プロローグ(2)
かわいい。
その笑顔を見た瞬間、僕の顔はきっと真っ赤になったに違いない。
整った顔立ち。楚々とした雰囲気。百人が百人『美女』というであろう、その姿。しゃんと伸びた背筋に、笑った姿はまるで灰色のビルに花が咲いたよう。面接の会場で持つ感情では決してないけれど、彼女の構成要素すべてに対して僕の体が『かわいい』と叫ぶ。
「お待ちしてました。こちらへどうぞ」
おまけに、透明感がある鈴の音のような声は聞くだけでとろけそうになる。一瞬で魅了されてしまった僕に、脳内で冷静な僕が声を掛ける。
――落ち着け、小鳥遊雲雀。お前は今日、面接に来たんだろうが。
そうだった。なんとか平静を取り戻しつつ、先導する女性についていく。通されたのは、編集部の片隅に置かれた小さな応接セットだった。
「少しお待ちください。書類を持ってきますね」
女性がデスクに戻っていく。それを機に少しだけ緊張から解放された僕は、改めて編集部をぐるりと見渡した。
それにしても、静かだ。電話が鳴ることもなく、スタッフもさっきの女性一名だけのよう。ソファやテーブルは清掃が行き届いているように見えたけど、スチールデスクは錆びていてどこか物悲しい雰囲気を醸し出している。
大丈夫かな。採用された途端、倒産とかしないかな。
「あ、今この会社寂れてるな、大丈夫かな? って顔しました?」
「!?」
周囲を見渡していて、気を抜いてしまったらしい。いつのまにか対面にやってきていた女性に、そんなことを言われてしまって焦る。
「あ、いや、そんなことは……」
「くひひ、素直な感想を持ってくれていいんですよ。でも大丈夫です、こう見えてうちの会社、稼いでますから」
スーツを着こなした彼女は少しだけ意地悪っぽく笑う。
「それでは、事前の雑談はここまでにして」
女性の声のトーンが少しだけ真面目になる。その声に僕が姿勢を正すと、彼女は微笑を浮かべながら、続けた。
「本日は『東西旅行』の面接採用試験にお越しいただき、ありがとうございます。本日面接官を務めます、朝霧雛子と申します。よろしくお願いいたします」
「それでは、自己紹介をお願いします」
「はい。小鳥遊雲雀、と申します。名阪芸術大学四回生、文芸学部所属です。大学ではライティングの技術を磨くための勉強をしていました。どうぞよろしくお願いいたします」
就活を始めた半年前は緊張してなかなか出てこなかった挨拶も、ひたすら面接を繰り返した今となってはすらすらと出てくる。朝霧さんはゆっくりと頷くと、
「それでは、弊社の志望理由を教えてもらえますか?」
就活ではお決まりの質問。決めていた答えを、ゆっくりと口に出す。
「一つは、昔から本が好きで、文章を書く仕事につきたい、と思っていたこと。それと、採用ページにあった『自分の明日を探す』という言葉が……とても素敵だったからです」
僕がそういった瞬間、メモを取っていた朝霧さんの手が止まった。
「……素敵、ですか」
「はい。恥ずかしい話なのですが、御社に応募するまでに、もう何社も面接で不採用になってしまっていて。最初の頃は、明日こそは、明日こそはと思いながら面接を受けていたんですが、ずっと不採用になっているうちに、まるで自分を否定されているようで、面接がやってくる『明日』が怖くなってしまっていたんです。
でもその言葉を見て、思ったんです。よりよい明日は来るのを待つのではなく、探しに行くものなのかな、って。それと同時に、僕は今まで面接にずっと落ちてきましたけど、この言葉に出会うために、内定をもらえなかったんじゃないかと思えたんです。だから……素敵だと、思いました」
長い言葉だったが、相手の顔を見ながらゆっくりと話しきる。だから、朝霧さんの表情の変化が手に取るように分かった。
嬉しそうな顔。そして、それに相反するような……切なそうな顔。例えるなら、自分の中でなにか忘れられない記憶を思い出しているような、そんな表情も一瞬のこと。すぐに微笑を湛えた表情に戻った朝霧さんは、明るい声でいった。
