自ら律する
「あの二人、どうなるんでしょう」
並んで歩く三人。車道側を歩く啓斗が真ん中のレイナに訊いた。
「別に、どうもしないわよ。しばらく拘置されて出されるでしょうね」
「それで、またスリを繰り返して、いつか捕まって自警団行き、ですか。あの二人、親はいないんでしょうか?」
「いたらあんなことしてないわよ。それか親が病気か怪我で働けないのかもね」
「……レイナさん」
「駄目よ」
「まだ何も言ってないじゃないですか」
「あの二人も、ヴィーナスドライヴで引き取れって言うんでしょ」
「うっ……」
啓斗は言葉を詰まらせた。
「いちいち、そんなことしてたら切りがないわよ。ヴィーナスドライヴは児童養護施設じゃないのよ」
「でも、コトミちゃんは……」
「あの子は唯一の肉親を失って何もなかったもの。あの二人は、しっかりと生きる術を持ってるわ」
「でも、スリですよ」
「スリも立派な職業よ」
「そんな無茶苦茶な……あんな子供のうちから犯罪を生きる手段として憶えさせて、どうするんですか。スリに遭った人だって、かわいそうですよ」
「啓斗、あの子たちは、あの子たちなりにリスクを背負って生きてるのよ。捕まったらただでは済まないことくらい承知のうえでやってるの。それを私たちが横からとやかく言う筋合いはないわ。それにね。今、啓斗は犯罪って言ったけど、今の世の中に法律なんてないのよ。法律がないっていうことは、それに違反する行動を犯罪って決められない。いえ、犯罪という概念自体が存在しないのよ」
「それじゃあ、世の中滅茶滅茶になっちゃうじゃないですか」
「そう」
と、レイナは足を止めて、
「だから、私たちは、より自分を律して行動しなきゃならないの。法律という抑止力がないのよ。やっていいことと悪いことを自分自身で決めなきゃならないの。どう、啓斗」
レイナは往来と、それを取り巻く建物、行き交う人々を指して、
「この町には法律はないけれど、それをいいことに、みんな好き勝手にわがままに生きてる? この町は滅茶滅茶になってる?」
啓斗は首を横に振った。
「でしょ。みんな自分を律して生きているの。ラーメン屋の店主も、カフェの店員も、自警団のあの男性だってそう。みんな自分のため以上に誰かのために何かしようと思って働いてる。そういう人たちが集まって、こうして町が成り立っているの。啓斗、私の言いたいこと分かる?」
啓斗は、しばらく無言だったが口を開き、
「はい。あの二人は、スリがばれて捕まってひどい目に遭っても、それは自業自得。すられた人も運が悪かったと思って諦めろってことですよね」
レイナは、「はあ」と、ため息をついて、サヤは、口を押さえて、「ぷっ」と吹き出した。
「行くわよ」レイナは歩みを再開した。
「え? 俺、変なこと言いました?」
きょとん、とする啓斗に、サヤが、
「啓斗って、やさしいね」
と言って微笑んでレイナの後を追った。
「え? そ、そんなことないって、普通、普通だよ」
啓斗も二人を追って駆け出した。
「ほら、とりあえず、これでも飲め」
自警団の男性はカズヤとトモキの前にジュースを注いだグラスを差し出した。弟のトモキはすぐにグラスを取って口に付けたが、兄のカズヤは黙ったままグラスを見ているだけだった。
「あの、すみません」
窓口に立った女性が男性を呼んだ。「はいはい」と男性が窓口に向かうと、
「あの、私、昼前に着いたバスに乗ってこの町に来たものなのですが、同じバスに乗っていた人が、何人かいなくなったようなんです」
「いなくなった?」男性は窓口のカウンター越しに言って、「みなさん、それぞれ目的があるから散り散りになったのでは?」
「はい、私たち、乗り合ったときにはみんな他人同士だったのですが、ここへ来る途中に色々とありまして、仲間意識みたいなものが生まれまして、とりあえずの用事を済ませたら、一旦またみんなで集まろうという話になったんです。で、その時間になっても……」
「来ていない人がいる、と?」
女性は頷いた。
「用事が長引くか、やっぱり集まるのをやめて目的地に行ったんじゃないですか?」
