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第4話 恋文には、インクの色にも意味がある

 茶会から三日後。


 俺はようやく、この屋敷で一つの真理を理解していた。


 この世界の貴族は——。


 全員、言葉が遠回しすぎる。


(なんで誰も普通に喋らないんだよ)


 ——普通に喋っている。


(嘘つけ)


 現在、ルシアンは書斎にいた。


 重厚な机。高い本棚。窓際の観葉植物。


 そして机の上には、一通の手紙。


 薄青色の封蝋。


 花の香り付き。


(ラブレター?)


 ——違う。


(絶対ラブレターだろこれ)


 ——社交文書だ。


(貴族、絶対そう言う)


 ルシアンは手紙を開く。


 流麗な筆跡。


 内容は短い。


『先日の茶会、穏やかな午後をありがとうございました』


『紅茶のお話、興味深く拝聴いたしました』


『またお話できる日を楽しみにしております』


 ——クラリス・ベルンハルト


(ラブレターじゃん)


 ——違う。


(いやいやいや)


 ——これは“感謝状”の範囲だ。


(範囲広いな貴族社会)


 するとルシアンは便箋を机に置き、無表情で呟いた。


「……面倒だな」


(お、珍しく本音)


 ——返事を書かねばならん。


(書けばいいだろ)


 ——問題は“どの距離感で返すか”だ。


 始まった。


 貴族の難解パズル。


(返事なんて、『こちらこそありがとうございました』でいいじゃん)


 ——それでは近すぎる。


(じゃあ『今後ともよろしくお願いします』)


 ——事務的すぎる。


(めんどくせぇ!!)


 するとルシアンは、引き出しから数本のペンを取り出した。


 黒。


 青。


 深緑。


 赤茶。


(なんで色そんなあるの)


 ——恋文だからだ。


(認めた!!)


 ルシアンは露骨に嫌そうな気配を出した。


 ——正確には、恋愛的含意を持ち得る社交文書だ。


(役所の言い方するな)


 そして彼は青いインクを手に取る。


(それが正解?)


 ——無難だ。


(黒は?)


 ——事務的。


(赤は?)


 ——求婚級。


(怖っ!!)


 インクで人生決まるのかこの世界。


 ルシアンは便箋を前に沈黙した。


 長い。


 めちゃくちゃ長い。


(……何悩んでんの?)


 ——書き出し。


(そこ!?)


 ——“穏やかな午後”への返答が難しい。


(なんで)


 ——同じ温度で返せば親密。冷たければ拒絶。


(温度管理シビアすぎるだろ)


 するとルシアンは、慎重にペンを走らせ始めた。


『先日は、香り高い茶葉と興味深いお話に、私も良き時間を頂きました』


(おお)


 ——無難だ。


(AIみたいな文章だな)


 ——えーあい?


(気にするな)


 そこへ。


 コンコン、と扉が叩かれた。


「兄様、入ってもよろしいですか?」


 エミリアだ。


 ルシアンの感情が少しだけ緩む。


「入れ」


 扉が開く。


 今日のエミリアは淡い黄色のドレスだった。


 両手に焼き菓子の皿を持っている。


(また持ってきた)


 ——最近多いな。


(嬉しいくせに)


 ——……。


 図星らしい。


 エミリアは机に皿を置き、ふと便箋に目を留めた。


「あ……クラリス様へのお返事ですか?」


「そうだ」


 するとエミリアは、少し嬉しそうに笑った。


「クラリス様、お綺麗ですものね」


 ルシアンが止まる。


 空気が微妙に変わった。


(……何?)


 ——面倒な質問だ。


(褒めるだけでいいじゃん)


 ——不用意な肯定は噂になる。


(ここ屋敷の中だろ!?)


 ——使用人は喋る。


(スパイ組織かよ)


 するとエミリアが、おそるおそる聞いた。


「兄様は……クラリス様のこと、お好きなのですか?」


 沈黙。


 ルシアンは答えない。


 だが、その沈黙だけで、エミリアの顔が曇る。


(おい)


 ——何だ。


(答えてやれよ)


 ——どう答えても問題になる。


(なんでだよ)


 ——好意を認めれば婚約推進。否定すればベルンハルト家への侮辱。


(地獄か)


 ルシアンは静かに息を吐いた。


 そして。


「……良い令嬢だ」


 とだけ言った。


 曖昧。


 完璧に曖昧。


 だがエミリアは満足したらしい。


「ふふ、兄様らしいです」


 笑顔になる。


 部屋が少し明るくなった気がした。


 エミリアが去った後、俺は聞いた。


(なあ)


 ——何だ。


(お前、恋愛したことあんの?)


 数秒の沈黙。


 そして。


 ——貴族にとって恋愛は、“起きるもの”ではない。


(え?)


 ——管理するものだ。


 その答えが妙に寂しかった。


(……つまんなくない?)


 ルシアンは少しだけ考えた後、静かに返す。


 ——“楽しい”で婚姻を決めるほど、我々は自由ではない。


 重い言葉だった。


 でも。


 同時に、どこか諦めているようにも聞こえた。


 その時だった。


 ルシアンの手が止まる。


 便箋を見つめたまま、動かない。


(どうした)


 ——結辞が決まらん。


(まだそこ悩んでたの!?)


 ——“また会いたい”は近すぎる。


(うん)


 ——“ご健勝を祈る”は遠すぎる。


(中間ないのかよ)


 長い沈黙。


 そして俺は、半分冗談で言った。


(『次の紅茶も楽しみにしてます』でいいじゃん)


 ルシアンが止まる。


 完全に止まる。


(……おい?)


 数秒後。


 彼は静かにペンを動かした。


『次回のお茶会でも、お話を伺えることを楽しみにしております』


(採用した!?)


 ——……自然だ。


(めっちゃ悩んでたくせに)


 ——お前の言葉は、妙に作法の外側にいる。


(悪口?)


 ——時々、便利だ。


 その言い方は。


 少しだけ笑っているように聞こえた。


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