9.初めての外出
一方その頃カレンたちは…
双子専用のリビングルームで、ベアトリスの淹れたお茶を飲んでいた。
「いやー、しかし家庭教師の子…エリスっていったっけ?
あのビックリした顔ったら、面白かったなぁ!
…ベアトリスもそう思うだろ?」
「はい、ミア様」
「…」
ケラケラ笑うミアに追従するベアトリス。
そんな姉をギロリと睨みつけているのは双子の弟のカレン。
「…あんたなんでさっきからあたしのこと睨みつけてんの?」
「…姉さまのせいでぼくの第一印象は最悪なんだけど」
そう、カレンは怒っていた。
もっとスマートにエリスとの初対面を果たしたいと思っていたのに、このとんでもない姉がすべてぶち壊したのだ。
最初にクルード王から家庭教師の話を聞かされたとき、自分たちと同年代の女の子だと聞いて、カレンは最初猛烈に反対した。
しかし、今回は珍しく強硬な父親に押し切られてしまった。
ならば先に事情を知ってもらった上で、色眼鏡をかけずに自分のことを見て知ってもらいたい…カレンはそう考えていたのだ。
なのに、それを姉がすべてぶち壊した。
「お父様たちを出し抜いてあたしが先に家庭教師を迎えに行くよ!
そんでもって正体バラさずに会ってさ、あとでビックリさせてやろうよ!」
そんなことを当日の朝言われ、猛烈に反対したものの…結果はご存知の通りだ。
「…だいたい姉さまはやることがメチャクチャなんだよ…」
「でもさ、あれで家庭教師の子との距離も一気に近づいたんじゃないかな?」
あれのどこが近づいたんだろうか。
カレンは家庭教師が真実を知ったときの、『両目と口が三つとも0の字』になった顔を思い出した。
あのときは、あまりの酷さに思わず目を背けてしまったくらいだ。
…あんなことをやって仲良くなれるなら、ぼくたちは魔獣や悪魔とも仲良くなれるだろう。
と、そのとき。ドアのノックする音が室内に響き渡った。
双子の世話をするため壁際に控えていたベアトリスが扉を開ける。
するとそこには…クルード王との話が終わったエリスが、別の侍女に連れられて立っていた。
「おお、噂をすれば…どうぞ入って!」
「すいません、お邪魔します…」
ミアはエリスを招き入れると、自分たちが座っているテーブルに案内した。
案内した侍女はミアを見て少し顔を赤らめると、そのまま一礼して立ち去っていった。
…あいかわらずのミアの『イケメンオーラ』である。
エリスが恐る恐る席に座ると、すかさずベアトリスがお茶の入ったカップを置いた。
「あ…ありがとうございます」
「…」
「ベアトリス、お茶ありがと」
「いえ、どういたしまして」
ミアの言葉にだけ返事を返すベアトリス。
…どう言うわけかこの無口な侍女はミアに対してのみ態度が違っていたのだが、そんな様子に気づきもしないミアが満面の笑みを浮かべて口火を切った。
「さっきは驚かせてゴメンね!
改めて…あたしのほうがミアだよ。
これからよろしくね!」
「はい!私はエリスです。
こちらこそ、よろしくお願いします。
あの…お二人の事情については、先ほどクルード王にお伺いしました」
チラッとカレンの方を見ながら話すエリスにサッと顔を逸らすカレン。
あぁ…きっとぼくのことを変なやつだと思ってるんだろうなぁ…
カレンは胃がキリキリと痛くなるのを感じた。
視線が痛くて、つい下を向いてしまう。
だが、エリスの見る目は違っていた。
どちらかというと…そんなカレンの反応に少し困ったような表情を浮かべていたのだ。
そんなエリスの様子には気づいたミアが、興味深々な表情を浮かべて問いかけてきた。
「エリス。なんだか困ったような顔をしてるけど、なんで?」
その問いかけに、少し言葉を選びながらも…エリスは自分の思いを説明した。
「あの…ごめんなさい。
カレン王子がなんだか私のことを誤解なさってるみたいなので…」
「えっ…」
その言葉に驚いたカレンが思わず顔を上げる。
そこには、優しげな表情を浮かべたエリスが居た。
このとき初めて…カレンはエリスの顔を正面からちゃんと見た。
…すごい美人ってわけじゃないんだけど、なんだか可愛らしい雰囲気の娘だなぁ。
今の状況も忘れてそんなことを思ってしまう。
「あの…実は私、気づいていたんです。
お二人の性別が見た目と違うってことに」
「へっ?」
「ええっ?」
予想外のエリスの言葉に、双子は驚きの声を上げた。
今度は双子のほうが『両目と口が三つとも0の字』になってしまう。
「あのときあんな反応をしてしまったのは、薄々考えていたことを急に言われたことに驚いただけで…
だからその…カレン王子のことを、決してその…へ、変だとか、そんなふうに思ってませんから……」
厳密に言うと『違和感』を感じていただけであって、性別のことを見抜いていたわけではなかったのだが、そのあたりはエリスも気を使って説明していた。
ただ、違和感を持っていたことは間違いなかったし、なにより改めて二人を見ると、今のエリスにはカレンは『女性の格好をした男の子』に、ミアは『男っぽい格好をした女の子』にしか見えなかった。
そんなエリスの発言に、最初はキョトンとしていたミアが、最初はクスクスと…やがて大声で笑い始めた。
「あっはっは、すごいなエリスは!