「それならそれでいいんですが……」女性は困ったような表情をして、「若い女性のチームを見ませんでしたか?」と、訊いた。
「若い女性?」
「ええ、女性で十数人ほど。みなさん美人揃いで。ここへ来る途中に随分とお世話になったので、その方たちに相談してみようとも思ったのですが、町に入る前に別れてしまったもので。もし、ここらで見かけていたらと」
「女性だけの集団、ですか?」
「はい、ひとりだけ男の方がいらっしゃいました。まだ少年ぽくて見た目はちょっとかわいらしいんですけど、これがまた滅法強くて……」
カズヤは自分のジュースを弟のトモキにやり、係の男性とカウンター越しに話す女性とのやりとりを窺いながら、窓口内奥に外へ通じるドアがあることを視界に捉えていた。
レイナたちは聞き込みを再開したが、収穫は芳しくなかった。
「そろそろ集合時間ね」レイナが腕時計を見て、「じゃあ、戻りましょう」
三人は車を停めた町はずれに向かって歩き出した。
三人は会話を交わしながら道の角を曲がった直後、走ってきた男性とぶつかりかけた。
「おっと!」
「あ、ごめんなさい」
男性とレイナは、そう言って顔を見合わせて、
「おや、あなたがたは」
「あら、先ほどの」
同時に口にした。レイナがぶつかりかけた男性は、自警団でスリのカズヤとトモキの二人を引き渡した係員だった。
「何かあったんですか?」レイナの後ろから啓斗が訊いた。「あの二人に、何か?」
「逃げられたんですよ」係員は、ため息をついて、「ちょっと、目を離した隙にね」
「あの二人、カズヤくんと、トモキくんでしたっけ。どういう子どもなんですか?」
啓斗が兄弟の話を訊きだそうと立ち話を始めた。再び歩きだそうとしたレイナは、諦めたように腕を組んで啓斗の横に立つ。サヤは、その様子を笑顔で眺めていた。
「まあ、かわいそうな身の上ではあるんですがね」係員も、その場に立ち止まると腕を組んで話し出した。「数か月前に、父親が死にまして」
「えっ? 原因は?」
「自殺です」
「自殺……」
「ええ、そう見られています。高層ビルの屋上から転落死したんです。ここ最近多いんですよ。転落による自殺。こんな時代ですからね。みんな明るく振舞っていても、生活が苦しい人は何人もいますから」
「あの兄弟の父親も、そうだったと?」
「恐らく。父親は建設現場の職人で、この状況だから、そういう職種の人間はいくら手があっても足りないくらいなんですけれどね、その父親、半年前くらいに脚を怪我してしまって働けなくなったといいます」
「それを苦に?」
「多分ね。働けなくなってから裏路地の酒場に入り浸るような生活をしていたと聞きます。昔なら失業に対する手当なんかもありましたが、なにぶん、こんな時代ですから」
「母親は? いないんですか?」
「いや、そんな話は聞きません。あの二人に訊いてみたこともあったのですが、要領を得ない答えばかりで……ああ、では、私はこれで、失敬」
係員は頭を下げると足早に駆けて行った。その背中を見送った啓斗はレイナを向いて、
「レイナさん」
「駄目よ」
「まだ何にも言ってないじゃないですか」
「あの兄弟を捜そうって言うんでしょ」
「うっ……」
啓斗は言葉を詰まらせた。
「レイナ」と、サヤが、「私からも、お願い」
「サヤ……」
「私だって……」サヤは視線を下げて、「レイナに拾ってもらえなかったら、ああなっていたかもしれない。他人事とは思えないの。ね、だから」
「レイナさん、お願いします」啓斗は頭を下げた。
「まったく……」レイナはため息をついて、「少しだけよ」
啓斗とサヤは顔を見合わせると笑みを浮かべた。
「ミズキたちに連絡しておかなくちゃ」レイナは携帯端末をダイヤルした。
「で、啓斗。どこを捜すの?」
サヤの問いかけに、啓斗は顎に手を当てて、
「闇雲に探し回っても埒が明かないな。自警団の人たちが探し回ってることは分かってるだろうから、家に戻るとも思えないし……そうだ、お父さんが亡くなった現場は? 捕まって嫌な思いをした後だから、お父さんに会いに行ってるかも」
