5.生き地獄…その名は『成人記念祭』
そして、運命のその日がやってきた。
ぼくたちがこの世に生を受けてからちょうど丸15年。
ハインツ公国の双子の15歳の誕生日をお祝いする『成人記念祭』が、いよいよ開催される。
式典は、正午から行われる予定だった。
その日までの間、ぼくは部屋に引きこもって事前情報のシャットアウトをしていた。
式典のことについて変な話を聞かされるくらいだったら、なにも知らない方がまだマシじゃないかと思っていたからだ。
幸いなことに、ぼくには事前にやらなければならないことはほとんどなかった。
一度だけ…姉さまに連れられた女性に、体の寸法を測られたくらいだ。
ぼくが『王子様』だったらこうはいかなかっただろう。
皮肉なことに『姫』となったことが、このときのぼくを救っていたんだ。
『成人記念祭』のその日、ぼくは少し緊張しながら目が覚めた。
目覚めると同時になにか違和感のようなものを感じる。
なんとなく、ハイデンブルグの街全体がザワザワしているような…そんな奇妙な感覚。
…どうしてこんなざわつく気配がするんだろう。
もしかして…。いや、まさか。
だけど、ぼくはあえてその違和感から目をそらすことにした。
今日のぼくに、現実に正面から向き合う精神的余裕は全くなかったから。
朝ごはんを食べ終わると、ドアのノック音とともに二人の人物がぼくの部屋にやってきた。
一人は予想通り姉さま。
…もうひとりは予想外の人物だった。
「やっほー!カレン王子、ひさしぶりー!」
「あっ…サファナ!」
そう、やって来たのはサファナだった。
今でこそ新進気鋭のファッションデザイナーとして有名なサファナだけど、実は彼女とぼくたち双子は、昔からの知人だっだ。
…というのもこのサファナ、実はマダム=マドーラの娘なのだ。
マダム=マドーラがぼくたち双子の乳母だった関係で、幼いころはよく遊び相手をしてくれた…いわゆる『幼馴染』というやつだ。
大人になった今では、王城にある様々な美術品を鑑賞することによって磨かれた…美的センスを生かして、世界的に有名なファッションデザイナーとなっていた。
サファナはぼくにとっては…もう一人の『姉』のような存在だった。
「驚いた!
どうしてここに…?
あ、もしかしてぼくたちのお祝いに来てくれたの?」
「えっ?
って、カレン王子…聞いてないの?」
メガネをくいっと上げて横にいる姉さまのほうを振り向くサファナ。
姉さまは両手をふっと横に上げた。
「…そっか、聞いてないのね。あたしがあなたたちの今日の衣装を担当しているのよ」
「えっ?ええええっ!?」
そんなことまったく聞いていなかった。
今日の服装については、ぼくは駄々をこねて、なるべく露出の少ない地味めな衣装を選択する予定だったのだ。
でもこれでは…そんなことをする余地はない。
「で、でもサファナはぼくのこと…」
「ええ、聞いてるわよ。大変だったわねー。
でもあたしにまかせといて!
バッチリの衣装作ってきたからさ。
なんたって、あなたたちの晴れの舞台だからね…張り切っちゃったわよー」
サファナはうれしそうに手をポキポキと鳴らす。
…まぁでも、ほかの知らない人に衣装を用意されるよりはマシだったかな。
ぼくは半ば諦めながら、サファナの言うとおりに従うことにしたんだ。
「…ほんっと、肌がきれいね…。
びっくりするくらい化粧乗りがいいわ」
サファナに化粧をされながら、ぼくはため息をついていた。
正直、そんなことを言われてもなんにも嬉しくない。
「でも、今回はよく仕事を受けたね。
すごく忙しいんじゃない?
姉さまからものすごい売れっ子になったって聞いたけど…」
ぼくの問いかけに、サファナはケタケタと笑った。
…あの、マダム=マドーラの娘とは思えないほど、あけっぴろげな性格の女性だったが、笑うとマダムの面影を感じる。
「あはは。そんなの、あなたたちのためなら何よりも優先するわよ。
それに、いまとなってはあたしよりもあなたたちのほうが有名人じゃない?」
「…えっ?」
ぼくは、サファナの放った言葉に聞き捨てならないものを感じた。
ぼくたちの方が…有名人だって?
