第29話 鏡の裏の本心
「クロリンデ、ぼーっとしてどうしたんだ?」
眼前で手を振られ、私は我に返った。こちらを気遣うヒノ……の窓に映る、血塗れの衣装姿。いえ、血とは限らないわよね。赤い液体があちこちにこびり付いているように見えるだけ。血の匂いもしないかどうかは、妙に濁った空気のせいでよく分からない。大体八重国の衣装には血糊がべったりついていても、怪我をしている風には見えない。つまり返り血かどうかはまだ不明よ。窓に映る私の姿も、制服とは異なるもの。
「ん、なんだこれ?」
止める間もなく、ヒノの視線が窓へ移る。真っ赤な色がこびりついた自分をしげしげと眺めてから、窓に映る私を見て、ぽつりと呟く。
「すごいエロい服だな」
「お黙りなさい、血みどろ侍」
強い語気で反射的に言い返した。いかがわしい衣装に目を奪われて、化け物じみた角とかには気付かなかったのかしら。不幸中の幸いに胸をなでおろしつつ、改めて窓に映された衣装を確認する。フリルのついた見慣れないロングドレスは、胸元の間までバッサリと大きく切れ目が入っている。腰辺りから大胆にスリットがあるせいで、太腿もほぼ丸見え。化粧だって濃いし、服のセンス自体が派手だし、総じて下品だ。まさかこの淫らな格好、私が悪魔令嬢に転じた場合の姿じゃないでしょうね。色気枠と評されるのも頷けてしまうわ。
「意味不明な幻覚ですわね。貴方の姿も……、珍妙で関係が薄そうですもの」
「うーん、俺の方は無関係な格好でもないんだよな、これが」
折角無難にスルーしようという流れを作ったのに、どうして待ったをかけてくるのよ。私の探る視線を受け、ヒノはぽりぽりと頬をかいた。
「俺、八重国では罪人殺しが仕事だったからさ。その時の服と同じなんだよ」
カミングアウトされた内容に絶句する。そう言えば以前書物で読んだわ。八重国には独自の戦闘部隊が存在し、汚れ役を担う一族が存在するとか。それがアズマ家なのかしら。つまりこの姿は本当に返り血だったのね。物騒極まりないわ。身を固くする私を前に、ヒノは苦笑いを浮かべ一歩距離を取った。
「安心しろって、罪人以外は殺さないからさ」
つまり、悪人が相手なら容赦なく殺すのね。マズいわ、私が予言書では悪魔令嬢として非業の限りを尽くすと知られたら、処刑されるかもしれない。
「武術の心得があるなら、この異常な場では強みでしょう。万が一荒事が必要な事態になれば、お任せしますわ」
動揺を隠して歩き出す。彼はおう、と軽く返答して私の後を数歩分遅れてついてきた。最初の時より距離を取られている。まさか、私の警戒を見抜かれているのかしら。彼はやけに鋭いからあり得るわ。
しばしの間、互いに足音だけを響かせる。ルーリィからイベントについて聞いていて正解だったわ。このまま悪魔が待ち構えている場所に辿り着けば、状況が打開するはず。しかも同行者は戦闘力の高いヒノ。無策で突撃なんて避けたいけれど、この妙な空間に長居は避けたいし、彼に任せればどうにかなりそう。ルーリィも目覚めていれば悪魔の場所へ向かっているでしょうし、合流できれば幸いね。
それにしても、あの口数が多いヒノがずっと口を閉じているなんて、不気味だわ。かと言って、後ろを振り向いて確認するのが妙に躊躇われる。窓に映る姿を見るのは、もっと遠慮したい。このまま彼に背中を預けていていいのかしら。
──本当に、こんな男を信じていいの。
脳裏をよぎる言葉。反射的に手首を掴もうとして、後ろから捻り上げられていた。強い力で腕を掴まれ、振り払えない。
「ヒノ、突然なにを」
後ろを振り返るも、黒々とした瞳に睨みつけられて舌が凍り付く。吐息が触れそうな程肉薄し、無機質な声音で彼は問い質した。
「あんた、中で何を飼ってる?」
無言を許さない詰問に、私は震えそうになる唇に力を込めた。どうにか平静を保ち、何のことかしらと言い返す。彼は眉間の皺を深めると、私の手首に指を食い込ませた。
「あんたの中から、別の気配を感じる」
「な、……何を言っているのかさっぱり分かりませんわね」
偶に響く鬱陶しい囁きを、彼も察知できるのだろうか。いくらなんでも鋭すぎる。マズいわ、悪魔の囁きが聞こえてくるなんて知られたら処刑される。素知らぬふりを続けて今一度腕に力を籠めると、あっさりと拘束が解かれた。意図を読めず後ずさりすると、ヒノは困ったように視線を逸らす。ついでに明かすけどさ、と頭をかいて、更なるカミングアウトをしてきた。
