13
その夜アッシュの部屋を訪れたアルフレッドに対する彼女の姿勢は、ひどく素気無いものだった。
先日のキャロラインとの逢瀬を見られたのでは無いかと推測したアルフレッドだったが、それを正面切って彼女に問い正すようなことも、彼はしなかった。
「しばらく、留守にする」
常とは違い、椅子にかけることもなく告げられた言葉に、ぴくり、とアッシュの肩が震えた。
「それを私にわざわざ告げることは無い」
(こんなに急に、どこに行くのだろう。先日までは何も言っていなかったのに)
心中では不安と疑問が渦巻いていたが、アッシュはそれを押し隠した。
「……心配しろとは言わないが、他に言い様があるだろう」
さすがのアルフレッドも気分を害したらしい。不機嫌さを隠すことも無く、横を向いたままのアッシュを見つめている。
「私にどんな言葉を期待しているんだ? それこそ無駄な事だとは、貴様が一番良く知っているだろう」
努めて表情を変えずに見つめ返すアッシュの目と、アルフレッドのグリーンの瞳がぶつかった。
そのまま無言で互いの胸の内を探るように見つめ合うこと数秒。
ふうっと、諦めたような溜息を漏らしたのは、アルフレッドのほうだった。
「ああ。そうだったな。アンタにとっては、俺がいない事こそが望むべき事だものな」
皮肉るように口の端を上げて笑うアルフレッド。それでもその上品な佇まいは失われておらず、それがアッシュを驚かせた。
アッシュの無言を肯定と取ったのだろう。
アルフレッドがそのまま、何者も拒絶するかのように、くるりと背を向ける。
その瞬間、アッシュの心に、とてつもない不安がよぎった。
(なんだろう、この不安は。このままアルフレッドが二度と帰っては来ないような気がする……)
それは、恐ろしいほどの強さでアッシュの心を揺さぶった。
「いつ……帰ってくるのだ?」
思わず出た言葉は、僅かに震えていただろう。
しかし、怒りの収まらないらしいアルフレッドはその事に気づく筈も無い。振り返ったその表情は未だ皮肉気で、心細さに打ち震えるアッシュの心などには全く頓着しないようだった。
「そうだな。十年……百年後と答えれば、アンタは満足か?」
些か自嘲気味に漏らした言葉に、アッシュが切なげに目を細める。
それに幾分眉を潜めたアルフレッドではあったが、それに気づいたようにアッシュは瞬時に表情を取り繕う。
「……」
アッシュの唇が僅かに開かれたが、その唇が言葉を紡ぐ事は無かった。
本当は、沢山言いたい事があったのだ。
(行かないで欲しい。それが無理ならば、せめて気を付けて……)
引き止めたいと強く願う裏側で、先日のアルフレッドと名も知らぬ女性の姿が思い出される。
(私はもう用済みなのだ。今更私が何を言った所で、無駄なこと)
恐らく今日とて挨拶程度の気持ちで自分の所にやってきたのだろうと思えば思うほど、アッシュの心は涙で溢れそうになる。
「……武運を」
結局アッシュの口から出たのは、そのようなありきたりの送別だった。
それにアルフレッドは面白くもなさげに笑うと、後ろを向いて右手をひらひらさせたきり、無言のままで部屋を出て行った。
その手を握りたいと強く願う自分の右手を、アッシュはきつく握り締める。そしてそのまま、アルフレッドのいなくなった部屋の中で、ベッドに突っ伏し泣き崩れた。
「アルフレッドの出立は?」
「はい。夜明けを待って、お発ちの様子にございます」
「ふむ。兵の数は?」
「およそ二千ほどかと」
「ああ。それなら向こうで千は削られるだろう。戻る頃には、三桁残っていれば良いほうかもしれぬな」
サーマは兄が使う執務室の扉に隠れて、兄・ブラドリー王と側近の会話を聞いていた。明らかに話がおかしい。
(兄上は、アルフレッドの兵力が落ちるのを待っているようではないか)
「あちらの準備は出来ているか?」
「はい。アルフレッド様のお留守を見計らって、邸内に入る段取りまで打ち合わせてあります」
「……!」
サーマは一瞬息を呑んだ。
兄は何を言っているのだろう。何故アルフレッドの邸内に押し入る必要があるのだろう……。
「女は、生きて捕らえよ。アルフレッドの叛意を表す重要な証人。殺すでないぞ」
「はい。……もちろん、それだけでは無く、その者がいれば、ラッカとの交渉もずいぶん有利に運びましょう」
「ああ。あの小国……。気位ばかりが高くて困ったものよの。いっそアルフレッドと同様に、亡き者としてくれようか」