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我々学生の最大の壁、定期試験が近づいてきた。
私とジェシーが図書室で勉強していると、ディオン様とその友人であるリチャード様がやって来て、何故か四人で勉強する事になった。だけど、色々と質問し合ったり、わからない所を教えてもらったりと割と有意義な時間を過ごせたと思う。
「そういえばリシェル嬢。先日見たぞ」
勉強道具を片付け教室へ戻る準備をしていると、リチャード様がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「見たって何を?」
「クロヴィスだよ。貴族街を二人で歩いてただろ? バスケット持って」
「っ!?」
私は驚いて目を見開いた。
「俺、馬車から偶然見かけたんだけどさ。変装して歩いてたよな?」
「そ、それは……」
「あら? わたしその話聞いてないわ。詳しく説明なさい?」
ジェシーとディオン様に助けを求め視線をやるが、ジェシーはリチャード様の援護にまわってしまった。ディオン様はお手上げと言わんばかりに肩をすくめる。
「もしかして、ついに和解したのか?」
「はぁ!?」
リチャード様の言葉に思わず大きな声を出して睨みつけてしまう。
「なんでそうなるのよ!」
「だ、だって仲良さそうに歩いてたから」
「ぜんっぜんそんな事ないわ! あれはたまたま! 偶然! 歩いてたらあの男に会って荷物奪われただけ! 意図しない出来事!」
「あらまぁ。それ、荷物を持ってくれたって事でしょ? クロヴィス様優しいじゃない」
「違うわよ! 奪われたの!!」
私は全力で否定する。
「なーんだ。俺はてっきり変装してお忍びデートかと」
「はあああ!? そんな事絶っっ対ありえない!! アイツとデートなんて考えただけで吐き気がするわ! 気持ち悪い事言わないで!!」
「いや……そこまで全否定しなくても」
リチャード様がちょっと引きながら言った。ああもうホラみなさいよ!! 慣れないことするからこんな風に勘違いされてとんでもない噂が流れるのよクロヴィス・ナイトレイのばか!!
四人で話しながら歩いていると、Sクラスの教室の前に張本人が立っていた。うわ……なんていうタイミング。私たちに気付いたクロヴィス・ナイトレイがぐっと眉間にシワを寄せ、チッと舌打ちを鳴らした。
その態度にカチンときた私はずんずんと奴に近付き八つ当たりで文句を言い放つ。
「ちょっと! 貴方のせいで変な噂がたったじゃない!」
「はぁ?」
「こないだの! 貴方と二人で歩いてたせいで変な誤解が生まれたのよ!」
「変な誤解?」
「和解したとか、デートしてたとか……」
「はああああ!? 嘘だろ!? 俺とお前が!? ありえない。最悪だ、最悪すぎる!」
「その言葉そっくりそのままお返しするわ!」
「俺の善意を無駄にしやがって!」
「貴方が勝手にやったんでしょ!」
私たちはお互い睨み合う。
「クロヴィス様!」
険悪な雰囲気を吹き飛ばすような可愛らしい声が、クロヴィス・ナイトレイの名を呼んだ。あまりに可愛らしい声で呼ぶものだから、一瞬クロヴィス・ナイトレイって誰だっけ? と脳が麻痺してしまったほどだ。私たちは一斉に振り向く。
やわらかそうな長い金髪を靡かせた可愛らしい女子生徒が、軽やかな足取りでクロヴィスの元へ駆け寄ってくる。ニコリと愛らしい笑顔を浮かべ、艶のある唇を開いた。
「先日は助けていただきありがとうございました」
「あ……いや。別に大した事はしてないんで」
クロヴィスは照れたように首の後ろに手を当てながら答えた。……は? 何照れてんの気持ち悪い。
「それで、お礼にクッキーを焼いてみたんですけど……あっ、クロヴィス様は甘い物が苦手だって聞いたので甘さ控えめなんです! うちのシェフに手伝ってもらったので、味は保証しますわ! だから、あの……良かったら、貰ってくださいませ」
頬を赤く染めた女子生徒は、きれいにラッピングされた袋をおずおずと手渡す。水色で結ばれたリボンが可愛かった。
「あー、その……ありがとう」
クロヴィスは袋を受け取る。女子生徒は安心したのか、花が咲いたように嬉しそうな笑顔を見せた。
「店で売ってるみたいだ。これが手作りってすごいな」
「そんな……全然ですわ。手作りって言っても一番簡単なものですし、ほとんどシェフに手伝ってもらってますし……」
「いや、充分すごいと思う。ありがとな」
クロヴィスがもう一度お礼を言って、小さく笑った。にこりと、眉間のシワを無くして、普通に。
私は驚きのあまり目をこれでもかと丸く見開いた。……な、何あれ。何よ、何なのあの態度。私と話す時と声も口調も違いすぎない!? 何だかものすっっっごく腹が立つわ!!!! 大体、クッキーなんて誰でも作れるし。むしろ私の方が絶対上手だし。ラッピングだってもっと綺麗に出来るし。
「リシェルさん、リシェルさん。顔、すっごく面白い事になってる」
