戦友の記憶
トータスブルートを倒した日の夜、ヴィーナスドライヴは、町に留まり店舗を開けて営業を行った。
夜も深まると客足も捌け、タエは看板を下ろした。
客で賑わっていた時間とは全く対照的に、しんとした店内のカウンター席に啓斗とアキの二人だけが並んで腰を下ろしていた。
「お疲れ、啓斗」
アキはグラスを持ち上げて啓斗の前に差し出した。啓斗も自分のグラスを手に取り、「お疲れ様でした」と言ってアキのグラスと軽く打ち合わせた。
「悪かったね、戦いで疲れてるところなのに店を手伝ってもらっちゃって」
アキはそう言ってグラスの中身を喉に流し込むと、啓斗は、
「いえ、かえって気が張っちゃって、動いてないと落ち着かないっていうか」と、笑ってグラスを口に付けた。
「何? ジュース?」
アキが訊いてくると、啓斗は、
「あ、はい。俺、やっぱり、お酒って体に合わないみたいで」
「まだ子供ってことだね。でも、酒飲みの大人になるよりは、よっぽどいいかもね」そう言って笑うと、空になったグラスをカウンターの上に置いて、「タエ。……いないの? しようがないな」
席を立ちカウンターの中に入っていき、自分でカクテルを作り出した。
「アキさんは、お酒強いですよね」
「うん、私みたいにはなるなよ」
アキは、カクテルを作る手を休めないまま言った。
「はは、そんな……でも、全然酔いませんよね? 受け答えもしっかりしてるし、顔も赤くならないし。それ、何杯目ですか?」
「まあまあ、何杯目でもいいじゃないか」
カクテルを作り終えるとアキは、そのままカウンター内の椅子に座り、啓斗と向かい合った。
「啓斗、ありがとう」
アキは正面から啓斗を見つめて言った。
啓斗は、「えっ?」と、顔を上げ、
「お店の手伝いのことですか?」
「違う。ブルートを倒してくれたことだよ」
「そのことですか。でも、あれは俺が皆さんに礼を言わなきゃ。俺の無謀な作戦に乗ってくれたんですから」
「おい、啓斗。無謀な策なんて言うなよ。思い出して、ぞくっとするよ」
「すみません。でも、あの作戦、アキさんは最初反対したんですってね」
「レイナから聞いたな」
「はい」
アキは、ふっ、と息をついて、
「啓斗、レイナのこと、頼むぞ」
「えっ? 何がですか?」
「朝、レイナが話してただろ。イナスのこと」
「イナス……ああ、戦死されたっていうレイナさんの仲間の。パーソナルナンバー〈2〉だった方ですね」
「ああ」と呟いてアキはグラスを煽った。中身はすでに半分空になっていた。「啓斗、レイナとイナスのことを話す。聞いてくれ」
「は、はい」
啓斗は姿勢を正し、アキは話し出した。
「元々、ヴィーナスドライヴの前身だった組織は、レイナ、私、そして、イナスの三人で始まったんだ。イナスはカナダ人の軍人でね。レイナは軍の幹部候補生で、二人は学生の頃からの長い付き合いだったんだ。レイナが総括、私が技術系、イナスが実戦、と、それぞれ担当する形だった。私たちの目的はタイムサルベージ技術に関する情報の収集と、それの隠匿だった。この人類最後の切り札、いや、最後というか唯一の切り札。これは連合軍の中でも、ごく一部の人間しか知らない超トップシークレットだったんだ」
「そんな大事な任務を任されていたんですか」
「ふふ、意外だろ? でも、三人とも下っ端の人間だったから、いい隠れ蓑にはなったみたいだ」
「アキさんも、軍属だったんですか?」
「いや、私は民間から引っ張られてきたんだ。タイムサルベージっていうのは、そもそも、それを目的に研究された技術じゃなくて、超空間移動研究の副産物だったんだ」
「超空間移動?」
