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 市場は凄まじい戦場だった。


 平民のようなシンプルなワンピースを着用し、帽子を深くかぶってなるべく顔を隠しながら路地裏に辿り着いた私はハァハァと乱れる息を整える。


 ……ちょっと買いすぎちゃったかしら?


 立ち止まって、両手に持ったバスケットを静かに見下ろす。小麦粉、肉、バター、砂糖、たまご、イモ、タマネギ、りんご、オレンジ、お菓子……。


 ベテラン主婦の皆様たちとの、割引商品争奪戦。店主の威勢の良い掛け声を皮切りに、限られた個数に伸びる無数の手と格闘すること数分。バスケットの中に入っている品物は見事に勝ち取った戦利品である。いやぁ……激戦だった。


 他のお店も回ってまとめ買いをしているうちに、サービスとして付けてくれるオマケ商品が積み重なり、気付けば結構な量になってしまった。でも、これでしばらく買い物に出掛けなくて済むわ。


 ホクホクしながら戦利品を見ていると、前方から「……リシェル・ヴァイオレット?」という戸惑ったような声がして顔を上げる。


「……っ!?」


 そこに居たのは訝しげにこちらを見ている若い男。黒髪で、目付きはナイフのように鋭い。見覚えのあるその顔は……まさかのクロヴィス・ナイトレイだった。う、嘘でしょ!? なんでこんな所にあの男がいるのよ!? 私はさっと視線を逸らす。


「ひ、人違いです!」


 私は普段より高い声で言った。


「……いや、その髪の色はリシェル・ヴァイオレットだろ」


 彼は呆れたように言った。私は慌てて帽子を押さえる。髪はちゃんと隠してたはずなのになんで……! あ、さっきの割引商品争奪戦で乱れたのね!? まとめ髪が崩れて帽子から出てきちゃったのか……くっ、気付かなかったなんて不覚だわ!


 私の髪の色は、比較的珍しい薄紫色だ。光の加減によってはシルバーにも見えるので、こういう場所では悪目立ちしてしまう。ちなみに、ノエルはネイビーに近い紫である。


 一応貴族だし髪色を隠すという目的も兼ねて、平民街の市場に来る時はこうして変装をして出掛けているのだが……バレてしまっては仕方ない。これ以上誤魔化せないと悟った私ははぁ、と溜息をついてクロヴィスを睨んだ。


「……なんで貴方がここに居るのよ」

「別に。たまたま通りかかっただけだ」


 負けじと睨み付けてくるクロヴィスが言った。彼も制服ではなくシャツとズボンにブーツというラフな格好なので、一応変装しているのだろう。今までこの場所で知り合いに会った事はなかったのに。よりによってコイツと鉢合わせるなんて最悪だ。ていうか、あんなに頑張った後にこの仕打ちって……ちょっとひどくない?


「お前一人か?」

「は? 悪い?」

「別に悪くはないけど。……つーかなんだよその荷物の量。多すぎだろ」

「うるさいわね! 今日は月に一度の特売日なのよ! 野菜や果物が安いの!」

「それにしたって買いすぎだ」

「仕方ないじゃない! 私が可愛いからみんなオマケして色々くれるんだから!!」


 クロヴィスは潰れてぐちゃぐちゃになったたまごでも見るような哀れみのこもった目で私を見てきた。……腹立つ。


「何よ!」

「いや。痛々しい勘違いだなと思って」

「なんですって!?」

「オマケは次も来てくれるようにっていう店側の策略だろ? 他の人にもやってるし」

「そ、そんな事わかってるわよ!」


 〝お嬢ちゃん美人だから一本オマケしとくよ!〟なんていうやり取りがリップサービスだって事はちゃんとわかってる。わかってるけど言われたら嬉しいじゃない! せっかく上がった気分が急降下だわ。クロヴィスは私の姿をまじまじと見つめると、感心したように言った。


「荷物二つを軽々と持つなんてゴリラみたいだなお前」

「重い荷物入った方のバスケットでぶん殴るわよ?」

「うわ、行動までゴリラかよ」

「ゴリラじゃないわよ失礼ね!」


 まったく。本当に腹が立つ! なんでこんな奴に会っちゃったのかしら。心の底から神様を恨むわ。これ以上イライラするのはお肌にも精神的にもよろしくない。という事で、クロヴィス・ナイトレイなんか無視してさっさと帰ろう。決意を固めると、私は荷物を持ち直してすぐに歩き出した。


「お前歩いて帰るのか? その荷物で?」

「そうだけど」

「ふーん」


 自分から聞いてきたくせに、奴は興味なさそうな返事をする。はぁ? 用がないなら話しかけないでよ! と更にイライラしながらずんずんと前に進む。なんなのアイツ。本当にムカつく。記憶から抹消したいくらいだわ! 頭の中で何度も文句を繰り返していると、突然ふわりと左手が軽くなった。


「…………は?」


 私の左手に持っていたりんごやオレンジなどの重い荷物が入ったバスケットは今、クロヴィス・ナイトレイの手に握られていた。私は荷物と奴の顔を数回見比べ、叫び声を上げた。