「……その気持ちが、私は素敵だと思います」
「それでは、面接の内容は以上となります」
朝霧さんの言葉に、緊張の糸が少しだけ緩むのを感じる。
面接中、朝霧さんは僕の話にひとつひとつ頷いて、時には言葉でリアクションを返してくれた。おかげでずいぶん話しやすかったし、場違いな感想かもしれないけれど……楽しかった。
小さく息を吐いた僕に、朝霧さんはニコニコしている。
「緊張しましたか? なるべく緊張しないようにさせてもらったつもりだったんですが」
「そうだったんですか? ありがとうございます。楽しく話すことが出来ました」
「楽しんでいただけたならなによりです。せっかく来てもらったわけですから、面接も楽しんでもらいたいな、と思っていたので」
「面接も……楽しむ」
思いもよらない言葉が出てきて、僕は確かめるように言葉を繰り返してみる。
「せっかく一度きりの人生ですから、楽しまなきゃ損です。小鳥遊さんは面接が、面接がやってくる明日が怖い、と言ってましたよね。私もその気持ちはわかります。面接、連戦連敗でしたから」
「そうなんですか? 朝霧さんなら、面接、連戦連勝かと」
「くひひ。ありがとうございます。ですが、実際は散々なものでした。ですから面接に落ちると、自分が否定されているようで怖いと思うこともよく分かります。
でも、私は思うんです。せっかく一度きりの人生ですから、楽しまなきゃ損です。見たことのない景色を見たいですし、それを楽しみたいじゃないですか。
今日みたいな面接も、そう。私にとっても、小鳥遊さんにとっても、今日の面接の景色は今日だけのもの。就活は頑張るもの、かもしれませんが、この先二度と見れない景色であるなら楽しんでほしい。そう思って、今日は面接をさせてもらいました。
……なんて。少し、カッコつけすぎましたかね」
「そんなことないです。めちゃくちゃ素敵だと思います、その考え方」
照れたように笑う朝霧さんに、思わずそう返してしまう。
それは明日が怖いといい続け、僕が忘れてしまった気持ち、そのものだったから。
「ありがとうございます。そう言ってくれて、嬉しいです」
……もう、間違えたくないから。
「……え?」
「それでは、今日の面接はここまでにしましょうか!」
聞き返した僕を無視するように席を立った朝霧さんに続いて、慌てて僕も席を立つ。
朝霧さんは面接の合否は一週間以内に知らせること、縁がなかったときは連絡をしないこと。そして。
「改めて、今日はありがとうございました。お会いできて、嬉しかったです」
差し出された右手に、びっくりしてしまう。まさか握手を求められるとは思っていなかった。その動揺が顔に出ていたのか、
「くひひ。気をつけて帰ってくださいね」
笑う朝霧さんはそんな言葉と共に、差し出した手をぎゅっ、と力強く握る。
その手は、朝霧さんの人柄を表すように、とても温かかった。
「それでは、失礼します」
朝霧さんに見送られて、編集部を後にする。
エレベーターホールまで来た僕が編集部の方を振り返ると、朝霧さんがにこにこしながら小さく手を振っているのが見えた。
ドアが閉まる。朝霧さんの姿が見えなくなった瞬間、僕は膝の力が抜けるのを感じた。
緊張した。いや、それ以上に、とても……暖かな時間だった。それはきっと、朝霧さんの人柄のおかげだろうと思う。おかげで、ビルから出るのもなんだか名残惜しい。
少し歩いて、ビルの方を振り返る。三階の窓に目を凝らしてみたけど、さすがに朝霧さんの姿を見ることはできなかった。
働けたらいいな。いや……働かせてほしい。いろんな企業に面接を受けたけれど、ここまでそんな気持ちになったのは初めてだった。
この会社で、この人と、働きたい。そして、この会社で、自分の明日を探してみたい。
そんな僕のところに電話が掛かってきたのは、ちょうど一週間後のことだった。
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