13.これが……ぼく?
ここから第三章になります。
ここは、どこかわからない場所にある豪華な部屋の中。
高級そうな家具や調度品に囲まれた…その部屋の中心にある立派な椅子に、一人の人物が悠然と座っていた。
まだ年若いこの人物は、おそらく貴族の子弟あたりだろうか。
片肘をついてリラックスした姿勢のまま、片手でなにかの本をパラパラとめくり読みする姿は、その優美な仕草もあって見るものに生まれの違いを認識させる。
そばに控えていた初老の男性が、そんな彼につつがなくお茶を注いだ。
彼は注がれたお茶に口をつけると、おもむろに口を開いた。
「ハインツか…行くのは久しぶりだな」
「はい、おぼっちゃま。
遠出できるのも学校が夏季休暇のときくらいですからね。
…今回もまとめてお洋服を買われる予定ですか?」
「そうだなぁ。
良いものがあったまとめて買おうかな。
あとはついでに…ふふふ、こいつも頂いてやろうか」
彼はそう言いながら、めくっていた本をポンッと叩いた。
その本の題名は…『ハインツの太陽と月』と書かれていた。
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「じゃあカレン王子、行くわよ?
…覚悟はいい?」
「う、うん…サファナ。
優しくしてね…?」
「大丈夫よ、安心して私にすべてを委ねてね…
さぁ…目を瞑って……」
いきなり何やら怪しげな会話を交わしているカレンとサファナ。
それを見守るのは、興味津々といった感じのミアとエリス。
今日はサファナが担当する『ファッション』の授業の日だった。
この日はカレンを題材にして、『いま若者の間で流行している化粧』の実践をすることになっていたのだ。
なので、冒頭の会話は決して怪しいものではなく…
「さぁ、じゃあベースが終わったから、次はファンデーションを塗りましょうね」
「う、うん…なんだか顔が気持ち悪いよ」
というわけで、サファナがカレンに化粧を施していた場面だったのでした。
カレンにチークを塗りながら、ため息交じりにサファナがカレンの肌を優しく触った。
「しっかしカレン王子、あなたってば本当に肌が綺麗ね…
化粧のノリが全然違うわ」
「そ、そう?
ぼくにはよくわからないんだけど…」
たぶんサファナなりに自分のことを褒めているのであろう。
そう思ったものの、正直カレンにとっては嬉しくもなんともない言葉だった。
「さぁ、アイラインを描いて、マスカラ付けて…と。
最後にリップを塗ったら……
って……うわぁぁっ!」
最後の仕上げをしていたサファナが、カレンの顔を確認して…突如驚きの声を上げた。
信じられないものでも見るかのような…そんな顔をしている。
「…えっ?
サファナ、どうしたの?
なにか失敗したの?」
「……んん?
あ、いや…そうじゃないのよ。
ちょっと…自分の腕が恐ろしくなっただけ」
「…えっ?」
今なにやら不吉なことを言っていたような気がする。
そんな不安そうなカレンの追求から逃げ出すかのように、サファナが強引に話を変えてきた。
「まぁまぁ、そんなことは気にしないて。
さぁ、できたわよー!
早速ミア姫とエリスちゃんにお披露目しましょうね!」
サファナはそう言うと、カレンを二人の方に振り返るように導いた。
それに従い、ゆっくりと振り返るカレン。
その顔を見て……ミアとエリスは一瞬言葉を失った。
「…ど、どう?」
恐る恐るカレンは二人に聞いてみるが、二人とも口をあんぐり開けてなにも言わない。
…どうしたんだろう。
やっぱり男が化粧するなんて変なのかな?
