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第5話 悪魔リデル・リドル

 入学における簡単な説明が教室で終わり、私はようやく一息ついた。本格的な授業は明日から。生徒の大半は、あとは与えられた寮室で思い思いの時間を過ごすのだろう。私もそうするつもりだった。


「クロリンデ様、一緒に校内を見て回りませんか?」

「お断りよ」


 ルーリィからの誘いを、バッサリと断る。フンコロガシの如くついてくるのはやめて欲しい。ボディーガード気取りの彼女は、兎に角私と同行したがってくるので、鬱陶しいことこの上ない。学園の寮室が個室でなければ、ストレスで耐え切れなくなったかもしれない。私としては、明日の授業に向けて勉学の復習を行いたいのに。呑気に散策を提案してくるあたり、流石は平民出身ねと皮肉を言いたい位だ。


「じゃあ、作戦会議しましょう! エミリオの出没地域と時刻とか、他攻略キャラの情報を全部お伝えして」

「断ると言っているでしょう」


 出没時刻だなんて、熊の目撃地みたいな言い方ね。それに、うちの使用人がどうして学園に出没するのよ。あと彼女がどんな相手と恋愛関係を結ぶかなんて、これっぽっちも興味がない。


「でも今後の展開を把握している方が、クロリンデ様もフラグを回避しやすいかもですし!」


 ルーリィは入学するまでもずっとこのような調子で、予言書の内容を共有したがった。鵜呑みにしたくなかったから極力無視していたのだけれど、本当に聞く必要があるのだろうか。ただでさえ、私の前ではやけに躁状態になる不審者となんて、あまり関っていたくないのに。


「息抜きしたいから、一人にしてちょうだい」

「で、でも」

「伝わらなかったかしら? 貴方が鬱陶しくて辟易していると言っているのよ」


 ここまで言ってようやく、ルーリィは項垂れて頷いた。悲しそうな表情を浮かべるのは、やめてくれないかしら。まるで私が悪人じゃないの。別に気にしないけれど、既に言い合いを遠巻きに眺めている学生達からひそひそと陰口を囁かれている。隠し子である彼女と私の口論なんて、ハドリー家の醜聞が広まってしまうわ。


「せ、せめてクロリンデ様、一人にはならないようにしてくださいね! 何かあったら大声で呼んでください!」


 子供への注意勧告みたいな言葉を置き土産に大声で呼びかけるなんて、新手の嫌がらせかしら。返事はせず、私は彼女から遠ざかるように敷地内をうろついた。寮室へ戻りたいけれど、隣室がルーリィだからまた絡まれる可能性がある。


 勉強ができる図書室、もしくは静かな場所。ぶらついているうちに、中庭を発見した。私と同じように見物に来たのだろう学生達が、ところどころで休憩している。草のアーチを潜り抜け、空いているベンチに座る。あちこちに蔦を絡めたアーチが備え付けられていて、道端には各地から取り寄せられたであろう木々や花が咲き誇っている。ちょっとした植物園だ。


 深呼吸をして花の香りを楽しみ、よく手入れされた観葉植物を眺める。周囲の無関係な会話を除けば、耳に入るのは風に吹かれた草木が穏やかに揺れる音だけだ。植物は喋らないから好きだ。悪口なんて言わないし、見ているだけで落ち着く。似たようなことを婚約者も言っていた。


 彼はどうしているのだろう。私の告発を耳に入れているのなら、醜聞を嫌った向こうから破談を言い渡される可能性がある。今の所その申し出は実家に届いていないけれど、ハドリー家としては避けたい事態だ。


 ──向こうはとっくに、自分に愛想をつかしているかもしれない。


 ハッとして立ち上がる。いつの間にか、周囲にいるのは私だけになっていた。草木がざわざわと、不自然に音を立てる。違和感はない、ように見える。人が確実にいるだろう校内へ戻るべきか、迷った。


 ──どこへ行こうと、私の居場所なんてないのに。


 胸元で手を握りしめ、俯く。聞こえてくるのは、心の奥底で眠る声。いいえ違う、これはただの、あてずっぽうで無遠慮な思考の押し付け。誰もいない庭園の中央を睨み、私は声を上げた。


「いるのでしょう、悪魔。出てきなさい!」


 草木の奏でる音が止み、静寂が庭園を占領する。そのまま無言で反応を待ち続けていると、どこからか笑いを嚙み殺した声が響いてきた。


「威勢がいいなあ。そんなに求められたら、黙って隠れてなんていられないや」


 木の影がぐにゃりと歪み、若い男の形となって現れ出る。くしゃりと癖のある赤毛に、猫の如くやや吊り上がった金の瞳。そして、この学園の制服を着ていた。


「怯えないで。ボクはキミを助けたいだけなんだ」


 胸元の真っ黒なコサージュを指で弄りつつ、少年は優しそうに微笑んで見当違いの言葉を呟く。手足が八本生えているとか、もっと恐ろしい容姿で現れたなら、私も驚いたでしょうに。普通の人間と同じ容姿なものだから、拍子抜けだった。