「サファナ、いまなんて言った?」
「え?いま?
あなたたちのほうが有名人だって…」
「そ、それって…どういうこと?」
ぼくは、なにか恐ろしい予感がしていた。
なにか…大事なことを見落としていたような、そんな予感。
「えー?何言ってるの。
あの『写真集』のおかげで、いまとなっちゃ、あなたたち双子は超有名人じゃない。
この国で…というより、近隣諸国で知らない人はいないくらいよ」
「ちょ、ちょ、ちょっとまって!!
どういうこと?『写真集』ってなにっ?!」
ぼくの言葉に、サファナは目をまん丸にしてぼくのほうを見つめた。
口をぱくぱくと開けて、絶句している。
「えっ…?
もしかして、あなた、知らないの?」
「ぼくは知らない!何も知らない!
いったい…なにが起こっているの?
ねぇサファナ、教えて…」
「そ、そう。
じゃあ教えるわ…。
だけど、気を確かに持ってね」
そして…ぼくは知ることになる。
1年前の出来事…『写真集事件』を。
それに起因する、一連の騒動を。
それは、ぼくがまったく知らなかった『真実』だった。
サファナの一通りの話が終わる頃には、お化粧や着替えなどの…ぼくの準備は完全に終わっていた。
だけどぼくは…そんなことに気づかないほど、完全無欠に自失していた。
正直、サファナの話したことが現実のこととは思えなかったのだ。
「ねぇ、サファナ。
その話が事実だとすると…もしかして今日は…」
震えながら質問するぼくに、サファナは精一杯憐みの表情を浮かべて答えてくれた。
「ええ、そうよ。
カレン王子が想像する通り…あなたたちの『成人記念祭』には、ものすごい数の観衆が集まるわ。
たぶん、そうねぇ…一万人以上かな」
「い、一万人!?」
とんでもない数字が出てきて、ぼくは一瞬で血の気が引いた。
一万人なんて数字を集めるイベントを、ぼくは他に聞いたことがない。
そ、そんな観衆の前でぼくは…
「ぼ、ぼくは…い、一万人の前で…じょ、じょ、女装を、しなきゃならな…」
「一万人じゃないよっ!!」
と、そのとき。
突然部屋の扉が開いて、既に正装を終えた姉さまがズカズカと入室してきた。
目が覚めるような白いタキシードに、情熱的な赤い色のシャツが目に映える。
後ろで束ねられた流れるような銀髪は、まるで空から差し込む太陽の光のよう。
どこからどう見ても、最高にカッコイイ…モデルみたいな『美少年』だった。
「あら、ミア姫!
一人で着替えちゃったの?
ずいぶん男前になったねぇ!」
「そりゃあ、身体は女のままだからね。
バレちゃうから、さすがに手伝ってもらうわけにはいかないよ」
そう言いながら、こちらにウインクをしてくる。
…んー、悔しいくらい男前だ。
…いやいや、いまはそんな話ではない!
「ちょっと姉さま…!!
姉さまは、ぼ、ほくを騙したねっ!?
こんな話、聞いてないよ!?」
「なにを人聞きわるいことを。
あたしはだましてなんかないわよ。
あんたが聞かなかっただけでしょ?」
なっ…!?
姉さまは、ぼくに真実を告げていなかったことを謝るどころか、まさかの完全開き直り!
そのあまりの態度に、ぼくは完全に絶句してしまう。
そんなぼくを横目に、サファナが別な質問を姉さまに投げかけていた。
「ねぇミア姫。観衆が一万人じゃないって言ってたけど、どういうこと?」
「あぁ、今ちらっと外を見てきたんだけどさ。
確かに会場には、広さの関係で一万人くらいしかしか入れないけど…外に溢れてる状態でさ。
沿道まで含めると、10万人規模のイベントになってるみたいなのよ」
「…えっ?」
ぼくはその言葉に、一瞬で我を取り戻した。
…10万人?
それは、このハイデンブルグの総人口と同じ数てはないのか?
「あーそうそう、言い忘れてたけどさ。
今日は来賓で諸国の王侯貴族もご出席されるそうだから!
街全体の人たちが参加する祭りに、豪華な来客!
