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「姉さん姉さん。一体何枚のハンカチに刺繍すれば気が済むわけ?」

「えっ? あっ! えっ!? しまった! 依頼された分はもうとっくに終わってたわ! どうしよう!?」

「言っとくけど。俺そんなにハンカチ使わないからね」

「……そうよね。ごめん」


 ノエルの指摘に私は項垂れる。


「……ね、姉さんが素直に謝るなんて珍しい。一心不乱に刺繍してるし……大丈夫? なんかあった?」

「失礼ね。何もないから大丈夫よ」

「それならいいけど……明日本番だろ? 主役なんだから体調管理には気を付けた方がいいよ」

「わ、分かってるわよ」


 私は溜息をついて手に持っていた刺繍道具を置いた。テーブルに積み上げられたハンカチを見てもう一度溜息をつく。ノエルの言う通り明らかに作りすぎだわ。バザーで売るか孤児院へ寄付するか……ああ、ダメだ。後で考えよう。今は何にも集中できない。だって、何をしていてもふとした瞬間にあの日のディオン様が浮かんできて、私の脳内を狂わせるのだから。


 明日は創立祭、劇の本番だっていうのにこんな浮わついた気持ちじゃダメだ。一回落ち着こう。落ち着いて深呼吸しよう。吸ってー、吐いてー、吸ってー……ってやっぱり全然落ち着かないわ!! どうしよう!?


 ディオン様から想いを告げられた私は、正直舞い上がっていた。だって、あんな素敵な人にずっと好きだったなんて言われて嬉しくないわけないじゃない!? あの日から心臓はドキドキと煩いし、頭はふわふわしている。


 ……だけど。その浮かれ気分を打ち消すかのように、すぐにクロヴィス・ナイトレイの不機嫌そうな顔が頭を過ぎるのだ。なんでだろう。理由はわからない。……と、いうか。


 私は、自分の気持ちがわからない。


 ディオン様の事はもちろん好きだ。でもその〝好き〟はお父様やノエル、ジェシー対する〝好き〟と同じで、そこに恋愛感情はない……と思う。

 いや、もしかして、今まではそうだと思い込んでいたのかもしれない。ディオン様とは身分差があるし、女性から大人気だから。好きになってもどうせ叶うはずはないと理解して、この〝好き〟は家族に対する〝好き〟と同じなんだって。あらかじめ予防線を張っておいたのかもしれない。……そうすれば、傷付く事がないから。


 私は溜息をついて劇の台本を手に取った。もう台詞はすっかり頭に入っているけれど、明日の本番に向けてもう一度読み直そう。……今日の最終リハーサルは散々だったわ。ジェシーにもクロヴィスにも怒られて、さすがにちょっと落ち込んだし。


 ……うん。せっかく皆創立祭のために頑張ってきたんだもの。私のせいで台無しにするわけにはいかないわ。


 ぱちん、と両手で頬を叩いて自分に渇を入れる。


 よし、明日は集中して出来る限りの演技で頑張るぞ! 例え相手があの憎きクロヴィスであろうとも! ええ!





 空は雲一つない快晴だ。


 午前中の舞台、そして午後からのガーデンパーティーに向けて着々と準備が進められていく。数百種類の花が咲き誇る広大な会場で行われるパーティーはさぞかし盛大で美しいだろう。準備を手伝う生徒たちも、心なしか楽しそうだ。


