43.歴史に埋れた真実
「…あの『魔戦争』の発端となったのは、一人の魔法使いだったというのは知っておるな?」
クルード王の質問に、ついさきほどその話をしたばかりのカレンたちは首を縦に振る。
「たしか…悪魔に堕ちた『原罪』アンクロフィクサが、『魔界の門』を開いてしまったことが事の発端でしょ?」
「うむ。世間的には確かにそう伝えられている。
だがな…真実は若干異なるんだ。そのあたりは『精霊の儀式』とも似ているのかもしれんな。
…真実を知らないほうが救われる人たちが多い、という意味でな」
そう言うと、お父様は…世間には知られていない『魔戦争』の真実を、ぼくたちに話してくれた。
それは…とても悲しい恋の物語だった。
あるところに、同じ年の二人の青年がいた。
彼らは別々の場所で生まれ育った。
性格も、姿かたちも全く異なる二人。
しかし…運命は二人を結びつけた。
二人は、これまでの歴史の中で並ぶものがないほど優秀な魔法使いだった。
天は、同じ才能を持つものを…同じ時代に産み落とした。そう噂された程だった。
ゆえに、同時に入学した『ユニヴァース魔法学校』で、彼らは互いのことを知ることになる。
共に学び、共に成長していくことになるこの二人。
二人の青年の名は…一人をパラデイン。
もう一人を…アンクロフィクサといった。
史実によると、アンクロフィクサは金髪金眼の美青年だったらしい。
対してパラデインは…優しい面立ちながら、強靭な肉体を持つ人物だ。
彼らは、似ても似つかぬ容姿ながら…共に優れた魔法使いであったことから、すぐに親友となった。
常に互いに切磋琢磨し、上を目指して良いライバル関係を築いていた。
しかし…そんな関係も、あることから崩壊することになる。
それが、一人の女性の出現だった。
その女性こそが…のちに七大守護天使と呼ばれることになる、『聖女』クリステラだった。
それまで休みなく話をしていたクルード王が、ここでお茶を口にするために一旦小休止した。
ぼくたちはお父様の話に…ひどく衝撃を受けていた。
「お父様…その話、本当?」
ミアが小声になりながら、その事実をお父様に確認する。その気持ちはぼくも同じだった。
なぜなら…『原罪』アンクロフィクサの過去については、これまで一切どこにも明かされていなかったからだ。
事実、魔戦争について記載されたどこの歴史書にも、彼の出自その他の情報は記載されていなかった。
「うむ、これは事実だ。二人は友人同士だったのだそうだ。このことは…パラデイン本人から聞いたから間違いない」
だけど、この話は…もう一つ別の事柄を暗示していた。
『原罪』アンクロフィクサをうち滅ぼしたのは、史実では『聖道』パラデインであると伝えられていた。
ゆえに、もしクルード王の話がすべて事実であったとするのであれば…
「じゃあ、『聖道』パラデインは…親友であるアンクロフィクサを…」
「うむ。そのことを、これから話そう」
ごくり…
ぼくは知らぬうちにつばを飲み込んでいた。
クリステラは、神聖スカイフォート帝国出身の巫女だった。
彼女は…美しいというよりも、優しく気高い女性で、幼いころから高い魔力を示しており、在学中には天使に目覚めるという快挙を成し遂げた逸材だった。
そんな彼女に、二人の青年は恋をした。
アンクロフィクサは…誰もが振り向く美青年だったにもかかわらず、真面目な性質の持ち主だった。
ゆえに、このときの彼は…その美麗な容姿に似合わず、正攻法で真正面からクリステラにアプローチしたらしい。
だが…クリステラが彼に振り向くことはなかった。
アンクロフィクサに先駆けて天使となった、体力と気力に満ち溢れた男らしい男性…パラデインを、彼女は選んだのだ。
その後、しばらくは大人しくしていたものの…アンクロフィクサは彼女のことを諦めたわけではなかった。
自分がダメなわけではない。天使同士で惹かれあっただけなんだ。
…彼はそう考えていた。
やがて彼は、『天使の器』を手に入れて『天使』となる。
これまで以上に強大な力を手に入れた彼は、クリステラに再度アプローチをしたらしい。
どうやら…自分より先に天使になったパラデインと同格の強い力を手に入れたことで、クリステラに見合う存在になったと考えたようだ。
