58.ハイド・アンド・シーク
「…妹の気配が近付いてきています」
一通り再会の喜びを分かち合ったカレンたちが『図書館』で紅茶を飲んでいると、突然パシュミナがそんなことを口にした。
「どうして妹さんが?さっき作戦通りに…レイダーさんたちに追われて地下三階に上がって行ったんでしょう?」
「なぜ戻ってきたのか、その理由はわかりません。地下一階で待ち構えているはずのガウェインさんやウェーバーさんが討ち漏らすとは…正直私には思えないのですが、どうやら残党の一部が引き返して来たみたいです」
ぼくとミアは、その話を聞いて…作戦が上手くいってないことをすぐに悟った。
「そうしたらエリスさんは、お二人を連れて…奥の方に隠れていてください。私がレイダーさんたちが到着するまでの時間を稼ぎますので」
「そ、そんな。女性一人を残して逃げるなんてこと…」
「…うん、わかった。パシュミナさんも気をつけてね」
パシュミナだけを矢面に立たせることにためらいを覚えたぼく。
…どうせなら一緒に戦ったほうが良いのではないか。
そんなぼくの甘い考えを、エリスは一蹴した。
「カレン、残念なんだけど…私たちではパシュミナさんたちの足手まといになるだけだよ。それよりも…邪魔にならないように隠れていましょう」
エリスにそう言われてしまってはどうしようもない。
ぼくと姉さまは、エリスの後について…『図書館』の奥に隠れることにした。
『図書館』の奥は、まるで迷路のように入り組んでいた。
たくさんある本。恐らく数万冊はあるだろうか?
これだけの量の本が、本当に『七大守護天使』だけで集められたとはぼくには思えなかった。
恐らく、それより以前…『魔王』たちによって集められた本も沢山あるのではないか。そう思えた。
そんな…まるで森のように乱立する本棚の間を、ぼくたちはエリスの先導ですり抜けていった。
やがてぼくたちは、『図書館』のなかの…とある一角にやってきた。
そこは…沢山の古びた本が無造作に積み上げられただけの、なんの変哲もない一角だった。
「…ここは行き止まりね。もっと奥まで行きましょ?」
そう言ってエリスは、何事も無かったかのように…この場所を通過して行こうとした。
だけど、ぼくはこの…一見したところ何もない場所で、足を止めていた。
しかも、ぼくだけではない。ミアも足を止めている。
「…わかる?」
「…うん、わかる」
ぼくは、姉さまの問いかけに頷き返した。
何かが、呼んでいる。
この、誰にも忘れ去られた『図書館』の一角で、何かがぼくを呼んでいる。
…そんな不思議な感覚が、ぼくの第六感を刺激していたのだ。
そしてそれは、姉さまも同様だった。
姉さまも明らかに…その『何か』の呼びかけに反応している。
「二人とも…どうしたの?」
怪訝そうな表情を浮かべながら、エリスがぼくたちの顔を伺い見た。どうやらエリスはこの『声』に気付いていないようだった。
ぼくと姉さまだけに聞こえる声…
まるで『おいで…こっちにおいで…』と呟いているようだった。
そしてその声は…強烈な引力を以って、ぼくの魂そのものを引きつけていた。
意を決したぼくが、積み上がった古本をばさっと一気に崩した。
たくさんの本が、ホコリを吐き散らしながら散らばっていく。
そんなぼくの行動を、姉さまも慌てて手伝い出した。
だが…本の山を崩したところで、その場所からは何も出てこなかった。
「本当にどうしたの?何があったの?」
エリスが心配そうに問いかけてくるけど、ぼくたちはそれどころではなかった。
一見したところ、ただの壁にしか見えないこの場所。
古本の山に隠されていた、この壁。
ぼくと姉さまは、頷き合うと…ゆっくりとその壁に手を触れた。
次の瞬間。
青い線のようなものが、一気に壁一面に走った。
「えっ!?」
突然の出来事に動転しているエリス。だけどぼくたちには分かった。
「鍵が…開いたね」
「うん…」
ぼくたちが触れている、元は何の変哲もなかった壁。
今はその壁の一部が、扉のような形に光り輝いていた。
ぼくと姉さまは、同時にその扉に触れた。