「それだ、啓斗」
「現場は、さっきの自警団に行って訊こう」
並んで歩き出した啓斗とサヤの後ろを、携帯端末をしまったレイナがついていった。
「ここか……」
ビルの前に立った啓斗は、ビルを見上げてから壁面と地面との境の角に視線を移した。そこには汚れた瓶に刺さった花が一輪供えられていたが、瓶の中の水はとうに乾燥してなくなっている。刺さっている花は、折れ曲がった茎の先の房も花びらがすべて落ち切っており、くすんだ色で萎れていた。
「何も、こんな高いところから落ちなくっても……」
サヤは、ビルを見上げて悲しそうに呟いた。十五階建てのビルだった。
「でも」啓斗は周囲を見回して、「いないな、あの二人」
「そうね……」サヤも同じようにぐるりを見た。
「あれ? レイナさんは?」
レイナの姿が見えないことに気が付いたのか、啓斗はさらに辺りを見た。サヤは、
「あ、いた。レイナ!」
ビルの陰から歩いてくるレイナに手を振った。レイナも軽く手を振り返す。
「レイナさん」啓斗はレイナに、「いませんでした。すみません、もう戻りましょう」
「ビルの出入口を見てきたわ」レイナは啓斗の声に答えるでもなく、「入ったすぐのロビーは上の階の床が抜けたらしくて瓦礫の山だったわ。近くにいる人にも訊いてみたけれど、出入口がそんな状態だから、このビルは使われていないそうよ」
「……それが、どうかしたんですか?」
「非常階段も、あれじゃ、使えない」
レイナはビルの壁を見上げた。鉄製の非常階段は、三階部分より下が千切れて、屋上からぶら下がったような状態になっている。
「そうですね……」啓斗も、それを見て、「で、それが何か?」
「あの兄弟の父親は脚を怪我していたのよね。そんな人がロビーの瓦礫を乗り越えて中に入ったり、あの非常階段から屋上に上ることが出来る?」
啓斗はサヤと顔を見合わせた。レイナは懐から携帯端末を取り出して、
「コーディ、ミズキたちも一緒? ちょっと頼みが……」
自警団から逃げ出したカズヤとトモキは、追いかけてきた係員から逃れ大通りから折れた裏路地に入り込んだ。
大通り比べて道幅は狭く、聞こえる喧噪も、人の数も段違いに少なかった。何より違っているのは、清潔さや活気というものが微塵も感じられず、そこかしこに瓦礫が放置されており、薄汚れ、怪しい雰囲気に包まれているところだった。
「兄ちゃん……」
その雰囲気を感じ取ったのか、弟のトモキは兄の服の裾を掴み、不安そうな表情で周囲を窺いながら歩いている。前を行く兄のカズヤは、
「大丈夫だ。こういうところのほうが仕事の後、人の群れに邪魔されないから逃げやすい。獲物も油断しきってるしな」
と左右に目を走らせた。路地を歩く人は、ほぼ顔を赤くし、千鳥足で時折壁に頭をぶつけながら歩いているものもいた。
「なるべく、身なりのいいやつを狙おう」
カズヤは手前から歩いてくる男に視線を向けた。千鳥足、というのとは少し違うが、ひょこひょことした足取りで、着ている服もきれいだった。
「あいつにしよう」カズヤはトモキに耳打ちして、「行くぞ」
トモキは、「う、うん……」と早足になったカズヤについて駆け出した。服の裾は掴んだままだった。
「おっと、ごめん」
男とすれ違いざま体を当てたカズヤは、男の懐に素早く手を入れた。が、男はその手が懐から抜かれる前にカズヤの手首を掴んだ。
「!」カズヤは男の手を振り払って逃げようと足を踏み出したが、男はカズヤの手を捻りあげた。
「痛っ!」カズヤは顔を歪めた。男はかなりの長身だったため、手を捻りあげられたカズヤの体は宙づりのような恰好となった。
「おい。坊主みたいなのが、こんなところを歩いてたらいけないぜ」
男は、さらにカズヤの手首を掴んだ手を上げて、カズヤの顔が自分の顔と同じ高さになるまで持ち上げた。
「ご、ごめんなさい……」
カズヤは苦痛に歪む顔で男に詫びたが、
「ちょうどいいや。君たち、俺と遊ぼうぜ……」
男は、その痩せぎすの体をくねらせて不気味に、にやり、と笑った。
トモキは涙を浮かべた目で兄を見上げて震えていた。




