56.二人きりの探索
あいたたた…
ぼくは頭の痛みに目を覚ました。
ぼくはどこだろうか…
どうやら薄暗い廊下のような場所に倒れていたようだ。
少しだけ痛む体をゆっくりと起こす。
ぼくのすぐ横には…ぼくと同じ銀髪の人物が倒れていた。生まれたときからずっと一緒の存在…ミアだった。
その姿を確認して、ようやくぼくは自分の身に何が起こったのかを思い出した。
そう。ぼくと姉さまは、お母様の『転移』によって…何処かに飛ばされてしまったのだ。
あれから、どれくらい経ったのだろうか…
とりあえずは、ぼくの横で気持ち良さそうに眠っている姉さまをゆすって起こすことにする。
「姉さま?姉さま?大丈夫?」
「ん…うーん…あれ、カレン?」
ほっ。どうやら姉さまも無事のようだ。ぼくたちはどちらもかすり傷程度しか負っておらず、大きな怪我はしていなかった。
それが、お母様の意図したことなのか、はたまた偶然なのか…それはわからない。
それにしても、ここはどこだろうか…
少なくとも、ぼくたちが歩いてきた経路の中に該当する場所の記憶は無かった。
ということは、地下四階より下のフロアーであると想像された。
さて、どうやって場所を確認しようか…
ぼくがそんなことを考えていると、それまで呆然としていた姉さまが…まるで突然スイッチが入ったオモチャのように、突如大声を上げ始めた。
「…ちょっと。いきなりあたしたちを『飛ばす』なんて、お母様ってばどういうつもりっ!?」
「ちょ…姉さま?」
姉さまの怒りは分かる。いきなり魔法で『転移』させられるような理不尽な目にあったら、誰だって怒るだろう。
だけど…今はそんなことで怒っているような状況ではなかった。なにより大声を上げることで、何かよからぬものを呼び寄せてしまう恐れがあった。
今ぼくたちが優先すべきことは、自分たちが今どこに居るのかを知ることだ。
それには、なぜお母様がぼくたちを飛ばしたのか…その理由を知ることが、近道になると考えた。
「姉さま、怒りたい気持ちは分かるけど…少し落ち着いて!あんまり大騒ぎしてると、変なものを呼び寄せちゃうよ?」
「…っ!?」
急に静かになる姉さま。
うん、素直でよろしい。
「いい?姉さま。お母様は、あのときたぶん…前方から来たのが『敵』だって判断したんだ。だからぼくたちを飛ばしたんだと思う」
「だからって、説明も無しにいきなり飛ばすなんて…」
「それは、説明する暇もなかったんじゃないかな?それに…もう飛ばされちゃったものはしょうがないよ。そんなことより今ぼくたちがどこに居るのか、どうすれば良いのかを考えよう」
「そ、そうね…」
姉さまは、なんだか驚いた表情を浮かべてぼくの言葉に頷いた。
…いずれにせよ、そうと決まればまずは現状把握だ。
ぼくはとりあえず周りを見渡した。
『グイン=バルバトスの魔迷宮』の中は、なぜか満月の夜くらいにはうっすらと明るかった。
これが『魔王』の力なのだろうか…それとも別の何かの力によるものなのか、それはわからない。
ぼくたちの居る場所は、綺麗に整備された通路の真ん中だった。
幸いにも魔物などは存在していないらしい。もしいたら、今頃ぼくらは餌食だっただろう。
もっとも、お母様は…安全なことが分かってたから飛ばしたんだと推測できたんだけどね。
「…ここがどこか、さっぱりわからないね」
「うん。とりあえずここが何階なのかを知りたいね。出来れば地下四階より浅ければ良いんだけど…」
現状を把握したぼくは、とりあえず姉さまに以下のような提案をすることにした。
まず第一に、ある程度進んだら、そこにメモを残すこと。
メモには、次にどの方向に向かったのかを書くようにすること。
…こうすることで、あとから誰かが見つけてくれたときに探してくれるのではないかという考えだ。
次に…もし今居る場所が四階以深のフロアーであったら、どこか安全そうな場所を見つけてそこで待機すること。
二階であれば、できれば一階に戻る。
そして…三階か四階であれば、エリスが居るはずの『図書館』を探す、ということ。
最初姉さまは、ぼくの意見に大反対した。
下手に動くことで…あとから探しに来るはずのお母様たちが困るのではないかと考えたようだ。
だけどぼくは逆に言ったんだ。
ぼくたちは、何のためにここまで来たのか。それは…エリスを探すためだったんじゃないかってね。
だって…おとなしくこの場に留まるくらいなら、わざわざ勇気を出してこんな『魔迷宮』まで来た意味は無い!ってね。
ぼくの言い分に姉さまらしくない台詞をうだうだ言っていたものの…最終的にはぼくの意見に同意してくれたんだ。
そんな訳で、とりあえずこの場から動くことを決めたぼくたち。
だけど…結果的にはすぐ動かざるを得ない状況になってしまった。
なぜなら、このときぼくは……この場に迫り来る何者かの気配を感じ取ってしまったからだ。
コツ…コツ…
最初にぼくの耳に入ってきたのは、ゆっくりとした足音だった。
その音は、現在いる通路の右側のほうから聞こえてくるようだった。
そちらの方を目を凝らして見てみると、なにやら…うっすらとした光と、その明かりに照らされて揺れ動く人影のようなものが見える。
その様子を確認した姉さまが、目をまんまるとさせてぼくのほうを見てきた。
ぼくは…そんな姉さまを急いで立たせると、そのまま相手が来るのと反対の方向へと忍び足で走り出したんだ。
静かに…だけど急いで…!
