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プレ最終話 『本当に大切なもの』

 


「きゃああぁぁぁぁぁあぁぁあ!!」


 ミアねえさまの絶叫に、周りの皆が一斉にこっちを見た。

 そして…ぼくの異変に気が付いたんだ。

 この瞬間、場の空気が一変したのが分かった。



 ぼくは…不思議と痛みは感じなかった。

 だけど、急に身体に力が入らなくなって…そのままペタンと座り込んでしまった。


 ぷしゅぅ。

 そんな嫌な音と共に…ぼくの首筋や腕からも、血が霧のように吹き出してくる。



 そのときのぼくは、全身から…血が噴水のように吹き出していた。

 姉さまが必死の表情で、ぼくの出血を手で抑えようとする。

 だけど…正直それは焼け石に水のように思えた。



 そして、当の本人であるぼくは…どうすることもできないでいた。

 今の状況は、まるで…制御不能な巨大エネルギーがぼくの体内で暴れていて、耐え切れなくなった部分から徐々に…身体中から血と共に噴出しているようだった。



「…わたしが仕込んでた『魔喰虫ガンガシャ』が消滅してる!?我が子ながらなんて魔力なのよ!」

「おい、ヴァーミリアン!カレンは二つの病を同時発症しているぞ!!状況は一刻を争う!緊急処置をっ!!」

「そんなこと分かってるわよ!パシュミナ、あなた全力でこの子を治癒して!ウェーバー、出来る限りのことを支援して!」

「は、はい!分かりました!」

「ええ、私に出来ることであれば。しかし、この症状はもしや…この子の身体の中で魔力が発散されずに暴走している?」



 このとき、妙に冷静だったぼくは、彼らの会話をしっかりと耳にしていた。


 二つの病を同時に発症?

 魔力が…暴走している?


 これは…一体どういう意味だろうか。

 ぼくはその言葉の意味を、一生懸命考えていた。



 このときになって、遅れて気付いたエリスたち四人も駆け寄ってきた。


「えっ…カレン?」

「ッ!?」


 エリスは…ぼくの凄惨な姿を目の当たりにして、口を押さえながら泣き崩れそうになった。

 だけど…涙を流しながらも必死にぼくの出血箇所を手で押さえているミアねえさまに気付いて、すぐに一緒になってぼくの傷口を押さえてくれた。

 バレンシアとチェリッシュも、愕然とした表情でぼくの傷口を押さえる。


 そしてティーナは、本当に辛そうな表情を浮かべながら、キュッと唇を噛み締めて…こう呟いた。それは、ぼくの身に起こっている現象を的確に説明してくれていた。


「この症状は…魔力の『飽和オーバーフロー』だ。しかも、恐ろしいことに…魔力がまったく体外に放出されていない。このままだったら肉体のほうがすぐに耐え切れなくなる。こんな酷い症状、見たことない…」






