1.プロローグ
ここは、ハインツ公国の首都ハイデンブルグ。
その中央に、ハイン公王が住まう美しい城があった。
…その姿は『城』というよりも、『大きな屋敷』と言ったほうが適切かもしれない。
近隣の他国に比べれば、ささやかな大きさの城。
だが、その外観は極めて美麗であり、まるで白磁のように滑らかな外壁目当てに、観光名所として多くの人々が見学に訪れる…そんな場所だった。
その白く輝く美しい外観から、国民は「白鳥城」または「白鳥屋敷」と呼んでいた。
その「白鳥城」の前にある、大きな広場「白鳥広場」。
その広場に、この日は数多くの観衆が集まっていた。
…その数、1万人にはなるだろうか。
露店や屋台も数多く出店しており、まるでお祭りのような騒ぎになっている。
ハインツ公国の首都ハイデンブルグは人口10万人ほどの都市なので、およそ一割の国民がこの場にいるような計算になる。
…これは、もはや国家行事レベルの人出と言えた。
しかし、実際この場に来ている観衆の多くが、若い男女だった。
これは…そう。
まるで、若者に人気のある有名人を見に来たかのような…そんな観衆ばかりだった。
人々はざわつきながら、今か今かと『式典』の開始を心待ちにしていた。
彼らが集まった理由。
それは、今日のこの『式典』に顔を出すであろう…『二人の人物』を一目見るためだった。
ぎゅうぎゅう詰めの状態で待ちながら、広場の一番奥にあるステージに意識を集中し、今か今かと…『二人の人物』の登場を心待ちにしている。
1万人もの観衆を集める『二人の人物』とは、いったい…
やがて、式典は開始された。
オーケストラが奏でる音楽。
魔法使いたちが打ち上げる花火。
高まる観衆たちの期待。
盛り上がる会場のテンション。
観衆たちは、『その人物』が現れるのを心待ちにしてた。
やがて、大きな扉が開かれる。
ついに、待っていた人物が現れる!
観衆は熱気に湧いた。
最初に扉から飛び出してきたのは、一人の男性だった。
すらりとした体躯に、輝くようなプラチナブロンドの髪を後ろで束ねている。
…まだ少年と呼べる年齢の、とんでもない美少年だった。
顔だけを一見すると、美少女のように見える。
しかし、服装と…全身から溢れ出る雰囲気が、男性であることを示しているようだった。
彼の右目の下ある泣きぼくろが、また少年の顔だちに独特の色気を醸し出している。
彼は、歓声にこたえるように…右手を挙げて笑顔を見せた。
その笑顔は、まるで太陽が輝いているかのように眩しく爽やかなものだった。
「来たー!太陽王子!!」
「きゃーー!!カレン王子ー!!」
「カレン王子さまー!!15歳の誕生日おめでとうございます!!」
「かっこいい!!さすがはカレン様!!」
「すてきー!抱いてー!」
カレン王子と呼ばれたこの美少年は、そんな声に応えるかのように観衆に手を振った。
それと同時に、観衆の…主に女性陣から、黄色い歓声が一気にわっと上がる。
それはもう…国中に響き渡るかのような、ものすごい歓声だった。
観衆の声援に一通り応えると、カレン王子は自然なしぐさで後ろを振り返った。
どうやら彼は、登場してきた扉の奥を気にしているようだった。
観衆に向けて困ったような表情を浮かべた後、ウインクを一つ飛ばす。
きゃーーーー!!
