地球にただひとり
「私、サヤ。で向こうがマリア。よろしくね」
先ほど水を持ってきてくれたポニーテールの少女が、今度は熱いコーヒーの入ったカップを手渡すとともに、啓斗に自己紹介した。「マリア」と紹介された、もうひとりのヘッドセットをつけた女性も「よろしく」と言って微笑んだ。
「少し休憩しましょう」と言って、レイナがポニーテールの少女サヤに、全員分のコーヒーを淹れてくれるよう頼んだのが一分ほど前。
「ミルクと砂糖は切らしているの。ごめんね。手に入りにくくってね」
レイナはそう言ってカップに口をつけた。啓斗も同じようにカップに口をつけたのを見ると、
「飲みながら聞いて」
レイナは話しだした。
「奴らが地球にやってきたのは、今から十五年前の西暦2505年のことだった。宇宙から飛来したあいつらは、突然人類に攻撃を仕掛けてきたわ。何のコンタクトも、何の話し合いもなく、いきなりね。もちろん人類も抵抗したわ。でも彼我の戦力差は歴然だった。そうよね、他の星に攻撃に出られるような科学力を持った宇宙人にしてみれば、地球の戦力なんて子供の玩具のようなものに思えたでしょうね。でもね、地球が完敗したのは、そのせいだけじゃなかったの。地球の武器兵器は、あいつらに一切通用しなかったの」
「通用しない……?」
啓斗が訊き返した。レイナは頷いて、
「そう、文字通り通用しなかった。地球のどんな武器、兵器の類も、あいつらに傷ひとつ負わせることは出来なかったの」
「それは、どういう……」
「バリアよ」
「バリア? それに全て弾かれたってことですか?」
「そうなの。奴らは攻撃を受けると、いえ、受ける寸前になると、体の周囲にバリアを張り巡らせるの。そのバリアに全ての攻撃は阻まれたわ」
「そんなの、勝ち目がないじゃないですか」
「そうなの。でもね、奴らのバリアを無効化出来る武器はあった。完璧な盾なんて存在しないわ」
「そ、それは、いったい?」
「奴ら自身が使っている武器よ。誤射や奴ら同士のちょっとした諍いを目撃した兵士が目にしたの。奴らが使っている武器での攻撃には、バリアは発生しない」
「じゃ、じゃあ、その武器を奪えば……」
啓斗は言った。レイナは、だが首を横に振って、
「当然、そう考えたわ。そして実際に奴らの武器を奪うことにも成功した。でもね、駄目だったの」
「駄目、って……?」
「私たち地球人には、奴らの武器を使うことは出来なかったの。奪った銃器のトリガーを引いても何も起こらない。機動兵器を手に入れても全く動かせない」
「ど、どうしてですか?」
「科学者たちの解析の結果、その謎が判明したわ。奴らの使う武器、兵器は、使用時に強制的に使用者の遺伝子情報を読み取っているの。そこで読み取られた情報に合致しなければ、起動させることは出来ない」
「地球人には、そのための遺伝子情報がなかった、と?」
「正確には違うわ。地球人は知らない間に遺伝子情報を書き換えられていたの。奴らによってね。地球人が兵器を使えないのではなく、地球人の遺伝子が兵器を使えないように変えられてしまっていたの。奴らの兵器は特定の遺伝子情報があると使えるようになる、という仕組みじゃないの。逆に、あるひとつの遺伝子情報があると起動にロックが掛かる。そういう仕組みになっている。その余計な遺伝子情報を、地球人は知らないうちに組み込まれてしまっていたというわけ」
「知らないうち、って……?」
「あいつらが実際に侵略に来たのは十五年前だけど、その布石は何百年も前から打たれていたの。西暦2020年、地球にある彗星が急接近したわ。当時の人類は何も気づかなかったけれど、その彗星からは、ある粒子がばらまかれていたの。その粒子は地球全土に降り注いだ。地球上にいる人間、いえ、人間だけじゃない。地球上のありとあらゆる全ての生物が、その粒子を浴びたわ。あらゆる物質を透過して生物の遺伝子情報だけに吸着する粒子だから、建物の中や地下にいたとしても、逃れることは不可能。その粒子は生物の遺伝子情報に作用して、ある情報を書き加えた」
「そ、それが、まさか……」