カレンの心の中にそんな不安が広がっていく。
だが、実際は違っていた。
二人とも、あまりのカレンの美しさに言葉を失っていたのだ。
ようやく衝撃から抜け出した二人がその口を開いた。
そこから飛び出してきたのは、カレンのあまりの美貌に対する感嘆の声だった。
「…きれい。
カレン、ものすごく綺麗ですよ」
「あ、ああ…
わが弟ながら、ちょっとビビったよ。
同じ顔なのに、こんなに美人になるんだなぁ…」
「ちょ、ちょっと。
二人とも大げさじゃない?」
予想外の反応に、カレンが若干怖気付いてしまう。
だが、その反応は…決して大げさではなかった。
「大げさなんかじゃないわよー。
私だって自分でやっときながら鼻血が出そうになったくらいだもん。
それに、百聞は一見に如かず、よ。
ほら、カレン王子。
鏡を見てみて」
そんなことを言いながらサファナが手渡してきた鏡を見て、カレンは驚きのあまり声を失ってしまった。
そこには、見たこともないような…とんでもない美少女が映っていた。
カレンはすっぴんでも相当なレベルの美貌だったのだが、サファナというプロのスタイリストが施した化粧によって、何倍にもその輝きが増していたのだ。
「これが……ぼく?」
思わず自分の頬に手を当てて、鏡に映っているのが本当に自分であるのかを確認してしまう。
自分でも信じられないほどの…美少女への変身っぷりだった。
「…そうよ、これはあなたよ、王子。
すごいでしょ?
…私もちょっと自分の腕が怖くなっちゃったくらいだわ」
そう口にするサファナの言葉も、ほとんど耳に入ってこない。
魂を奪われたかのようにまじまじと手鏡を見つめるカレンに、サファナがふとつぶやいた。
「でも…カレン王子も『姫』として生きていくって覚悟を決めたんなら、自分でこれくらいのお化粧はできるようにならなきゃね」
「いや、決めてないし!!
全然決めてないし!!」
その言葉で、一気に鏡の中から現実に引き戻されるカレンであった。
サファナとカレンがそんな漫才のようなやりとりをしていると、ミアが不意に手を打った。
そして、太陽のよう…と表現される満面の笑みを浮かべると、ミアはとんでもないことを提案してきた。
「…そうだ、いいこと思いついた!
そのままちょっとその辺を歩いてみない?
城のやつらがどんな反応をするか見てみようよ!」
「…ええっ!?
いくらなんでもそれは…」
さすがに躊躇するカレンに、ミアは容赦無くたたみかけてきた。
「あんたねぇ…!
どうせ18歳までは『呪い』は解けなくてどうにもならないんだからさ。
いいかげん慣れていこうよ!」
「うっ…」
ミアの言うことはいちいちごもっともだった。
カレンは先日「引きこもってばかりではダメだから、『女性の格好をしなきゃいけない』ってことを受け入れていこう」と決意したばかりだったのだ。
たしかに、ここで引いていては元も子もない。
「あんたさぁ、覚悟を決めたんじゃなかったの?
部屋から出てくるってことは、『ミア姫のふりをする』ことを受け入れたってことでしょ?
だったらさ、こんなことで躊躇してたらダメじゃんか!」
「ぐぬぬぬ…」
カレンはミアの言葉に大した反撃をすることもなく、完全に言いくるめられてしまった。
そして結局、ミアの言うとおり…お化粧をしたまま城内を歩くことになったのだった。
…このとき「しめしめ、上手く行った」と影ながらニヤリと笑うミアの姿があったという。
ベアトリスに引き連れられたカレンが登場したとき、城内に一瞬にして静寂が広がった。
そして次の瞬間、今度はざわめきがその場を支配していく。
ざわざわ……
カレンは、自分が姿を現したことで城内の空気が一変したことをはっきりと感じた。
自分の姿を目に止めた…警備をしていた衛兵は、動揺のあまり固まったり槍を手放してしまったりした。
すれ違った侍女のプリゲッタは、手に持っていた荷物を落とした。
挙句の果てには、普段自分たちのことを見慣れているはずのスパングル大臣でさえ、驚きのあまりカレンを凝視したまま壁に激突してしまう始末である。
少し離れたところからカレンを見守っていた一同は、そんな結果に諸手を叩いて喜んだ。
「いやー、大成功だったね!