「は、はあああああ!?」

「うるっせぇな。少し黙ってろ」


 いやいやいやいや! だって、えっ!? 現状を整理しよう。クロヴィス・ナイトレイが私の荷物を持っている。……うん、やっぱり意味がわからないわ。


「あ、貴方何して!?」

「……荷物貸せ。家まで持ってやる」

「はああああああああああ!?」


 驚きすぎて右手の荷物を落とす所だった。危ない危ない、せっかく買ったたまごが……! いや、でも。動揺するのは仕方ないだろう。だってあのクロヴィス・ナイトレイが私の荷物を持って家まで送るなんてとんでもない事を言っているんだから。絶対何かの聞き間違いよね? あるいは何かの罠! 本気で言ってるならそれは天変地異の前触れだ。


「目的は何!?」

「あ゛?」


 クロヴィスは泣く子も更に泣き出しそうな鋭い眼光で私を睨んだ。そのあと、深く溜息をつく。


「目的なんかねーよ」

「嘘よ! 言っておくけどお金なら持ってないから!」

「はぁ? なんでそうなるんだよ」

「だって裏がありそうで気持ち悪いもの!」

「どこまで捻くれてんだよお前!」


 クロヴィスはチッ、と舌打ちを鳴らして歩き出す。


「あっ、ちょっと!」


 バスケットを人質ならぬ物質にされてしまったので、仕方なく奴に続いて歩みを進めた。クロヴィスは私ががついて来ているのをチラリと横目で確認すると、すぐに視線を戻した。二人とも真っ直ぐ前を見て歩く。


「……俺は紳士だからな」

「は?」


 突然訳の分からない事を言い出したクロヴィス・ナイトレイはどこかに頭でもぶつけたのだろうか。


「重たい荷物を抱えてる知り合いを見つけたら放って帰るなんてこと出来ねーんだよ。それが例え淑女の欠片もないお前相手だろうがな」

「はぁ? 紳士の欠片もない男が何言ってんのよ」

「大体、貴族の令嬢が護衛もつけないでこんな所歩いてるのはおかしいだろ」


 まるで心配しているかのような言い方になんだか背中がムズムズしてきた。


「……貴方には関係ないでしょ」

「確かに関係ない。けどな、何かあったら大変だろうが」


 そう言われてしまえば、私は黙らざるを得なかった。……おかしい。今日のクロヴィス・ナイトレイは絶対おかしいわ! 何か変な物でも食べたに違いない。


「家。こっちでいいのか?」


 私はこくりと小さく頷く。その後は特に会話もないまま、ひたすら歩みを続けた。



 *



「……ここだから。もういいわ」


 貴族街の隅。

 ブラウンを基調としたこじんまりとした屋敷が見えてきたので、私はクロヴィスに言った。


「そうか」


 一言だけ言って、奴はバスケットを私に渡した。嫌々ながら受けとると、両手にずっしりと重さが戻ってきた。うわ、重っ。さすがにこれを一人で運ぶのは無理だったかもしれない。


「じゃあな」


 クロヴィス・ナイトレイは、役目を終えたと言わんばかりに今来た道を引き返す。こちらにはまったく目もくれない。予想していた嫌味も、金品の要求も特になかった。本当に……なんなのアイツ。なんなのアイツ!? あああもう!! 皆さんごめんなさい。……天変地異、おこしちゃうかもしれないわ!


「……クロヴィス・ナイトレイ!」


 私の叫び声に、クロヴィスは足を止めて振り向いた。


「何だよ」

「お礼は言わないから」

「……は? わざわざそれ言うために呼び止めたのかよ」


 奴は眉間にシワを寄せて不快感を露わにする。


「いっ、一秒もかかってないでしょ!」

「お前のために使う時間がもったいない」

「それはこっちだって同じよ!!」

「じゃあなんで呼び止めたんだよ」


 私は少し言い淀んだ。


「お礼は言わない。言わないけど……」


 私はバスケットの中からオマケでもらったキャンディーの袋を取り出す。そして大きく振りかぶると、数歩先にいるクロヴィス・ナイトレイに向かって勢い良く投げつけた。淑女の欠片どこ行った、という指摘は受け付けない。


「うおっ!? おまっ、な、何すんだよ! 危ないだろうが!」


 クロヴィスは持ち前の反射神経でその袋をキャッチする。……チッ。顔面を狙ったのにやっぱりダメだったか。私の眉間のシワが深くなった。


「……それ。オマケでもらったやつ。いらないからあげるわ」


 クロヴィスは何が起こったのかわからないように、ぽかんと口を開けて私を見ていた。うわぁ、何あの間抜け面。手のひらに握った赤い袋と私を交互に見て、眉間にシワを寄せる。


「俺、甘いの嫌いなんだけど」

「…………ムカつく!!」


 この男は!! 少しくらい空気読みなさいよね!! せっかくの私の厚意を無下にするなんて失礼にも程があるわ!!

 私は後ろを向いて勢いよく歩き出した。ああもう最悪!! 慣れないことなんかするもんじゃないわ!!


 私は屋敷のドアを勢い良く開けて勢い良く閉めた。


「そっちこそ何だよ…………調子狂うだろうが」


 キャンディーの袋を見ながら戸惑ったように呟かれたクロヴィスの声は、怒り狂った私の耳には当然届くはずもなかった。

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