…と、また凄まじい歓声が上がる。
そんな歓声をバックに、カレン王子は一度舞台裏へと下がっていった。
だが、彼はすぐに戻ってきた。
大きなジェスチャーで「おいでおいで」をし…扉の奥に居るであろう人物に、出てくるように促している。
やがて…
カレン王子の半ば強引な誘いに断りきれず…といった感じで。
扉の奥からゆっくりと、一人の人物が歩みだしてきた。
扉から歩み出てくる人物…それは。
カレン王子と同じ、プラチナブロンドの髪。
腰まであるその髪が、風に吹かれ舞い踊る。
白雪のような肌に、すっと伸びた手足。
その姿は…まさに地上を歩く、月の女神の化身のようだった。
その顔だちは、カレン王子に非常によく似ていた。
目立った違いは…泣きぼくろがカレン王子と逆の、左目の下にある点くらいである。
だが…見るものに与える印象は、まるで正反対だった。
カレン王子の印象が、勝気な表情を浮かべる健康的な少年そのものだとすれば…
彼女はまるで…強い風が吹いただけで、すぐに折れてしまいそうな儚い花のようだった。
「きたぞーー!!ミア姫様だ!!」
「きゃーーー!!ミアさま、綺麗ーーっ!!」
「ミア姫様…美しい!可憐だ!」
「ミア様!15歳の誕生日、おめでとうございまーす!」
「さすがはハインツの月姫様!まさに…ハインツの双璧…美の至宝と呼ぶにふさわしい」
ミア姫と呼ばれたこの美少女。
年齢はまだ若く…本日15歳になったばかりでありながら、既に周りを圧倒する美しさを放っていた。
しかし、それだけの美しさを持ちながら…
彼女は、驚くべきことに…観衆の前に出ることに、大きな恥じらいを見せているようであった。
手に持った大きな扇子で顔を覆い…チラチラと覗き見するだけで、なかなか顔を見せないでいる。
しかしそれがまた、観衆の興味と絶賛をあおった。
「おぉ、なんという慎ましい姫君だ」
「あれだけのお美しさを持ちながら、恥じらいを知るなんて…」
「まさに月の女神だ。雲に隠れていながら、その光を隠しきれないでいる満月のごとく輝いておられる」
「何とお美しい服装、そしてつつましやかな姿…まさにハインツの美の象徴ですわ」
そんなミア姫を心配したのであろうか…
カレン王子が、ミア姫のすぐ横にやってきた。
そして彼は、ミア姫の横に立つと、まるで彼女を支えるかのようにその肩をつかんだ。
その瞬間。
どっ!!っと会場が湧く。
顔がそっくりの美男美女の共演に、観客たちが悲鳴を上げ始めた。
この光景こそが、この場に居る観衆のほぼすべてが望んでいた光景だったからだ。
「カレン王子がミア姫様を…きゃーー!!」
「なんという素晴らしい光景!まるで二つの綺麗な宝石を眺めているみたい!!」
「さすがはカレン王子。妹姫をきっちりとフォローしておられる!」
「ミア姫様も照れてらっしゃって…素敵!」
会場は…まさに興奮のるつぼと化していた。
そんな歓声を聞きながら、カレン王子はにやりと笑って…横に居る妹姫に耳打ちをした。
その笑みは…まるで、いたずらをしている少年のような表情だった。
「…どうだい、弟よ。たまんないでしょ?この歓声」
言われた方のミア姫は、最高に不愉快そうな顔を浮かべながら、兄王子に対して言葉を返した。
このような観衆の前で無ければ、胸倉掴んで絶叫しながら文句を飛ばしていたところだろう。
「…最低な気分だよ。姉さま。ぼくは…この場に出てきたことを、心の底から後悔してるよ」
観衆たちは、そんな会話が二人の間でなされているとはつゆ知らず。
勝手に状況を解釈して、自然と盛り上がっていた。
「まぁ素敵!太陽王子が月姫を優しくフォローしてらっしゃいますわ」
「優しい兄王子だなぁ…妹姫の心配をしているなんて」
「本当に仲睦ましい兄妹だこと…うらやましい」
だが、ここにいる観衆は知らない。
この、月の女神に例えられる…美貌で知れたハインツ公国の姫、ミリディアーナ=アフロディアス=フォン=ハインツ…通称『ミア姫』が…
実は、「男」だということを。
同様に…
双子のきょうだいで、太陽王子と呼ばれる…ハインツ公国の王子、カレンフィールド=ランドスケイプ=フォン=ハインツ…通称カレン王子が…
実は、「女」だということを。
そう、実はこの二人…
なんと…『男女入れ替わって』いたのだ!!
これも、そっくりな外見の双子だからできたことかもしれない。
だが、このような『入れ替わり』は、決して二人とも望んでやっているわけではなかった。
そして、このような事態になってしまったことには深い理由があった…
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前世でどんなに悪いことをしても、『大観衆の前でスカートを履いて女装させられる』ということ以上に酷い仕打ちを受けることはないだろう。
そう思えるほど酷い…今の状況に、ぼくは穴があったら全力で逃げ込みたい気分だった。
ぼくが今回この場に登場させられるにあたって、何よりも嫌だったのがこの『スカート』を履かなければいけないことだった。
だって、スカートだよ!?スカート!!
