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学院創立祭の準備は着々と進んでいる。私たちも、毎日の練習に加え衣装の採寸や小道具の準備などで大忙しだ。
「後ろ向いてくださる? そう、ちょっとの間そのままでいてね…………うん、いいわ! お疲れ様!」
繊細な刺繍の施されたドレスを着た美しいご婦人、マダムキャリー。王都でも有名な人気デザイナーだ。
毎年この時期になると学院御用達の仕立て屋が劇の衣装を作っているらしく、私も彼女に隅々まで採寸されぐったりと疲れきってしまった。
「リシェル様は手足も長いし華奢だし全体のバランスも美しいわ!」
「あ、ありがとうございます」
私は照れながらお礼を言った。だって、褒められるのは慣れてないんだもの。
「うふふっ、どんなデザインにしようかしら? とびきり素敵な聖女の衣装を仕立てるから、少し待っていてね!」
楽しげなマダムキャリーに別れを告げ、私は空き教室に向かった。これからクロヴィス・ナイトレイと台詞合わせなのだ。ああ……向かう足取りは鉛のように重い。それにしても、さっきのマダムキャリーの言葉。是非ともクロヴィス・ナイトレイに聞かせてやりたかったわ。まぁ、アイツの事だから「お世辞を間に受けるなよ」とか嫌味の一つや二つや三つぐらい言ってくるんだろうけど。いつの間にか着いていた教室の前で溜息をつくと、静かに扉を開ける。
「……おせーよ」
不機嫌そうな低い声を耳にして、更にやる気がなくなった。
「採寸してたんだから仕方ないでしょ」
「いや、寸胴なんだからそんなに時間かからないだろ」
「ぶん殴るわよ?」
私は手に持っていた台本を振り上げる。本当に失礼な男だ。
「はいはい。ほら、さっさと始めてさっさと終わらせるぞ」
「……言われなくてもそうするわよ」
一刻も早くこの場を立ち去りたいので、ここは素直に彼の言葉に従おう。私は、腕を下ろし、空いていた席に静かに座った。
*
「あー、疲れた」
「ちょっと休憩するぞ」
ちょっとこれは本当に疲れた。正直、体力よりも精神的にものすごく疲れるのだ。喋り続けたせいで喉もカラカラだし。
小さく溜息をついて、目の前でぐったりしている男を見やる。
「……ねぇ」
「あ?」
相変わらず口も態度も目付きも悪い。私も同じように睨みつけながら口を開いた。
「なんでアリス様の告白断ったのよ」
「はぁっ!?」
クロヴィスの切長の目が見開かれた。相当驚いているらしい。
「な、なんでお前がそんな事まで知ってるんだよ!」
「本人に聞いたもの」
「本人……アリス嬢が!? なんで!?」
「そんなのこっちが聞きたいわよ」
私はちくちくと針でつつくように嫌味を続ける。
「私まったく関係ないのにわざわざ呼び出されて説明されたのよ?」
「は!?」
「ていうか、まず断る理由がわからないわ……。信じられない……。だって相手は周りから妖精姫って呼ばれるほどの美少女よ? 伯爵家の長女だから将来は安泰。しかも政略じゃなく恋愛感情を抱いて告白してくれたっていうのに……それを断るって貴方何様のつもり?」
クロヴィスは眉間にシワを寄せながら言った。
「……うるせーな。ナイトレイ家は身分とか関係なく自分の好きになった相手と結婚していいって言われてんだよ」
「デートまでしたくせに? 乙女心を弄ぶなんて最低!」
「だ、だから! あれはデートじゃないって言ってんだろ!? それに……」
クロヴィスはふと視線をそらすと、言いづらそうに小さな声で続けた。
「……好きでもないやつと無理して付き合うなんて、相手に対しても失礼だろ」
私はポカンとした顔で奴を見やる。……なんだか珍しく至極真っ当なことを言っていて、逆に腹立たしい。クロヴィスのくせに。
「……そういうお前は?」
「は? 何が?」
「……ディオンと婚約するんじゃないのかよ」
とんでもない発言に、今度は私が驚きを隠せなくなった。
「なっ!? 何言ってんのよ! 前から言ってるでしょ? ディオン様はただの幼馴染だって! 大体身分が違いすぎるもの!」
「ふーん?」
「……私の結婚はねぇ、お金持ちの商人とかどこぞの裕福な貴族の後妻とか、家のためになる政略結婚でいいのよ」
「はぁ!? ふざけんな何言ってんだお前!!」
私がそう言うと、何故かクロヴィスにキレられた。
「べ、別にふざけてなんかないわよ」
「……本気で言ってんのか?」
「だって家は貧乏だもの。確かに領地は落ち着いてきたけど、どうせ結婚しなきゃいけないなら家の役に立ちたいと思って。想い合う相手がいるわけじゃないし、私に求婚してくる人もいないしね」
「……もしディオンから求婚されたらどうすんだよ」
「ありえないわ。だって相手は次期侯爵様よ?」
ふるふると首を振って答えると、クロヴィスの眉間にさらに力が加わった。
「ああでも、ディオン様は優しいから何か助けようとしてくれるかもね」
「お前は……」
「リシェ! クロヴィス!」
クロヴィスが何か言いかけたところで、空き教室のドアが勢いよく開いた。
「……ディオン様?」
入って来たのはディオン様だった。彼はニヤリと笑みを浮かべると、からかうように言った。
「あれ? もう〝ディー〟とは呼んでくれないの?」
「い、言わないわ! あれは冗談で言っただけだもの!」
「えー? 昔に戻ったみたいで俺は嬉しかったんだけどな?」
「もう! からかわないでよ!」
こないだの話を蒸し返されて、私は羞恥心でいっぱいになる。
「ははっ、ごめんごめん」
「……それで? 何か用があったんじゃないの?」
「そうそう。今から通しで練習するからホールに来てって、ジェシカから伝言を頼まれたんだ」
ディオン様はわざとらしく溜息をつく。
「まったく。一応侯爵家の嫡男である俺をパシリに使う女性はジェシカぐらいだよ」
「ふふっ、確かに」
私とディオン様が笑い合っていると、ガタリと大きな音をたててクロヴィスが立ち上がった。その顔は相変わらず不機嫌そうである。
「……お前ってさ」
「え?」
クロヴィスは眉間にひどく力を入れたまま私を見ていた。
「な、何よ。言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
私の眉間にも負けじと力が入る。もちろん無意識でだ。クロヴィスはそんな私を見てさらに顔を歪めた。
「…………ディオンの前だと、よく笑うよな」
クロヴィスから出てきた言葉に目が点になる。何それ。笑う? 何言ってるのかしら。
「はぁ? 私、いつも普通に笑ってるけど?」
私がそう言えばクロヴィスは何故かイライラしたようにチッと舌打ちをした。なんでこんなにイライラしてるのかしら。意味が分からなくて戸惑っていると、クロヴィスのつり上がった目と視線が合う。まさに蛇に睨まれた蛙、と言った状態だった。
「……俺先に行ってるわ」
意外にも、先に目を逸らしたのはクロヴィスの方だった。ポケットに手を入れ、不貞腐れたように歩き出す。……なんなの、今日のアイツ。私には奴の行動がまったく理解出来なかった。
「うわぁ……拗らせてんなぁ」
隣に居たディオン様が呆れたように言った。
「拗らせてる?」
「なんでもない。俺たちも行こうか」
聞き返してみても、ディオン様は笑みを浮かべるだけで答えてはくれなかった。腑に落ちないまま、私たちもジェシーの待つホールへと向かった。