 私はそんな生徒たちをチラリと見ながら、劇の準備のため更衣室に向かう。変な緊張と変な悩みで、私の頭の中はパンク寸前だった。


「で?」

「え?」


 隣を歩くジェシーが何の脈絡もなく言った。主語を置き忘れてるので、何について聞いているのかわからない。


「何があったの?」

「な、何って何が?」

「ここ何日か様子が変だった。何かあったんでしょ。ディオンと」

「っ! ……さすがジェシー。隠し事は出来ないわ」


 私は乾いた笑い声を上げると、躊躇いがちに言った。


「実は……ディオン様に告白されたの」

「ふーん」

「ちょっと! 反応薄くない?」

「だってディオン様の気持ちなんてとっくに知ってたもの」

「えっ!? う、嘘でしょ!?」

「ホントよ。見てればわかるわ」


 私は驚いて立ち止まる。そのまま項垂れるように俯くと、大理石の床を眺めた。


「で? 返事は?」

「……まだしてない」

「ふーん」


 ジェシーは興味なさそうな返事をして、歩みを進めた。私も静かに着いていく。


「どうなるかはわからないけど」


 前を向いたまま、ジェシーは言った。


「ちゃんと自分の気持ちに素直になりなさいよ。そうじゃないと後悔するから」

「……うん」


 私は小さな声で返事をした。


「リシェル様!」


 私を呼ぶ声に振り向くと、花が咲いたような笑みを浮かべたアリス様が手を振っていた。


「いよいよ今日が本番ですわね!」

「ええ」

「わたし、ずっと楽しみにしてましたの! 緊張すると思うけど、頑張ってね!」

「あ、ありがとう」

「では。()()()()舞台、会場で応援してますわ!」


 アリス様はそう言って、会場へ向かって走って行った。


恋敵(アリス様)とずいぶん仲良くなったのね」

「恋敵って言い方やめてよ」


 ジェシーは大きな溜め息をつく。


「とにかく、今日の劇はちゃんとやってよ?」

「もちろん。そこはしっかり切り替えるわ」

「ノエル君も見てるんだから、姉としていいとこ見せなきゃね。台詞噛んだりしたら良い笑い者よ」

「そのプレッシャーのかけかたやめて!」


 私たちはワイワイと騒ぎながら、更衣室へと急いだ。




 *




「きゃー! 本当によくお似合いですわ! 黙っていれば!」

「リシェル様の神秘的な髪色と純白がピッタリすぎて本物の聖女様みたい! 黙っていれば!」

「本当に聖女みたいよね。黙っていれば」

「ちょっと! 皆揃って一言多すぎない!?」


 衣装に着替えてメイクを施してもらった私の姿を見て、メアリー様・バーバラ様・ジェシーの三人が興奮気味に叫んだ。


 ──繊細な刺繍がこれでもかと施された、純白のマーメイドドレス。ホルターネック仕様でタイトな上半身と、膝下から裾にかけてふわりと広がるスカートのメリハリ、それに、マントのような長い袖が特徴的な美しいドレスだ。さすが大人気デザイナー、マダムキャリーが作ったドレスである。もちろんアクセサリーも服に合わせて作ってあり、キラキラと輝くティアラがちょこんと頭に飾られている。ていうか……こんな高級で素敵なドレス、私なんかが本当に着ていいの!? 美しい貴婦人が夜会で着たらさぞかし映えるでしょうに……私のような小娘が劇のためだけに着るにはもったいなさすぎるわ。


「メイクも似合ってますわ! 黙っていればモテるのに!」

「本当に美しいわ! ティアラの美しさにも負けないくらい! 黙っていれば」

「これで観客の視線はリシェルに釘付けね。失敗したら目立つわよ?」

「あら、これだけ美しければ本番で少しくらい間違っても誤魔化せるわ。だから頑張って!」

「クロヴィス様とのやり取り、楽しみにしてますわ〜!」


 もはや突っ込む気にもなれない。完全に面白がっている彼女たちを睨むが、三人はどこ吹く風だ。


「……ちょっと外の空気吸ってくるわ」


 逃げるように廊下に出て、更衣室から離れる。……やばい。からかい混じりのプレッシャーをかけられたせいか、なんだかちょっと緊張してきたわ。私は気持ちを落ち着かせるため静かに歩き出す。


