第17話 特別課題
「ではクロリンデさん、今日の所は先生が特別課題について説明しますね」
「私が! 私が説明しますので!」
「リリア・キャンベルさんは、お二人と特別課題に向かって構いませんよ」
「そうだぞ、リリア。ここは先生に任せ、私達は課題に集中すべきだ」
ルーリィが慌てて手を挙げるも、ノーレス先生はやんわり断ってきた。シエル様も、あれほど課題に意欲的だっただろうと続けてくる。
「学園の平和を取り戻すべく精力的に行動しようとする姿勢に、一目置いていたのだが。まさかあれらの態度は全て、ただのパフォーマンスか」
「そっそそそそんなことは! 滅相もございません!」
「それを聞けて安心した。ならば、私達と来い」
もしかして、シエル様はルーリィと一緒にいたいのではないかしら。ルーリィ風に言うなら、好感度を上げ過ぎたとか。ほんの数日でここまで第二王子をなびかせるなんて、予言書恐るべしだわ。ここで断って王子の機嫌を損ねるのはマズいと判断したのだろう、ルーリィは私に申し訳なさそうな視線を浮かべつつ去っていった。二人きりとなり、さてと先生は手を合わせて教壇から離れる。ほんの少し目を離した隙に、幼い魔術師はもう大人の容姿に変貌していた。
「ノーレス先生……で、よろしいのですわよね」
「本名で呼ばれると術が揺らぐから、普段あの姿で対面している時はそうしてくれ。この姿の時は気軽にユークと呼んでいいぞ」
気さくと言うべきか、適当と言うべきか。見た目で呼び方を変えるなんてややこしいから、どちらだろうとノーレス先生と呼ぶ方が楽なのだけれど。大体、賢者を呼び捨てにするなんて気後れするわ。
「学園では正体を隠しているのでしょう。そう簡単に戻って大丈夫ですの?」
「簡単な結界を張ったから、教室には誰も入れないさ。常時猫かぶりをするのも疲れるんでね。お嬢さんも少しくらいは肩の力を抜くといい」
私の前ではもう取り繕う必要がない、という事だろう。空いた椅子に膝を組んで座り、こちらにも腰を落ち着けるよう促す。机三つ分距離を取り、背筋を伸ばして席に座ると、何故か笑われた。なんだか、籠の中の小動物のように、見世物になっている気分だわ。
「私を特専クラスに引き入れたのは、監視目的ですの?」
「いや、ただの余興だ」
「余興!?」
あんまりな解答に、頬がひきつった。いくらなんでも、先生としてその理由はどうなのかしら。
「素質のある生徒達に模範的な授業をするだけなんて、つまらない。イレギュラーがいる方が面白くなるからな」
なんということ、本当に見世物扱いだったわ。そんな理由で王族や名立たる貴族も加わる集まりに、予言の……悪い噂の立ちかねない生徒を受け入れていいのかしら。
「災厄の娘と噂される学生を招き入れては、外聞が悪くなるのではありませんの?」
「知った事か。退屈な仕事に飽きて退職届を出す可能性が減れば、学園側も大喜びだろうさ」
この賢者、結界や世界の危機がかかっているのに愉悦重視だなんて、身勝手すぎるわ。それとも敢えて強気な態度を保ち続けて、学園側に便宜を図らせやすいようにしているのかしら。
「容姿についても、あの連中は皆いちいち気にはしないだろう。トラヴィス・ガトーも黒髪だし、そもそも八重国では黒髪黒目がありふれている。それにお前のそれは、色気が増して見える。悪くない」
「どういう基準で生徒を見ているのかしら」
「勿論、俺基準だが?」
悪く思われていないのは、まあ、いいのだけれど。それはそれとして生徒を色気で見分するんじゃないわよ、この不真面目教師。生徒として明かすべきでない心の内をどうにか我慢しているうちに、それで、と先生は話題を切り替えた。
「特別課題についてだったな。簡単に言うと、学園の見回りだ」
