第一章(1)
『では、四月一日。東西旅行の編集部でお待ちしてます』
「よし!!!!」
朝霧さんからの内定連絡を貰った僕は、自分の部屋で大きくガッツポーズ。散々苦戦した就活だったが、いちばん良いところに就職することができた。
母さんにすぐメッセージアプリで連絡する。僕も舞い上がるほどに嬉しかったが、母親の喜びようは、もしかしたら僕以上だったかもしれない。
『よかったじゃない! おめでとう!!』
まだ仕事中かと思いメッセージアプリを使ったのに、返信は電話だった。
「……ありがとう」
電話越しに喜ぶ声に、少し目頭が熱くなる。
その週の土曜日には、ショッピングモールに連れていかれた。
「綺麗な格好をしていくのよ。職場は第一印象が肝心だからね」
と、いう母さんに鞄をはじめ、スーツから靴下から下着から、自分で買うといっているのに全て揃えられる始末。
「悪いよ。うち、金無いのに」
「いいのよ。教師やめたら、楽させてもらうから」
父親が早くに先立ち、僕の家は経済的に厳しい。それでも母さんは、こともなげに笑ってみせたのだった。
そんな母さんの期待に応えるためにも、頑張らないと。
初出勤、遅刻は厳禁だ。スマートフォンのアラームを一分起きに、三重にセット。最後に目覚まし時計をセットして、布団にもぐり込む。
明日からいよいよ社会人。結局会社の人には朝霧さん以外会えていないけれど、他にどんな人が待っているのだろう。厳しい人だったら嫌だな。パワハラとか今問題になってるけど、そんな人じゃありませんように。
でも朝霧さんにまた会えるのはすごく嬉しいな。嫌われないようにしないと。
えっと、香水とか付けた方がいいんだろうか。
あ、髪を切るのを忘れたな。そうそう、明日の通勤経路を確認しないと……。
気分が高ぶっているのか、普段はすんなり寝付けるのにいろんな考えが頭を過ぎる。
そのうち。
「雲雀!」
階下から声が聞こえた。
母親の声。いや、まだ時間は夜のはず。念の為に早く起こしてくれたのかな。そんなことを思っていると、枕元に置かれたスマホや目覚ましが、一斉に鳴り出した。
「うるっさ!!!!!!!!!」
思わず叫んでしまうほどの大音量に囲まれながら、僕は愕然とした。
……今日、寝れなかった!?
結局一睡もできなかったが、やっぱり気分が高ぶっていたらしく、目は冴えていた。
最寄りの駅から電車に揺られること、三十分。
僕が住んでいる『五塀県』最大の都市である『神辺』。
神辺駅に降り立って、歩いて十分ほど行ったところが、東西旅行の編集部がある雑居ビルだった。
面接に行ったときの記憶が幸いして、迷わず到着する。時間は朝の八時三十分。朝霧さんには、四十分に編集部に来るように言われている。ちょうどいい頃合いだろう。
えっと、三階だったよな。
エレベーターに乗り込み、今まさにドアが閉まらんとした時。
「あー! ちょっと待って、待っておくれ!」
ほぼ閉まりかけていた扉の向こうからそんな声が聞こえて、慌てて『開』ボタンを押す。
「ごめんねなのね、助かったなのね!」
……なのね?
変わった語尾をつけて飛び込んできたのは、だるまのような見た目をした男性だった。
茶色のスーツに、黒いスラックス。小さな背丈で小太りかつ短足、童顔は丸々としているが、その雰囲気は柔和そのもの。とても気の良さそうな笑顔を浮かべた男性は、しきりにハンカチで汗をぬぐいながらエレベーターのボタンを押そうとして、僕の顔を見た。
「おや、三階にお越し、ということは、東西旅行になにかご用ですか?」
「あっ……もしかして、東西旅行の方ですか?」
思わず質問を質問で返してしまった。良くなかったかな、と思う僕より先に、男性は満面の笑みを浮かべる。
「ええ。私、東西旅行の……」
話の途中でエレベーターが止まる。ゆっくりと開いた扉、その向こうにいたのは、
「お待ちしてました、小鳥遊さん。……あら、編集長!」
朝霧さんは、僕の横に立っていた男性に向けて驚いたように口を手にあててみせる。
「……編集長!?」
「うふふ。よいタイミングですね。それに……もしやあなたは、小鳥遊くんですか?」
まさか編集長だとは思わなかった。ころころと笑う少し高めの声に、僕は頷く。
「はい。今日からお世話になります、小鳥遊雲雀と申します」
「うんうん。初の男性ライター、期待してるよ」
……初?