「俺、実は人の心が読めるんだ」
ついでの軽いノリで明かす内容ではないでしょう。まさか私の口を開くための虚言なのかしら。ヒノのルートについて、ルーリィから詳しく説明を受けておくべきだったかもしれない。
「つっても、どんな気持ちなのか何となく伝わる程度なんだけどさ。例えばあんたは、返り血に染まった俺を見てから、ずっと俺を避けたがってる。今も怯えて、泣き出したくて、怖がってるだろ」
「怖くなんてありませんわ!」
下らない妄想を、苛立ちを籠めて一刀両断する。私はハドリー家の跡取りよ。この程度の異常事態で無力な娘のように怯えていると思われるなんて、不愉快極まりない。
「貴方なんか、恐れていないわ。この程度で怯む私じゃないの。これ以上不快な妄想をまくし立てるなら、ハドリー家への侮辱とみなします!」
両のこぶしを固く握りしめて言い返す。肩を怒らせている私を見て、ヒノは驚いたように目を開いてから、ふっと笑った。
「クロリンデって……なんか、強すぎて心配になるな」
どういう意味よそれ。馬鹿にしているんじゃないでしょうね。私の眼力を躱し、彼はひょいっと隣に並んできた。近づいた距離に一瞬飛び上がりそうになる。私の反応を見て、彼はいたずらが成功したような笑みを向けてきた。
「どうした、怖くないんだろ?」
「え、ええ勿論ですわ。貴方なんて、ちっとも恐ろしくありませんもの」
雑念を追いやり、視線を逸らしてまた歩き出す。ヒノは両手を頭の後ろで組んで、気楽そうに隣で歩く。剣呑な気配は鳴りを潜め、あの食事店で楽しそうにルーリィと喋っていた時と同じに見えた。
「クロリンデの本心は兎も角として、俺の力は本当なんだよ。ノーレス先生は白魔法の素質が高すぎて、無意識に能力を使ってるんじゃないかって推測してたな」
結界魔法は、あくまで白魔法の一部に過ぎない。そもそも稀有な才能だから、どんな力を扱えるのかまだ判明されていないのよね。とはいえ、バリエーションが豊か過ぎるとは思う。
「便利な対人スキルね。貴方の主張に嘘偽りがないのなら、だけれど」
「そうそう、そうなんだよなー! この力、仕事にも滅茶苦茶使えるんだよ!」
仕事の内容については、詳しく聞かない事にした。間違いなく血生臭い内容だもの。まあ私の本心については出鱈目だけれど、本当なら交渉などで有利に立てそう。
「この力のせいで嫌な目にも遭ってきたけど、お陰で実家じゃ認められて、仕事人として重宝されてる。こうして留学までできて、エディト先輩とも出会えたしさ」
「そこは重要なのかしら」
「超重要。あんなにいいやつと会ったの、初めてだったからさ!」
明るく弾む声につられて横を向く。皮肉や曇りなんて一切感じさせない、眩いばかりの笑顔だった。
「あいつは、いつだって誰かを気遣ってる。異国で勝手が分からない俺にも下心なしで親切に面倒見てくれたし、あんたに酷い事言われたって、申し訳なさばかり感じてるんだ」
だから、と彼は一旦口を閉じる。向けられた視線は、私の心の奥を覗こうとするようだった。
「もっとエディト先輩に優しくしてやってくれよ。あんただって、あいつにひどい事言うたびに、自分が傷ついてる癖に」
「身勝手な妄想を振りかざすのは、やめてくれないかしら」
私が傷ついているわけないでしょう。なのに心が読めると豪語する青年は、視線を逸らすのを許さなかった。気まずい沈黙を振り払うべく、私は仮定の話を続けることにした。
「私は貴族として当たり前の事を要求しているだけ。……エディトは優しすぎるのよ」
幼い頃から、誰にでも優しかった。災厄を招く予言の娘と婚約になっても、こんな情けない自分と結婚しなきゃならないなんて嫌だよね、と詫びていた。誰よりも優しい美徳は……陰謀渦巻く貴族社会では、足枷となってしまうだけだ。
「夫が弱いのなら、その分妻となる私が強くあらねばならないの」
彼が優しさを失わずに済むのなら、私が矢面に立つ。軟弱な婿養子と囁かれるにしても、気の強い毒妻として悪役が存在する方が、彼の面目も保たれるだろうから。
嘘じゃないみたいだけど、とヒノは疑わしい視線を送りつつも否定しなかった。彼が明かした通り、思考の詳細までは読み取れないのね。