だが…クリステラがアンクロフィクサの気持ちに応えることは、最後まで無かった。
結局彼女はそのまま…ライバルであるパラデインの元を離れることはなかった。その後まもなく、二人は結婚する。
…結婚を機に、パラデインとクリステラは魔術の世界から距離を置くことを決意した。
そしてそのまま…平凡な暮らしをするために、人里離れた山奥へとその身を隠してしまったのだった。
二人の結婚…そしてライバルと考えていた二人の、魔術の世界からの転出。この事実に、アンクロフィクサは大変落ち込んだのだそうだ。
親友と初恋の人を同時に失った…そう思ったのかもしれない。
そんな彼に、さらなる追い打ちがかけられた。
クリステラの妊娠である。
元気な男の子…のちの『英雄』レイザーを出産するにあたって、最後の心の拠り所を失った彼は、ついにこの世に絶望してしまう。
私は、この世界で大切に思っていたものをすべて失ってしまった。
私にはもう、魔術しか残されていない。
これだけが…私の生きる意味だ。
アンクロフィクサはそう宣言すると、魔法学校を飛び出して行ったのだそうだ。
行方不明になった彼は、それからしばらく歴史の闇に隠れてしまう。その間、さらなる強大な力を求めて…魔力の向上に没頭したのだろう。
そして彼は…決して手を出してはいけなかった禁断の研究に手を染めてしまうこととなる。
それが…魔薬の開発。のちに『悪魔薬』と呼ばれることになる薬の発明だった。
「『悪魔薬』…」
その禍々しい単語に、いち早くエリスが反応した。どうやらその存在を知っているようだ。
「エリスはその薬を知ってるの?」
「うん。禁制薬物に指定されている、とても危険な薬だよ。
使用すると一時的に魔力が増強される効果があるんだけど…強い常習性と精神に異常を来たす副作用があって、乱用すると…『天使』が『悪魔』に『堕落』してしまう恐ろしい薬なんだ」
「そ、そんな薬を開発するなんて…」
エリスの説明を聞いて、ぼくは身震いしてしまう。
彼…アンクロフィクサは、どれだけ人の道を踏み外してしまったのだろうか。
「ふむふむ、エリスどのは禁制薬物について詳しいようだな。さすがは優秀な魔法使いだ。
…オホン。さて話を戻そう。
そんな訳で、アンクロフィクサは魔力という『力』に取り憑かれてしまうわけなのだが…
その結果、お前たちも知る通り…人々に甚大な被害を及ぼすことになるのだ」
クルード王はそう口にすると、厳しい表情を浮かべたまま、物語の続きを話しはじめた。
それから数年後。
力を求めて悪の道に染まっていったアンクロフィクサは、ついに『魔界の扉』を見つけたのだという。
この『魔界の扉』がどういうものなのか、詳細は伝わっていない。
ただ…この扉が開いたと言われて以降、数多くの魔物が世界中に出現したことから、魔法による『扉』の一種ではないかと考えられている。
そしてこの時点で、アンクロフィクサの精神は…完全に暗黒に染まっていたらしい。身も心も、すでに『悪魔』に『堕落』していたのだそうだ。
彼にはもう、夢も希望もなかった。
ただ、この世界が滅ぶことだけを望んでいた。
その結果、彼は大きな罪…『原罪』を犯すこととなる。
人類を恐怖のどん底に陥れた『原罪』。
それは…『魔界の扉』を開けてしまったことだった。
アンクロフィクサは『魔界の扉』を自在に開けることが出来たらしい。伝承ではその扉からは数多くの魔物が出現したと伝えられている。
魔獣、魔生物、魔人、魔族…
この中で、特に問題となったのは魔族だった。
魔族とは…魔界に生きる住人である魔人の貴族階級に当たる存在だ。
そして、魔族のもっとも恐ろしい点は、全ての魔族が強大な魔力…『悪魔』の力を持っていることだった。
先の戦争では…幸いにも魔族は、わずか四体しかいなかった。
『魔貴公子』スケルティーニ。
『凶器乱舞』パシュミナ。
『魔傀儡』フランフラン。
そして、『魔王』グイン=バルバトス。
…魔族はすべて『魔将軍』となっていることから、その恐ろしさが分かるというものだろう。
そして、その中でも最強の存在だったのが、『魔王』グイン=バルバトスだった。
このときアンクロフィクサは、この魔王と…ある盟約を交わすことになる。