その言葉に疑問を抱く。それってどういう、と聞き返そうとした僕は、
「はいはい。編集長も、小鳥遊くんもそこまで。続きは編集部で、ね?」
笑顔で僕らを制した朝霧さんに、続く言葉をいう機会を失ってしまう。
「ふふ。朝霧くんが仕切ってくれるから、助かるわぁ」
「いやいや。まだまだ編集長には及びませんよ」
和気あいあいと会話を交わす二人。仲がよさそうだ、僕もこの輪に入っていけるだろうか。そんな不安を感じながら、僕は初日を迎えたのだった。
「それじゃ、小鳥遊くんの席はそこだから。鞄を置いたら、朝礼するね」
東西旅行の編集部。
窓際には大きな長机が置かれており、部屋の中央には縦横それぞれ二つずつ繋げられた机が設けられている。朝霧さんの隣の席に鞄を置き、長机の周りに集まる。それが、編集長の机のようだった。
「それでは改めて。ようこそ、『東西旅行』へ」
編集長は愛想のよい笑顔で、
「それじゃ改めて自己紹介ね。ボクの名前は浦島三郎。サブちゃんと呼んでくれても構わないよ」
……呼べるわけもない。僕はとりあえず『編集長』と呼ぶことに決めた。
「それじゃ、朝霧さんも挨拶するのね」
「はい。改めまして、朝霧雛子です。この度は内定承諾、入社いただき、本当にあり
がとうございます」
「いえ……こちらこそ」
「ふふ。緊張しないでください。編集長も、今は留守のスタッフもいい人ばかりですから。これから頑張っていきましょうね」
「ありがとうございます」
「小鳥遊くんも自己紹介、いいかな?」
「あ……はい」
編集長に促され、咳払い一つ。二人に向き直って、頭を下げる。
「今日からお世話になります、小鳥遊雲雀と申します。よろしくお願いします」
「よろしくなのね。それじゃ、朝霧くん」
「はい、承知しております」
編集長の目くばせに、朝霧さんが持っていた書類を僕に手渡す。
「……これは?」
「小鳥遊さん用の『入社のしおり』です。今日はこれを元に、軽くミーティングと行きましょうか」
事前に仕事の内容を説明してくれるということ、だろうか。助かるな。そんなことを考えていると、編集長は鞄を持って席から立ち上がった。
「それじゃ、今日も取材に行ってくるのね。朝霧くん、後よろしくね」
「承知しました。気を付けてくださいね」
「小鳥遊くんもお仕事頑張ってね! 君には期待してるからね!」
そう言って編集長は僕の両手を持ってぶんぶんと振り回すと、「それじゃなのね!」と言って編集部を出て行ってしまった。
「それじゃ、お仕事の内容を説明しますね? 応接セットの方が話しやすいと思いますので、そちらに移動しましょうか!」
「あ、はい! ……あっ」
朝霧さんに着いていこうとして、編集長の机に置かれたなにかに手が当たってしまう。パタン、と倒れたそれは、写真立てだった。
編集長と、隣には気怠そうにしている女性が『東西旅行』と書かれた扉の前で立っている、色あせた写真が入っている。
これが別のスタッフの人、なのかな? 思わず凝視してしまいそうになるが、人の写真を黙って見るのはよくないよな、と心がブレーキを掛ける。
「小鳥遊くん?」
「すみません、すぐ行きます!」
写真立てを元の位置に戻すと、急ぎ足で朝霧さんのところへ向かった。
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