10
「おや、これは、姫君の機嫌を損ねてしまいましたか?」
「姫君はよせ」
取り付くしまも無いアッシュにはあ、と溜息を吐くと、アルフレッドは座ったままのアッシュの頭を抱きかかえるようにした。
「少しは、寂しがってくれていると思ったが」
「見損なうな。私はそんな女では無い。そもそも、どうして私がお前の不在に寂しがらねばいかんのだ?」
突き刺すような言葉を選びながら、返す刀はアッシュの心をずたずたにした。
(なぜひと言「寂しかった」と言えないのだろう。これでは、ますますアルフレッドを怒らせるだけ……)
それでも自分を放っておきながら侘びの言葉ひとつ無いアルフレッドに、アッシュは許しの言葉を与える気にはならなかった。
それまで黙ってアッシュから吐き出される言葉を聞いていたアルフレッドは、瞳に暗い影を宿すと、軽く唇を噛む。それがどこにでもいる傷ついた青年のように見えて、思わずアッシュは言葉を失った。
しかし一瞬で常のふてぶてしい雰囲気を取り戻したアルフレッドは、強引にアッシュを立たせると、そのままベッドに放り投げる。
どさっ、と、ベッドの軋む音を背中で感じた。
「おい……っ! なにを!」
「なに? 今更聞く必要があるのか?」
そうして乗り上げてくるアルフレッドに、先程までの憂いを帯びた表情は無い。そこにあるのは酷薄なまでの笑みを浮かべた壮絶な美貌で、瞳に宿る冷徹な輝きに、アッシュは背筋が寒くなるような恐ろしさを覚えた。
「よ……せ……っ!」
「アンタには、もう一度教え込む必要があるな? アンタが一体誰のものかってのを」
「私は誰のものでも無い!」
燃えるような瞳で返すアッシュの瞳と、アルフレッドの凍えるような視線がぶつかる。
そのまま瞳を逸らすことなく、アルフレッドは無言でアッシュの顎を押さえると、無理矢理に唇を合わせてきた。
「ふ……んっ……。い、や……だ……っ!」
なんとか逃れようとするアッシュの両手首を頭の上で拘束すると、アルフレッドは益々深くアッシュの唇を貪る。
息も出来ぬような激しい口付けがアッシュを襲う。
咥内を思うまま探られ、舌の根を痺れが来るほどに吸い上げられる。
アルフレッドとのキスはもう数え切れないほど経験したが、これほどまでに激しいのは初めてだった。
元よりアルフレッド以外は知らぬアッシュなのだ。
初めて見せられる獣のようなアルフレッドの「男」に、アッシュは肉食獣に食われる前の小動物のように体を縮こませるだけだ。
「は……あ……っ」
唇を開放された時には、すっかり息が上がっていた。
体中に力が入らない。僅かに動く指先が、快楽の余韻にぴくぴく震えている。
そんなアッシュの様を楽しげに見下ろすと、アルフレッドは自分の襟元を優雅な仕草で緩める。男の浮いた喉仏が確かに上下する。
「今夜は……眠れると思うなよ」
その言葉をどこか夢うつつで聞きながら、アッシュはこれから始まるであろう性の饗宴に、無意識の恐れからぶるっと体を震わせた。
「しゃらり」、と衣擦れの音がして、ベッドの上のシーツが滑り落ちた。
アルフレッドはそれを拾い上げると、未だ自分の隣で死んだようにぐったりと眠るアッシュの裸身にそれをふわりと広げた。
今日は随分無理をさせてしまった。
何度目かの極みを迎えた後、眠るように気を失ったアッシュ。恐らく体力の限界だったのだろう。
落ち着いてみれば、先程まで自分がアッシュに強いた無体がまざまざと蘇り、アルフレッドの良心を苛んで来る。
何度も嫌だ、という体を引き戻し、貫いた。最後にはあのアッシュが涙を流してまで懇願したというのに、今晩は全くアッシュを手放す気にはなれなかった。
まさしく貪り食った、という表現が正しいのかもしれないと思い、アルフレッドは己の暗い欲望に心中で苦い笑いを零した。
「アンタは……結局すべてを拒むんだな」
嫌だ、と言われる事にも慣れたような気がしていたのに。
彼女の元を訪れることのなかったここ数日。アルフレッドがどんなに彼女を渇望していたか、きっと彼女は微塵もわからないだろう。
どんな女性と会っていても彼女を思い出し、その肌に触れ、口付けることを望んだ。
そのまま目の前の女性に別れを告げてでも舞い戻り、アッシュと閉ざされた世界で戯れていたかったのに。
それさえも、おそらくは彼女にとって迷惑なことなのだろう。
「それほどまでに、俺が嫌いか?」
口に出してしまえば、これほどの真実も無いような気がした。
後ろに伸ばした手で彼女の金の髪を梳くと、アッシュの髪はさらさらと彼の指の間を抜けていった。
「髪の一筋さえも、アンタは俺に預けてはくれないらしい」
一人ごちると、アルフレッドは何も身につけていない体に衣服を纏っていく。
夜明けまでにはまだ、間がある。
ずっと彼女の寝顔を見つめていたいが、朝起きたときに不機嫌な顔をされるのはごめんだった。
本当は、一度で良いから自分に向けられる笑顔が見たいのにー。
「まったく……愚かな男だな」
ベッドサイドに躓くと、横たわるアッシュの腕を取る。そのまま手の甲に口付けると、アルフレッドは寂しいような笑みを口元に上らせた。
そして背を向けるように踵を返すと、ドアを開ける。
これから夜明けまでの間が、彼に許された唯一の休息の時間だった。