足音を立てないように細心の注意を払いながら、ぼくたちは…その足音から必死で逃げていった。
緊張のあまり、早鐘を打つようなスピードになった自分の心臓の音が、耳の中にこだまする。
最初の曲がり角を曲がったときは、思わずハーッと息が漏れた。
姉さまは、極度の緊張感からか…少しだけガタガタと震えている。
…姉さまらしくないな。さすがの姉さまでも怖かったのかな。
こんな状況にふさわしくもない不謹慎なことを、ぼくはつい考えてしまう。
でも、それくらいの気持ちを持っていないと…緊張感に押し潰されてしまいそうだった。
「大丈夫?姉さま。ぼくも一緒に居るから落ち着いて」
「…あ、あんたにそんなことを言われるとは思わなかったわ」
キッと鋭い目つきでぼくをにらみつけてくる姉さま。どうやら少しだけ調子が戻ってきたようだった。
そこでぼくは、勢いにまかせて…曲がり角で少しだけ顔を出して、足音の人物の姿を確認しようと試みた。
コツ…コツ…
どうやら相手の人物は、いま向こうの角を曲がったところのようだ。
ランプのようなものを持った…ローブを着た人物の姿がかろうじて確認できる。
「誰か来たっ!…人間のように見えるけど、お父様たちではないのは間違いない。…姉さま、逃げよう!」
ぼくは再び姉さまの腕を引っ張ると、さらに奥の道へと進むことにしたのだった。
薄暗い通路は、どこまでも続いているようだった。その中を歩くというのは、心理的にかなり辛い状況だった。
姉さまが、本当にらしくもなく震えているのが分かる。
…もちろん、ぼくだって怖い。
だけど…このときはなぜか「怖い」という気持ちよりも、「自分がしっかりと姉さまを導かなきゃ!」という気持ちのほうが強かった。
だから…ともすれば折れてしまいそうな心を奮い起こすと、姉さまを一生懸命励ましながら慎重に歩を進めていったんだ。
コツ…コツ…
それでも、後ろから迫ってくる足音が止むことはなかった。
どうやら先方は、明らかにこちらを目指して向かってきているようだった。
まずいな…バレたのかな。
…どこか隠れるところはないかな。
ぼくは額を流れる汗をぬぐうと、必死になって…目を凝らして通路の先を見た。
でも、その先には長い通路が続いているだけで、扉や曲がり角は見えてこない。
姉さまの手を握り締める手に、ぎゅっと力が入る。
「…カレン?」
「…どうしたの?姉さま」
「あんた…ずいぶん頼もしくなったね」
「…こんなときに何を言ってるの?そんなことよりも早く逃げようよ」
と、そのとき。
姉さまが急にぼくの手を離した。
その行動の意味がわからず、ぼくは思わず「えっ!?」と声を上げながら姉さまの顔をマジマジと確認する。
姉さまは…少し疲れた表情を浮かべながら、ぼくのほうを見返してきた。
「…あたしはここに残る。カレン、あんただけ先に逃げなさい」
はぁ?
