36.それぞれの準備
「えーっと、砂糖にアクエリス草でしょ。あとは、綺麗なお水と…せっかくだから味付けに柑橘類でも入れてみようかなぁ」
「…」
ミアの目の前で、変な薬草を用意したり、壺っぽい容器を取り出したりして、何かの準備を整えているエリス。
うーん、どう見ても怪しい儀式を始めようとしている風にしか見えない。
ここは、城内にあるエリスの個人部屋。
これからここで、エリスによる『魔法薬精製』の魔法が披露される予定だった。
なぜこんなことになったのか。
やることが無くて暇だったミア。プラプラ城内を散歩していると、お買い物をしに街に出ていたエリスとバッタリ会った。
話を聞いてみると…なんでも、街で買ってきた薬草を使って、これから魔法薬を造るとのこと。
なんだか面白そうだったから、あたしはその様子を見学することにしたんだ。
だけどこれが、思った以上に地味な作業だった。
「それじゃあ…ここに材料を入れて、下から火で熱するの。
そして、『魔法薬精製』の術式を魔力で描きながら壺の中をかき混ぜると…魔法薬の完成だよ」
「へー。それで、何の魔法薬を造ってるの?」
「ふふふっ、『清涼水』っていう魔法薬だよ。
私の師匠が得意としてた魔法薬でね、のどごし爽やかで身体が潤うんだ」
ふーん、それだったらお水飲んでれば良いのにね。
そう思ったものの、さすがにそれは口にしない。あたしは大人だからね。
宙に指先で魔法式を描きながら、鼻歌交じりに壺をかき混ぜるエリス。
あまりに単調な作業の連続にあたしはすぐに飽きてしまったので、エリスの部屋の中を観察してみた。
これがまた、ビックリするくらい殺風景だった。
城内でエリスに充てがわれた部屋は、そんなに広くないワンルームだ。
そこには、最初から置いてあったベッドとテーブルと本棚のほかに、先日街で買った中古の白い洋服ダンスと小さな植木鉢、あとはベッドの上におっきなウサギのぬいぐるみが置いてあるだけだった。
…なんというか、シンプル過ぎる。
「なんかさー。エリスの部屋って、ほんっと何もないよねー」
「…どうせ女の子っぽくないって言いたいんでしょ?」
「んなことないよ。それに…そんなこと言ってたら、あたしなんてどうなるのさ?」
「そ、そっか…あ、引き出しとかは勝手に開けたりしないでね」
「んなことしないよ。あたし別にエリスがとんな下着履いてるかとか、興味無いし」
「ちょ、ちょっとミア!」
そうこうしているうちに、魔法薬は無事完成したようだ。
せっかくなので試飲させてもらう。
「ゴクッ…ゴクッ…ぷはーっ!
驚いた!案外これ美味しいね!」
「あはは、ありがとう!これ、がんばってるカレンに差し入れしようと思ってね」
「そっかー。あいつ喜ぶと思うよー」
その一言に、エリスはちょっとだけ顔を曇らせた。
ん?どうしたんだろう?
「喜んで…くれるかな?」
「なんで?カレンだったら喜ぶに決まってるじゃん」
「そっか…そうだよね…」
うーむ、なんとも歯切れの悪い返事。
なんでそこに自信が無いのか、ちょっと理解できない。
あたしには、あいつが犬みたいにシッポを振って喜ぶ情景しか目に浮かんで来ないというのに。
結局そのあたりのところはうやむやになってしまったんだけど、どうやらこれからエリスは、そこそこの量の魔法薬を造るみたいだった。
エリスが忙しそうになるのと、あたしがもう見るのに飽きてしまっていたので、下手に手伝わされる前にエリスの部屋を退散することにした。
「それじゃあエリス、がんばってね!」
「ありがとう、ミア。…がんばるねっ」
エリスの部屋を出たあと、リビングルームに戻る途中で、あたしは廊下でほうきを掃いている人物を発見した。
小太りなのに妙に動きが機敏な女性。
それは、侍女のバーニャだった。
「あらあら、カレン王子。今日は良い天気ですね?」
「うん、そうだね。だいぶ冷えてきたけど、バーニャは風邪とか引かないようにね」
「まぁ、私の心配をしていただけるなんて…バーニャ嬉しいですわぁ」
バーニャは頬を染めながらブンブンほうきを振り回している。
ちょ、ちょっと物騒なんだけど…
「でも、もうすぐ『収穫祭』ですねぇ」
「そうだね、私は色々準備もあるからね…」
「ところでカレン王子は、最終日の『精霊のダンス』を誰かと踊ったりされるんですか?」
「最終日の…『精霊のダンス』?」
聞いたことがない単語がバーニャの口から飛び出してきた。あたしは首をひねる。
はてさて、『精霊の踊り』とは何のことなんだろう。
「あれあれ?カレン王子はご存知ないんですか?