「幼い頃からキミがどれだけ頑張ってきたか、ボクはよく知っているよ」

「勝手に人の過去を理解した風に主張するのはやめてくれないかしら」


 ルーリィの時から思っていたのだけれど、碌に知らない相手から、自分の理解者だと振る舞われるのは、結構癪に障る。まともな理性があれば、喜びよりも不審を抱くものではないかしら。


「ボクならキミを救ってあげられる。さあ、この手を取って」


 差し出してきた手は、人間と同じものだった。他の者がこの光景を見ても、ただの学生同士の会話として映るだろう。


 この手を取れば、多分私は悪魔になるのでしょうね。ルーリィに忠告されていなくとも、容易に察せられるトラップだ。こんなあけすけな罠で、ハドリー家次期当主を騙せると信じているのかしら。鼻で笑い、伸ばされた手を無視して返答した。


「私を救うだなんて、よくも心にもない誘惑ができたものね」

「ボクがキミを想っているのは、本心からだよ」


 とうとう堪えきれず、私は吹き出してしまった。突然笑い始めたこちらに、悪魔は初めて怪訝な眼差しを送ってくる。ごめんなさいね、と口元の笑みを手で隠しつつ、弁明してやった。


「そんなに私を誘惑したがる男がリリア一筋になるだなんて、想像するだけで愉快だったものだから」


「そんなに私を誘惑したがる男がリリア一筋になるだなんて、想像するだけで愉快だったものだから」


 私の悪魔堕ちを警戒していたルーリィは、せめてこれだけは最低限知っておいてくださいと、オトメゲームでの悪魔の行動を幾つか私に吹き込んでいた。それによると、悪魔は私にあらぬことを囁き続けて精神的に追い詰め、同胞へと転じさせてしまう。手駒を増やしてからは、リリアとは神出鬼没に行動するトラブルメーカーとして交流を深めていく。そして次第に彼女だけを愛し、魔界を裏切る結末となるらしい。


 一方私は途中で他の悪魔によって、雑に殺されるのだとか。何よその結末。踏んだり蹴ったりな扱いだわ。この予言書もしくは創作物を作成した人物は、私に恨みでもあるのかしら。


 悪魔は眉を顰めて、不可解そうな表情を浮かべる。当人から話を聞いた私でも何よそれと思うのだから、当然彼も何だそれはと疑問を抱いたらしい。それはそうよね。私もそんな話を突然されたら、何を企んでいるのかと疑うわ。


「ボクの気持ちをないがしろにするだけでなく、そんなあり得ない想像をするだなんて、どうしたの? 頑張りすぎて疲れちゃった?」


 疑うのを通り越して、頭の心配をされたばかりか口に出された。この悪魔、とても失礼だわ。私だってオトメゲームを全て信じるつもりはないけれど、そういう未来となる可能性があると考えるだけで、この悪魔の言葉が三割増しに白々しく響くというもの。悪魔の前では、メンタルを正常に保つのが大事だ。


「心配は無用よ。とっとと尻尾を巻いて魔界に帰りなさい。それとも、リリアに心酔して尻尾を振るまで地上で暮らしてみるかしら?」

「うーん、想定外の反応だなあ……。でもそれもいいね。キミと一緒にこちらで暫く遊ぶのも楽しそうだ」


 悪魔はスキップのような軽さで距離を詰めてきた。逃げる暇もなく手を取られて、クロリンデと囁かれる。名を呼ばれただけで、何故か全身に悪寒が走った。


「ボクの名前、覚えておいて。リデル・リドルだよ」

「な……っ」

「さあ、呼んで」

「……リデル?」


 促され、つい素直に名を呟いていた。悪魔からの願いなんて無視して、警戒すべきだったのに。リデルはうっそりとほほ笑み、私の手首を自分の方へ引き寄せ、内側に唇を触れさせた。無礼よと怒る隙さえ、悪魔は与えなかった。


「じゃあまたね」


 悪魔がウィンクしたと同時に、庭に配置されたアーチがぐにゃりと歪んだ。視界が暗くなり、驚いて空を見上げる。まだ昼過ぎだというのに、赤黒く染まった空。父が死んだあの日と、同じ色だった。


「キミが求めてくれたら、いつでも助けにきてあげる」


 その言葉を言い残し、リデルはさっさと姿を消していた。言い逃げだなんて卑怯だと言い返す時間は、残念ながらなかった。



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