 一方…その間も、お母様たちによる必死の治療が続けられていた。



「この者の傷を癒せ…『治癒術ヒール』!」


 パシュミナの治癒魔法が、ぼくの傷を少しずつ癒していく。

 だけど、それと同等のスピードで別の場所が傷付いていた。まるでいたちごっこだ。


「禁呪・三重奏!魔力を喰らい尽くせっ!『魔喰虫ガンガシャ』×3!!」


 ヴァーミリアンおかあさまが、両手の『魔法の口』と合わせて三つ同時に…なにかの禁呪を発動させた。

 お母様から放たれた光の塊が、ぼくの身体に吸い込まれていく。


 そのおかげか…少しだけ身体が楽になった気がした。

 だけどお母様は、ぼくの状況を観察して、悔しそうに吐き捨てた。


「くそったれ!今回の三匹でも…喰いきれてない!このままでは打ち破られるのも時間の問題かも…」


 お母様が苦しげな表情を浮かべながらそんなことを言っている。

 ぼくは…お母様のそんな表情を見たのは生まれて初めてだった。



 お母様の打った手は、残念ながらあまり持ちそうも無かった。

 なぜなら、ぼくの体内で暴れる魔力エネルギーが、自分の中だけでなく…外からも流れ込んで来ていたからだった。

 そのエネルギー源は…なぜか、ぼくの状況すぐ目の前に居るミアねえさまだった。


「どういうことっ!?あたしの身体から…魔力がどんどんカレンに流れて行ってる!止まらないよ!!」


 姉さまが涙をボロボロ零しながら絶叫した。

 ぼくにもなぜこんなことが起こっているのか分からなかった。





 と、そのとき。


「どうしたんだっ!?」

「…なにがあったの?」


 最後に到着した『英雄レジェンド』レイダーと『うら若きプリティ魔女ウイッチ』ベルベットが、慌てて駆け寄ってきた。

 ぼくの様子を一目見た瞬間、ベルベットがハッとして口を覆う。

 そりゃそうだ…こんなに血まみれの人が居たら、誰だって驚くだろう。



「これは…『難治性魔力閉鎖症』と『双発性魔力奪取症』の同時発病かっ!!」


 焦りの表情を浮かべたレイダーが、ついにぼくに…『答え』を教えてくれた。

 ぼんやりとしていたぼくの頭の中にも、その『難治性魔力閉鎖症』と『双発性魔力奪取症』という禍々しい病名は、しっかりと刻まれた。



「なによそれ!レイダー、どうにかなんないの!?あなたは『英雄』なんでしょ!?」

「…そう責めてくれるな、ベルベット。『難治性魔力閉鎖症』は、治療方法不明の…魔力を外に発散することができない体質の症例だ。そして『双発性魔力奪取症』は…この双子でしか症例が確認されていない、人の魔力を無意識かつ強制的に吸い取ってしまう症状なんだ。いずれも…これまで15年間もヴァーミリアン王妃が解決策を探し続けて、『賢者ワイズマン』ロジスティコス学園長ですら治癒方法を見つけられなかった…難病だ。正直、今の俺では…どうして良いのか手が無い状況だ」

「おいテメェ!レイダー!俺にもわかるようにもっと簡単に説明しやがれ!」


 プリムラを抱えたまま怒鳴り散らすガウェインに、レイダーは…やれやれと言った表情を浮かべながら再度口を開いた。


「つまり、この子はな。生まれつき『魔力』を体外に放出できない体質だったんだよ。しかも、なぜか双子の魔力を吸収する体質まで持っていたんだ。これまでは…ヴァーミリアン王妃の小技・・でどうにかなってたんだが、『天使』に目覚めてしまった今は、もはやその魔力を処理しきれなくなったんだよ。それが…凶器となって、この子の身体の中で暴れてるんだ」


 最後のレイダーの説明は、今のぼくの症例をすべて説明してくれていた。

 それと同時に、ある一つの事実をも指し示していた。


 そうか…ぼくは…

 生まれたときから、これらの病気を患っていたんだ。

 そして、その事実を…ぼく以外のみんなが知っていたんだ。


 身体中で暴れている魔力の痛みよりも、その事実の方が…ぼくの胸を強く締め付けた。







 遅れてやってきたレイダーが、ティーナと協力して『魔力相殺アンチマジック』の魔法をかけてくれた。それで…姉さまから流れ込んでくる魔力の奔流を、少しだけ落ち着かすことができたようだった。