入学式時に魔物が現れた場所は、結界が脆くなっている。応急処置は施したけれど、綻びが経年劣化によるものなのか、他の要因があるのか、生徒に調べさせている、と。
「賢者ともあろう方が、学園の結界に随分と手こずっていらっしゃるのね」
「白魔法と一括りにされていても、様々な種類がある。俺の得意分野は結界の修復じゃないんだが、素質を持つ者自体が稀だから、重宝されているだけさ」
ふんぞり返って椅子に座っている態度からして、謙遜しているようにはとても聞こえない内容だった。それなら、と私は口を開く。
「ルーリィ達に、結界を修復させるつもりですの?」
「今の時点ではまだそこまで期待していない。ただ、白魔法は魔界の力に効果が高い。もし魔物がまた現れたら、一番対処できるのもあいつらだ」
これって、生徒達を魔物の餌扱いしているんじゃないかしら。教師の癖に生徒を盾にする作戦ってどうなのよ。
「それでは、彼らに危険が及ぶのではなくて? 生徒達に何かあったら、先生はどう責任を取られるおつもりなのかしら」
「随分と生真面目なお嬢さんだな」
「貴方が適当すぎるんですの!」
こちらの反論を軽く手を振って躱し、彼は懐から煙草を取り出した。生徒への説明中に喫煙なんて、マナーがなってないわ。この人を先生と敬うのにどんどん抵抗感が増してくる。本当に呼び捨てにしてやろうかしら。
「心配するな。シエルはそこそこ、ヒノとトラヴィスはかなり腕が立つ。それに現状の亀裂の大きさなら、強い魔物はまだこちら側に来られない。魔物が現れても対処できるだろう。できなければその程度の実力……冗談だ」
私が睨むと、おお怖い怖いと冗談めかして呟き、彼は煙草に火をつけた。
「学園内ならすぐ助けに行けるよう、ある程度仕込みはすませてある。みすみす連中を死なせるような不手際は起こさないさ。俺の落ち度になるからな」
吐かれた煙に眉を顰めるも、鼻腔を擽るのは爽やかな柑橘類の香りだった。身体に悪いどころか、精神が落ち着くようにさえ感じる。驚いて目を見開く私にニヤリと笑みを浮かべ、彼は美味そうに煙をくゆらせた。
適当すぎると思っていたけれど、下準備を済ませているからこその余裕、という事ね。私への警戒といい、意外と抜け目ないわね。
「先生も生徒達と一緒に調査した方が、より確実で安全ではないかしら」
「教師が課題を手伝ってどうする。それに俺も暇じゃないんでね」
「とても暇そうに喫煙していらっしゃるようですけれど」
「これは休憩さ。俺は俺で、独自で調べている事がある」
「それは一体?」
煙が宙へ拡散され、霧のように周囲を漂う。白煙の向こうで、モスグリーンの瞳が怪しげに煌めいていた。
「お嬢さんが可愛くおねだりできたら、教えてやってもいい」
「なら結構です。貴方の個人的な調査にそこまで興味はありませんもの」
「お堅いことで」
だらけ過ぎてハドリー家の汚点になる方が御免だわ。それに、ルーリィなら知っているだろうし。下らないお遊びに付き合うつもりはなかった。私が只管そっけなく返していると、長い指が机をたたく。燃え尽きた灰が規則正しく灰皿へ落とされていくのを、彼は興味がなさそうに見つめていた。
「規則だの家柄だのに従うだけの優等生なんてつまらない。どうせなら俺を楽しませてくれる程度には、反骨精神を披露して欲しい所だな」
「もしかして先生は、被虐趣味をお持ちですの? 歯向かわれる方が興奮するのね」
「誤解を招くような言い方はやめろ。便利で従順な人間だとか予想通りに進む展開には、飽きているだけだ」
風が立ち、煙草の火がかき消される。先程まで部屋を漂っていた独特の落ち着く香りは、ほんのひと吹きで全て拭い去られた。