『精霊のダンス』っていうのはですね…『精霊の儀式』のあとに行われる非公式イベントで、若い男女が参加する踊りイベントのことなんですよぉ」
「へー、そんなことやってたんだ。全然知らなかったよ」
「そうなんですか、まぁ王子は儀式のあとも色々と忙しかったでしょうからねぇ…
それでですね、『精霊のダンス』には…実はあるジンクスがありましてね。
そのダンスを一緒に踊った男女は、必ず結ばれて幸せになるそうなんですよ!きゃっ!」
「ふーん、そうなんだ。なんか面白そうだね」
「はいー。私なんかは、毎年誰かが誘ってくれるのを待ってるんですけどねぇ…
ほーっほっほ」
んー、なんとも突っ込みにくい一言だ。あたしは返答に困ってしまった。
でも、そんな面白そうなイベントがあるなんて知らなかった!
なんだか…面白そうなことが起こる予感がするぞぉ!
あたしはバーニャにお礼を言うと、少し楽しい気分になったのだった。
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いよいよ『収穫祭』も間近に控えたある日。
カレンは…商工会議所に集まって、舞台のリハーサルを行っていた。
陣頭指揮を取っていたのはサファナ。今回のスペシャルイベントの総合プロデューサーだ。
ぼくのフォローにはボロネーゼが付いてくれていた。
彼は…ごつい見かけとは裏腹に、繊細で気配りのできる人だった。
おかげでぼくは、すごくリラックスして臨むことができたんだ。
…もっとも、なんだかパシャパシャ写真撮られてたんだけどね。
今回の舞台は、メインイベントは基本的にぼくだけの出場ではあるんだけど、一部だけスペシャル企画として別の芸能人とコラボレーションすることになっていたんだ。
ぼくの場合は、『スパイラルエッジ』っていう男四人組のダンス集団と、冒頭の数分コラボする予定だ。
なんでも彼らは夏に行われた『文化交流会』で、ハインツ代表になったくらい有名な集団なのだそうだ。
…あのときは他のことに必死だったから、ぜんぜん記憶になかったんだけど。
「はい、じゃあここは右からあなたたちが入ってきて…奥にいるアフロディアーナが魔法花火を放つ。これで良い?」
「うん。わかったよ、サファナ」
今回の演出指導をするプロデュースのサファナの言葉に、頷くぼくと『スパイラルエッジ』の四人。
「それじゃあ、ぼくはここで…『スパイラルエッジ』の皆さんを光らせれば良いのかな?」
「おぉ!頼むぜ、アフロディアーナちゃん!」
『スパイラルエッジ』のイケメンの人が、ぼくにそう言いながらウインクしてくる。
ぼくはふふんっと笑って、その態度を一蹴した。
…この人たちとのトレーニングは、ずっとこんな感じだった。
最初のうちはぼくもちょっと緊張してたんだけど…サファナやボロネーゼ、なにより『素のままの口調や態度で大丈夫』というのが効いて、すぐに自然と接せれるようになったんだ。
ぼく自身、「男だってバレてもいいや!どうせアフロディアーナの正体が誰かまではわかんないだろうし!」って開き直ったのが、結果的に良かったのかもしれない。
…ただ、ぼくが男だと思われることは、最後まで一度もなかったんだけどね!
…それどころから、複数の人に思いっきり口説かれまくったんだ。
一応最初の挨拶のとき、サファナが協力してくれて「ぜったいアフロディアーナを口説いたり触りに行ったりしないように!それを破ると…アフロディアーナは辞退しちゃうかもしれないからね!」と釘を刺してくれていた。
だけど…スキを見て、ちょっかいを出してくる人たちはたくさん居たんだ。
そんな…ぼくを口説いてきた人たちを撃退してくれたのは、今回の護衛を買って出てくれているボロネーゼだった。
不幸にもぼくを口説いてきた人たちは…可哀想なことにボロネーゼの餌食になったらしい。
どう餌食になったのかは…ボロネーゼが教えてくれなかった。
ただ、嬉しそうに「美味しかったワァ!」っとおっしゃってた。
…くわばらくわばら。
でも、こんな状況だったから、エリスを連れてこなくて良かったな。
もし来てたら…あの人たちにナンパされたりしちゃったかもしれないしね!