すると…まるで溶け込むかのように、ぼくたちはその扉の中へと吸い込まれていった。
「ちょっと!?カレン!?ミア!?」
目の前で二人が消え去る状況を目撃したエリスが、慌てて…二人の吸い込まれた場所に手を触れた。
だが、もはやその壁がなにかの反応を示すことは無かった。
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『五芒星』の一員『主星』と『魔操師』が、魔人プリムラを引き連れて地下四階への階段を降りているとき。
天地を揺るがすような大爆音が聞こえてきた。
…おそらくは『調教師』が仕留められた音だろう。
これで彼ら『五芒星』は、二人と一体だけになってしまった。
「どうする…?『主星』」
「とりあえず、別の階段を探そう。『魔操師』よ」
こうして二人が…これまで通って来なかった別のルートへと向かって走りだした、そのとき。
「…待ちなさい」
自分たちを呼び止める女性の声が、地下四階に響き渡った。
まずいっ!追いつかれたのか…
背筋に冷たいものが流れる『主星』。
だが、相手の姿を確認して…ニヤリと不敵に笑った。
「…おやおや、あなたは…『魔族』パシュミナではないか。たった一人でお出迎えか?」
そう返事を返しながら、『魔操師』に視線を送る。
頷いた『魔操師』が何か指図すると…横に控えていたマント姿の女性が一歩前に歩み出た。
その女性…まだ少女といっても過言ではないその人物は、目の前に居るパシュミナと同じ黒髪を肩の部分で揃えおり、少し尖った耳を持っていた。
…パシュミナの妹、プリムラであった。
プリムラの目にはまったく生気が無かった。
どうやら『魔操師』に精神面を操られているらしい。
その手には…身の丈に合わぬ巨大な大剣を握っていた。
「あぁ、プリムラ…なんということを…」
「ふふふ、お前の可愛い妹をどうにかされたく無かったら、大人しく…我らが脱出する手助けをするんだ」
「それか…貴様もこのワシに操られるのだ!ワシの『精神操作』を無抵抗で受け入れろ!」
勝ち誇った『主星』と『魔操師』にそう言われ、ギリッと奥歯を噛み締めるパシュミナ。
「ほーら、妹を失いたくなかったらワシの言うことを聞くんだ。ちなみにワシを殺せば良いとか考えるなよ。そんなことをすれば…わしの最期の呪いがキサマの妹に降りかかるからな!」
プリムラの顎をガシッと掴みながら、『魔操師』が高笑いをする。
キッと睨みつけるパシュミナに気付いた彼は、プリムラから手を離すと…そのままパシュミナに近寄っていき、その頬をパシッと殴りつけた。
軽く吹き飛んでしまうパシュミナ。
だが…口の端に滲み出た赤いものを手で拭いながら、すぐにまた立ち上がる。
「ほう…魔族も血は赤いのか。てっきり青い色でもしてると思ったのだがな!」
「私のことはどうなってもいい。だから…プリムラを解放してください」
パシュミナの必死の懇願に、『魔操師』は邪悪な笑みを浮かべた。
「ほう…そうか。そんなに妹が大事か?それでは…ワシの『悪魔の呪文』を受け入れてもらおうかな!」
ばぎばき…という音と共に、『魔操師』の背に漆黒の翼が具現化した。
その手には、鎖が巻きついたかのようないびつな形をした指揮棒…彼の『悪魔の器』が輝いている。
そして彼は…高らかに歌を歌い始めた。
それは、呪いのこもった悪魔の呪文だった。
「…その心よ、縛られよ。我が鎖に…そして我が指揮に従い舞い踊れ!『呪縛演奏』!」
次の瞬間、『魔操師』の手に持つ指揮棒の先から、暗黒色の鎖が飛び出した。
それが…まるで生き物のように、パシュミナの身体に絡みつく。
だが…その鎖は、パリーン!という破壊音とともに粉々に砕け散って消えてしまった。
「なっ…打ち消された?きさま、抵抗したのかっ!?」
「…そんなことはしていません。私を操ることは、無駄な試みなのです。なぜなら私の精神は…既に別の魔法で縛られていますから」
少しさみしそうにそう言うパシュミナは、両手を広げて『魔操師』に向き直った。
「操られてしまう可能性のある私を、レイダーさんたちがそのままにしていると思いますか?
