ラスト・アナザーサイト ~エリスの場合~
私の名前はエリス。
少し前に『天使』に目覚めたばかりの…駆け出しの魔法使いだ。
本来であれば『天使』は、すべての魔法使いのあこがれの存在…となるはずだった。
だけど、いまの私は…ただただ、自分の無力さを痛感していた。
一週間ほど前、私はレイダーさんに乞われて…彼らパーティの臨時メンバーに参加する決意をした。
『明日への道程』の一員であるパシュミナさんの妹を…悪魔たちの魔の手から救助する手助けをするためだ。
このことは、旅立つ前の日にパシュミナさん本人から聞かされた。彼女は私に、全てをつまびらかに話してくれた。
事情を理解した私は、一も二もなく手助けすることに同意した。
妹を助けたいと…真摯な瞳で頭を下げるパシュミナさんを、私は無下にすることなんて出来なかったのだ。
もっとも、そのときは…『魔迷宮』に『入宮』する手伝いをするだけだと思ってたんだけど…
『魔迷宮』に向かう馬車の道中で、私はレイダーさんから驚くべき事実を伝えられた。
それは、カレンに関することだった。
「エリス。君は…どこまでカレン王子の秘密を知っているんだい?」
「えっ?」
最初レイダーさんが何のことを言っているのか、私には分らなかった。
だけど、その一言は…聞き捨てならなかった。
「私は…レイダーさんが言っていることがなにを指しているのかわかりません」
「何って、カレン王子の『病気』のことだよ」
「え…病気?」
その言葉に、私はぎょっとしてしまった。
カレンの病気なんて…聞いたこともなかったからだ。
「私は…何も知りませんが」
「そうか…それはすまなかった。では今のは聞かなかったことにしてくれ」
「いえいえ!それはできませんよ!さすがにカレンの病気といわれて…黙っているわけにはいきません」
私の必死のお願いに、レイダーさんは「しまったなぁ…口が滑ったかなぁ。でも俺は、エリスであれば知っておいたほうが良いと思うんだけどなぁ…」などと呟きながらも、結局あっさりと教えてくれたのだった。
その内容を聞いて、私は愕然とした。
カレンは、生まれながらに二つの病気を患っていたのだ。
それは、『難治性魔力閉鎖症』と『双発性魔力奪取症』という、きわめて稀有な症状を発症する病気だった。
レイダーさんの説明によると、『難治性魔力閉鎖症』とは、生まれつき「魔力が発散できない」体質となる病気なのだそうだ。
普通の魔法使いレベルの魔力であれば、少し熱が出るくらいで納まる可能性が高いものの、その体質ゆえに…残念ながら魔法を使うことが出来ないらしい。
あと『双発性魔力奪取症』については、なぜか双子であるミアから無自覚に魔力を吸収してしまうという、カレンたちで初めて確認された不思議な症例…とのことだった。
よもや…カレンにそのような病気があろうとは、私は夢にも思わなかった。
「その病気は…治療することは出来ないのですか?」
「俺が聞いた話だと、ヴァーミリアン王妃がずっと治療方法を探しているらしい。あとロジスティコス学園長もな」
その説明に、私は驚きを隠しきれなかった。
なぜなら、ヴァーミリアン王妃はカレンがそんな病気を患っていることを…カレン本人を含めて一切関知させなかったからだ。
この人はやっぱりすごい人だなって、このとき改めて思った。
「カレンがそんな病気だったなんて…そんなこと何も知らなくて、私は…」
「まぁそれは仕方ないさ。本来これは言ってはいけないことだったからね、君が知らなかったことを悔やむ必要なんて無いよ」
さわやかな笑顔を浮かべながらさらっととんでもないことを言うレイダーさん。
いくら『英雄』とはいえ、言って良いことといけないことがあると思うんだけどなぁ…
「レイダーさんは、そうやって…人の秘密をうっかり話しちゃうタイプの人なんですか?」
「え?あ、うーん。ま、まぁ…必要であれば?」
「だめですよー!そんなの。そういえばティーナが怒ってましたよ。『ボクのことをロジスティコス学園長に売りやがって!』って」
「あー、その件か!それは…そのほうがティーナのためになると思ったんだけどなぁ」
