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第1話 行方不明の姉クロリンデ・ハドリー

 教会のステンドグラスを、月のない闇夜が黒く塗りつぶしている。聖書を携えた修道士達は跪き、神を讃える言葉を紡ぐ。彼らを護衛するように、聖騎士は銀色の槍を構え、広場の中央へと整列した。


「クロリンデ・ハドリー。災厄の娘を教会の名において浄火する!」


松明を抱え上げた修道士は、厳粛な声を上げ宣言する。広場には薪が高く積み上がり、柱には若い女が括り付けられていた。


「……呪われろ」


 炎をくべられようとしたその時、女は項垂れていた顔を上げた。漆黒の髪が、まるで生き物のように蠢く。血走った眼を見開き、今まさに処刑されようとしている女は声の限りに叫んだ。


「呪われろ! お父様も、こんな世界も、全て消えてしまえばいいわ!」


 叫びに呼応するように、静謐な夜空が変容した。星々の輝きは覆い隠され、代わりに天一面を禍々しい紅が塗りつぶす。顕現した異様な光景に、平静を保っていた修道士達は狼狽した。


「まさかこれは、予言書に記された破滅の前兆……」

「魔界の寵児を今すぐ殺せ!」


 口々に喚きたてる声に煽られるようにして、騎士達が武器を構える。しかし刃が届くことはなく、突如現れた紫色の炎が罪人ごと柱を飲み込んだ。修道士達が驚愕する中、炎が赤い空に手を伸ばすようにひときわ大きく膨らみ、空が本来の夜を取り戻したと同時に霧散する。そして、捕らえられていた筈の女もまた、広場から消え失せていた。


 数刻後、ハドリー家当主であるエドワルドが急逝。


 姉の行方不明と、父の突然の訃報。『あなた』のもとに知らせが届いたのは、事件から数日後の事であった。


──『境界のシルフィールド』プロローグ




※※※


 


 教会の地下牢には、風のささやき一つ耳に届かない。閉じ込められてからどれだけ日数が経過したのかは、もう分からなくなった。


『クロリンデ・ハドリー。汝は魔界の寵児であると嫌疑をかけられている』


 突然の告発により、私は突然屋敷から教会へ引き渡された。そして疑いが晴れるまでと、みすぼらしい服を着せられ、薄暗い地下牢に軟禁されている。このような仕打ちは、貴族たるハドリー家の長女が受けるものとは到底思えなかった。


 それに、魔界の寵児というのも濡れ衣甚だしい。私はエドワード・ハドリーと、その妻の子だ。母は随分前に亡くなっているから、確かめるすべはないけれど。


『闇に祝福されし髪と赤き瞳は、地の底で蠢く悪魔の祝福なり。

 魔界からの寵愛を受けし者、空を鮮血へ染め、恐るべき災いを招くであろう──』


 古くから伝わる災いの予言を思い出し、ため息をつく。ぼろ雑巾のようなベッドに腰掛けて、腰まで伸びた髪をひと房摘まみ上げる。緩やかに波打つそれは、黒色だ。そして私の眼は、生まれた時から赤かった。


 黒髪と赤い目の子供は、この国では禁忌とされている。私の容姿は予言の条件を満たしていたし、人を呪い殺しそうな目つきの悪さだとか、裏で怪しい魔法を唱えていそうな雰囲気だとか、謂れのない噂を囁かれてはいた。けれどそれだけだ。遠い島国では大半が黒髪であると伝え聞いているし、容姿だけで災いだと決めつけるのは安直じゃないかしら。


 父もきっとそう思ってくれたのだろう、私を殺さず、一人娘として屋敷で育ててくれた。そして私も、その恩と期待に応えるべく、立派な貴族の娘となるべく精進してきた。この春からはとある名門学園へ入学する予定だった。そして卒業後は婚約者と結婚し、ハドリー家唯一の後継者として父を支えるつもりだったのに。


 跡取り娘があらぬ罪を着せられるなど、ハドリー家の汚点。お父様にも心配をかけてしまっているだろう。今頃きっと、私をここから出してくれるために、苦慮しているに違いないわ。


 ──父は、本当に迎えに来てくれるだろうか。


 ふと、暗がりの中でそんな疑問が聞こえた気がした。胸の前で祈るように両手を組み、当たり前だわと呟く。


「私は唯一の娘だもの。お父様はきっと私を想ってくださっているわ」


 ──父が、告発したのでないのか。


「そんな事、ありえないわ」

 

 痛いほどに指に力を籠め、私は縋るように否定の言葉を紡いだ。あらぬ囁きに身を委ねてはいけない。汚名を着せられていても、心まで侵されはしない。ハドリー家の一人娘として、私は強くあらねばならないのだから。


 ──けれどもし、子供が自分以外にいたとしたら?


