#07 練習台になるんだよ
魚を釣ってあげれば、その人は1日飢えずに済む。
魚の釣り方を教えてあげれば、その人は一生飢えずに済む。
そんな言葉があったと思う。
だとしたら、だ。
昨日、ベアトリスとかいう台風が家に押し寄せてきてやったことはどう表現できるか。
「釣竿渡されただけじゃん……」
午後1時半。
ふて寝しすぎて逆に疲れたので、電子書籍で漫画を読んでいた。たまたま無料配信されていた釣り漫画を1巻分読んだところで、冒頭の状態へ。
そうなのだ。
ベアトリスはSWAとかいう異能を使えるようにしただけで、使い方なんて全く教わっていない。そもそも、使えるかどうか試してすらいないので、本当に使えるのかどうか、ということろからして不明である。
確かに、SWAを見せてはもらった。だが、こんな状況だ。特に身になった感じがしない。魚の例えでいくならば、フグでも釣ってくれちゃった感じだろうか。食べられないっての、そんなもの釣られても。
魚とか、食べるとか、そんなことを考えていたらお腹が空いた。哀しいかな、人間寝てるだけでも腹は減るのだ。この国に生きるということは、食費を支出し続けるということ。食べる金を得るために働くのだ。働くために食べるんじゃない。
それはそうと、もう昼だし、何か作ってあるのだろうか。6人、昨日に限っては7人で食べるので、ここ大村家において「一晩寝かせたカレー」は全員がありつけるものではない。まして昼まではまず残らないだろう。なまじ魚のことを考えてしまったので、魚が食べたくなってきた。もし何も無ければスーパーの寿司でも買いに行こう。
階段で一階に降り、リビングに入ろうとする。
ドアに手を掛けようと手を伸ばした瞬間——
ガンッ!っと音がしてドアが外れて飛んできた。驚いて「ゔぉえっ!?」と変な声を上げるや否やドアが額に直撃した。
が、そのまま俺を押し倒すほどの威力はなくなったらしい。そのまま、俺の額を支点にしてドアが俺に立てかけられた形になった。
「お、お兄ちゃん!?ごめんね、すぐ治してあげるね!」
俺に立てかけられていたドアをどかして、代わりに視界に現れたのは花音だった。
「花音……!?」
「お兄ちゃん……怒ってる、よね?」
「わけがわからなすぎて怒る気にもならん……」
今の俺は多分、ぽかーんと口を開けて白目をむいている画だと思う。
「すごいわカノン、こんなに早く習得するなんて。この調子なら対悪魔戦闘だって出来るじゃない——あっ」
CAPTURED……
脳内システムボイスが響く。
戦犯をみつけた。
さしずめ、ベアトリスがSWAの練習とかいって花音にドアを吹っ飛ばさせたんだろう。
っていうか、昨日の今日でもうドア吹っ飛ばしたりできるのかよ……
「あ…あら、おはようアヤヒロ……ぐっすりだったわね」
「……目をそらさないでくださいベアトリスさん」
「……このドアはSWAで直せるから、直すために一旦外したから……」
「吹っ飛んで直撃したんですが……」
できることなら、ベアトリスに向かってこのドアをぶん投げて、額に直撃させたい。
さて、何の気なしにズボンのポケットを探ると、何か硬いものが手に触れた。取り出してみると、10円玉だ。
……コインを超高速で打ち出して攻撃するって、何かであったよな。ドア吹っ飛ばしたんだし、世界の脅威との戦闘もあるみたいだし、SWAならいけるんじゃないだろうか。
とはいえ、まだ何の訓練も説明も受けていない身だ。いきなりやってできるものでもないだろう。
「で、ベアトリス」
「ええ」
「痛いんですけど」
「私の不注意だったわ。すまないことをしたわね」
「誠意とは言葉ではなく行動」
「……花音にやってもらったら?練習に付き合ってあげてよ」
…………
イラっときたので、ちょっとやってみよう。
10円玉を左手の手のひらに置いて、右手はコインを弾く構え。
ベアトリスの額に狙いをつけて、コインを弾いた。
「い゛だっ!?」
