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「姉さんただいま! 夕飯は何?」

「おかえり。今日はハンバーグよ」

「やった!」


 玄関から明るい声が聞こえた。ここ数日、ノエルは上機嫌で剣術の訓練から帰ってくる。師匠とやらと訓練を始めてからずっとこの調子だ。

 オマケに今日は好物のメニューでウキウキと嬉しそうだ。ノエルは素早く手洗いと着替えを済ませると、テーブルに腰を下ろして料理を待っていた。


「師匠って人、剣術ちゃんと教えてくれてるの?」


 ハンバーグと付け合わせのサラダが乗った皿をテーブルに置きながら、私は疑問を口にする。


 実はずっと心配していたのだ。その人がちゃんと公園に来てくれているのか、来てくれていたとして、本当にきちんとした指導をしてくれているのか。ノエルが無理矢理お願いしたみたいだし……それに、ハッキリ言ってまだ不審者の可能性だって否定出来ない。おそらく貴族だと思われるが、身分も何もわからないし。あの公園は平民街との境目だから、治安も心配だし。


「うん、教えてくれてるよ!」


 私の心配を吹き飛ばすように、ノエルは自信満々の口調で言った。


「俺、剣の持ち方とか姿勢とかちゃんとなってなかったみたいで、癖がついてるって師匠に怒られた。そんなんじゃ怪我するぞって。あと、正しい姿勢で構えなきゃスピードも正確さも出せるわけないんだからって指摘された」

「へぇ」

「やっぱり独学には限界があるんだよね。俺、子爵領の騎士たちの稽古をこっそり見て真似してただけだもんなぁ。足の使い方とか腰の位置とか全然違うもん」


 ノエルが騎士に憧れたきっかけは小さい頃に一緒に読んだ絵本だ。お姫様を守る騎士が活躍するその本は、お母様がよく読み聞かせをしてくれていた思い出がある。ノエルはそれを読んで、お母様と姉上は僕が守る! といつも言っていたっけ。父は根っからの文系なので剣術を教えられるはずもなく、子爵領の騎士たちの稽古を毎日のように覗きに行っていた。時々相手をしてもらっていたけど、本格的な稽古は受けたことがない。


「昔はディオン(にい)とか若手の騎士とかに無理言って相手してもらったり、ずいぶん迷惑かけてたなぁ」

「あら、今頃気付いたの?」

「成長したって言ってくれ」


 ノエルはニヤリと笑いながら言った。うわ……生意気な!


 それにしても、やっぱり基礎って大切なのね。最初がダメだと全部がダメになっちゃうもの。何事も最初が肝心。最初が…………最初? 私の頭に鋭い目付きの男の顔が浮かんだ。


 ……そうだ。最初がダメだと今の私とあの男みたいに拗れちゃって、修復出来ない所まで落ちちゃうんだから。基礎をしっかりと教わる事は非常に好ましい。それにしても、アイツの顔を思い出したらムカムカと不快感が押し寄せてきた。屋敷に居る時まで出てくるなんてありえない。本当になんなの腹立たしい! 私はぶんぶんと首を横に振ってあの憎たらしい顔を消し去った。


「……姉さん?」


 ノエルが私の不審な行動を訝しげに見てくる。


「なんでもないから気にしないで」

「ええと……うん」


 手作りのハンバーグはみるみるうちにその形を無くしていった。育ち盛りの食欲は半端ないわ。残りのパンとスープとサラダを綺麗に平らげ、食器を下げたノエルは元気よく言った。


「姉さん、俺今からちょっと出てくるから」

「え? 外もう暗いわよ?」

「屋敷の周辺走ってくる。師匠が体力付けた方がいいって!」

「良いけど……みんなの迷惑にならないようにしてね。あと、安全に気を付ける事」

「わかってるって。あ、そうそう! あと筋力もつけた方がいいらしくて、明日師匠が室内でも出来る体幹トレーニングと足腰を鍛える筋トレ方法教えてくれるんだって! あと、鏡の前で姿勢を確認しながら素振りする時のコツも!」


 師匠って人、何気に課題が多いのね。スパルタなのかしら? それでもノエルは嬉しそうだ。


「さすが師匠だよな! 言葉遣いは荒いんだけど優しいんだ。もしかして、あれがツンデレってやつなのかな?」


 ううん、会ったことはないけどたぶん違うと思うわよ。ノエルがツンデレの意味を間違ったまま覚えたらどうしようと、いらぬ心配が増えた。



 *



「あれ? 今日の玉子焼きいつもよりかなり甘くない?」


 私のお弁当箱の中から当たり前のようにおかずを盗み、目の前でパクパクと食べているのはもちろんジェシーである。まぁ、いつもの事だからもう気にしてないけれど。


 それに、ジェシーも私に合わせてお弁当を持参しておかずを分けてくれるのでおあいこだ。いや、侯爵家のシェフ特製のお弁当はとても美味しいので、私の手作りなんかでは不相応なのだけど……ジェシーはいつも美味しく食べてくれる。いや、勝手に取って食べてるんだけどね。