いつの間にか隣に来ていたジェシーの言葉にはっとする。面白い顔って……そんなに酷い顔してたかしら。両手で頬をペタペタと触る。クロヴィスと女子生徒は和やかな雰囲気で話を続けていた。
「……あれってアリス・シュリアー伯爵令嬢でしょ? 男子にダントツ人気で、妖精姫って呼ばれてる将来の〝社交界の華〟候補。クロヴィス様もなかなかやるわねぇ」
ジェシーは観察するように二人を見ながら言った。ああ、なるほど。あれが噂の美少女アリス・シュリアー様なのね。こんなに近くで見たのは初めてだけど、本当に可愛らしいわ。
ゆるく巻かれた金髪、宝石のようなブルーグリーンの瞳にぱっちりとした大きな目、ナチュラルメイクでほんのり染まった頬とぷるぷるの唇、細長い手足。その姿はまるで妖精のように愛らしい。これは男子に人気なのも、社交界の華候補になっているのも頷ける。
「クロヴィス様にも春が来たかー」
「……納得いかないわ」
「あら、ヤキモチ?」
「あ゛あ゛?」
「今の顔鏡で見せてやりたいわ。手配書の凶悪犯より凶悪な顔してるから」
ヤキモチって何それ。美味しいの? なんて思っていると、ジェシーは口の端を上げた。
「リシェルってばクロヴィス様が可愛いご令嬢と仲良くしてるの見て妬いちゃったのかなーって思ったんだけど。違う?」
「は? なんで私が。そんなわけないでしょ」
「じゃあなんで納得いかないのよ」
「いや、だってクロヴィス・ナイトレイだよ? あの性悪がモテるなんて腹立たしいじゃない」
「だから言ってるでしょ? クロヴィス様は令嬢から人気あるんだって。ぶっきらぼうだけど優しいから、所謂ギャップ萌えってやつよ」
「意味がわからないわ! みんなあんな男の一体どこがいいわけ? 五文字以内で説明してみよ!」
「五文字じゃ無理でしょ。少なすぎ」
「だ・い・き・ら・い。ほら! 万事解決!!」
「すっごい雑な模範解答ね」
ジェシーは呆れたように溜息をついた。
そうしている間に話が終わったらしく、妖精姫ことアリス様は私たちにも一礼をして去って行った。
「あら。彼女の眼中にわたしたちなんか入ってないと思ってたけど、一応認識はしてたのね」
……確かに。私は子爵家だからいいとして、侯爵家二人と伯爵家の人間を無視するのはちょっと不味かったんじゃないかしら。恋は盲目ってやつ?
「お前ら何見てんだよ」
クロヴィスは数秒前とは打って変わって不機嫌そうなトーンで言った。
「クロヴィス! お前、あのアリス・シュリアー嬢から手作りお菓子貰えるなんてすごいな! 何したんだよ?」
リチャード様が興味津々に聞いた。
「……男に声掛けられて困ってたみたいだったから。ちょっと間に入っただけだ。軽く睨んだら逃げて行ったし」
「ああ、お前の目付きめっちゃ悪いもんな!」
「ぶふっ」
私は耐え切れず吹き出した。くつくつと肩を震わせながら笑う。ぶふっ! 今のはナイスツッコミだわ、リチャード様!
「お前何笑ってんだよ」
「別に。ていうか貴方、アリス様に対してデレデレしすぎじゃない? 気持ち悪いんですけど」
「べ、別にデレデレなんてしてねーよ!」
「してたわよ。みっともないくらい」
クロヴィスの手にはアリス様から貰った手作りクッキーがある。私はそれを見ながら言った。
「良かったわね。あんな可愛い子から手作りのお菓子を貰える機会なんてもう二度とないでしょうから大事に食べなさいよ」
「あ!? 今までだってこういうのはあったっつーの! たまにだけど!」
「虚言癖でもあるの? ディオン様になら数え切れないほど見たことあるけど、貴方のは一回も見たことないわ!」
「うっせーな! お前自分が作れないからって僻みすぎなんだよ!」
「は? バカじゃないの。そんなの誰でも作れるわよ」
「虚言癖はそっちだろ。お前がお菓子作りとか想像出来ないな。やったら間違いなくポイズンクッキングになるだろ」
「貴方にだけ特別ポイズンクッキングしてあげるわ! 喜びなさい!!」
「いや、全然嬉しくねーよ!」
ああ、イライラする。お菓子なんて、料理なんて、こっちは毎日シェフの手伝いもなく一人で作ってるわよ!!!!
「はいはい。遅くなるからそろそろ帰るわよ。……それと」
ジェシーが止めに入る。珍しくクロヴィスを睨むように見ると、続けて言った。
「リシェルは本当に料理上手よ。信じられないならディオンに聞いてみなさい。ディオンはリシェルの料理大好きだから。ね、ディオン?」
今まで空気のように黙っていたディオン様が、良い笑顔を浮かべて言った。
「そうそう。俺、リシェルの料理大好き。マフィンとかパウンドケーキとかお菓子も全部美味しいよ」
ジェシーもディオン様も、私が毎日ご飯を作っているのを知ってるからこうやって言い返してくれたんだ。ありがとう、二人とも。
クロヴィスは何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずにそのままドアを閉じた。