初見であたしたちの性別を完璧に見極められた人って久しぶりだよ!
そしたら誤解も解けたところで…改めてよろしくね!」
ミアは嬉しそうに立ち上がると、右手を差し出してきた。
その手を恐る恐る握るエリス。思ったより冷たくて細い手に、思わずドキッとしてしまう。
「こちらこそ…ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「ぶっ!
ふつつか者って!
あはは、エリスって面白い子だね」
ミアはケラケラ笑うと、パンパンとエリスの肩を叩いた。
そんな二人…特にエリスのことを、カレンはボーッと見ていた。
カレンにとっては、初見で自分を男と見抜かれたのは初めての経験だった。
そして何より、こんな姿の自分にわだかまりなく接してくれている。
エリスが自分を色眼鏡で見てないことはすぐに感じることができた。
こんな人も世の中には居るんだ…
「ちょっとあんた、エリスに見惚れてないで挨拶くらいしなさいよ!」
「なっ…!?ね、姉さま、なにを言ってるの!?」
突然訳のわからないことをミアが言ってきたので慌てるカレン。
そんな二人を見ながらクスクスと笑っているエリス。
彼女の様子にホッとしたカレンは、少し赤くなりながらも改めて挨拶をした。
「自己紹介が遅れてごめん、エリスさん。
ぼくの方がカレンです。
本当はこんな情けない格好でお目にかかりたくなかったんだけど…」
「そんなこと…ないですよ。
やっぱり事情が事情ですし…ね?」
必死のエリスのフォローも、目が泳いでいては効果半減。
それでも…これまでには感じたことの無い親しみのようなものを、カレンはエリスに感じることができた。
どうやらエリスは嘘をつけないタイプの娘なのかな?
そう思うと、カレンは一気にエリスに親近感が湧いたのだった。
「あーあと、あたしたちに敬語は不要だからね。
だからあたしのことは、ミアって呼んでよ。
こいつのことは…ただのオカマでいいわ」
「ちょ、ちょっと!!」
「あは…あははは……」
笑うに笑えないジョークに乾いた笑みを返しながら、エリスは心にあたたかいものがこみ上げてくるのを感じていた。
どうやら、この双子はどちらも優しくて良い人そうだ。
カレン王子は今までの女装生活でかなり精神的に疲れ果てているものの、決して自分を拒絶することなくむしろ距離を縮めようとする気持ちを察することができた。
ミア姫のほうも、カレン王子への言動はなかなか過激なものの、その言葉の端々には王子に対する優しさと…自分がリラックスできるように配慮してくれている気持ちを感じることができた。
私、ここに来てよかったなぁ…
エリスはそう思いながら、改めて二人に頭を下げたのだった。
「それじゃあ…思い切って…!
…カレン、ミア。
正直私のほうが教えてもらうことが多いかもしれないけど…よろしくお願いします!」
さすがに会った初日に王族に対して敬語抜きは難しかったものの、エリスは自分にできる最高の笑顔で…せめて名前をリクエスト通り『呼び捨て』にすることで、二人に応えたのだった。
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それからしばらくは、お互いを理解するため簡単な雑談をした。
その中で、エリスがほとんど身一つでハインツにやって来たことを聞いたときに…ミアの目の色が変わった。
「よーし!そしたら今から街に出て、ここでの生活に必要なものを買いに行こう!」
「…はい?」
突然の姉の宣言に、呆れて苦言を呈したのはカレンだ。
「姉さま、まだ懲りてないの?
今の姉さまが街に出たらどうなるか分かってるでしょ?」
「うーん…
ねぇエリス、そういうのって魔法でどうにかならないの?」
「えっ?」
突然話題を振られて思わず変な声を漏らしてしまうエリス。
とはいいつつ、聞かれたことには答えなければならない。
「んー、そんな都合が良い魔法はあまり無いんですけど…」
「ってことは、あるんだ?」
エリスは説明した。
外見を変えるようなことは不可能だが、小さなことなら一時的に変えることは可能だと。
「例えば髪の毛の色とかなら、一時的に違う色にすることはできるかな?