「あ、うん。実はちょっと砂糖入れすぎちゃったんだ」

「へぇ。まぁこれはこれで美味しいから良いけど」


 私は笑いながら味の違いをなんとか誤魔化した。…… そう。今日の玉子焼きは甘い。激甘玉子焼きなのだ。


 おそらく、こないだディオン様からクロヴィス・ナイトレイは甘いものが苦手だと聞いたせいだろう。作っている時にたまたまその話を思い出した私の手は勝手に動き出していた。どばどばと砂糖を入れ、ぐるぐるとかき混ぜ、気付いた時にはこの激甘玉子焼きが完成していたのだ。完全にクロヴィス・ナイトレイへの嫌がらせのつもりで作ってたんだと思う。甘い物食べて苦しめクソが! みたいな感じで。あげるわけでもないのに……無意識って怖いわ。ていうか頼まれたって絶対作らないけどね!


「ジェシカ様! リシェル様!」


 明るい声がテラス席に響く。振り向くと、同じクラスで仲の良いメリー様とバーバラ様が揃って私たちの元に来ていた。


「あら、どうしたの?」

「実はわたくしたち、今日の放課後新しく出来たカフェに行こうと思っていて」

「もし良かったらお二人も一緒に行きませんか? チョコレートケーキが絶品なんですって!」


 二人はウキウキと楽しそうに言った。放課後……か。今日は月に一度の特売日だから、早く帰って市場に買い物に行かなくちゃならない。その後は洗濯物の取り込みとご飯の用意と内職の刺繍と……とにかくやる事がいっぱいだ。


 どうやって断ろうかと考えていると、先にジェシーが口を開いた。眉尻を下げ、申し訳なさそうな表情を作っている。


「ごめんなさい。わたし、放課後はちょっと用事があるの」

「まぁ……そうですの」

「リシェル様はどうです?」

「私も家の用事があって……ごめんなさい」


 聞かれて、私も申し訳なさそうな顔をして言った。


「そうですか……残念ですわ」

「ごめんなさいね」

「いえ! こちらこそ、急に誘ってすみません」

「また今度誘ってくださいませ」

「もちろんですわ!」


 軽く頭を下げ、二人はテラス席を後にする。


「放課後が楽しみね」

「ええ。あのお店、チョコレートケーキだけじゃなく、チーズケーキとフルーツタルトも美味しいらしいわよ」

「まぁ! どれがいいか迷っちゃうわね!」

「紅茶も種類が多いらしいの。楽しみだわ!」


 楽しそうな彼女たちの会話を聞いて思わず溜め息がこぼれた。はっとしてすぐに口を塞ぐ。私は……何を今さら。こんな事もうとっくに慣れてるのに。


 みんなうちの事情はある程度知っているが、ここまで貴族らしからぬ生活をしている、という事は一応隠して生活している。貴族という立場上、他人に対して安易に弱味を見せる事は出来ない。いつ足元をすくわれるか分からないのだから。あとは、貴族としてのなけなしのプライドである。私個人としても、同情されるのは嫌だしね。


「新しい店って混んでるから嫌よね」

「え?」

「落ち着いた頃に行きましょう」


 食べ終わったお弁当箱を片付けながら、ジェシーはさらりと言った。なんだか肩の力がふっと抜けた気がする。いいなとか羨ましいとか、そういう嫉妬めいた気持ちはあっという間にどこかに行ってしまった。……彼女のこういう()()の態度に何度助けられただろう。幼い頃から本当に変わらない。


 大体ジェシーと私は、本来ならこんな気さくに話せる身分ではない。だから学院に入学した頃は周囲からの風当たりも強かった。


 〝何故貧乏子爵家の令嬢が侯爵家のご令嬢と一緒にいるの?〟〝身分を弁えなさい〟などと言われる事は日常茶飯事。だけどジェシーはそんな生徒たちに向かって「あら? わたしの友人を悪く言うのなら、我がローウェン侯爵家を敵に回したという事でよろしいわね?」と笑顔で言い放ったのだ。それはディオン様も同じで。二人がハッキリと私と友人関係だと言ってくれたおかげで、表立って文句を言ってくる人はいなくなった。さすがに二つの侯爵家を敵に回すような愚か者は学院内にはいなかったらしい。


 ……まぁ、ディオン様の場合は女性陣の嫉妬と牽制が激しくて大変だったけど、誰かが言った〝子爵令嬢が侯爵家に嫁げるわけないわ!〟という意見が浸透し、嫌がらせなどはなくなった。身分の低さが幸いしたらしい。それはそれでどうなの? と思わなくはないけれど、平穏な学園生活を送れるなら些細な事だわ。


「ちょっと、聞いてる?」


 ぼんやりと昔の事を思い出していると、ジェシーが怪訝な顔でこっちを見ていた。


「ぼーっとしてどうしたのよ」

「……ジェシーと友達で本当に良かったなぁと思って」

「は? なにそれ気持ち悪い」


 ジェシーはドン引きした顔で私を見てきた。


 ……ええ、大丈夫よ。ジェシーのそれは照れ隠しだって私わかってるから! 弟よ、こういうのがツンデレって言うのよ! ……たぶんだけど!


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