その盟約とは…『アンクロフィクサが魔族や魔人をこの世界に出現させる手助けをする代わりに、魔物たちは…彼が人類を滅ぼす手伝いをする』というものだったそうだ。
この盟約を締結したとき、人類史上最大の罪を犯した者…『原罪』アンクロフィクサが誕生したのだった。
こうして『魔将軍』の一人となったアンクロフィクサは、この後…己の望み通り、魔物たちと共に世界に戦争をしかけることとなる。
これを…後世の人々は、『魔戦争』と呼んだ。
『魔戦争』は、数多くの犠牲を出した。
最初は圧倒的に攻められていた人類であったが、各地で蜂起した『魔戦争の英雄』たちの力によって、徐々に戦況は好転していく。
そして、最終的には…魔王が創り上げた『グイン=バルバトスの魔迷宮』に乗り込んでいったパラデインとクリステラによって、『原罪』アンクロフィクサと『魔王』グイン=バルバトスが討ち取られることで、この戦争は終結したのだった。
「そんな…悲しい出来事があったんだね」
お父様の話を聞いて、ぼくはなぜかとても悲しい気持ちになった。
正直、ぼくにはアンクロフィクサの気持ちはわからない。
彼がどんな恋をしたかなんて知らない。
だけど…もし自分の好きな人が自分のもとを離れてしまったら。そのときぼくは、どんな気持ちになってしまうのか。
たとえば、もしも仮にエリスが他の誰かのものになるのだとしたら…そのときぼくは、平気で居れるのだろうか。
その答えだけは、すぐに出すことができなかった。
そんなことを少し考えただけで、ぼくの胸は…とても息苦しくなったんだ。
重苦しい雰囲気が部屋中を支配する中、お父様は話を続けた。
「これが『魔戦争』の真実。…発端の事件のあらましだ。
もしアンクロフィクサが普通の力しか持たない人間であったならば、こんなことは起こらなかったかもしれない。
あるいは彼が、失恋を乗り越えるだけの心の強さを持っていたのであれば、避けられた未来だったかもしれない。
だが現実としては…この戦争は起こってしまった。
だから、わしらは肝に銘じなければならない。
力とは…時に大きな責任を持つのだということを。
その力を持つものが、道を過つだけで…大きな悲劇が起こってしまうということを、な」
エリスが、真剣な表情を浮かべながら話を聞いていた。
ぼくや…普段はおちゃらけている姉さまでさえも、お父様の話に素直に頷く。
そんなぼくたちの反応に満足げな表情を浮かべながら、お父様はさらに話を続けていった。
「そして、この戦争が真の悲劇たる所以はな…
こうした悲しい出来事が『連鎖してしまった』…という点にあるのだよ。
おまえたちは七体の『魔将軍』のことは知ってるよな?
この『魔将軍』にはな、人類…すなわち悪魔に堕ちた人間が二人おった。
一人は…先に述べた『原罪』アンクロフィクサ。
そしてもう一人が…『暁の堕天使』ミクローシアだ。
実は、このミクローシアはな…七大守護天使『賢者』ロジスティコスの娘なのだよ」
「うそっ!?なんで…七大守護天使の娘がそんなことに!?」
「……それもまた、恋の仕業だったのだよ」
そう言うと、お父様は…『魔戦争』によってもたらされた、知られざる悲劇のエピソードを話し始めた。
それは…もうひとつの報われることのない恋の物語だった。
ミクローシアは、当時『ユニヴァース魔法学校』の学生をしていた。
そして…失恋して魔術に没頭していたアンクロフィクサに恋をしたらしい。
彼女は、見目麗しく、魔法の才能溢れ、影を背負ったアンクロフィクサに夢中になった。
そしてミクローシアは…アンクロフィクサに付き従うように…魔道に身を沈めることとなってしまった。
だが、どれだけミクローシアが献身的に尽くしたとしても…最後までアンクロフィクサが彼女に振り向くことはなかったのだという。
ロジスティコスには、ミクローシアの他にもう一人優秀な息子が居た。
彼は若くして天使となった優秀な人材だった。
当時魔法学校で教鞭を取っていた彼は、教え子であるアンクロフィクサを止めようとした。
彼は、あと一歩のところまでアンクロフィクサを追い詰めたのだという。
だが…それを阻止して、かつ彼の命を奪ったのは…妹であるミクローシアだった。
結果、彼女は『魔将軍』の一人、『暁の堕天使』ミクローシアとなった。
この事実を知って深く絶望したロジスティコスは、自らの手で決着つけるために立ち上がった。