男にスカートを履かせるなんて…こんな酷い仕打ちは他にないと思う。
…こんな姿、ぼくは絶対誰にも見られたくなかった。
それなのに…このざまだ。
本当に、苦痛以外のなにものでもなかった。
ぼくを見るあの…いやらしい視線!!
女性はまだいい。
だけど、男性たちのあの…おぞましい視線!!
ぼくはこのとき、生まれて初めて男性の視線を『怖い』と感じたんだ。
あぁ…本当に泣けてくる。
「なんでぼくがこんな目に…
姉さまのこと、一生恨むからね?」
ぼくは冷たい目で姉さまを睨みつけながら、めいっぱいの恨み言を言った。
だけど姉さまは、気にした様子もなくケロッとした表情のままこうのたまった。
「そうつれないことを言わないでよ。観衆の皆さんの期待に応えることも、あたしたちの仕事でしょ?」
最高の笑顔で観衆の歓声にこたえている…美少年たる姉の姿を横目に見ながら、ぼくは大きなため息をついた。
そもそもぼくは、今日の『成人記念祭』に参加する気はさらさら無かった。
あの『事件』以降、ぼくは強力な『呪い』のせいで女性の格好をしないといけなくなっていた。
何が悲しくて、女の格好をして人前に出なければならないのか。
なにかと理由をつけて『成人記念祭』は欠席しよう…そう思っていたんだ。
だけど、今回は完全に姉さまに嵌められた。
なーにが「期待している国民の皆様や、お世話になった人たちのためにも、今回だけは参加しましょう」だ!
いつになく真面目な姉さまの様子に、ついほだされてしまったのが大きな間違いだった。
あれよあれよの間に段取りがつけられて、ぼくの出席が瞬く間に広まってしまって…
気がついたらぼくは、完全に逃げられない状況に追い込まれてしまっていたのだった。
その結果が、今日のこの『晒し者状態』だ。
「…そうやって、姉さまは楽しんでるだけでしょ?
ぼくはもう、今すぐこの場から逃げ帰ってベッドの中に潜り込みたいよ…」
「んまぁ!『ハインツの月姫』ことミア姫様が、なんとはしたないことを!!」
「ちょっと!!ミア姫は姉さまのことでしょう!!」
「…ちぇっ。冗談が通じないやつだなぁ」
ぼくの抗議の声などうわの空の、馬の耳に念仏。
姉さまは僕の文句などまったく意に介していないようだった。
そもそも誰のせいで『呪い』をかけられて、男のぼくがスカートを履かなきゃいけなくなってしまったと思っているのか…
「そんなことよりほら、あんたも手を振ってあげなさいよ!
国民の皆様も喜ぶよ?」
「…いやだよ、そんなの……」
「それじゃ、スカートでもチラッとめくってみる?男性陣は発狂するよ?」
「ぜーーーーーーーったい、いやだ!!」
姉さまのとんでもない発言に、ぼくは違う意味で発狂しそうになる。
しかも、あろうことか本当にスカートにまで手を伸ばしてきた!
「うわっ!?な、な、やめてっ!!」
その瞬間、観衆がどっと沸く。
ぼくは慌ててスカートを押さえつけると、真っ赤になりながらキッと姉さまを睨みつけた。
姉さまはおちゃらけた感じで両手を挙げて降参の意を示すと、そのまま観衆に向けて手を振りはじめた。
…まるで、悪びれている様子がない。
そもそもは、この姉がすべての元凶だと言っても差支えがないのに…
だまし討ちした姉さまや、一緒になってぼくをハメたハインツ公王たちには、本当に腹が立つ。
だけど、一番腹が立つのは…こうもあっさりと騙されてしまった自分自身に対してだった。
ぼくは今の自分の置かれた状況を…この世のすべてを呪いたい気分だった。
「…女の恰好をするんなんて、もういやだああぁあああぁ!!」
ぼくは、横で心の底から楽しそうにニヤニヤ笑っている姉さまの横顔を睨みつけながら、魂の悲鳴を上げていた。
同時に、心の中で泣いていた。
…それは、血の涙だった。
なんでこんなことになってしまったんだろう…
ぼくは自問自答しながら、今日この場に至るまでの日々のことを思い出していた。
…それは思い出すのも苦痛な、魂が削られるほど過酷で残酷な日々だった。