こりゃ…ハインツ公国の歴史が始まって以来のビッグイベントになるね!」
「うわああああああぁああぁああぁあぁああぁああぁ」
その瞬間、ぼくの最後の精神は崩壊した。
そしてぼくは…絶叫した。
それは…魂の叫びだった。
「ぜったいやだぜったいやだぜったいやだぜったいやだ」
「おーい、もう諦めなって。
ここまで来たら逃げれないよ?」
ここは会場にある控え室。
両耳を塞いで自分の殻に閉じこもってしまったぼくを、姉さまは無理やり引っ張っていった。
「ね、ね、姉さまのこと、ぜったい許さないから」
「なんでよ!?
あたしだって、まさかあんたが一年前の写真集のこと知らないなんて思わなかったよ!
逆恨みだー!冤罪だー!」
いーや、ぜったい確信犯だ。
ぼくは姉さまの顔を見て確信していた。目が完全に泳いでるし。
だてに生まれた時から一緒だったわけではない。
そんな感じで姉さまを睨みつけていると、ぱーんという音とともに花火が鳴る音や音楽隊が楽器を奏でる音が聞こえてきた。
…いよいよ、ぼくたちの『成人記念祭』の開幕だ。
「ってなわけで、どっちにしろもう時間切れだよ。
あたしが先に出てるから、あんたも諦めて出てきなさいねっ!」
姉さまはそれだけ言うと、返事も待たずに控え室から飛び出して行ってしまった。
…あとには、呆然としたまま見捨てられた、ぼくだけが残っていた。
------------------
…そう。
こんな感じだったんだ。
ぼくは、なぜ自分がこのような状況に陥ってしまったのかをすべて思い出した。
…結局ぼくは周りの人たちに巻き込まれて、今のような理不尽な状況に置かれているのだ。
王城前の広場を埋め尽くす圧倒的な数の観衆。
響き渡る華やかな歓声。
それらを前にしてぼくは…『禁呪』が発動するまでもなく、強烈な目眩がしていた。
ただでさえ大勢の人の前に出るのが苦手だというのに…
今回はその数なんと1万人!
しかもその観衆の前で女装をさせられているという今の状況!
これを拷問と言わずしてなにを言おうか!!
ぼくはただただ、恨んでいた。
ぼくにこんな変な呪いをかけた母を。
ぼくをこんな状況に追い込んだ姉を。
…それだけではない。
ぼくたち双子をどうにかしようと母に相談した父を。
追従したマダム=マドーラやスパングル大臣を。
なにも知らずに歓声を上げている観衆を。
…そして、そんな状況を受け入れている自分自身を。
周りの人たちに逆らうこともできずに、ついつい流されてしまう自分自身に、ひどく絶望していた。
結局自分が置かれた今の状態は、自分自身が招いたものなのかもしれない…
そう思ってしまったから。
「ほら、あんたも観衆に応えて手でも振りなさいよ」
肩を支えている姉さまにそう言われ、ぼくは壊れた魔道具のおもちゃのように軽く手を振った。
すると…途端に観衆が、わぁっ!と沸いた。
「ほーら、みんな喜んでくれてるじゃんか?」
姉さまに背中を押され、ぼくは乾いた笑みをうかべた。
それだけで、さらに観衆が沸く。
…今度は、どわぁっ!!という感じだ。
姉さまは嬉しそうに観衆に手を振って、大地を揺らす歓声に応えていた。
おまけに、時々投げキッスなどまでしている始末。
いったいなぜ自分が、こんな酷い目に合わなければならなかったのか。
ぼくは、もう全てがイヤになっていた。
いますぐにでもこの場から逃げ出したかった。
そしてぼくは…
『禁呪』を発動させることなく…
本当に可憐に…
まるで、月の光の残滓が地上に降り注ぐかのように…
ふらっと倒れたんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ミア姫、倒れる。
これが、『成人記念祭』の最大にして最後のイベントとなった。
多くの観衆は、ミア姫のあまりにか弱く可憐な様子に、心を打たれ…そして熱狂的なファンとなったのだった。
ハインツ公国中が興奮の坩堝と化した『ハインツの双子の成人記念祭』は、こうして幕を閉じた。
だが、この日を境に…
カレン王子は自室に引きこもって、誰が声をかけても出てこなくなった。
唯一食事だけは…部屋の前におかれたものをかろうじて食べていた。
だが、誰の声も聞かず、誰の説得にも応じず…
完全な引きこもりとなってしまったのだった。