バシュッ、という小気味良い音。コインは物理法則を無視した直線を描き、ベアトリスの額にクリーンヒットした。
なんてことだ、できてしまった。
こんな簡単でいいのか。
「おお、できたできた——じゃなくて、だ。お前が花音の練習台になるんだよ。だから、ほら、逆回転だっけ?それで俺の額治すんだよ、おう早くしろよ痛いんだよ」
まずい、一瞬喜んでしまった。
「この10円もらってもいい?」
「あげるから早く」
「分かったわよ——ほら」
ベアトリスが至極面倒そうに俺の額に手をかざした。なんだその態度は。
しかし、不思議なものだ。さっきまでの鈍痛はどこへやら。全く痛くなくなった。
「——なるほどね」
とりあえず落ち着いて話を聞いてみた。
それによると、ベアトリスが朝起きると、花音がSWAの練習をしていたらしい。ルーズリーフを破いて、それを戻すというのを繰り返していたとか。
それで、色んなものを壊して直してを繰り返しているうち、「壊す」ところからSWAでやっちゃおう、という話になったそうだ。
花音によれば、彼女は単に蝶番の部分を壊してドアを外そうとしたのだという。しかしまだ威力が制御できず、ドアを吹っ飛ばしてしまったそうだ。
ちなみに、ドアもベアトリスの額も、すでに花音が上手に元に戻した。
「ごめんねお兄ちゃん、あのタイミングで降りてくるとは思わなくて……」
「いやいや、いいんだよ。それに吹っ飛ばしたくて吹っ飛ばしたわけでもないんだろ?」
「うん……」
「じゃあ仕方ないさ、俺ももう傷もないし痛くもないし」
「よかった…ちゃんとコントロールできるように頑張るね。あと、これからはちゃんと人に当てないようなモノで練習します」
「よしよし、頑張れ……で、」
涙目の花音をなでなでしてなだめたら、ターゲット変更。
「見てまたしたかベアトリスさん、こういうのが大人な対応だと思うんですけどその点どうなんですか」
「あ…アヤヒロ?C'est pas ma faute——"それは私の責任じゃない"って言葉は、フランスだと普通に使われる言葉なのよ?」
「郷に入って郷に従わないのは侵略だって、どこぞのあなたと同じ国籍の人が言ってましたよ」
「いや国籍的にはそうだけど私ほとんどイギリス人みたいなもん……いや、でもそうすると私がフランスを引き合いに出した意味が……!」
なんでこの人こんなに謝りたがらないんだろう?それがわからない。
謝ることは自分の敗北を認めること、みたいな思考回路の持ち主か。
「もういい、もう休め。負けを認めろ」
「くっ…殺せ……!」
ああなんてことだ、まったく気高くない。なので、ひどいことをしてやろう。そういえば、どうやら今回の件で仕送り全額カットになったらしい。なので、お望み通り殺して差し上げよう、経済的に。
「あっそうだ。ところで花音、さすがにお腹すいたんだけど、何か昼飯になりそうなものある?」
「ないです♪」
「あぁ、ない」
あえてちょっと悪い顔を意識して花音に話しかけてみた。確証はないが、どうやら察してくれたっぽい。
「カレーはもう昨日の夜中の時点で深月ちゃんとベアトリスさんが夜食にして無くなっちゃったし、何か作ろうにも有彩ちゃんもリコちゃんも出かけちゃったから……あるとしたらカップ麺ぐらい?」
「そうか、じゃあ何か買ってくるかぁ……ベアトリスはお昼食べた?」
「まだよ、朝からずっとカノンとこんな感じ」
「この辺に、うまい寿司置いてあるスーパーあるんですけど」
「あら、そうなの?」
「行きませんか?」
「それは行きたいわね」
「ゴチになります」
「……マジで?」
「そのくらいの誠意があってもいいかと」
「……カノンはどう思う?」
「SUSHI!SUSHI食べたいですっ!」
「……大学の講義始まる前にバイト探さなきゃダメね。そもそも、私バイトしていいのかしら、ビザ的な意味で」
俺と花音は、ベアトリスの背後で静かにハイタッチを交わした。