この人に悪気は無いのは分かる。
だけど…この人にはあんまり秘密の話は出来ないな。
悪びれる様子もないレイダーさんを見て、私はそう思ったのだった。
「でも…カレンがそんな病気を患っているというのに、私には出来ることは無いのでしょうか?」
私はカレンのことを思いながら、ふとそんなことを口から漏らしてしまった。
正直私にとって…カレンの病気は他人事ではなった。
なぜなら、私も…少し以前まで『魔力を封印されて』生きてきたからだ。
その結果…幼い頃から封印された魔力が原因の発熱を繰り返していた。
ずっと病弱だと思ってたんだけど、実は…封印していた魔力が悪さをしていたことが原因だったのだ。
そんな人生を送ってきた私だからこそ…
カレンも私と同じように…小さい頃から病弱だったと聞いて、親近感を感じていたのだ。
だけど実際は、その病弱の原因まで私と同じだった。
幸いにも私は『ティーナ』という親友の存在のお陰で、無事に『魔力の封印』と解き、『天使』に目覚めることができた。
だけど、カレンは違う。
生まれつきの病気で、しかも治療方法が…『七大守護天使』が二人がかりでずっと調査してても、解決の糸口さえ見つかっていないのだという。
それでも私は、カレンをなんとかしてあげたいと思った。
もちろん、カレンが私の大切な親友だから、というのもある。
最初は頼りないなぁと思っていたけど、徐々に頼もしくなってきて…
最近はずいぶん男らしくて立派になったなぁと感じることが多くなった。
見守っているつもりが、いつのまにか私が守られているようなときもあって…
いつしかカレンの存在が、私の中で少しずつ大きくなっていって…
そんなカレンを、何とか助けたい!
私はそう、強く思っていた。
私がその気持ちを素直に伝えると…少し苦悩の表情を浮かべたレイダーさんが「まぁ、けしかけたのは俺だしなぁ」とぶつぶつ云いながら、私にある提案をしてくれた。
「実は…手が無いわけではない」
「ほ、本当ですか!?」
「うむ。実は…これから向かう『魔迷宮』にな、俺が管理者をしている『図書館』という場所があるんだ。そこには古今東西の魔法書や魔術書、さらには秘書や魔書まで…沢山の魔道書が集まっている」
「じゃあ、そこに行けば…」
「そうだな、もしかしたらカレン王子の病気を解決する方策が見つかるかもしれないな」
その話を聞いて、私は…すぐに決断した。
カレンやミアと約束した帰宅時間を延長して、この『図書館』に篭ることを。
それから一週間ほど、私は『図書館』に篭ってカレンの病気を調べまくった。
レイダーさんから「そういえば、今後王子も姫も魔法学園に通うつもりなら…念のため『女体化』する魔法薬とかの精製方法を習得しといたらどうだい?」と言われていたので、そういった類のものもついでに調査した。
図書館での調査にはパシュミナさんが協力してくれた。
パシュミナさんは、今回の妹さんの奪還作戦では後援部隊となっていた。
理由は…悪魔たちが妹さんを操っており、そのせいでパシュミナさんに様々な制約がかかるリスクが高かったからだそうだ。
そういうところはレイダーさんたちは非常にドライで合理的だ。いくら自分の妹を助けるためだからといって、足手まといになる可能性が高いパシュミナさんを戦力から外したのだから。
そんなわけでパシュミナさんは、ここに居る間ずっと私の話し相手兼相談相手になってくれた。
書物で分からないところなどは、優しく丁寧に教えてくれた。
長い時間一緒に『図書館』で過ごしたのだけど、彼女は本当に優しくて魅力的な女性だった。
とても『魔族』とは思えなかった。他のどんな人間よりも人間らしいと思ったくらいだった。
ちなみに、これはあとで気づいたことなんだけど…もしかしたらレイダーさんはわざと私に秘密を話したのではないかな、と思った。
私が『図書館』に残ることで、パシュミナさんを護衛として残す名目になったし、なにより…残されたパシュミナさんが違うことに打ち込むことで、妹救出までの間のモヤモヤした気持ちを少しでも紛らわすことが出来ただろうから。
もしかして、そこまで計算していたのかな?