 ぼくは…お母様、ティーナ、レイダーの三人の『天使』の力と、『治癒術師』パシュミナのおかげで、かろうじて命を繋ぎ止めているような状態だった。


 他の人たちも、様々な形でぼくのために尽くしてくれていた。

魔力相殺アンチマジック』を使えないウェーバーやベルベットは、別の魔法でお母様たちを援護していた。

 エリスやバレンシア、チェリッシュは傷口を押さえてくれた。

 お父様は…自分の無力さを痛感しているかのような面持ちで、ぼくの頭を支えてくれていた。



 だけど、それらの行為は…

 あくまで現状を悪化させないようにするための、最低限の行為でしか無いようだった。



「まずい…『魔喰虫ガンガシャ』が朽ちる!」


 ヴァーミリアンおかあさまの悲痛な叫びと同時に、ぼくの体内で…何かが「ぷちっ」と音を立てて消えていった。

 次の瞬間、それまで大人しくしていた体内の魔力が…再度暴れ始めた。


「…かふっ!」


 ぼくは、急に胃から込み上げてきたものを咳き込んで吐き出してしまった。

 …それは、やはり血だった。


「もう一度…禁呪を!げほっ!げほげほげほっ!」


 ぼくに再度禁呪を放とうとしたお母様のが、突如咳き込み出した。

 手で押さえた口元から、血が流れ落ちるのが見える。

 お母様も…ぼくと同様、吐血したようだ。


「ヴァーミリアン!無理するな!…死ぬぞ?」

「クルード!…げほっ、ふざけたこと言わないでっ。今無理しないで、いつ無理すると言うの?わたしの…ごほっ、大切な子供が死にかけてるのよ?」


 血を吐きながら、絞り出すように…お母様がそう言った。

 そんなお母様の様子に、もうお父様は何も言えなくなったようだった。


「…『魔喰虫ガンガシャ』×3!!…げほごほっ」


 二度目の…『禁呪』三重掛けが成功し、ぼくはまた少しだけ楽になった。

 だけど今度は…お母様が咳き込んだまま、その場に崩れ落ちてしまった。ぼくの頭の支えをエリスに託して、慌ててお母様を支えるお父様。


「もう…限界だぞ!」

「まだよ…命尽きるまで…やるわ」


 虚ろな目でそう宣言するお母様を…お父様がギュッと抱きしめた。


「…して」


 その様子を眺めていたミアねえさまが、ぼくの首筋の出血を手で押さえたまま…何かを口にした。


 ん?今なんて言ったんだろう…


「あたしを…殺して!そうすれば、あたしの魔力がこの子に流れ込まなくなるんでしょ?そうすれば…もう少し状況はマシになるんじゃない!?

 もしそうだったら…今すぐあたしを!!」


 カッと目を見開いて、藁にもすがるかのような表情で…姉さまはレイダーやガウェインにそう訴えかけた。

 だけど…誰もその意見に同意しようとはしなかった。


「ね、え…さま…」

「カレン!?どうしたの?」


 ぼくは言葉を口に出してみて…思った以上に弱々しい声しか出ないことに驚いたものの、気力を振り絞って姉さまに話しかけた。


「そんな…こと、やめてよ。焼け石に…水だし、そんなことをするなら…姉さまに、生き残って…ほしいよ」

「なにバカなこと言ってんの!?あんた男でしょ!?あんたが…ハインツの跡を継がなくて、誰が継ぐのよ!」

「ねえ…さまが、いるじゃん。ぼく…より、おに…あいだよ」

「バカッ!あんたしか…いないよ。あたしには…無理だよ…」


 涙を流しながらぼくの胸に顔をうずめる姉さま。


 こんな姿も…初めて見たなぁ。

 これが夢だったら良かったのになぁ。

 世の中、うまくいかないなぁ。




 そんなことを思っていた、そのとき。


 それまで『魔力相殺アンチマジック』の魔法を使っていたティーナがその手を止めた。


 そして、ゆっくりとぼくの目の前に歩み寄ってきた。


「…ボクは、キミたちの…相手を思いやる気持ちに強く心を打たれた。

 だから、そんな素晴らしいキミたちのために、ボクも全力を尽くそうと思う」


 ティーナはそう宣言すると、おもむろに…耳にはめていた特製のイヤリングを取り外した。


「えっ?ティーナ!?」

「ちょっとあんた!本気!?」


 それまで涙を流しながらぼくの手当てをしていたエリスとバレンシアが、そんなティーナの様子に驚きの声を上げた。

 ティーナは、二人に対して首を軽く横に振ると…そのままみんなに向かってこう宣言した。


「これからボクは…彼を救うために全力を尽くそうと思う。そのためには…これまで隠していた力を見せることになるんだけど、できればそのことは…ここだけの秘密にして欲しいんだ」


 ティーナのその言葉に、首を縦に振る一同。

 その様子を確認したティーナは、懐から何か指輪を取り出すと、指にはめてこう宣言した。


「「いくぞ!『天使の宴エンジェルフェスタ』!!」



 次の瞬間、ティーナの背中に…なんと『黒い翼』が具現化した!

