#10 俺が男として見られてないのでは
「よかった、とりあえずこれで辛くはなくなったかしら」
確かに、リコの顔からさっきまでの苦悶の表情は消えた。だが、全身の感覚がなくなっているらしい。代わりに慣れない感覚——感覚がないという感覚に少し戸惑っているように見える。
「全身の固有主観時計(PSC)を巻き戻してもいいんだけど、そうするとたまに記憶障害が発生するのよね……」
「記憶障害……?」
「といっても、例えば全身のPSCを30分巻き戻したとするでしょ?そうすると脳にも巻き戻しの影響が及んで直近30分間の記憶が飛ぶ、ってことがたまにあるのよ。必ず起こることじゃないし短時間分なら影響も少ないから、応急手当て程度ならこっちの方がややこしいこと抜きで出来て私は好きなんだけど……」
確かに俺は、現在進行形でリコを救ってくれているベアトリスを信頼しているし、感謝している。ただ、SWAについてはわからないことが多すぎるので、どうしても手放しでは信用できない。
「二人ともどうしたの?騒がしくしてるけど——リコちゃん!?」
このタイミングで、二階の自室にいた花音が降りてきた。駆け寄ってくる花音に、事情を説明する。
「俺としては、できれば確実な方法でお願いしたい。ベアトリスは信頼できても、SWAについてはそうもいかないから……」
「うん、やっぱり大事な妹のことだから、私も同じかな」
花音は、こういうときでも冷静だ。それでいて、情緒的な面も持ち合わせている。さすがは大村家の看病担当である。
「二人とも、姉妹思いなのね。わかったわ。そうなると、もうちょっとちゃんとした場所に寝かしてあげたいわね。アヤヒロ、手伝ってくれる?」
「よし、任されましたよ。リビングでいいですか、非常用のマットレスもあるので」
「十分よ。それじゃあお願いしてもいいかしら。感覚無いし、どうせこれから治すんだから、多少手荒に扱っても大丈夫よ。一人でいける?」
「こう見えて、一応鍛えてるんです」
確かに俺は特にスポーツをしているわけではない。生徒会に出入りして色々やってこそいるが、制度上は帰宅部だ。
だが、それこそこういう事態に役立たずであるわけにはいかない。だからある程度はトレーニングをしているのだ。一応の指標は、妹一人を抱きかかえて移動できること。そのこともあり、妹たち相互でも知らない彼女たちの体重を、俺だけは全員分把握している。
たがら知っていることだが、リコは俺たち兄妹の中で一番軽い。プロテクター類の重さを加味しても、まあ余裕だろう。
そんな体重の軽いリコなので、お姫様抱っこで抱えてリビングへ向かう。試しに少し話しかけてみる。
「……普通にこんなことしちゃってるけど、痛くない?」
「何も感じないです」
リコの顔がちょうど俺の耳元あたりにある。なので、蚊の鳴くようなささやき声でもちゃんと聞き取れる。
「なら大丈夫か……当て逃げした車のナンバーとか見た?」
「見てないです。でも、黒い車だったです」
黒い車なんてそこら中に走っている。これは犯人は分からずじまいになりそうだな。
リビングでは、花音が先回りしてマットレスを準備しておいてくれていた。災害時用に置いてあるものだが、まさかこんなところで役立つとは。
そこにリコを寝かせて、再びベアトリスにバトンタッチ。
「怪我した場所をとか確かめるから、ちょっと触るわね。大丈夫、痛くはないはずだから」
リコがまた、こくん、とうなずく。
でも、いつも通りのリコなら……
「……?何かしら、何か硬いものが……」
「プロテクターでしょう。スケボーのときはいつも完全装備してるんです。外しますか?」
「ええ、その方がいいわね」
そう言われたので、まずはリコの着ているランニングウェアをチャックを外す。
すると、濃いグレーのプロテクターが姿を現した。バイク競技用のかなり強力なやつらしい。貰い物らしいが、一体どんな人なんだろうか。