それ以外だと…正直お化粧とかで誤魔化したほうが効果的かも?」
「へぇー、魔法って万能そうに見えて案外使い勝手が悪いんだね」
「私がもう少し色々な魔法を知ってればよかったんですけど…」
「まぁいいや、それで十分!
じゃあ善は急げってことで、早速行こう!」
勝手に結論付けるミアに、カレンは「はぁー」とため息をこぼす。
その様子を目ざとく見つけたミアがビシッとカレンを指差した。
「なにあんた他人事みたいにしてんのよ。
あんたも行くんだよ?」
「えええーっ!?」
はじめは冗談かと思っていたカレンだが、ミアの言葉にサーッと血の気が引く。
「ちょ、ちょっと待ってよ!
さすがにそれは無理だよ!
こんな格好しかできないぼくに、外出しろって言うの?」
「そうだよ。
どうせお母様の『呪い』は簡単には解けないんだからさ、いつまでも引きこもりで良いと思ってんの?」
姉の痛烈な発言に「うっ…」と唸るカレン。
確かにミアの言うことは正論だった。
「だいたいあんたずっと部屋に篭っててさ、不健康ったらありゃしない」
「むぅ…」
カレンは救いを求めてエリスのほうを見るが、彼女も困ったような笑みを浮かべるだけだった。
いきなり姉の『自由気まま』の洗礼を受けて戸惑っているのだろう。
あぁ…このまま姉さまに任せていたら、きっとエリスはひどい目に会うだろうな…
カレンは意を決すると、しぶしぶ姉のリクエスト通りにすることにしたのだった。
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ハインツ公国の首都ハイデンブルグは、歴史のある古い…でも綺麗に整備された建物が並ぶ『マリアージュ通り』を中心に発展していた。
とくにこの『マリアージュ通り』は「ここに出店できたら一流のファッションデザイナー」と言われるほど注目度が高い場所だった。
そんな『マリアージュ通り』の中心を、四人の女性が歩いていた。
先頭をのしのしと歩くのは、金髪を逆にかぶったベースボールハットに押し込めた、一瞬少年かと見間違うようなボーイッシュな少女だった。
Tシャツに短パンというシンプルないでたちが、スラリと伸びた手足を強調して綺麗に見せている。
大きめのサングラスのせいで顔はよく見えないものの、相当な美形であることはわかった。
そのすぐ斜め後ろを歩くのは、この国では珍しい黒髪の少女。
残暑とはいえ真夏の街中を、黒いカットソーにジーンズという少し地味めな格好で、前を行く少女に付き従うように歩いている。
そこから少し離れたところを、さらに二人の少女が歩いていた。
一人は夏らしい青いワンピースを着た、紅茶色の髪の少女。
その後ろに隠れるように歩くのは…
その少女よりも頭一つ背が高い、同じく白いロングのワンピースを着た薄茶色の髪の少女だった。
日差しを避けるためだろうか、長い白手袋をしてサングラスまで装着する念の入れようだ。
白い帽子を目深に被りながら、周囲を気にするかのようにオドオドとしている。
もちろん…この四人はそれぞれミア、ベアトリス、エリス、カレンの変装した姿だった。
もっとも、ベアトリスとエリスは特に変装はしていなかったが。
「いやー、久しぶりのシャバはやっぱ良いねぇ!」
エリスの魔法で髪の毛を金髪に変えたミアが、うーんと伸びをしながら満足げに声を上げた。
影のように従うベアトリスが、それに黙って頷く。
だが後方を歩いていたカレンは、全くそんな気分になれなかった。
エリスによって髪の毛を薄茶色に変えてもらっていたものの、不安からか周りの視線を気にしてビクビクしている。
このときカレンは、正直後悔していた。
エリスのためとはいえ、出てくるのではなかったと…
気のせいだろうか、どうしても周りの人たちが自分に注目しているように見える。
男がスカートなんか履いて…と、変なものでも見るような目で見られているのではないか。
そんな強迫観念がカレンに襲い掛かる。
「…ぼく、大丈夫かな?
変な風に見えないかな?」
「…そんなことないですよ。
大丈夫だから、安心して」
そうカレンに返事しながらも、はたして本当にそうなのかエリス自身疑問に思っていた。
…というのも、明らかにカレンは周りの人たちから注目を浴びていたからだ。
それも仕方ないかな…とエリスは思っていた。
なにせ、いくら変装して誤魔化したとしても…カレンが『ものすごい美少女』だということがすぐにわかってしまうのだ。
なんというか…細かい仕草や雰囲気などがいちいち儚く可憐なので、どうしても目がいってしまう。
いまも道行く男性陣が、すれ違ったあとにハッとして振り返って「ちょっとあれ、可愛くね?」などと囁いているくらいである。
しかも、たちが悪いことに本人にその自覚がないときた。
そんなカレンを庇うようにエリスは集中する視線の矢面に立つのだが、男であると知っているエリスでさえ見惚れてしまうほど、正直ワンピース姿のカレンは可愛らしかった。
…いやぁ、これは女の私でもまったく敵わないなぁ。
エリスはそんなことを考えながら、怯える子犬のような目で自分にすがりついている美少女を眺めていた。
正直、あまりの美少女っぷりの格の違いに、もはや嫉妬も湧かないレベルである。
「でもさ、なんで姉さまには『呪い』が発動しないのかな?