私はちょっとだけレイダーさんの評価を見直すことにした。
こうして…パシュミナさんの協力もあり、かなり量の書物を調査した。
…おそらく読んだ本は100冊を超えるだろう。
だけど…どんなに探しても、カレンの病気の治療法については、そのヒントさえ見つかることは無かった。
カレンの病気のうち、『双発性魔力奪取症』については…おそらく運用で回避できそうだった。
二人の距離がある程度離れてしまえば、魔力吸収現象は発生しないだろうと推測されたからだ。
だけど…『難治性魔力閉鎖症』のほうは厳しかった。
今はまだ良い。
だけど…これからカレンの魔力が大きくなっていけば…
あるいは、もし偶然にも『天使』に目ざめてしまったら…
そのとき、カレンの繊細な身体が『膨大な魔力の奔流』に耐えることが出来るのか…
現状では、非常に厳しいと考えられた。
それは…過去に魔力を体内に封印していて、かつ現在『天使』になった私だからこそ分かる事実だった。
あの頃の『魔力を封印された自分』が、仮に『天使』に目ざめたとしたら…
私は確実に、魔力の暴走を抑えることが出来なかっただろう。その点については確信があった。
その結果、どうなるのか。
考えるのも恐ろしかったが、おそらく…私の肉体が四散していたはずだった。
解決の糸口すら見えない調査。
刻々と過ぎてゆく時間。
思い浮かぶのは、絶望的な未来予想図だけ。
…焦りだけがじりじりと私の心を追い詰めていっていた、そんなとき。
突然…カレンとミアの二人が、この『図書館』に現れたのだった。
二人の姿を『図書館』で見つけたとき、私は…喜ぶよりも先にすごく驚いてしまった。
だけど…私のことを心配して、わざわざこの『魔迷宮』までやってきてくれたことは、本当に嬉しかった。
二人に出会えて良かった…心の底からそう思えたんだ。
私が約束を破ってすぐに帰らなかったことについては、カレンには適当な理由をでっち上げて説明した。
カレンは自分の病気のことを知らない。ヴァーミリアン王妃もカレンには知られないように徹底している。
だからこそ…私が本当は何の調査をしていたのか、カレンに知られるわけにはいかなかった。
若干微妙な表情をしていたものの、この言い訳をカレンは信じてくれたようだった。
それからは、激動の連続だった。
想定外な…『悪魔』たちの『図書館』近辺への出没。
『悪魔』の危険から私たちから引き離すため、別行動を取るパシュミナさん。
足手まといの私たちは…ひとまず奥のほうへと逃亡する。
そんな最中、『図書館』の一角で、二人が…まるで煙のように消失してしまう。取り残された私はただただ戸惑うばかり。
そして、二人の突然の帰還。
だけど、無事に戻ってきた二人は…
…なんと、『天使』となっていた。
最初カレンの『天使』姿を見たとき、「あぁ、本当に綺麗だなぁ…」って思った。
カレンもミアも絶世の美男美女だ。そんな二人が『天使』になると、本当に神々しく美しかった。
次に…やっぱりカレンの病気のことが心配になった。
でも…本人はどうやらまったく平気なようで、元気いっぱいのカレンの様子に「もしかして取り越し苦労だったのかな?」と考えてしまう。
だけど…カレンの病魔は確実に彼の肉体を蝕んでいた。
突然の大出血。
カレンのその姿を見たとき、私は絶望感に襲われた。
これだけはぜったいに見たくない光景だった。
それと同時に、私は悟ってしまった。
考え得る最悪の事態である…カレンの病気が発症してしまったことを。
それは…一歩間違えれば自分がなっていたかもしれない姿だった。
レイダーさんやパシュミナさん、ティーナが…一生懸命カレンを助けようとがんばってくれた。
ヴァーミリアン王妃やミアは「自分の命がどうなってもいいから、カレンを助けたい!」とまで願い出た。
その想いに…私は強く胸を打たれた。
なぜなら、その想いは…私も変わらなかったから。
だけど、私はなにもできなかった。
私には…なんの力も無かった。
みんなが全力を尽くしてくれた。
ティーナなどは、隠されていた『真の力』さえも使ってくれた。
それでも……カレンの症状はどうにもならなかった。
最後の最後に、カレンが震える手で私の手を握り締めながら…私のことを「大切な存在」だと言ってくれた。
本当に嬉しかった。
だけど…本当に悲しかった。
出血多量で意識を失ってしまったカレン。私の腕の中で…鼓動がどんどん弱まっていくのが分かった。
カレンのそんな姿を胸に抱いていても…やっぱり私は無力だった。
それが、辛くて…悲しくて…
私は心の中で魂の叫びを上げた。
…こんなの絶対にいやっ!
どうして!?
どうして私は、大切な人のことを助けることが出来ないの!?
私は…なんのために『天使』になったの?
目の前にある光景は、私の望んだ姿ではなかった。
あまりの悔しさに、ギュッと歯を食いしばる。
ちがう!!
