逃げて!」
叫びながらカスミも姿を見せ、27のほうにライフルの銃口を向けてトリガーを引いた。銃口から火花とともに銃弾が放たれたが、27の体に着弾はしなかった。通常であれば、確実に命中していた狙いだったが、その銃弾は27の体にまで到達してはいなかった。27の体から数十センチ手前に、緑色の六角形を数個ほど組み合わせた形状のものが現れ、ライフルの銃弾は全てそれに弾かれた。侵略者ブルートが有するバリアだった。
27は微動だにせず、自分に銃口を向けたカスミを黙ったまま見ていた。
コーディは、「早く逃げろ!」と叫びながら、31のほうに走り、ライフルの銃口を向けてトリガーを引いた。31の前にも、同じようなバリアが現れ、やはり、銃弾は全てそれに弾かれた。その間に男性は、少女を抱えたまま立ち上がり、走ってその場から駆け出す。
「おっと」
それを見た31は、懐から何かを取り出して、逃げる二人に向けた。拳銃だった。それは明らかに地球製のものではない、紫色で毒々しい形状をしていた。
31がトリガーを引くと、銃弾が放たれ男性の右足に命中した。男性は悲鳴を上げて前のめりに倒れた。31は銃口を男性の背中に向けながら、その近くまで歩み寄る。
「おい、どけ。貫通してガキにも弾が当たるだろうが」
男性は、俯せの状態で背中を見せ、その両腕にしっかりと少女を抱きかかえていた。
「どけ!」31は男性の背中を蹴り上げた。男性は悲鳴を上げて宙に舞い、数メートルほど飛んで地面に転がった。落下の拍子に抱きかかえていた少女を離してしまい、少女は男性から数メートルほど離れて地面に倒れていた。
「やれやれ」31は銃口を改めて男性に向けるとトリガーを引いた。その直前、カスミが男性に跳びつき覆い被さったため、銃弾はカスミの強化外骨格の背中に命中した。
「ぐっ」カスミがくぐもった声を上げる。31はさらに二回トリガーを引き、放たれた弾丸は二発とも、同じ背中の外骨格に命中した。
「ふん、まあいい」
31は持っていた銃を投げ捨てると、少女のほうに向き、ゆっくりと近づいていく。
「俺は、君みたいな小さな女の子が好きでね……」倒れたまま震える少女のそばで立ち止まり、「縛り上げて、手足を順番に切断していくのが大好きなんだ」
不気味な笑みを浮かべて少女を見下ろした。その後ろでは、コーディが27に首根っこを掴まれていた。
「や……めろ……」
コーディは息苦しそうに掠れた声を出した。それを見た31は、
「そっちも獲物を捕まえたようだな」
「ああ」27は笑みを浮かべて、「お前と来ると、獲物が被らなくていいぜ」
「まったくだ」
「ふふ、そんなガキに興味があるやつの気が知れない」
「俺の方こそ、女のはらわたを引きずり出して殺すなんて、何が楽しいのかまったく理解できんぜ」
31と27は互いの顔を見て笑い合った。
「コーディ……」
カスミは地面に手を突いて体を起こした。カスミの外骨格は31の放った銃弾を完全には防ぎきれず、背中にまでダメージが達していた。
カスミの体の下では男性が、「娘を……娘を……」と呟きながら、苦悶の表情を見せていた。足に受けた銃創からは、血が流れ続けている。
銃声と同時に、31の背中に六角形のバリアが浮かんだ。31が振り向くと、
「その子から離れなさい!」
拳銃を構えたミズキが立っていた。その後ろには、啓斗の姿もあった。
「何だ?」31は少女のもとから離れ、ミズキほうに数歩近づき、「微妙なところだが……けっ、またお前の獲物だぜ」
と27に向かって毒づいた。
「悪いな、俺ばっかり」
27は、にやり、と笑った。
「こいつらが……ブルート?」ミズキの後ろで、啓斗は唾を飲み込んで、「人間と見た目は変わらないじゃないか……」
「油断しないで」
銃口を31に向けたまま、ミズキが言った。
「お、俺は、どうやって戦えばいい?」
「ちょっと待って。多分、まだ距離が……今、司令室と通信を――」
ミズキは銃を片手だけで構え、空いた手を懐に入れたが、そこに31が跳びかかってきた。
「ミズキ!」
啓斗が叫ぶ間に、ミズキの体は31の前蹴りを受けて後方に吹き飛んだ。
「おいおい」コーディの首を掴んだまま27は、「俺の獲物をあんまり傷物にするなよ」
「ひとりくらいいいじゃねえか……」
31は腹部を手で押さえてうずくまるミズキに向かって歩いていった。
「……やめろ」
啓斗は呟いた。自身では叫んだつもりだったが、その声は31に耳には届いていないようだった。啓斗の手が、足が震えている。啓斗の視線も手足同様、震えるように泳いでいたが、地面に落ちているものが視界に入ると、それに焦点を合わせ、屈み込んで拾い上げた。そして、
「やめろ!」
今度は、はっきりと叫び、手にしたそれのトリガーを引いた。放たれた銃弾は、31の背中に命中し、真っ赤な血を飛び散らせた。