「最後はこんなこんな感じで…お願いしますね」
「「おう!まかせとけっ!」」
ぼくの最後の確認に、『スパイラルエッジ』の一同が首を縦に振る。
これで、今回の舞台の大体のイメージは完成だった。
「はい、これで一通り完成ね!どうやら本番はなんとかなりそうだわ!」
サファナの言葉に歓声を上げる一同。
『スパイラルエッジ』の皆さんはハイタッチしている。
すると、彼らのうちの一人…リーダーの人が、恐る恐るぼくのほうに手をかざしてきた。
…どうやら、彼はぼくとハイタッチしたいらしい。
んー、仕方ないなぁ…
せっかく皆で力を合わせてがんばってきたんだし、それくらいは良いかな。
ぼくは渋々…といった感じで手を出す。すると、リーダーは嬉しそうに近寄ってきてハイタッチしたんだ。
「あっ!リーダーずるいっ!」
「俺も俺も!」
「ちょっ…!俺が先だって!」
「アタシも混ぜてぇ!」
…最後になんか変なのが混じってたけど、無視無視!
そういえば…ときどき、『スパイラルエッジ』の皆さんを見るときのボロネーゼの目が、ちょっと怖かったんだよなぁ…大丈夫かな?まいっか。
「はーい、みんなおつかれさま。これは差し入れよ!」
サファナがぼくらを労うために、差し入れの魔法薬を配ってくれた。
配っていたのは『清涼水』という名前の…のどごしが爽やかで疲労回復効果のある庶民的魔法薬だ。
喉が乾いていたので一気に飲み干す。
ゴクゴク…あっ、うっすら柑橘類の味がする。これ、飲みやすくて美味しい!
そんなぼくの姿を、『スパイラルエッジ』の皆さんがボーッと見ていた。
え?なんか変だった?
ボロネーゼのほうをチラッと見ると、彼が耳打ちしてくれた。
「アナタの飲み物を飲む姿がセクシーだったから、あの子たち見惚れてたのヨ!」
げっ、それは勘弁してよ…
「でもさ、魔法薬なんて貴重なもの、よく手に入ったね?」
確かに『清涼水』は庶民的な魔法薬ではあったけど、それでも…魔法使いが魔法で作る薬…魔法薬であることには変わりない。お水や酒とは、その製造過程がまったく違うのだ。
そんなぼくの疑問に、サファナがクスクス微笑みながら答えてくれた。
「これはね、ある人からの差し入れなのよ」
「へぇー、誰なの?」
「ふふふ、誰だと思う?……エリスなのよ」
「ええっ!?」
サファナの話によると、わざわざエリスがこの魔法薬を作ってくれたらしい。
なんでもエリスはこの…『清涼水』の魔法薬精製が得意なのだとか。
そっか…
エリスが作った魔法薬なんだ…
そう思うとぼくは、なんだかとても幸せな気持ちになった。
疲れた身体に、エリスの魔法薬が染み渡る。
全部飲むのが勿体無いな。でも、せっかくだから大切に飲もうっと。
ぼくはエリスの優しさに感謝しながら、魔法薬のボトルをぎゅっと抱きしめたんだ。
魔法薬で一息ついたあと、『スパイラルエッジ』のリーダーがぼくに問いかけてきた。
「ところで、アフロディアーナは『精霊のダンス』は誰と踊るんだい?」
「えっ?『精霊のダンス』?」
「ん?アフロディアーナは知らないの?」
ぼくには『精霊のダンス』などというものは聞き覚えがなかった。
小首を傾げるぼくに、リーダーがその内容を教えてくれた。
なんでも『精霊のダンス』とは、『精霊の儀式』のあとに住民の間で勝手に催されるダンス大会のことだそうだ。
…つまり、『収穫祭』終了後に行われる非公式イベントになる。
ちなみに、このダンスを一緒に踊った男女は、将来必ず結ばれる…というジンクスがあるらしい。
へー、そんなものが催されているなんて、全然知らなかったよ。
そういえば自分はずっと引きこもりだったしなぁ…
「アフロディアーナには、一緒にダンスを踊りたい人は居ないのか?」
そう問われて…ぼくが最初に脳裏に浮かんだ人物。
それは…
他ならぬ、エリスだったんだ。