私は…精神を操られないように、あらかじめレイダーさんから別の『精神呪縛魔法』をかけてもらっているのです。
その呪縛内容は…『どんな相手も、一切傷付けない』という『約束』です」
「なっ…お前、そこまでして…」
「もともと誰も傷付けたくない私にはもってこいの約束でした。
…さぁ、そんなわけであなたがたは私を操ることはできません。ですが…その代償として、私の方からあなたがたを傷付けることも出来ないのです。
私は一切の抵抗をしません。私を傷付けることで気が済むのだったら、好きにしなさい。だけど…プリムラは、プリムラだけは返して!」
「き、きさまーっ!!」
逆上した『魔操師』が、パシュミナを何度も殴りつけた。
吹き飛ばされたパシュミナに、さらに追いかけて蹴りまで入れる。
だが…すぐに息が上がってしまう『魔操師』。そんな彼に憐れみの視線を向けながら、パシュミナは立ち上がった。
「…これで満足しましたか?気が済んだのなら…妹を返してください」
「くそっ!くそっ!」
再び殴りつけようとする『魔操師』。だが何かを思いついたようで、その動きを止める。
「…ふふふ、そうだ。良いことを考えついたぞ!プリムラにお前を傷付けさせようではないか。どうだ?」
「バカな真似はやめろ!こんなやつ無視して逃げるぞ!」
「うるさい!だまれ『主星』!そもそも貴様が『迷宮』に来ることなど判断しなければ、こんな目に合うことは無かったんだ!」
完全に逆上した『魔操師』は、制止しようとする『主星』を無視してプリムラに指示を出した。
大剣を構えた少女が、無表情のまま姉の方へと歩みを進めていく。
そんな妹を、優しい眼差しで見つめるパシュミナ。
「…大丈夫よ、プリムラ。私はあなたにどんなことをされても恨んだりはしないわ。だから…安心してかかってきなさい」
両手を広げて妹の全てを受け入れようとするパシュミナは、まるで『魔族』のようには見えなかった。
むしろ…慈愛溢れる聖母のようにすら見えたのだ。
その姿に苛立ちを隠せなくなった『魔操師』が、「やれぇー!!」と大声を上げた。その指示により、プリムラが…まるで操り人形のようなぎこちない動きで、大剣を頭上に持ち上げる。
そして…ゆっくりとその剣を振り降ろした。
覚悟を決めて、目を瞑るパシュミナ。
ガキンッ!!
