第19話 護衛役トラヴィス・ガトー
四人で向かったのは、私が入学式の時に襲われた中庭だった。襲撃時の爪痕がまだ残っているここは現在立ち入り禁止となっていて、私達以外に誰もいない。同行者がいる今回は、薄暗いここを歩き回るにしてもかなり心強かった。
中庭は広いので、二人ずつに別れて見回る事になった。トラヴィス様と一緒に行動しつつ、周囲を注意深く調べて回る。崩壊促進のアイテムが土の中に埋められている可能性もあるわよね。草花の手入れ用にスコップがあるはずと用具を物色していると、無言で疑問の眼差しを向けられた。
「入学式での魔物発生は、ほぼ同時刻で起きたのでしょう。タイミングが良すぎますし、結界の綻び自体が仕組まれていた可能性があると思いましたの。なら何か魔導具が隠されているかもしれないと、ルーリィ……リリアが予想していましたから」
ルーリィから攻略内容を教えてもらったとは言えないから、それらしい理由を述べた。無論全て自分の考えです、なんて威張るほど厚かましくはない。私の説明に、彼は納得したように頷く。発言を補強するように、向かい側の区画から賑やかな話し声が漏れ聞こえてきた。
「これもしかして……タイムカプセル?」
「それは見なかったことにして埋め直しておけ」
「はい! あっ、この木の裏にあるのは釘人形でしょうか」
「回収するぞ。犯人を特定して注意すべきか……」
学園の平和を取り戻すべく云々とか言っていた癖に、結構雑談が盛り上がってないかしら。やっぱりシエル様、あの子を気に入っているみたいね。
「楽しそうだな」
只管無言で調べ回っていたトラヴィス様が、ぽつりと感想を述べる。仏頂面なものの、目元は優しそうに緩んでいるから、微笑ましく思っているのだろう。どう返答すべきか迷い、けれど無視するのも無礼だろうと、スコップの持ち手にこびりついた土をハンカチで拭きながら相槌を打つ。
「殿下に失礼な態度を取っていなければいいのですけれど」
「あの位下心なく実直に接する方が、殿下にとっては好ましい」
下心ならばっちりあるのよね。好感度を上げて決闘回避に燃えていたし。
「ハドリー家の噂は、耳に入っている。そちらの境遇に、殿下は親近感を抱いているのだろう。……だからこそ、少々過度な対応をしているのかもしれんが」
妃を病で早くに失い、迎え入れた新たな妻。その子供が第二王子シエル殿下にあたる。王が真に愛していたのは最初の妃であるというのは貴族の間では有名な噂で、その息子である第一王子も王は溺愛しているのだとか。更に第一王子も優秀な方で、民からの人気も高い。まだ次の王位継承者の声明がなされていないとなれば、どちらの派閥に着くかで盛り上がるのは必定だ。
寵愛の薄い妃の子と、隠し子の娘。どちらも微妙な立場に立たされているという点では、似ていなくもない。だからつい彼女を気にし過ぎてしまう、という事かしら。中身は異世界民だから、ルーリィは親近感なんて全く抱いてなさそうだという真実は、黙っておいた方がいいわよね。
「トラヴィス様は随分と殿下をご理解されているのですわね。王族の懐刀として名高いガトー家なだけありますわ」
主人に関わる内容だと、彼は比較的饒舌になるのだろうか。ガトー家は第二王子派なのかという意図を込めた発言に、彼は首を横に振った。
「俺が彼に仕えているのは、個人的な恩義によるものだ」
不吉とされる黒い髪の護衛は一旦口を閉じ、スコップで地面を探っていた私を見つめる。瞳の中には、同じく黒い髪と、血だまりのように赤い目の私が映っていた。
「予言書に記された、災厄の子。容姿が一部一致しているだけでも忌避する者は多い。心から信頼してくれる相手がどれだけ貴重か……貴方なら理解できるだろう」
瞳の中の娘が、たじろぐように揺らぐ。心から信用された事なんて……。いいえ、家の恥とならぬよう、私はずっと信用するに値する貴族の娘であろうとしてきた。お父様だって私を誇りに思って下さっていたわ。トラヴィス様とは違うのよ。
──本当に?