唐突な姉さまの台詞に、ぼくは思わず…呆れた声を上げてしまった。
だけど姉さまは、そんなぼくの反応にもめげず…さらに言葉を続けた。
「あたしがここで時間を稼ぐ。だからあんたは…」
「なにバカなこと言ってるんだよ!そんなこと言ってないで一緒に逃げようよ!」
「あんたに何かがあったら、ハインツ公国はどうすんのよ!これまであたしたちが必死にあんたのことを守ってきた意味がなくなるじゃない!」
「必死に…守ってきた?」
ぼくの言葉に、姉さまは…自分の失言に気付いたようだった。しまった、というような表情を浮かべてぼくから目を逸らす。
今のは…どういう意味だろうか。
姉さまの言葉の意味を考えて、ぼくの頭の中にいろいろなことがグルグルと回る。
…だけど、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
カツ…カツ…と、こちらに向かってくる足音が早くなっている。
まずい…どうやらいまの騒ぎで完全に見つかってしまったようだ。
「いけない。ここはぼくが守るから、姉さまが逃げて!」
「だから、あんたを残していけるわけないでしょ!?」
「ハインツのことだったら、姉さまに任せるよ!だから…逃げて!」
だけど…もう間に合いそうもなかった。
曲がり角のすぐそばにまで足音とランプの光が迫っている。
ぼくは勇気を出して…腰の短剣『貫き丸』を引き抜いた。
そして、姉さまをぼくの後ろにさっとかばう。
…どこまで出来るかなんて、わからない。
だけど、こうなったら…やれるだけやってやる!
ぼくは…男なんだ!!
ぜったいに姉さまを…守ってみせる!!
そして、ついに…
人影が…コーナーを曲がって、ぼくたちの目の前に姿を現したのだった。
その人物は、フードを目深にかぶった…ローブを身にまとった人物だった。
口元だけが見えているものの、その目元はフードのせいではっきりと見えなかった。
ぼくは、短剣を両手で握ると、その人物に対して必死に突き出した。
たとえ『禁呪』が発動しようと…姉さまは絶対に守ってみせる。
「ぼ、ぼ、ぼくが相手だっ!!」
自分の声が震えていることに、声を出してみて初めて気付いた。
あぁ…自分は怖がっているだなぁ。
妙に冷静にそんな自分を受け入れていた。
「ば、ばかっ!あたしが…」
そう言いながら、姉さまも腰の剣を抜く。
さぁ、相手はどう出てくるのか…
じっとローブの人物を見つめるぼくたち二人。
だけど…相手は動かなかった。
ぼくたちを見たまま、その動きを止めていた。
…あれ?
どうしたんだろう?
様子が変なことに気付いたぼくは、少し構えを解いた。
すると、その動きに気付いた相手が…ついに声をかけてきたのだった。
「あの…あなたがたはもしかして、『ハインツの双子』の王子と姫ではないですか?」
ローブの人物から漏れてきた声は、予想外なことに…とても優しい感じの女性の声だった。
その…この場に似合わぬ女性の声に、驚いた姉さまも手にした剣を下ろす。
その様子を確認した相手の女性は、ゆっくりとフードを脱いだ。
そこから…さらりと長い黒髪が流れ出てくる。
その人物に、ぼくは見覚えがあった。
その人物は…なんと…
「あなたは…もしかして、パシュミナさん?」
「はい、そうですが…どうしてあなたがたがこの『グイン=バルバトスの魔迷宮』にいらっしゃるのですか?」
そう、彼女は…『明日への道程』のメンバーで、『魔族』の…パシュミナだったのだ!
ぼくは、なんだか安心して思わずはーっと安堵の吐息を漏らした。
だけど姉さまは…油断無い表情でパシュミナを睨みつけている。
「カレン…なに安心してるのよ!相手は…『魔族』よ?」
「え?だってお母様たちが言ってたじゃない。パシュミナは違うって…」
そうやってヒソヒソ話をしているぼくたちを観察したパシュミナは…少しだけ悲しそうな表情を浮かべながら、ぼくたちに語りかけてきた。
「まぁ…ここでの立ち話もなんですから、あちらに行きましょうか?」
「あちら…?」
「ところでここ、何階なの?」
「ここはですね、魔迷宮の地下四階にある『図書館』の別館の通路になります。以前私が封印されていた場所が、このあたりなのです。あちらのほうに…いま私たちが滞在している『図書館』の本館があります」
「「四階!?『図書館』!?」」
パシュミナの言葉にぼくたちは色めき立った。
なんとぼくたちは…最初から目的の場所に飛ばされていたのだ。
あ、でも「私たち」って言ってなかった?
もしかして、他に誰か居るの?
「あ…いらっしゃいますよ。
おそらくはあなた方がここまでいらっしゃった理由である…エリスさんが」
「本当にっ!?」
ぼくは、その言葉をとたんに目の前の世界が明るくなるのを感じた。
エリスは…無事だ!
しかも、すぐ近くに居る!