 突然の…悪魔の翼の出現に、ぼくは呆然とした意識の中でも驚きを禁じ得なかった。


 だけど…変化はこれで終わりじゃ無かったんだ。

 さらになんと…一枚の白い翼と、四枚の透明な翼…合計七枚の翼が、ティーナの背に具現化したのだった。


『七翼の天使』ティーナが光臨した瞬間だった。




「なにあれ…信じられない」


うら若き魔女プリティウイッチ』ベルベットが、みなの気持ちを代弁して…そう呟いた。



 そんな…神々しいティーナを、ぼくはぼんやりと眺めていた。

 今にも途切れてしまいそうな意識の中で、なんとか…現実に引き止めていた。


「…ボクがこの姿を見せたのは、キミたちの覚悟に敬意を示すからだ。

 キミたちの…命をかけてまでも彼を愛する気持ちに、ボクは魂が震えた。

 だからこそ、ボクも出し惜しみせず全力を尽くす!」


 そう高らかに宣言すると、ティーナは…『天使の歌』を歌い始めた。


「……この世にある我ら人間の力よ。今こそ目覚めよ。誇るべきは自らの肉体。讃えるは己の魂。今ここにその力のすべてを現わし、彼のものの持てるものを余すことなく開放したまえ……!解放せよリヴェレイト!『人智の玄関ヒューマンエントランス』!」



 次の瞬間、ぼくの目の前に…樹木に覆われた大理石の門が出現した。

 その扉がゆっくりと開き、中からやさしげな緑色の光が出現する。

 光が触手のように伸びてきて、ぼくの全身を包み込んだ…




 ぼくは、全身の傷が癒されていくのを感じた。

 それは…信じられないほど強力な、魔力による活力の注入。


 だけど…



「…クソッ!」


 魔法が発動し終わると、ティーナの七枚の翼が光の粒子となって消えていった。元の片翼の天使に戻ったティーナが…ガクッとその場に崩れ落ちた。

 そして、片膝をついて肩で息をしながら、悔しそうにそう吐き出した。



「ティーナ!どうだったの!?」


 エリスの真剣な問いかけに、ティーナは…無念そうにこう答えた。


「…傷は治ったかもしれない。だが…ぼくの『天使の歌』は、『元々有るもの』までは癒すことができないようだ。つまり…生まれつきの病までは、ボクは治すことができなかったんだ。すまない…」

「うそよっ!?ティーナでも治せないなんて…!そんなの…うわぁぁぁぁ!!」


 まるでそれまで張り詰めていたものが切れてしまったかのように、エリスがぼくの胸にすがりついて泣き出したんだ。





 そんなエリスの頭を…ぼくは優しく撫でた。

 たくさん血が抜けて身体は軽くなってるはずなのに…不思議なことに手を動かすのさえ、すごく重たく感じた。

 血がいっぱいついた手で撫でてしまったので、エリスの髪を少し汚してしまう。


「…ごめん、エリス。髪の毛少し血が付いちゃった」

「カレン…わたし…私、苦しんでるカレンを助けてあげれなくて…」


 溢れてくる涙が止まらない様子のエリス。そんな彼女の頬を、ぼくは…思い残すことがないように、そっと触ったんだ。


「…何を言ってるの?そんなの、気にしなくていいよ。なにせ…お母様たちがずっと治療方法を探してたのに、どうにもならなかったんだ。仕方ないよ。

 …もっとも、愚かなぼくはこんなことにでもならない限り、自分が病気持ちだったってこと自体知ることは無かったんだんだけどね」


 エリスの頬はすごく柔らかくて…心の底から愛おしいと思えた。

 この心地よい感触を、手放したくないって思った。


「えぐっ…ひぐっ…」

「ぼくね、ずっと知らなかったんだ。

 こんなにも…たくさんの人たちに愛されていたんだね。

 すごく、嬉しい…だけど愚かだよね。こんな状況になって、初めて気付くなんて」


 そう言いながらも…ぼくは、自分の身に迫ってきつつある破局の足音に気付いていた。

 身体の奥底で…なにか巨大なものが、渦巻いているのがわかった。

 これが…もう一度目覚めたら、ぼくはたぶん…


 耐えることができないだろう。





「カレン…そんな目をしないで!」


 そんなぼくの気配を察したエリスが、ぎゅっとぼくの頭を抱きしめてくれた。

 すごく…幸せな気分だった。


 ぼくは、生まれてきて良かった。

 ぼくは……




 次の瞬間、ぼくの中で…何かが弾けた。





「『禁呪』が弾けたっ!」


 お母様の悲痛な声が、響き渡った。




 ぶしゅっ!