手首の裏側に、痛みが走る。あの悪魔、また覗き見しているのかしらと顔を上げるも、近くにいるのは疑うように視線を向けてくるトラヴィス様だけだ。
「……どうした」
耳元で幻聴が聞こえました、なんて正直に発言したら、疑われてしまう。なんでもありませんわと視線を落とし、スコップを掴んでいる指に力を籠める。どうにか追及を逃れようとしていると、向こう側から明るい声が響いてきた。
「クロリンデ様―っ、シエル様が何か見つけられたみたいです!」
丁度いいタイミングだわ。行きましょうと私が声をかけるより先に、トラヴィス様の後ろ姿は木の陰に隠れようとしていた。主人の事となると、迅速だわ。後を追いかけようとしたものの、腕が動かなかった。
『おいで』
腕に触手のような細いものが、巻き付いている。土がぼこり、ぼこりと蠢き、真っ黒な球体がせり上がる。中心にある赤い一つ目が、私をじっと捉えていた。
『おいで、いとしご。だいじにするよ』
発せられる猫なで声に、息を吞む。人型じゃないから、分類としては魔物でいいのかしら。魔界についての文献は少ないから私達が知らないだけで、実は人語を介する魔物が沢山いてもおかしくはないのかもしれない。
こんな場面を見られたら、きっと皆には魔物の仲間だと誤解される。唇を噛んで、必死に悲鳴を抑え込んだ。大丈夫、相手は一体だけ。この化け物をどうにか倒して、何食わぬ顔をして皆に合流すればいい。やれる、いけるわ、やるのよ。
「たあっ!」
スコップを突き刺すと、思いのほか容易く千切れた。これならいけると期待したのもつかの間、土から生えてくる触手の数がどんどん増していく。数で攻めるのは反則じゃないの、こっちはか弱い貴族の娘なのよ。
『おいで、クロリンデ』
「しつこいわよ!」
足にまとわりつこうとする触手を、スコップで叩く。唯一の武器を奪おうと不気味なそれらが絡みつくものの、横からあっけなく切断された。トラヴィス様が私を庇うように立ち、魔物めがけて再度剣を振り下ろす。狙いを妨げようとする触手全てを断ち切るも、それを身代わりにして本体は土の中へ潜り終えていた。
「助けていただき、ありがとうございます」
「……ああ」
魔物の声は幸いにして彼の耳には届いてなかったのだろう。トラヴィス様はぶっきらぼうに返答して私の手からスコップを取り、地面へ突き刺す。そして持ち手を掴んだまま、呪文を唱え始めた。その間に、二人が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「クロリンデ様っ、お怪我は!?」
「平気よ。少し触手に絡まれただけだから」
「サービスシーン寸前じゃないですか!?」
何がサービスなのよ。もしかして異世界では、触手に接待されるのかしら。
「どうだ、トラヴィス」
「生命反応は探知できませんでした。やはり、魔界へ逃げられたのかと」
シエル様に話しかけられ、呪文を止めたトラヴィス様は息をつく。生命探知までできるなんて、魔法って便利ね。
「たった数週間で、また結界が綻んだのか……? お前は先生に状況を報告しろ。私はもう少しこの場を探ってみる」
「えっ、私も一緒に調べますよ!」
「私の事は気にするな、リリア。疲れているだろうし、君は休むといい。どうしても何かしたいというのなら、クロリンデを部屋まで送ってやれ」
心なしか優しい素振りでシエル様は言った。もしかして、私の事も心配してくれているのかしら。意外に思いつつ、彼の思いやりを素直に受け取る事にした。触手に絡まれた感触が残っていて、若干気持ち悪かったので。
後始末を押し付ける後ろめたさから、去り際に振り返る。皆を見送る彼の表情は、迫る夜の陰に隠れて上手く判別できなかった。