「そう。ブルートの侵攻が始まってから、地球軍も諜報員をブルート側に潜り込ませたりして色々と情報を掴んだんだ。それによると、前にも言ったけれど、ブルートは星々を回って知的生命体を侵略し続けている流れ者集団らしい、ということが分かってきた。ということは、だ。この地球以外にも、どこか他の惑星に同じような知的生命体がいて、そこもブルートの侵攻を受けている、あるいは、過去に受けていたかもしれない。そういった星と通信や相互移動が行えれば、同じ相手を敵とするもの同士、協力しあってブルートと戦える。それに、これが一番期待されていたことなんだが、まだブルートの送り込む彗星の粒子を浴びていない知的生命体と遭遇出来れば……」
「ブルートの武器を使用して戦うことが出来る!」
「そう、啓斗みたいにね。でも、うまくいかなかった。失敗したんだ。それに、もしそんな同じようにブルートの侵攻を受けた星があったとしたら、やっぱり、我々と同じことを考えるだろう。向こうから地球にコンタクトがあってもおかしくないはず。でも、そういったことは一切起きなかった。つまり、我々も他の星も、知的生命体が住む星同士を繋ぐだけの科学力は持ち合わせていなかった。恐らくは、そういうことなんだよ」
アキはそこで言葉を止め、残りのカクテルを飲み干して、
「でも、研究は無駄じゃなかった。とんでもない副産物が生まれた」
「それが、タイムサルベージ……」
啓斗の呟きに、アキは頷いて、
「そう。でも、すぐに実現には至らなかった。最初は、どうやらそういうことが出来る可能性があるらしい、という漠然としたものだったんだ。何度も検証と研究を重ね、実現の見通しが立つまでに、また何年もの時間を要した。それに、タイムパラドックスとバタフライ・エフェクトの問題もあった」
「あ、それ、ミズキから聞きました。俺が選ばれた理由」
「ああ、そうなのか。じゃあ、話は早いな。そう、タイムサルベージが可能だからって誰でも好きな人間を引き上げることは出来ない。その選定にも時間が掛かったよ。なにせタイムサルベージは一回しか行えないことが分かっていたから。そして、いよいよタイムサルベージ技術が完成間近という段になった。でも、その直前に……連合軍本部が壊滅したんだ」
「え? 壊滅」
「そう、ブルートの総攻撃を受けてね。生身で人間をいたぶって殺すのが好きなブルートも、そのときばかりは機動兵器を多数投入して一気に来たよ。戦争状態は十年以上続いたが、ブルートが本気になれば地球なんて、あっという間だったんだ。その総攻撃が終わると、ブルートの本隊は徐々に地球を離れ始めた。まるで最後のお祭りだったよ」
アキは、自嘲気味に笑みを浮かべてグラスを手に取ったが、中身が空であったため、再び立ち上がってカクテルを作り始めた。
「アキさん、まだ飲むんですか?」
啓斗が呆れた声を上げると、アキは、
「うん、私は、いつもこんな感じだよ」
と言って、新たなグラスを手に戻ってきた。今度はカクテルではなく焼酎のロックだった。
「で、連合軍が事実上壊滅して、ブルート本隊も地球を離れ、戦争状態には一応の区切りが付いた。でも、ブルートの全部がいなくなったわけじゃない。タイムサルベージ技術も失われてはいなかった。私たち三人は、その技術と設備を持って軍を出て誓った。絶対にタイムサルベージを成功させるって。ブルートと戦える戦士を生み出すって。タイムサルベージと同時に、ブルートの技術を研究して作られた専用強化外骨格の開発も進められていた。当然、それも持ち出した」
「それが、ウインテクター、ですね」
「そう。こうして、たった三人でヴィーナスドライヴ、まあ、当時はまだその名前はなかったけれど、は結成されたと、こういうわけ」アキはそう言って笑みを浮かべたが、すぐにその笑みを消して、「その直後だった、イナスが死んだのは……」
