第13話
「俺が戻るまで、絶対に外には出るなよ」
今朝、出勤前の本多に、シュリはそう釘を刺された。ヒミコ曰く、〈迦波羅〉が私を追っているらしいから、まあしかたがない。本多もシュリを心配しているのだ。
シュリはまず、いつも通りネットに潜り、探索をはじめた。マシロ・コーポレーション本社の地下深くにあるという隔離施設をさぐってみるが、やはりそんな空間の形跡はみられない。完璧に隠蔽されている。結局は直接行くしかないのだ。ヒミコたちも手を貸してくれると約束してくれた。いま〈赤の旅団〉が〝侵入計画〟を練ってくれている。その準備が整うまで、シュリたちは待機するしかない。
ネットでの収穫はなく、シュリは早くも手持ち無沙汰になってしまった。ただ待つだけというのは、なんとも落ち着かない。心がそわそわする。
(しかし、ほんっと、むさ苦しいわね、この部屋……)
気になり出すと止まらなくなった。
はじめに目に入ったのが、本多が飲み干したビールの空き缶だった。シュリはまず、空き缶を集めてゴミ箱に捨てた。つぎに、脱ぎ捨ててあった本多の服を、備え付けのランドリーで洗濯した。すると今度は、溜まっていた埃が気になりはじめ──と、いつのまにか本格的な大掃除がはじまっていた。
見違えるほど綺麗に片付いた部屋をみて満足するシュリであったが、時計を見てみるとまだ二時間くらいしか時間が経っていない。
(嘘でしょ……)
シュリは、ソファーに身を沈めると、力なくうなだれた。
(はあ、やることがない……どうしよ)
そんなことをおもいながら、ぼんやりと小綺麗になった部屋を眺めていた。そんなことをしているうちに、シュリの頭の中に、ある計画が閃いた。
シュリはその計画を反芻して吟味してみる。
(ふ~む、我ながらなかなかいいんじゃないかしら、このアイデア……それどころか素晴らしくない? 最高じゃないコレ?)
吟味すればするほどそうおもえてきた。そうなると、もうじっとしていられない。部屋で大人しくしているなんて無理だった。
シュリは所持金を確認した。ポケットに入っていた全財産は硬貨だけだったが、これだけあればモノレールには乗れそうだ。
シュリは用心深く玄関のドアから廊下を覗いた。いつもと変わらず、廊下に何人かの人間が寝転がっている。シュリとしてもアンドロイド狩りには遭遇したくなかった。あんな怖い思いはもうご免だ。
集合住宅を出ると、なるべく安全で人目につきにくい道を選んで、モノレールの駅を目指した。モノレールに乗って上層を目指す。車両のなかでもシュリはたえず周囲を警戒していた。
上層の駅を降りたとき、やっと、シュリは緊張感から解放された。ここなら普通にアンドロイドが道を歩いているからだ。ここならアンドロイド狩りに遭う心配もない。
さて、シュリの〝素晴らしい計画〟を実行するためには現金が必要だった。
ATMの前に立つシュリ。シュリの生前の口座は、凍結はされていたが、解約はまだされていないはずだった。しかし、いまのシュリに現金を引き出す手段はない。ハッキング以外では──
シュリは、後頭部からコードを引っ張り出して、ATMの取引用端子にジャックインすると、〝情報の海〟に飛び込んだ。行きたい場所を思い描くだけでそこへ行けた。〝移動〟というより、まわりの空間が組み換えられて、望んだ場所に変化する、といった感じだ。シュリの個人口座はすぐにわかった。攻性防壁も情報思念体であるシュリを阻むことはできない──
──リアルに戻る。シュリの手には充分すぎるキャッシュが握られていた。
× × ×
エレベーターが十三階に着いて自動扉が開くと、食欲をそそる匂いが本多の鼻を刺激した。これは肉を焼く匂いだ。しかも人工肉ではない上モノを、だ。
(どこの部屋からだ? このアパートで本物の肉を焼くなんて有り得るのか。まさか人間の肉を……)
などと、不穏な妄想まで駆り立てられた。
しかしどうやら、匂いの発生箇所は、本多の部屋のようだ。
本多は玄関のドアを開けた。まず、部屋を間違えた、とおもった。なぜなら本多のいつもの部屋なら物が散乱しているはずだからだった。しかし、この部屋は物が整理整頓されて、ゴミも空き缶も床に落ちてなく、清潔だった。
「おかえりなさい」シュリが本多を出迎えた。
「俺の部屋でいいんだよな」
「アハハ、そうだよ。どうかしら? ちょっと掃除してみたの」
「ああ、すごいよ。見間違えた。ありがとう」本多は軽い放心状態だった。
「じゃっじゃーん!」
シュリは両手を広げて、本多を食卓へといざなった。
食卓の上には、牛肉のステーキ、鯛のカルパッチョ、かぼちゃスープ、パン、それにワインという、本多のこれまでの人生において見たことがないような、豪勢なご馳走がならんでいた。
「手を洗ってきて本多さん。出来たてだよ。冷めないうちに」
「お、おう」
本多は、言われるがままに手を洗うと、食卓の席についた。
「これ、食べていいのか?」
「当たり前でしょ。さあ、召し上がれ」
「ああ。じゃあ、いただきます」
匂いだけで口から唾液が零れそうだった。本多は、慣れない手つきでステーキを切ると口に運んだ。衝撃が走る。まるでバットで後頭部を殴打されたようだ。鼻に抜ける肉の香りに意識が飛びそうになる。
「美味いッ!」
「フフ、でしょー。それが本物のお肉だよ、本多さん」
人工肉ではない、本物の牛肉というものが、これほどとは! 本多は驚きを通り越して、感動すらしていた。
次はカルパッチョに挑んだ。魚を生で食べるなんて考えもしなかった。弾力と歯ごたえで新鮮だとわかる。野菜もみずみずしい。
スープを啜る。かぼちゃがこんなに甘いなんて知らなかった。
それに、ワインだ! これは、なんと美味しい飲み物だろうか!