「い……いやちょっと何してるのアヤヒロ!?」
プロテクターに手をかけようとした途端、ベアトリスが割り込んできた。しかも、なぜか赤面している。
「いやだって、プロテクター外すって……」
「それをなんでアヤヒロがやるのよ!?相手は女の子なんだから!」
「いや女の子って言ったって……」
言ったって相手は妹だ。妹の裸なんて見慣れているし、リコに関して言えば昨日も見た。
それに、妹たちも妹たちで俺に対し取り立てて隠すつもりもないらしい。高校生にもなって一緒にお風呂に入ろうとか言ってくるのまでいるくらいだ。
「アヤヒロ、妹のことちゃんと異性として見てないの?」
「むしろ、俺が男として見られてないのでは」
というより、異性として見ていたらそれはそれで問題なのでは。
などと軽口を叩き軽いことを考えているうちに、俺は手際よくプロテクター類を外していった。残るは……背中か。
「リコ、身体起こすよ」
そう声をかけ、返答を待たずに彼女の上半身を起こす。
背中のプロテクターは胸部のものとセットになっているので、身体を起こしてしまえばあとは取るだけだ。
プロテクターを外し、再びリコの上半身を寝かせたら、またベアトリスに引き継ぐ。
「それじゃ、またよろしく」
「なんか謎だわ、あなた達兄妹って……」
こっちからすればベアトリスのほうがよっぽど謎だ。
「それにしても、これはひどいわね。プロテクターなかったら危なかったんじゃない?」
結局下着姿になるまで脱がしたリコの身体に触れながら、ベアトリスがそうつぶやいた。
「ひどい、というと?」
「左の脚と腕が折れてるもの。リコ、左側を下にして落ちたでしょ?」
「そうです…突然で、受身もとれなくて……」
姉妹最軽の華奢な身体と、ドジっ娘らしいかわいい口調をしておきながら、肉体言語で会話させるとリコは姉妹最強だ。
俺が相手だと、パワー差でギリギリねじ伏せられるかどうかというところで、テクニックで言えば完全に負けている。一体どこで身につけたんだろうか。
「とりあえず、治すところが分かったから順番にやっていくわ。もうすぐ元どおりよ」
ベアトリスが、曰く折れているという左腕や左脚から、順番にSWAを当てていく。しかし、果たして、SWAを「当てる」という表現は適切なのだろうか。
そして、ものの数分程度で「これでOKね」とベアトリスが言った。本当に治っているのならかなり早い。病院にたどり着くより早い。
「それじゃ、神経遮断を解除してみるわね。痛いところがあったら言って」
「は、はい……」
リコの体内からIEGのような紫色の光が出て、ベアトリスかかざした手のひらに吸い込まれていった。
「…………すごい!どこも痛くないです!」
「成功、ね」
「ありがとうございます、おかげで享年14は回避しました……!」
多分普通に救急車とかで処置すれば死にはしないとおもうんだけどなぁ。
何にせよ、妹が大した苦痛もなく救われたことには感謝せねばなるまい。腕も脚も折れるとか生活に支障が出まくるだろうからな。
「ところでリコちゃん」
「?」
「今日は能力試そうと思って滑りに行ったの?」
ソファに座っていた花音が、マットレスに横になったリコの脇にしゃがんでそう聞いた。
スーパーからの帰りに聞いた話だが、リコは昨日の夜中——俺が知らぬ間に黒歴史を大暴露されていたあたりで、すでに「巻戻し」が出来ていたらしい。
「そうなんです。実際、滑ってて転んだときも擦り傷くらいなら治せたです。でも、ぶつけられたときは手が動かせなかったし、外から見える傷でもないから、どうしたらいいか分からなくて……」
「そっかー……痛かったんだもんねぇ。冷蔵庫にお寿司あるけど食べる?ベアトリスさんがいっぱい買ってきたんだけど」
「たべりゅ……たっ、食べますっ!」
噛んだ。かわいい。
そしてこれ、俺たちが共犯であることは言わない流れか。