 それはまさしく、悪魔の囁きだった。違う、と反論しようとした唇が強張る。母が亡くなってから、父は独り身のままだった。だからと言って、隠し子がいないという証明にはならない。


 あらぬ想像を父に抱くなんて、それこそ失礼だと我に返る。くだらない妄想に惑わされてはいけない。今はただ自分の嫌疑が晴れるまで、辛抱強く待ち続けなければ。


 ──もし疑いが晴れなければ、火刑となるだろう。


「……そんな事にはならないわ」


 こんな暗い場所に閉じ込められているから、後ろ向きの考えばかりが浮かんできてしまう。それだけだ。目をきつく瞑って、神への祈りを再開させる。祈りを神が聞き入れてくれるか、父が迎えに来てくれるか。その時が来るまで、私は──。


「クロリンデさま──っ!」


 突然の大音量が地下牢に響き渡り、ぎょっとして目を見開いた。錆びた扉が勢いよく開き、ここにはいささか似つかわしくない少女が現れたのだ。


 年は自分と同じくらいだろうか。肩下まで伸びた亜麻色を元気に揺らすいで立ちは、庶民らしい装いで、新入りの修道士という風にも見えない。明るい水色の瞳がこちらを映すと同時にキラリと輝く。鉄格子を両手で掴み、少女は限界まで顔を寄せてきた。あまりの勢いに、つい身体がのけぞる。


「五体満足ですよね、闇堕ちしてないですよね、悪魔になってないですよね!?」

「突然何なの貴女、失礼でしょう!?」


 庶民にまで悪魔になる心配をされるなんて、侮られたものだわ。せめて威厳を保つべく睨みつけてやると、少女は何故か、頬を緩ませてだらしなく笑った。


「うわあ、怒ってても超美人! やっぱり生で見ると全然迫力違う!」

「な……っ」


 予想外の反応をされて、壁際まで後ずさりする。この突然現れた女は、何故こちらに熱っぽい眼差しを向けてくるのかしら。かなり不気味だわ。謎の女はこちらが警戒したのを見て、安心してください、と言ってきた。不安にさせているのは、目の前の張本人なのだけれど。


「私が来たからには、もう安心です。絶対クロリンデ様を幸せにしてみます!」

「誰か! 誰か来なさい! 変質者が現れたわ!」


 とうとう我慢の限界となり、私は大声で扉の向こうへ声を上げた。恥や外聞よりも、身の安全を優先したためだ。生憎、私の叫びに修道士は誰も応えなかった。代わりに変質者が、大丈夫ですよと満面の笑みを浮かべたまま言い募る。


「私は貴方の味方ですので、信頼してください!」

「突然現れた見ず知らずの他人の、何を信じろと言うのかしら!?」


 私の指摘に、確かにそうかもと女はたじろぐ。他人から言われて、ようやく自分の状況を客観的に見つめ直せたのだろう。話は通じそうだと思い、私はようやく平静を取り戻してきた。


「何を企んでいるの。誰の差し金? 全て正直に話しなさい」

「え、えーと、全部は難しいと言いますか」

「本音も明かせずに、よくもまあ信頼しろと嘯けたものね」


 貴族社会では、弱気な態度なんて簡単に見せてはならない。付け入る隙を与えてしまうからだ。腕を組んで言い放つと、少女は悩むように顔をしかめさせた。少し強気に攻めただけで揺らぐなんて、貴族の差し金だとしたら、あまりに腑抜け過ぎる。


 少女はどうしても言わないとだめですかね、と困ったようにこちらをうかがってくる。助け船を出してもらえるとでも思っているのだろうか。くどいと睨みつけてやると、諦めたようにため息をつかれた。色々と甘すぎる不審者だわ。


「実はですね、私は乙女ゲーの世界に異世界転生した、貴方の腹違いの妹です!」

「──はあ?」


 ついうっかり、貴族らしからぬ声を上げる。突っ込みどころが多すぎる発言に唖然としてしまったこの時の私は、恐らく随分と腑抜けた顔を浮かべていた。


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