傑作だったなぁ、みんなのあの驚いた顔!」
そんな風に笑っている姉の言葉に、カレンは素直に反応することができなかった。
…みんな、明らかにぼくを見て驚愕していた。
やっぱりお化粧をしたぼくは、注目を浴びるほどすごいのかな…
カレンはこのときになって、ようやく認識した。
…自分の容姿が、いかに他人に影響を与えるかを。
いや、本当は気づいていたのかもしれない。
あるいは無意識のうちに、認めることを拒絶していたのかもしれない。
…自分は、他人の目からは『絶世の美少女』として見えているのだ…ということを。
城内を一周して、結果や反響に大変満足したミア。
調子に乗って、今度はこんなことを提案してきた。
「よーし、そしたらそのまま外出しちゃおうよ!」
「ちょ…ね、姉さま!?」
いきなりの姉のぶっ飛んだ提案に、カレンは思わず反応する声が上ずってしまった。
いくらなんでもそれは無茶だろう。
さすがに動揺を隠せないでいる。
だが横にいたサファナはその意見に大いに賛成した。
「あー、でもそれ面白いかもね!
ちょうど午後に『マリアージュ通り』のうちの店舗に顔を出そうと思ってたんだ。
だからさ、モデルのフリして行ってみようか?」
「おっ!それいいね!
じゃああたしは、マネジャーのふりでもしようかな?
あと、エリスもモデルになったら?」
「ええっ!?
私は無理ですよ!
それにこんな規格外の美少女と並べられるのは、さすがにちょっと…」
「あぁ、まぁそうよねぇ。
エリスちゃんの気持ちは分かるわぁ」
当の本人であるカレンを無視して勝手に盛り上がる三人。
さすがに分が悪いと感じたのか、カレンが一矢報いるために口火を切った。
「だ、だめだよ!
ついこの前お城を抜け出してマダム=マドーラに怒られたばっかりじゃない?
さすがにまずいと思うんだけど…」
「あぁ、大丈夫よ。
お母さんには私から『市井の視察に行く』って言っとくから」
援護射撃を期待するどころかあっさりとサファナに外堀を埋められてしまい、カレンは抵抗の無意味さを察知して早々に白旗を上げたのだった。
こうして、一同は再びハイデンブルグの街へと繰り出すことになった。
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さて、そんなわけでハインツ城では…
双子が城を出たあと、『白鳥城』の中は一時騒然となっていた。
その理由は…もちろん『ミア姫の化粧した姿を見れた』ことである。
…これはそのとき、場内で交わされた会話の一部である。
「…ちょっと、お前見たかよ?」
「お化粧なされたミア姫だろう?
見た見た!
…なんというか、この世のものとは思えない美しさだったよなぁ」
「おお、あまりに美しすぎて呼吸をするのを忘れてしまいそうだったよ」
「しかし、すっぴんでもとんでもない美少女なのに、お化粧をされたら…もはや地上に降り立った女神様だよな?」
「あぁ、確か月姫様がお化粧されたのは、『成人記念祭』以来だろう?
もしかして、それを観れた俺たちってラッキー?」
「すげぇラッキーだぜ!
しかも『記念祭』のときは遠目にしか観れなかったんだけど、今回はあれだけの近距離だぜ?
…俺、本当にこの城で働いてて良かったよ」
「あぁ…しかし一度でいいからあんな美少女とお話してみてぇな!」
「俺は握手して欲しい!」
「ああ、俺は一度でいいから抱きしめてみたい…
あの、折れそうなほど細くて儚げなお腰をギュッと!!」
「だったら俺は、あのサクランボのような口唇に…」
「こら!テメェ!
ダメだダメだ!!
その妄想だけは許されねぇぞ!!」
…こんな感じで、まさにミア姫一色!といった状況であった。
このような会話が…警備の仕事はどこへやら、場内のいたるところでなされていたのだった。
こうして、ハインツの城内は今日も平和に過ぎていくのであった。




