プロローグ
「目指せハーレクイン」と言いながら、かなりゆるい内容となっております。本格ハーレをお求めの方には、申し訳ありません。
直接的な描写は少ないですが、一部に大人向けの内容を含みますので、R-15表記とさせて頂きました。
~プロローグ~
その城は、街を一望できる高台にあった。
瀟洒な外観はそこに住む者の趣味の高さを伺わせ、また同時に富と権威を手にしているであろうことも如実に示していた。
(……鳥の囀りがする……)
城の西側二階に位置するアッシュの部屋。カーテンをひいたままの室内にも日中の陽光が差し込み、思わずアッシュは顔をしかめた。
(今は、何時なのだろう)
確認するため起き上がろうとして……自分が何も纏っていないのに気付き、ハッと胸元をシーツで押さえる。
”コンコン”
その時、まるでタイミングを見計らったように、小さな音でドアがノックされた。
「アッシュ様? お目覚めになられましたか?」
「エマ? ちょっと待っていてくれ」
声の主は、小間使いのエマのようだ。アッシュは急いでベッドの下に脱ぎ捨てられていたローブを羽織ると、前を掻き合わせた。
「どうぞ」
声を掛ければ、静かな音がしてドアが開く。
小柄でまだ少女のような面立ちをしたエマが、柔らかな笑みを浮かべ、トレイに乗った食事を持ってきた。焼きたての柔らかなパンに、潰したジャガイモの冷たいスープ。コップに注がれた新鮮なミルクは実に美味しそうで、アッシュの食欲をそそった。
「……おはようございます。お食事を用意して参りましたが、召し上がられますか?」
控えめながらも柔らかい笑みをこぼし、エマが問う。
それに頬を赤くしながらアッシュが頷いた。
「ああ。頂くとするよ。ありがとう。それで聞くのも恥ずかしいのだけれど……今は、何時?」
「もう、お昼過ぎですわ」
僅かに小首を傾げて困ったように答えたエマに、アッシュは顔から火が出そうになる。
(…そんなに眠っていたなんて…)
いくら昨夜が遅かったとはいえ、先月までの自分では到底考えられないことだ。思わず、体に無数に残る恥ずかしい痕を隠すように、ローブの前をきつく併せた。
「アルフレッド様は、既に午後のご政務に出られていますよ」
その名を聞いた瞬間、アッシュの胸がどくんと大きな音を立てる。それは、今まさしく頭の中に思い描いていた男の名だった。
端正な横顔は、高価な美術品とも讃えられるほど。
硬質な色をした肌に、流麗な形を描く眉と意思の強そうな目元。
その中にある瞳は、理知的な色を宿す、吸い込まれそうな宝石色のグリーン。
薄い唇は美しいカーブを描き、その唇が開かれると思わずその動きを追ってしまいそうなほどだ。
何もかも完璧な美貌を持つ、年下の男。
短く切り揃えられたブラウンの髪までもが、彼の容姿を引き立てている。
あまりの恥ずかしさに俯いて視線を外すアッシュに気を使ったのか、エマが後ろを向いて、グラスにオレンジジュースを注ぎ始める。
「アルフレッド様、今宵はおいでになられないそうです。なんでもお仕事が大変お忙しいのだとか」
「……そうか」
ホッとしたような、どこか寂しいような顔でアッシュが返す。エマはそれに明るく笑うと、ちょっとお待ちくださいませ、と言い置いて部屋から出て行った。
アッシュはそれをぼんやり見送ると、膝の上に置かれたトレイに目をやった。
(……懐かしい、小麦と豆のパン……)
それを手に取り、半分に割ってみる。
(もう、二度と国に帰る事もないのか。父上、母上、お元気でいらっしゃるだろうか……)
ふと感傷に浸りそうになっている己に気付き、アッシュはきゅっと唇を噛み締めた。いけない。自分はもう二度と祖国を思い出さないと誓ったはずでは無いか。それでも。
(このパンは、私と国を繋ぐ唯一のもの。あの人はなぜ何も言わずに、私が望むままこのパンを用意してくれるのだろう……)
アルフレッドがこれをどのように仕入れているのかは知らないが、いつまでも祖国を恋い慕い続ける自分をどのように思っているのだろう。
(あの人は、何も聞かない。そして私も……何も、話さない)
「アッシュ様、ほら、すごいでしょう? 先ほど、アルフレッド様の使いの者が持ってきたんですよ」
嬉しげに部屋に入ってくるエマを見れば、一抱えほどもあるバスケットに、山盛りのフルーツが盛られていた。
オレンジ、洋梨、リンゴ……他にも様々な色のフルーツが盛られ、さながら宝石の入った宝箱のようである。
「何か、お食べになりますか?」
アッシュの脇にある出窓にバスケットを置き、エマが尋ねる。元々フルーツはアッシュの好物であった。いつぞや寝物語に、アルフレッドにそんな話をしたことがある。
(覚えていてくれたのか……?)
「では、これを」
アッシュが指したのは、その色も美しいリンゴであった。
食べ頃を迎えたそれが、午後の陽光を受けてきらりとひかる。見ただけで瑞々しいと解るそのひとつを手に取ると、では切って参ります、と笑みを見せてエマの姿が消えた。
途端にしん、とした部屋にどこか落ち着かずバスケットに目を遣れば、何か手紙のようなものが挿さっているのに気付いた。
手を伸ばしてそれを摘み上げれば、明らかに上質と解る、透かしの入ったブルーの紙。明らかにアッシュの胸が高鳴る。
震える指で紙を広げれば、忘れもしない、アルフレッドの流麗な筆跡が踊っていた。
―昨夜は、無理をさせた―
たった一言だけ書かれた手紙。
それでも、その文字を見た瞬間、明らかに指先から体の熱が上がる。思わず目をつぶり、手紙を胸に押し当てた。
「……こんな物より、少しでも顔を見せてくれれば良いのに……」
漏れた小さな呟きは、アッシュ自身も意識しないものだった。