 すると、前方からコツコツという足音が聞こえてきた。長いマントを靡かせ、眉間にシワを寄せた不機嫌顔の男が近付いてくる。……クロヴィス・ナイトレイだ。


 真っ直ぐ進み続けた私とクロヴィス・ナイトレイは、廊下の真ん中で対峙する。


 クロヴィス・ナイトレイは黒に銀色のラインが入った軍服姿だ。肩章などの装飾品が着いた上着に丈の長い片側マント、細めのズボンを履いて、裾はロングブーツにインしている。腰には模造刀(サーベル)が装着されており、まさに「騎士」の出で立ち(いでたち)だった。


 ……ノエルの言っていた通り、騎士服が中々似合っているのが非常に悔しいところだ。無駄に伸びた手足といい高い身長といい、スタイルの良さも腹立たしい。そういえば……戦闘シーンを演じるクロヴィス・ナイトレイの剣技は皆が言っていたように美しかったのよね。ムカつく事に。悔しいが、ノエルが憧れる気持ちも少しわかる気がした。対峙したクロヴィス・ナイトレイは私を上から下まで見回すと、ぐっと眉間にシワを寄せる。


「……何よ」

「……いや」


 さらにジロジロと私の姿を見ると、不機嫌そうに口を開く。


「知ってるか? 東の国では〝馬子にも衣装〟という言葉があるらしい」

「は?」

「どんな人間でも外面を飾れば立派に見えるって意味だそうだ。お前にぴったりだな」


 ……っ! この男は……! 本番前だっていうのにケンカ売ってるのかしら!? いつでもどこでも買うわよ!?


「あら。脳筋のくせによく東の国の言葉なんて知ってたわね。でもその言葉、特大ブーメランで自分に返ってるって気付いてる?」

「…………」


 いつものように何か言い返してくると思ったのに、クロヴィスはそれ以上何も言ってこなかった。その代わり、眉間のシワを深くして苛立ったように私を見下ろす。


「お前さぁ……」

「何よ」

「ディオンに告白されたんだって?」


 予想外の爆弾発言である。言われた瞬間、私の顔がボフっと音を立てて爆破した。


「なっ、なっ、なん、なんで、それ!」

「本人に聞いた」

「な、ちょ、ふ、」

「しっかり喋れよ」

「う、う、うるさい!」


 私は何故か動揺していた。焦って思考が回らない。


「返事はまだだって聞いたけど。どうすんだよ」

「はぁ!?」

「ああ、それとももう決まってんのか?」

「なっ、あ、貴方に関係ないでしょ!?」


 しどろもどろになりながら、なんとか言葉を返す。パタパタと両手で扇ぎながら顔の熱を冷ましていると、クロヴィスが盛大な舌打ちを鳴らした。


「…………つく」


 クロヴィスが不機嫌そうに何かを呟き、私の頭に向かって手を伸ばした。ふわり。ほんの少し、クロヴィスの手が頭に触れる。


「な、何!?」

「……頭の無駄にキラキラしたそれ。ずれてるから直してやっただけだ。ありがたく思え」

「ティアラの事? そんなの口で言えばいいじゃない。鏡を見れば自分で出来るわ!」

「あーはいはい。余計なことしてすいませんでした」


 クロヴィスを睨みつけると、奴も私を睨んでいた。奴はチッという短い舌打ちの後、小さく口を開いた。


「……その衣装」

「な、なによ!?」

「馬子にも衣装っていうか、ゴリラにも衣装だな」

「……はぁ!?」

「それなりに似合ってんじゃねーの?」

「……は、はぁ!?」

「ま、衣装に負けないよう精々頑張れよ。……ああ、もう負けてるかもしれないけどな」


 捨て台詞のように言い残すと、クロヴィスはさっさと歩き出した。コツコツというブーツの音が遠ざかる。


 な、何今の言い方! ムカつくムカつくムカつく!! それなのに、何故か自分の顔が少し赤い。体温もぐっと上がった気がする。いやいや、これはきっと怒りのせいだ。絶対! そうに決まってる!


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