「そう、奴らの兵器が使えなくなる遺伝子情報、それが地球上の全人類、全生物の遺伝子に書き加えられたの。その情報は遺伝子の奥深くに刻み込まれて、決して取り除くことは出来ないわ。そして、その情報は絶対的優勢情報となり、それ以降生まれてくる全ての人類、生物に強制的に遺伝するの。分かったでしょ、2020年に飛来した彗星は奴らの侵略兵器のひとつだったの。私たちは最初から、奴らに抵抗する術を持ち得ない状態での戦いを余儀なくされていたのよ」
「そ、そんなことって……」
「これは、あいつらの本部への侵入に成功した兵士が持ち帰った情報よ」
そこまで言ってレイナは、空になったコーヒーカップを手でもてあそぶ。啓斗のコーヒーには、ほとんど口がつけられていなかった。
「ねえ、結城くん、こんな状況の人類、地球人が、奴らに対抗するには、どうしたらいいと思う?」
「どうしたら、って……奴らと戦うには、奴らの武器を使うしかない。でも、地球上の人類は全員遺伝子情報を書き換えられてしまっている……!」
考え込んでいた啓斗は、言葉を止めてレイナの目を見た。レイナも啓斗を見つめていた。啓斗はルカに、サヤに、マリアに、順に視線を移動させた。その全員と啓斗は目が合った。
「お……」啓斗は自分を指さして、「俺……?」
四人の女性は同時に頷いた。
「い……いやいや!」
啓斗は立ち上がった。
「察しがよくて助かるわ、結城くん」レイナは座ったまま、立ち上がっている啓斗を見上げて、「あなたは西暦2016年の人間。すなわち、西暦2020年に飛来した彗星による遺伝子改造粒子の影響をまだ受けていない。だから……」
「……奴らの武器を使うことが出来る。すなわち、奴らと戦える?」
「本当、察しがよくて助かるわ。君には強化外骨格〈ウインテクター〉を装着して奴らと戦ってほしいの。そのためにタイムサルベージしてきたのよ」
「ど……どうして俺なんですか? 他にもっと適正な人材が……」
「今日はこのくらいにしましょう。まだタイムサルベージによる肉体疲労が残ってるでしょう。手術でも体力を消耗したはずだしね」
「手術……って」
「もちろん、それの埋め込み手術よ」
レイナは改めて啓斗の胸の赤い輝きを指さした。啓斗もそれに釣られて自分の胸を見る。
「手術は私がしたのよ」
白衣を着たルカがそう言って笑顔を見せた。
啓斗は目を覚ました医務室に戻された。ベッドに腰を下ろし、神妙な表情で床を見つめる。医務室にはルカひとりだけがついてきており、自分の椅子に座って啓斗を眺めていた。
ドアをノックする音がした。
「どうぞ」と、ルカがドアに向かって声を掛けると、ドアが開き、布が被さったトレイを持った女性が入室してきた。女性、というよりも少女といったほうが相応しかった。先の車両で啓斗が会ったサヤよりも幼く見える。少女は割烹着を着て長い髪を割烹帽の中に押し込み、褐色の肌をしていた。
「こ、こんにちは……」少女は恐る恐るといった足取りでルカの側まで歩いてくると、「お、お食事です……」と、震える手でトレイをテーブルの上に置いた。
「ミサ、それを言う相手は私じゃないでしょ」
ルカが微笑みながら声を掛けると、「ミサ」と呼ばれた少女は、ゆっくりと啓斗を向いて、
「す、すみません……お、お食事、ど、どうぞ……」
「あ、ありがとう……」
そう言いながら啓斗がベッドから立ち上がり掛けると、
「ひゃっ!」ミサは小さく叫んで飛び跳ねた。
「あ、ご、ごめん」啓斗は詫びの言葉を口にした。
「ミサ、何も怖がることないでしょ」
やれやれ、といった口調でルカが微笑みながら言うと、
「そ、そうですね。ご、ごめんなさい……」
ミサは、ぺこり、と啓斗に向かって頭を下げた。
「あ、い、いや……」
啓斗は困ったような表情でルカを見る。ルカは、
「ごめんね。この子、極端な人見知りで」
そう言ってミサの肩に手を置いた。
「あ、あの……し、失礼しましたっ!」
ミサは、もう一度頭を下げると、逃げるように医務室を出ていった。
「さあ、食べて」ルカがトレイに被さった布を取ると、料理が盛られた数種類の器が出てきた。「数百年前の人の口に合うかどうかは分からないけど」
「……」
啓斗は無言でトレイに載った料理を見つめた。白米のご飯、味噌汁、炒めた肉と刻まれた生野菜という献立だった。手前には箸置きに載った一膳の箸も置かれていた。
「こ、ここって……」啓斗はルカの顔を見て、「日本、なんですか?」
「そうよ」ルカは笑って、「君も私も、日本語で会話してるじゃない」
「そ、そう、ですよね……」