焼酎をひと口飲んでから、アキは話を続けた。
「タイムサルベージを行うのに必要な物資を集めている最中だった。私たちはブルートに遭遇した。レイナが逃げ遅れてね、イナスと私には、自分のことは放っておいて逃げろ、って叫んだんだけれど、イナスは飛びだしていった。そして、レイナを庇って……」
アキはカウンターに両肘を付いて、俯き加減にした顔の額を両手で支えた。啓斗からアキの表情が見えなくなった。アキは呟くような声になり、
「イナスがね、殺されたの。レイナは半狂乱になってブルートに突撃しようとした。私は必死に止めた。そして逃げた。一晩中ヘッドクオーターズを走らせて」
「そ、その、イナスさんを殺したブルートは……?」
「……はっきりと憶えてる。まぶたに焼き付いてる。そいつの戦闘形態は、サメのような姿をしていた。その鋭い牙が無数に生えた口で、イナスは……上半身を食いちぎられた……」
「……そんな」
「コードネーム〈シャーク〉イナスの仇。今もどこかで人間を食い殺してるんだろうね」
「シャーク……ブルート……」啓斗は握った拳をカウンターの上に置いて、「見つけたら、絶対にやってやる……」と呟いて、その拳を震わせた。
「啓斗……」
アキは手で覆っていた顔を上げた。その目には僅かに、ごく僅かだが赤みが差していた。そして啓斗の拳に手を重ねて、
「啓斗。私はね、むしろ、シャークブルートが見つかってほしくないって思ってるんだ」
「え? どうしてですか?」
そう訊く啓斗の拳からは震えが止まっていた。アキは、
「レイナが今、ああして頑張っているのは、イナスの復讐、それが大きな原動力になっているんだと思う。もちろん、ブルートから人間を守るという使命感もあるだろう。でも、復讐という行動原理は、それを凌いで大きいんじゃないかって思ってるんだ。だから、もし、シャークブルートを発見して、啓斗がそいつを倒したら……レイナは一気に切れちゃいそうな気がするんだ」
「切れちゃう? 切れる、って?」
「ぎりぎりまで張り詰めていた糸が切れるみたいに、ぷつん、ってね」
「それって、どういうことですか?」
「だから」アキはもう片方の手も啓斗の拳に被せて、「そうならないように、レイナのこと支えてやってほしい」
「お、俺が、ですか? 俺なんかが……」
「ふふ、期待してるよ」
アキは微笑んで、啓斗の拳を、ぽんぽん、と叩くと、
「そうそう、ちなみに〈ヴィーナスドライヴ〉っていう名前もイナスにちなんでレイナが付けたんだ」
「そうなんですか?」
「そう」
と、アキは啓斗の拳から手を離してグラスに付いた水滴を指に付けると、カウンターの上に文字を書き始めた。
「これが、イナスのスペル」と、カウンターに水で、〈enus〉と綴り、「で、この頭に〈V〉を付けると……」
「あ、〈Venus〉、ですね!」
啓斗が綴られた文字を見て声を上げた。
「そう、この頭の〈V〉は、〈Victory〉の〈V〉勝利のV、だ」
「勝利のV……」
呟いた啓斗を見て、アキは微笑むと壁に掛かった時計を見て、
「さあ、もういい加減寝るか」と言って立ち上がった。時刻は午前一時半を回っていた。
「啓斗、グラスは水に浸けておいてくれ」アキは空のグラスを水を溜めた流しに入れて、「それじゃ、おやすみ」
そう言うと、手を振ってレジデンスを出た。啓斗もグラスを浸けて「おやすみなさい」と返して手を振った。アキの姿が見えなくなると、啓斗はドアの戸締まりをしてカウンター奥のドアを抜け自室へ戻った。
啓斗の部屋は、まだ片付けが済んでいないが、荷物を積み部屋の脇に追いやることで床の半分近くが露出するまでになっていた。啓斗は上着を脱いで荷物の上に掛け、ベッドに横になり照明を消すと、すぐにまぶたを閉じて寝息を立て始めた。