 不気味な音と共に、再び…ぼくの全身から血が吹き出してきた。

 今度のは…さっきよりも激しい『発作』のようだった。


「かふっ!」


 思わず…込み上げてきたものを吐き出した。

 それは…大量の血だった。


 そんなぼくの症状の前に、パシュミナの治癒魔法も、レイダーの魔力相殺魔法も、まったく効果が見られなかったんだ。




「もう一度…『魔喰虫ガンガシャ』を…」


 お母様が決死の表情で…三度めの禁呪を唱えようとしたとき、ぶはっと大量に吐血した。

 ぼくの目から見ても、明らかに…お母様の肉体は限界を超えていた。


「もう無理だ!ヴァーミリアン!」

「離してクルード!げほげほっ!わたしは死んでもいいんだ!」


 ぶるぶる震える手を差し出すけど、既に…その掌の『魔法の口』は消滅していた。


「それよりも…はやくあたしを殺して!さもないと…手遅れになる!」


 涙を流しながらも、き然とした表情の姉さまが、お父様に食ってかかっていた。

 その姿は…双子の姉とはいえ本当に綺麗で。

 ぼくは心の底から誇らしく思ったんだ。


「ふたりとも…あり、がとう…。もう、いいよ…」


 ぼくは、急速に喪われつつある気力を振り絞って、二人にそう伝えた。


 二人の気持ちは本当に嬉しい。

 だけど、2人の命を犠牲にしてまで…ぼくは生き延びたいとは思わなかった。



「なにいってるの、カレン!諦めちゃダメよ!」

「そうだよ!がんばれよ!ここで死んだら…あんた『女装』したままになるんだよ!?」


 姉さまのひどい言い分に、ぼくは思わず苦笑を漏らしてしまう。


 だけど…今のぼくにはよくわかってたんだ。

 それが…姉さまなりの思いやりだったんだってことに。


「ふたりには…感謝してる。ごほっ。本当に…あなたたちの子供で、弟でよかった…」

「ば、ばかっ!!」


 そしてぼくは、みんなを見渡したあと…最期にエリスを見た。

 エリスは、優しくぼくの頭を抱えたまま…ずっと涙を零し続けていた。


 大切な存在ひとがずっと泣いているのを見ていることしかできないなんて…すごく辛いなぁ。

 だけど、ぼくは本当に幸せ者だな。


「…エリス、もう…泣かない…で」

「…ぐすっ…ひくっ…ごめんなさい、カレン。私が…この迷宮に来なければ、こんなことには…」


 そう言うエリスに、ぼくは首を横に振りながら…たぶん最期になるだろう力を振り絞って、エリスの手を握りしめた。

 大量に血が失われたせいだろうか、ぼくの手はブルブル震えて…そしてものすごく寒気を感じていた。

 ぼくはそんな状態だったんだけど…もはや痛みさえも感じなくなっていたにもかかわらず、エリスの手の温もりだけはしっかりと感じることが出来たんだ。


「そんなことは、ない…よ。ごほっ。今回…の件は、運命だった…んだ。げほごほっ。ぼ…くは、エリスに…げほっ、出逢えて…幸せだった…」



 エリス。

 ぼくはエリスのおかげで、本当に充実した日々を過ごすことが出来た。


 ぼくたち専用のリビングルームでの、何気ない時間。

 綺麗に整理された中庭での、ささやかな散歩。

 エリスの淹れてくれた、美味しい紅茶。

 いつもぼくのことを気にかけてくれる…優しい眼差し。


 エリスの居た日常は、すごく輝いていて…

 その時間が、もう戻って来ないことが、本当に悲しくて…



 だけど、もうぼくに残された時間はあとわずかだった。

 そのことは…自分が一番良く分かってたんだ。

 だから、ぼくは最期に、一番大切なことを…エリスに伝えることにした。


「エ、リス…、ぼ、くは…」

「ぐすっ……うん、うん。聞いてるよ、カレン」

「ぼくはね…エリ、ス…の、こと…を…」



 そしてぼくは…身体の中に残された、最後の一雫を絞り出すようにして…最期の言葉を口にしたんだ。



「ほん…とうに…大切、な……存在、だと…思ってる…よ…」





 あぁ。

 結局ぼくは、最期の最期まで言うことが出来なかったなぁ。


 本当に大事なことを…


 エリスのことが、『好きだ』ってことを……







 まぁでも、こんなところもぼくらしいっちゃぼくらしいかな?




 そんなことを思いながら…

 ぼくの最期の意識は、永遠の暗闇の奥底へと沈んでいったのだった。






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