「あんた…『魔族』の言うことなんて信用するの?」
「信用もなにも、あの人は大丈夫だと思うよ。なんだかとっても優しいし…」
「でもワナかもしれないっしょ?」
「こんなか弱いぼくたちにワナなんか仕掛けたって意味ないよ。それに…もし本当にパシュミナが敵だったら、こんな回りくどいことしなくたって簡単にぼくたちを仕留められるしね」
「そ…それもそうね」
こうして、姉さまの説得に成功したぼくたちは…素直にパシュミナのあとをついていくことにしたのだった。
「しかし…『転移』の魔力を感じて確認しに来てみたら、あなたたちが居るとは思いもしませんでした」
「えっ?ぼくたちが飛ばされたの、わかったの?」
道中、ぼくたちを落ち着かせるために語りかけてきたパシュミナの話に、ぼくはつい驚いてしまった。
「はい。なぜなら…あなた方が飛ばされた『転移』の魔法は、『七大守護天使』の皆様にだけ伝えられた…『魔迷宮』の中からこの『図書館』に直接転移できる『禁呪』なのです。
元々は私の監視をするために作られた『近道』だったのですが…いつの間にかそういう使われ方をするようになったみたいですね」
「ええっ!?じゃあ…ヴァーミリアンは最初からここにすぐ飛んでくることが出来たんだ!」
呆れ果てて、思わず大声を上げてしまうぼく。
事情が分からず戸惑うパシュミナに…お母様に飛ばされたことを簡単に説明すると、すぐに合点がいったようだ。
「なるほど、どうやって『転移』してきたのか気になってたのですが…そういうことだったのですね。てっきり私は…迷宮内を探索していたレイダーさんたちが帰ってきたのかと思いましたよ」
「…まいったなぁ。ぼくたちは全部お母様たちの手のひらの上で踊らされてたんだね」
ぼくたちの身の安全は、どうやら最初からお母様たちに保証されていたようだ。
恐らく今頃は…心置きなく『敵』と戦っていることだろう。
そんな感じで話しているうちに、どうやら目的の場所にたどり着いたようだった。
ぼくたちがたどり着いた場所。そこは、大きな扉の前だった。
「ここが…『図書館』の本館です」
パシュミナはそう言うと、懐から何かカードのようなものを取り出し、扉にそれを押し当てた。
すると…扉がゆっくりと左右に開く。
ふわっと、乾燥した空気が室内から流れ出てきた。
…部屋の中は、思ったより広かった。
パッと見た感じで、相当の数の魔法書が所狭しと詰め込まれた本棚が、大量に保管されている。
すると、その本棚の奥の方に…一人の人物の姿があった。
こちらを振り向くことなく、立ったまま本をパラパラとめくっている。
髪の毛を首の後ろで束ねてはいるが、見間違いようもない。
紅茶色の髪の少女。
彼女は…
「パシュミナさん?『転送』の反応は…いかがでしたか?レイダーさんたちの『討伐』が終わったんですかね?」
彼女の問いかけに、パシュミナが含み笑いをしながら返事を返す。
「いいえ、それがですね…なかなか面白い拾い物をしたんですよ?」
その言葉にゆっくりと顔を上げたこの女性。
その顔は、見間違いようもなく…
「……エリス……」
「……えっ?」
エリスの瞳が…ぼくたちの姿を確認して、一瞬揺らめいた。
バサリ…と音がして、手にしていた本が地面に落ちる。
ハッとした表情を浮かべたまま、エリスは口を押さえて…ブルブル小刻みに震え出した。
そんなエリスに、ミアが少しバツの悪そうに片手を上げた。
それに同調するように、ぼくも…軽く手を振ったんだ。
次の瞬間、エリスの両目から…大量の涙がポタポタと流れ落ちた。
「うそっ…」
なにかを言おうとするものの、言葉にならない様子のエリス。
だから…仕方ないから、ぼくのほうから声をかけたんだ。
「帰りが遅いよ、エリス。あんまり遅いから…ぼくたちのほうが迎えに来ちゃったじゃないか」
「カ…カレン!?ミア!?」
エリスは…ボロボロに泣きながら、ぼくたちに向かって飛びついて来た。
そんな彼女を…ぼくと姉さまは、一緒にしっかりと抱きとめた。
ふんわりと香る、優しい香り。
懐かしい…エリスの匂いだった。
ぼくたちにしがみついてワンワン泣き出すエリス。
そんな彼女を、ぼくは…優しく抱きしめて、頭を撫でてあげたんだ。
こうしてぼくたちは、無事にエリスと再開することに成功したのだった。
はーっ、エリスが無事で本当に良かった!!