私は…
私は…こんな悲しい思いをするために、この道を選んだんじゃない!!
私がこの道を選んだのは…『大切な人』が困っているときに、その助けになるためなんだ!
そのためだったら…私は命を懸けてもいい!
青白い顔をしたカレンの頬に、私はそっと手を触れた。
そして…私は強く思い願った。
お願い…!
もし私に、なにか隠された能力があるのだとしたら…
今ここで、私に…力を貸して!!
私の大切な存在を…助けるために…!!
そうして私が…血に濡れたカレンの胸に顔を埋めた、そのとき。
ドクン…
私の…胸の奥の方で、なにか大きな『もの』が動き出そうとしているのを感じた。
ドクン…ドクン…
それは、過去に経験したあるときに似ていた。
…そう、それは……初めて『天使』に目覚めた、あのときに!
なにか…くるっ!!
直感的にそれを感じた私は、胸の奥から湧き上がってくる『大きな力の存在』に…すがるように声を絞り出した。
「…お願いっ!…来てっ……!!」
私の異変に最初に気付いたのは、やはりティーナだった。
それまで沈痛な面持ちでカレンのことを見守っていたティーナが、私の変化に気付いて…大声を上げた。
「…!エリス!キミは…この場で『天使の歌』に目覚めるのかっ!?」
その声に、周りに居た皆が一斉に私の方を見た。
だけど…私はそれどころでは無かった。
溢れ出てくる強大な魔力の奔流を、制御することに苦戦していたからだ。
今にも暴走しそうになる魔力を必死に制御しながら、私は実感していた。
おそらく私は、ティーナの言う通り…このような状況になって初めて、これまで歌うことができなかった『天使の歌』に目覚めようとしていたのだ。
『天使の歌』は、天使それぞれが一種類だけ使うことができる固有の魔法だ。
その能力は千差万別であり、どんな固有能力になるかはまったく分からない。
だから私は、強い気持ちで願った。
…それは、祈りにも似た想いだった。
お願い…!
私の『歌』が、どんな歌かは分からない。
だけど…
カレンを救える『能力』であってくださいっ!!
私は、魂を込めて…それだけを強く祈った。
「エリス…!カレンを…カレンを頼むっ!」
ミアが、涙を流しながら私にすがりついてきた。
「エリちゃん…あなた…」
ヴァーミリアン王妃が、クルード王に支えられながら、私を祈るような瞳で見た。
「エリス、頼むっ!」
バレンシアが、昔と同じように…私の背中を力強く押してくれた。
「エリスさん…あなたならできます!」
パシュミナさんが、ボロボロの身体に鞭打って治癒魔法を使いながら…私を応援してくれた。
「エリス!行けっ!きみなら…きっと明日への道を開ける!」
レイダーさんが、力強く私を後押ししてくれた。
他のみんなも…手を握りしめたり、歯を食いしばったり、祈るような仕草をしたりして…私のことを見守ってくれている。
そんな…みんなの応援に後押しされて。
私は…叫んだ。
「お願い…!私に力を…!!カレンを助ける力を…!!目覚めてっ!!」
そのとき。
私の心の中に、ある言葉が浮かんできた。
それは…一片の詩のような…そんな言葉の羅列だった。
私は、その…心の中に浮かび上がった『天使の歌』を、ゆっくりと口にした。
「この世の中で閉ざされし、あらゆる扉よ。今こそ私がその鍵を開けよう。全ての扉を開く【鍵】よ。胸の奥底で硬く錠されたこの心に、入り込んで…その扉を開け放てっ!」
「解錠せよっ!『心の扉を開く鍵』!!」
私が歌い終わるのと同時に。
私の中にあった膨大な魔力が、私の手の中に形取られていった。
それは…大きな『鍵』の形となった。
私はその『鍵』を…目の前で今にも命尽き果てようとしているカレンの胸へと、祈るような気持ちでかざした。
このとき、私の意識は…カレンの身体全体で嵐のように暴れまわる、光り輝く奔流を見ていた。
その奔流が…カレンの身体のある一点で、まるで渋滞するかのように滞っているのが判った。
ここだ…!
ここが……カレンの病の『原因』だっ!
そう確信した私の意識は、その場所へ…手に持った『魔法の鍵』を突き立てた。
次の瞬間。
カレンの中で暴れ回っていた『魔力』が、ようやく出口を見つけたかのように……カレンの身体から強烈な勢いで飛び出していった。
それはまるで…カレンの身体から飛び出す、光の柱のようだった。