本多は無我夢中で食べつづけた。本多の正面の席に座ったシュリは、その様子をニヤニヤしながら眺めていた。
本多がすべての料理を平らげると、皿には一滴のソースも残っていなかった。
シュリが「ビールもあるよ」といって、いつもの缶ビールを出してくれた。飲み慣れた味だ。
「この料理は全部君がつくったのか」
「そうだよ」
「上手なんだな、料理」
「一人暮らしが長いからね」
「そうなのか」
「うん。生まれてからほとんど一人だよ」
「生まれてからって、どういうことだ?」
「私はね、アンドロイドに育てられたの。私がいま憑依してるこのアンドロイドが私の育ての親なんだ」そう言いながら、シュリは自身の身体を愛おしそうに撫でた。「ママは私を産んですぐ死んじゃったじゃない? 父親は私になんて興味なくてね、すぐに育児放棄して、自分の会社の製品である育児アンドロイドに私を育てさせたの。だから父親とは数える程度しか会ったことがない」
「そうだったのか」本多は複雑な顔をしていた。
「このアンドロイドはもう何世代も前の型だから、普通なら廃棄処分なんだけど、捨てられなくてね。何回も修理したり、部品を交換したりして、なんとか延命させてきたの。料理も洗濯も掃除も、ポリーに──あ、このアンドロイドをそう呼んでたの。ポリーに教えてもらったんだ、全部。でもね」シュリはすこし哀しそうな顔をした。「私が死んだあと、すぐに捨てられちゃったみたい」
「捨てられたって、なんでわかるんだ」
「だってね、私がこの機体に憑依して、はじめて意識を取り戻した場所がゴミ捨て場だったから。そのときはびっくりだったわ。だって、不法投棄されたゴミの山のなかで朝を迎えるなんていままでの人生でなかったもの。でも不思議と気分がよかった。なんでだろう。ほんとに清々しい目覚めだったわ」
「変わったヤツだな。でもシュリらしいとおもうぞ」
「え、なんでよ」
「俺は、なんでアンドロイドなんだろうって、ずっと思ってたんだ。アンドロイドに取り憑く幽霊なんて、きいたことないからな。でも君がそのアンドロイドを選んだんだな。どれでもよかったわけじゃない。一番愛着があるから」
そう言われてシュリはすこし驚いたような顔をした。それから、「そうね。そうかもね」と顔をほころばせた。
「ところで、シュリ」空気が一変した。本多がキッと鋭い視線をシュリに向ける。「この高級食材は、いったいどうしたんだ?」
シュリは急に落ち着きをうしなった。
「えッ、ああ……だ、大丈夫だよ。ご心配なく……私のお金で買ったから」
動揺を隠しきれていない。
「そうじゃなくて、どうやって手に入れた。まさか、外に出たんじゃないよな。あれだけ外に出るなって言ったもんな、出るわけないよな」
本多の目が据わっている。
「……え、いや、ちょっと、ねえ」
シュリは、不穏な雰囲気に怯えた。
「お前、〈迦波羅〉に追われてるんだぞ! 自覚無さすぎだ!」本多がシュリを叱る。「それにアンドロイド狩りだっている。また襲われたらどうするんだ!」
「ヒィ、ごめんなさい!」
× × ×
ああ、またこの夢か──
大陸内地の荒野、のどの渇き、照りつく太陽、いつまでもつづく行軍、毎度変わらない内容。このあと俺は二〇ミリ弾で肉片にされる。夢だとわかっているのに、俺は結末を変えることができない。
しかし今回はちがった。襲撃をうける前に夢が途絶えたから。
天井が見える。部屋は明かりが消され、薄暗い。俺はソファーの上で仰向けに寝ていた。まだ夜中だ。
だれかが俺の手を握っている。見ると、シュリが俺の傍らに跪き、俺の左手を両手で包むように握っていた。
「大丈夫だよ。私がいるから」
「なに、やってんだ?」
「また怖い夢を見てたんでしょ。だって本多さん、毎晩毎晩うなされてるよ。ビールをあんなにたくさん飲むのも、そうしないと眠れないからでしょ」
「……」
「きっと本多さんは、戦争で、私が想像できないくらい酷い光景を見てきたんだよね」
「シュリ……」
「大丈夫だよ、私がいるから。悪い夢は私が全部やっつけてやるから」
その可愛らしい申し出に俺はおもわず微笑んでしまった。
「それは頼もしいな」
俺は瞼を閉じて、なにも考えず、シュリに身をまかせた。眠りはすぐにやってきて、俺を泥濘のなかにひきずりこんだ。
どうか悪夢を見ませんように──俺はそう祈りながら意識を失った。