「ここ座ったほうが食べやすいわよ」
ルカは自分が座った椅子から立って、そこへ啓斗を促した。啓斗はベッドからその椅子に移動すると、手を合わせて、「い、いただきます」と、ルカを窺い見ながら言った。
「どうぞ、って、私が作ったんじゃないけど」
ルカは、ふふ、と笑った。
箸を手に取り、椀を持って白米を口に入れた啓斗は、「おいしい」と呟いて、次に炒めた肉に箸を伸ばした。「うん、おいしい、これも」肉を咀嚼して飲み込んだ啓斗は、野菜、味噌汁と口を付けていき、そのどれにも、「おいしい」と声を漏らす。その様子をルカは微笑みながら見ていた。
「ごちそうさまでした」
料理を米粒ひと粒残さず完食した啓斗は、手を合わせて言った。
「お腹いっぱいになった?」
ルカの声に、はい、と答えた啓斗は、
「あの、これからどうするんですか?」
「もう少ししたら町に向かうわ。そこでみんなと合流するの。買い出しに行ってるメンバーがいるのよ」
「町……その、侵略者は……」
「安心して、この近くにはいないわ。さあ、もうひと眠りしたほうがいいわよ。レイナが言ったように、タイムサルベージと手術で体には相当な負担が掛かってるはずだから」
椅子から立ち、いかめしいブーツを脱いで啓斗がベッドに横になると、トレーラーに一瞬だけ振動が加わり、ゆっくりと動き出した。
「動いた、んですか?」
「そうよ」ルカは啓斗の質問に答えて、「〈レジデンス〉は特別いいサスペンションを使ってるから、ほとんど揺れないでしょ」
「レジデンス、って?」
「ああ、このトレーラーの名前よ。さっきまで結城くんがいたのが、〈ヘッドクオーターズ〉」
「ヘッドクオーターズ……司令室?」
「よく知ってるのね。さあ、いいからもう寝なさい」
「はい……」
そう返事をすると、疲労と満腹が重なったことに加え、レジデンスの微弱な振動が揺りかご代わりを果たし、啓斗はすぐにまぶたを閉じて寝息を立て始めた。
ルカはその体にそっと毛布を掛けた。
まどろみを含んだ唸り声を上げて、啓斗は目を覚ました。
ベッドに横になったまま腕を頭の方向に伸ばすと、拳が壁にぶつかり、「痛て」と、声を出した。同時に目を開ける。横を向くと、ひとりの女性と目が合った。ベッドの横に椅子を持ってきて座り、屈み込むようにして啓斗の顔を見つめていた。そのせいで両者の顔の距離は十数センチに満たなかった。
「あ、起きた」
女性が言うと、啓斗はしばらくその顔を見つめて、
「うわっ!」と叫んで飛び起きると、「だ、誰?」
その女性は啓斗が初めて見る顔だった。
「あ、ごめんね」
女性は笑った。凛々しい顔立ちだが、笑顔は可愛らしく、十七歳の啓斗と同年代に見えた。食事を運んできたミサよりは年上に見えるが、やはり女性というよりは、少女といったほうが相応しい顔立ちだった。
「私、ミズキ、よろしくね」
そう言って少女が差し出した手を、啓斗は握り返した。
「お、俺は――」
「結城啓斗くん、でしょ。もうみんな知ってるわよ」
「ミズキ」と名乗った少女はそう言って笑顔を湛えた。
「そ、そうなんだ……」啓斗は言って、「あれ? 止まってる?」
と、部屋を見回した。眠る前に僅かに部屋を揺らしていた走行による振動は消えていた。
「うん、町に着いたの」
ミズキの言葉に啓斗は、
「あの、お願いが……」
「ん? なに?」
ミズキは小首を傾げた。肩先程度まである髪が、ふわり、と揺れる。
「あ、案内してくれないかな? その、町を……」
「うーん……」ミズキは顎に人差し指を当てて考え込む表情になり、「レイナからは、連れ出していい、とは聞いてないし……でも、まあ、いいか」
「え? いいの?」
「うん。連れ出しちゃ駄目、とも言われてないから」
「ぷっ」
啓斗は吹き出した。それを見たミズキも笑って、
「じゃあ、行こう」と、立ち上がった。
「う、うん」啓斗もベッドから降りて、ブーツに足を入れた。
トレーラーレジデンスを出た二人は、ミズキの後を啓斗がくっついて歩くようにしながら、車体に沿ってゆっくりと歩き出した。
「他のメンバーにみつかると、色々言われるかもしれないから、こっそり、ね」ミズキは車体の陰からそっと周囲を窺うと、「うん、誰もいないみたい。行こう」
啓斗の手を取って走り出す。
「あ、あっ……」啓斗はミズキに手を引かれるまま駆けだした。