正々堂々女の子の格好をしてるのに…」
「そ、それはどうしてでしょうね…」
確かにミアは、なんの影響もないかのように自由に振舞っていた。
服装から女性と分かるが、男の子と見えなくもない。
そのせいかは分からないが、ミアには『呪い』が発動しないだけでなく、カレンほど男性の注目を浴びることも無かった。
もっともカレンの双子の姉でありながらそう受け取られないのは、残念ながら『ボーイッシュ過ぎる』ところに在るのだろうが。
何れにせよ、今度二人にかけられた『禁呪』について一度調べさせてもらおうかな。
エリスはそんなことを考えながら、元気いっぱいに先を行く中性的な美少女…ミアを眺めるのだった。
そんな感じでソワソワしながらもなんとか『マリアージュ通り』をブラつくカレンであったが、ふと思い至ったかのようにエリスに語りかけた。
「実はぼく、こんな風にして街に出るの、生まれて初めてなんだ。
ずっと病弱だったってのもあったし…特にこの『呪い』にかかってからは外の目が怖くて…」
「そっか…
カレンも大変だったんですね」
口には出さなかったが、エリスはカレンの辛さが分かるつもりだった。
実はエリスも幼い頃からずっと病弱で、最近までよく寝込んでいたくらいなのだ。
幸いなことに今のエリスは病気の原因が取り除かれたので、ハインツまでの長旅ができるほどに元気になっていた。
そんな経験があるからこそ、彼女にはカレンの気持ちは痛いほど分かった。
このときエリスは、カレンが色々なことを経験できるよう、自分が力になろうとこのとき心に誓ったのだった。
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「いやぁ、今日は良い買い物が出来たよ」
小休止のために立ち寄ったカフェでアイスコーヒーを飲みながら、ミアが買い物袋を嬉しそうに抱きかかえていた。
ちなみに横に座っているベアトリスも、ミアの荷物をたくさん抱えている。
「まったく…
姉さまは当初の趣旨を忘れたんじゃないの?
全然エリスが買い物出来てないじゃない」
そう、結局ミアが自分が行きたい店に勝手に行ってしまうので、エリスの目的である生活雑貨関係がまったく買えていないのだ。
「あ、私は大丈夫ですよ。
一度来たのでまたいつでも来れますし…」
「そうだカレン!
次はあんたが一人で案内してあげなよ!」
「げっ!」
姉からの想定外の一撃に、思わず変な声を上げてしまうカレン。
正直こんな冷や汗が出るような体験はもうこりごりだった。
今もベアトリスが手配してくれた個室に居るのだが、それでも外を歩く人々がこちらを見ては驚いているのがわかる。
…たとえ変装しても、ぼくたちは目立っちゃうんだなぁ。
否が応でも自分たちの存在感を知らされる羽目となってしまった。
「でも今日はおかげで楽しいウインドーショッピングが出来ました。
また…みなさんで来たいですね」
そう言って照れ笑いするエリスを見て、また来るのも悪くは無いかなぁと考えてしまうあたり、カレンも現金なのか根が素直なのか…
「よし、今日はエリスも来たばっかしで疲れてるだろうし帰ろうか?」
珍しく気を遣ったミアが皆に号令する。
当然、反対意見など出るはずもない。
結局この日はミアのこの宣言を以って一度王城に戻ることとなったのだった。
このとき、一同は気付いていなかった。
自分たちに忍び寄る、ふたつの魔の手を…。
そのうちの一つは、自分達を見張る…一対の目。
それは、魔法によって造られた『眼』だった。
術者の視界と繋がっており、その場にいなくても見ることができるという特別な魔法…
「ほほぅ…
私に内緒で家庭教師なんて…
この私が見過ごすとでも思ってるのかしら?」
離れた地でカレンらを観察していた誰かは一人指をポキポキと鳴らすと、ズームアップされたエリスの顔をじっと食い入るように見つめるのだった…
そして、カレンたちの敵はそれだけではなかった。
もうひとつの魔の手、それは…
「まさか初日から城を抜け出すなんて…
とんでもないざますわ!
帰ってきたら説教ざますわ!」
お城の入り口では、カンカンに怒ったマダム=マドーラが、一同の帰りを今か今かと手ぐすね引いて待ちわびていたのだった。