パシュミナは、自らの身を切り裂く衝撃を覚悟していた。
しかし…その衝撃は最後まで襲いかかってこなかった。
そのかわりに聞こえてきた金属音…その正体は何なのか?ゆっくりと…閉じた瞳を開けるパシュミナ。
まず最初に彼女の視界に飛び込んできたのは、真紅の波だった。
それは…よく見てみると、真っ赤な色の髪の毛であることが分かる。
そこでようやくパシュミナは気付いた。
自分を庇うように…プリムラの振り下ろした大剣をガッチリと受け止めている、燃えるような赤髪の剣士の存在に。
「…ふうぅ!ギリ間に合った!」
「なっ!誰だ貴様は!?」
「あたしかい?あたしの名前はバレンシアだ!悪魔め、酷いことをするのは…許さないぞっ!」
『魔操師』を大声で怒鳴りつけながら、バレンシアが…プリムラの大剣を腕力だけで弾き返した。
バランスを崩したプリムラが、勢い良く吹き飛ばされた。
さらに追撃をかけようと、バレンシアが一歩を踏み出そうとした…そのとき。
「あっ!待ってください!その子を傷付けないで!その子は…悪魔に操られているだけなんです」
「なっ…」
その言葉に、バレンシアが一瞬動きを止めた。
そのスキを見逃さず、倒れこんでいたプリムラは一気に飛び起きると…今度はバレンシアに向かって飛びかってくる。
だが、その身体を…突然地面から生えてきた『光の縄』がくるりと取り巻いた。
あっという間にプリムラの身体を縛りつけ、身動きを封じ込めてしまう。
「ムゥッ!?新手かっ!?」
「ふぃー、なんとか間に合った!まったく…何の相談もなく一人で飛び出していきやがって…この、イノシシ娘がっ!」
そう怒鳴り声を上げながら現れたのは…いかにも魔法使いといったとんがり帽子にミニのローブを身に纏った金髪の女性だった。
どうやら魔法をかけたのは、この女性のようだ。ハァハァ荒く息を吐き出しながら、手に持つ魔法の杖を突き出している。
「ああ、悪かったねチェリッシュ。さすが自称大魔法使い、助かったよ!」
「…ちょっとぉ。あんな人たちを見たあとでそんな台詞言われても、イヤミにしか聞こえないわよ。それより…アタシの『光縄縛』はそんなに長続きしないわ!気をつけて!」
チェリッシュという魔法使いが伝えたことは、どうやら事実のようだった。
『光の縄』で縛られてしまったプリムラが、歯を食いしばりながらも…縄を引きちぎろうと、必死にもがいている。
だが、それ以前に…もっと大きな問題があった。
「きさまらぁ…ただの人間の分際でワシの邪魔をしよって。まとめて処理してやろうか…」
相次ぐ邪魔者の登場に怒り心頭に達した『魔操師』が、その手に魔力を集中させてゆく。
そして、気合とともにその手をバレンシアたちに向かって突き出した。
次の瞬間、その手から凶悪な破壊力を秘めた魔力の塊が放たれる。
「危ない!」
慌ててパシュミナが…彼女たちの盾にになろうと前に飛び出そうとした。しかし、それまで痛めつけられていたダメージのせいか…グラリとつまずいてしまう。
まずい!間に合わない!?
そうパシュミナが覚悟した、そのとき。
三人の目の前に、大きな光の壁が出現した。
パキャーン!!
鈍い衝撃音とともに…悪魔の放った魔力弾は、この壁によっていとも簡単に弾かれてしまった。
驚愕の表情を浮かべる『魔操者』。
その視界に…さらに別の人物の姿が飛び込んできた。
そこに居たのは…『悪魔』でさえも自分の目を疑ってしまうような存在だった。
ウェーブがかった金髪をなびかせる、絶世の美少女。
しかもその背には、片翼だけの『天使の翼』が具現化している。
「まったく…悪魔相手にキミたちは向こう見ずすぎだよ。少しは身の安全も考えてくれよ」
「ティーナ!!」
そう。彼女は…『片翼の天使』ティーナだった。
しかも彼女の横には、二本の剣を手に携えた壮年の剣士…『双剣』クルード王までもいる。
「クルード王!それに皆さんは…」
二人の姿を確認したパシュミナが、驚きの声を上げた。
彼女が立ち上がるのを支えながら、バレンシアがパシュミナに優しく語りかけた。
「あたしはバレンシア。この子はチェリッシュで…向こうにいる美少女がティーナとクルード王だよ。あたしたちが来たからにはもう安心だ!あたしらが…あなたを全力で助けるよ!」
「あなたがたが、エリスさんの友達の…
話は聞いています。本当にありがとうございます」
パシュミナは、自分が想定していなかった援護が現れたことを…このときようやく理解したのだった。
こうして、この戦いも…新たな局面を迎えることとなる。