そして…のちに彼は、激しい戦闘の末に、最愛であるはずの自分の娘を、自らの手で討ち取ることになる。
これもまた…魔戦争が生んだ悲しい悲劇の一つだった。
「ロジスティコスは可哀想だね…まさか自分の娘を手にかけることになるなんて…」
「ロジスティコスはな…もっとも辛い選択をしたのだよ。同じ親として、胸が痛むような…
以前彼はわしに話してくれたよ。『自分はあの戦争で、息子と娘という…かけがえのないものを両方失ってしまった。さらには、娘をこの手に掛けたことで、人間として大切な何かをも失ってしまったのかもしれない。七大守護天使の称号も、自分にとっては子殺しの証でしかないのだよ』…っとな。
こんな悲しい言葉が、他にあるかね?」
その言葉に、ぼくたちは何も答えることができなかった。
それくらい…重い現実だったから。
「そっか…ところでさ、ずっと気になってたんだけど。結局お父様とお母様はどの『魔将軍』を倒したの?」
そんな重苦しい雰囲気を打ち壊すかのように、姉さまががらっと口調を変えて問いただした。
するとお父様は…それまでの悲しい表情とは打って変わって、戦士のような厳つい笑みを浮かべながら答えてくれた。
「はっはっは、わしがヴァーミリアンと一緒に倒したのは、『土龍』のベヒモスだよ。ちなみにベヒモスと『魔獣王』ガーガイガーは…分類としては『魔獣』に当たるな」
「ふーん。でもさ、その『土龍』って通り名、一年前…もう二年近く前になるのか…あのときファーレンハイトの街を襲った魔獣『火龍』に呼び名が似てるね?なんか関係あるの?」
「なかなか鋭いな、そのとおり!
やつらは『四天龍皇』と呼ばれる…四体居る竜の親玉なのだよ。
それぞれが土、火、水、風を象徴しておってだな……」
「あー、ストップストップ!もう今日はそれ以上新しい専門用語はいらないよ!」
もはやついていけなくなった…というか、ついて行く気がない姉さまが、慌ててこの話題を強引に封じ込めた。
「それよりさ…どうやって『魔将軍』を倒したのか、そのへんのところを教えてよ」
「ふーむ…『土龍』ベヒモス討伐については、そんなにドラマチックな展開は無いのだよ。
突然わが公国内に攻め込んできた…強大な魔力を持つ『魔将軍』ベヒモスたちに、わしらは手も足も出なかった。
そこで、当時はまだ駆け出しだったわしが、一人であの…ヴァーミリアンが住む塔に乗り込んだのだ。
それでだな、一緒に戦って欲しいと彼女を必死に…その…口説き落としたんだよ」
「「く、口説き落としたぁ?」」
その言葉に、ぼくと姉さまは思わず驚きの声を上げてしまった。
「ちょっと!よりによって、どうしてあんな人を口説いちゃったの!?」
「もっと他にも良い人が居たんじゃないの?」
「ちょ、ちょ!おまえたち、仮にも自分の母親だぞ?それに、口説いたというのは変な意味では無くてだなぁ、ただ…その…味方になって欲しいとだな…」
「でも、実際にそのときお母様のこと口説いたんでしょ?」
「う…うむ…。まぁ…なんというか…一目惚れでな…。あの頃のわしは若かったのだよ」
ぼくたち二人に同時に責められて、しどろもどろになってしまうお父様。
でもお父様は、今となっては『ヴァーミリアン』の最大の被害者であるわけで…ぼくたちから責められるのはちょっと可哀想かな?
そして、情勢悪しと感じ取ったお父様は…急に態度を変えてきた。
「おーっと、いかんいかん!すっかり忘れてた!わしは今日はとっても忙しかったのだ!
おまえたち、すまんがわしの話は今度またゆっくり話してあげよう!それで良いな?な?」
「あ、情勢が悪くなったからごまかしたなっ!」
「オホン!…そんな訳でだな。あの魔戦争からはいろいろたくさんの教訓が生まれてたのだ。
おまえたちも魔力や権力に溺れることなく、しっかりと自分の未来を歩んでくれよ」
目を泳がせながら説教じみたことを言うお父様に、姉さまが強烈な一言を浴びせた。
「…ふーん、分かった。それじゃあお父様、今日あたしが学んだ最大の教訓は…一時の感情の迷いで変な女の人と結婚するなってことで良いかな?」
「ぶーっ!!」
姉さまの痛烈な皮肉に、お父様はそれまでの威厳もどこへやら…盛大に吹き出したのだった。
うーん、かわいそうなお父様。




