#06 小さい頃の方が吸収は早いわ
それは懇願というべきか、自暴自棄の極みというべきか。ベアトリスの悲痛な叫びが響き渡る。
それと同時に、強い光に視界が覆われた。
戯れに「うおっまぶしっ!」などと言う余裕もなく、ギュッと目をつぶる。それでもなお、まぶた越しに光の眩しさが伝わってくる。日差しの強い昼間、目を閉じて太陽の方を向いたときの感覚、といえばわかるだろうか。
「意思なく、自我なく、名もなき天使、姿をもたぬ聖霊の滴。神たる言が我が口を借る。
"Béatrice: Raphael; Κάνωπος-Μ#6257"が命ず。
——"主を得よ"」
凛とした声色と落ち着いた口調。さっきまでのベアトリスが嘘のようだ。
しかし、この手の詠唱は日本語だとなんか微妙だ。個人的にはぜひともラテン語みたいな古典語でお願いしたいところなのだが。
花音あたりは、「かっこいい」とか思うんだろうか。
「ちょ、ちょっとこれ、いつまで続くです!?眩しくて目が開けられないです……」
「紗加ちゃん、目をつぶってその上から手で目を覆えば幸せになれるよ……!」
「あ、これいいですね」
思えば花音は小さい頃からよく紗加の世話を焼いていた。中二病でも優しくて面倒見がいいのは変わらないのだな。この光の中では目が開かないし、今の二人のやりとり以外さしたる音もない。なので、思い出に浸るくらいしかすることがない。
「大丈夫よ、眩しいのは最初だけ、痛いのは一瞬たりともないわ」
「何分くらい続くんですかこれ!?」
「謎よ、初めての試みだから前例がないの」
「なんてことを……」
「あなたがた自身が前例になることね。栄えある第一号ってやつよ」
なんだろう、まっっったく嬉しくない。
新病の症例第一号だと宣告された時の気持ちから、絶望と苦痛を取り除くとこんな感じになるのだろうか。
そして不思議なことに、痛みなどは一切ない。ベアトリスの言う通りだ。かといって気持ちがいいとかそういうわけでもない。何も感じない。暖かいとか寒いとかもない。
眩しいので目は閉じていなければならないのは辛いが、苦痛というほどのものでもない。
それなのに、ただただ眩しい。なんだか不気味だ。
「どうせ目を閉じてるなら、眠ってても大丈夫よ?」
この人なんでこんなに暢気なの……
「はい、終わったわよ」
ベアトリスからそう声をかけられたのは、もう数十分か一時間くらいか経過してからのように思えた。
俺はゆっくりと顔を上げ、目を開いた。目を閉じていても眩しいくらいだったので、テーブルに突っ伏していたのだ。
時計を見ると、5分経ったかどうかというところ。それが数十分の体感時間ということは、実はやっぱり苦痛だったんじゃなかろうか。
「異能者兄妹の出来上がり、ね」
ベアトリスの表情を一言で表すならば「ご満悦」といったところだな。晴れて異能者になってしまったらしい俺たち兄妹を見て、うっとりしているようにも見える。
「ちなみにベアトリスさん、その異能者というのは、止めたりとかできるんですか?」
兄妹サイドからは、開口一番に有彩が質問をぶつけた。この数分の間に考えていたのだろう。
「無理よ」
マジかよ。即答かよ。
「……いえ、正確には"できるかどうかわからない"ね。ただ、人工的な方法で異能者をやめた前例は今のところないわ。確実なことはこれだけ。でも——」
「でも?」
「年をとれば使えなくなるわ。SWAを操る力は若い時しか満足に使えないの。だいたい実年齢を2倍する、と言えば想像つくかしら」
つまりは、40代の間かもう少し早いくらいに力が消失する、というあたりだろうか。とすると、今の俺はSWA的には34歳……最初から曲がり角じゃないか。
「実際、私の父は今47歳で、体内のユニカが完全に消失したってこの間言っていたわ。もった方よ、自分で研究してたことだからってのもあるんだろうけど。母も昔は使えてたんだけど、使わなかったら30代のうちに消失しちゃったって」
