月曜日(4)お宅訪問はほめたおしが基本
それぞれの「自宅」に戻ることになって、いよいよ兄と准多のペアと別れるときに、わたしは兄に、准多に関するもっかの心配ごとを耳打ちした、流れるような早口で。
「野々宮の家で着替え、しないわけにいかないよね。いっそ、いいかな、着替えなくても? いや、だめだよね、やっぱり。引き出しとか、おもに下着類の引き出しとか、入れ替わった人が開けずに替えを用意できるような方策をとっていただけると助かるんですが、いかがでしょうか。それから、・・・」
「それは当然。俺がふさわしいのを出してやるし。しばらく夜は同じ部屋で寝て見張っとく、やだけど」
さらりと言ってのけたけど、「ふさわしいの」ってどういう基準?
もちろんこんなことを頼みたくはなかった。けど他に姉妹もいないし、引き出しを兄が開けるか准多が開けるかの苦肉の二択だ。クマオが言った「あんなことやこんなこと」とかも、頭の中でぐるぐるして不安は倍増。でも、どうやらこんな心配も兄はお見通しのようなので、潔くお願いするしかないだろう。
とはいえ、このときには次の日目が覚めたら戻っているかも、なんて思ってみたりしたんだけれど・・・
クマオと一緒にマンション三階にある原口家に到着してドアを開けると、「にーちゃーん」と声がして、くりくりお目めの可愛い子がまろびでてきた。一人で留守番させてしまったらしい。
原口家の家族構成は道々だいたい教えてもらっていた。証券会社勤務の父親、営業職の母親は帰りが遅いことが多く、今目の前にいる年の離れた妹、三波ちゃんは来年小学校入学予定で現在は保育園に通っているとのこと。
本日は帰りがけにクマオが保育園まで迎えに行き、家に着くか着かないかのところで、例の電話を受けたらしい。その三人プラス高校生兄弟二人の五人がこの一家の構成員である。
まず第一関門として、かわいい妹ちゃんに不審に思われないようにしないと。
「ごめんよ三波、今日はちょっといろいろあって、准にいちゃん疲れてるから、ちょっと部屋で休ませるな」
小さな妹を気遣うクマオはなかなかよいお兄さんぶりで、三波ちゃんもすなおにうなづいている。
風呂やトイレの間取りを小声で説明されつつ、兄弟の部屋にたどりついたが、ドアをあけたとたんに香ばしいかおりに出迎えられて今後の生活にかかる暗雲を見た。
これは天使のにこげの匂いだから、と自分に言い聞かせながら一歩踏み出すと、足の裏に感じるカーペットがジャリっと音を立てたのは気のせいに違いない。
「この部屋のものとか、適当に使っていいから遠慮すんなよ。あとこのへんの雑誌はもちろん俺のじゃなく准多のだけど、よかったら勝手きままに見てちょうだい」
と、肌色の割合多めの表紙を示してクマオは退室した。それはご親切にありがとう。
なんというかもう、異常事態の中でここまであっけらかんと対応されると、いっそすがすがしいです。
と、いうわけで冒頭の状態にもどる・・・
その後は人体の神秘にせまるのを極力慎重に避けつつ、初めてのトイレ、初めてのお風呂を恐る恐る済ませた。そのたびに、同じ経験をつんでいるはずの准多のことが気になる。お互いに人体探訪の旅に深入りする前に、どうかどうか、元の状態に戻れますように。
さて、残る本日の課題は、いまだ帰宅していない「両親」との対面だ。
現在午後八時、今日のように母親の帰りが遅めになるのは週の半分ぐらいで、そんな日は、子どもたち三人はできあいのものを買ったりして、適当に夕食を済ませるシステムなんだとか。ちなみに大人二人はどうするかというと、遅い日の食事は出先で済ませてくるという。
少しの驚きを感じながらも、リビングで三波ちゃんのにぎやかなおしゃべりに耳を傾けつつ、クマオが買ってきてくれたお弁当を半分ほど食べ、残りをクマオに食べてもらった。
それからソファでだらだらしていると、ピンポンピンポンとインターホンが連打された。
三波ちゃんがドアにとびついて開けている。
悪い人だったらどうするの、と止めるまもなく、明らかに酔っ払いの女の人がなだれこんできた。三波ちゃんが「ママ~」と呼ぶからには原口家母らしい。
「かっわいい、みっなみちゃ~ん、会いたかったよぉ~。キスミーぷりーず」
母、叫びながら三波ちゃんを抱きしめている。怪しい英単語を発しているが、顔や体型はこれ以上ないくらい日本人だ。続いてわたしの腕をガッとつかむと、けっこうな力で引き寄せてこれまた抱きしめる。
「ヘ~イ、ハンサムボーイズ、カマ~ンッ! やっぱりぃ我が家がぁベストパートナーァ!」
わたしはふだん、家族でもハグなんてことしないし、だからなのかこういう積極的な身体接触はちょっと苦手で思わず固まってしまった。それをものともせず、こんどはクマオの方に抱きつこうとしているが、クマオは慣れた様子で水の入ったコップを差し出し、三波ちゃんは嬉しそうにそれを見ている。
「お~いしいウォーラー、あっなた~にセンキュウ!」
意味不明の迫力を見せつけて、彼女は嵐のように部屋に引き揚げていった。
そして約二時間後、原口家父が帰宅し、ほぼ同じような光景が繰り返される。
どうやら中身が入れ替わっていることがすぐにバレる心配はあまりしなくてよさそうだが、このテンションについていくのは大変かも、と思った第一夜だった。