使わなかったら早く消える……なら、消失させたくなければコンスタントに使った方がいいみたいだな。
逆に、いらないなら使わなければ早くに消えるんじゃないだろうか。でも、なんだかんだ言って深月あたりは便利に使いそう。現金なところあるからなぁ。
「それから、あなたがたがどのくらいまで"伸びる"かも楽しみね。SWAも他の習い事と同じで、小さい頃の方が吸収は早いわ。足し算より先にSWAを覚えさせられた私に追いつけるかしら」
「いや、別にいいかな」
「追いつかなくていいです♡」
「紅茶に使えればそれで……」
「まあ、私は反応系と治癒系に振るので……」
「そもそも僕は使いどころが思いつかないです」
「よかろう!必ずや貴女を超え……ってあれ?」
花音は中二病入ると一緒にポンコツも入るのがかわいい。
「もう、しょっぱい反応ね……ふあぁ」
ふてくされたベアトリスが、大きなあくびを一つ。消される心配もなくなって、気が緩んだのだろうか。
まあ自業自得なんだけどね。
「ねえ、さっきの6人同時にやったせいで疲れちゃった。もしできれば、今日泊めてもらえるととっても嬉しいんだけど」
「断る」
「……アリサ、明日一緒に紅茶淹れよう?」
「私のベッド使っていいですよ…!」
「俺の話を聞いてくれませんかね……」
2分…20秒だけでもいい。黒歴史のことなど、どうでもいいから。
ほら、一応両親からこの家任されてる身なので。
「花音、私今日花音のとこで寝るから。どうせ紗加と一緒でしょ?たまには紗加のとこに行ってあげたら?」
「それはいいけど……いいのお兄ちゃん?ベアトリスさん泊めちゃって」
「いいよ、ダメって言ってもしれっと朝までいそうだし」
「ベアトリスさん!私の部屋と花音の部屋は、大きな部屋を板で仕切ってるだけなので、色々お話しましょう!」
「ええ、色々聞かせてもらうわ」
嘘だと言ってくれないか。
なんで有彩がベアトリスに懐いている。
兄妹の中では堅物な方で、学校の成績も優秀で家事もできる有彩がなんでこのお騒がせ留学生に懐いているんだ。わけがわからないよ。
「——アヤヒロ」
「なんです?泊まるのはいいので、朝まで関わらないでほしいんですけど」
「これ、じっくり読ませてもらうわ」
「これ?」どれ?
ベアトリスの持ってるものに目をこらすと——
「——!!」
「兄さま、私も気になります♪」
やめて有彩、なんでこんなときだけ満面の笑顔をみせるの。
「ベアトリス、中身見るなって言いませんでしたっけ…?」
「私の国籍忘れたの?」
「えっと…フランスですよね?なぜいまそれを?」
「沈みゆく船のジョークで、フランス人乗客を海に飛び込ませるために船長は何ていうんだっけ?」
「…………あっ!」
有名なエスニックジョークだ。
氷山に衝突した豪華客船。もうすぐ沈没してしまうその船の乗客を海に飛び込ませるため、船長は乗客の国籍ごとに別々の言葉をかける。
アメリカ人には「今飛び込めばあなたはヒーローだ」
イギリス人には「紳士なら飛び込むべきです」
そして、フランス人には——
「"海に飛び込まないでください"——!!」
「まあ、そういうことよ。それじゃ、借りて行くわね」
これか、これが世に言う「ギャフンと言わされた」状態か。
畜生、してやられた——!!
記憶がここで途切れている。
目覚めると翌朝で、自室のベッドに寝ていた。さすがに申し訳なく思ったベアトリスが俺をSWAでベッドに運んでくれたらしい。意外と優しい。そしてSWA便利だなおい。
で、その後夜中まで妹たち全員と黒歴史ノート鑑賞会をしていたらしい。前言撤回。勘弁してくれ。むしろ死にたい。
その日俺は、昼過ぎまで不貞寝した。
こうも酷い日も、なかなかないだろう。