20
空き教室の中に入る。緊張していたのか、アリス様はふぅと一つ息を吐いた。
「突然呼び出しちゃってごめんなさい。びっくりしたでしょう?」
「い、いえ、大丈夫です。びっくりはしました……けど」
予想に反して、アリス様の態度は優しげだ。びくびくと身構えていた私も肩の力がほんの少し抜ける。
「こうして話すのは初めてですわね。わたし、シュリアー伯爵家が長女、アリス・シュリアーですわ」
「ヴァイオレット子爵家が長女、リシェル・ヴァイオレットです」
慌てて挨拶をすると、アリス様は小さく笑った。
「同じ学年ですし、お互い敬語はなしにしましょう?」
「は、はい」
「ふふっ。実は、話し掛けようと思ってタイミングを見計らっていたの。でも、いざとなるとなかなか出来なくて……。何度も目が合ったのに逸らしちゃってごめんなさい」
「い、いえ。確かに視線は感じてたけど大丈夫です」
「よかった。怖がられてたらどうしようかと思ったわ」
アリス様は深呼吸をすると、控えめな声で私の名前を呼んだ。
「リシェル様」
「な、なんでしょう?」
「気付いてるでしょう? わたしが……クロヴィス様を好きな事」
私を真っ直ぐに見つめるその瞳に迷いはなかった。
「……ええ」
「そうよね。クッキーを渡した時もリシェル様は傍にいたものね」
……あらまぁ。あの時私がいることに気付いてたのか。眼中になかったから知らないのかと思ってたわ。
「……わたしね、結構頑張ってアピールしてたの」
アリス様は独り言のようにぽつりぽつりと話を続ける。
「ナイトレイ家の事は昔から知っていたわ。同じ伯爵家だし、うちの親戚も騎士養成学校に行っていたから。剣術大会を観に行った事もあるの。クロヴィス様はとっても強かったわ。そして剣捌きも美しいの!」
真っ白な頬をほんのりと赤く染め、ブルーグリーンの瞳を輝かせて語るアリス様の姿は愛らしい。
「クロヴィス様はわたしの憧れの存在だったの。だから、うちの学院に編入してくるって聞いた時は驚いたわ。それと同時に頑張って仲良くなりたいって思ったの。今までは話も出来ない存在だったから……。友達の協力で委員会も一緒になって、挨拶を交わせるようになって、少しだけ世間話も出来るようになって……嬉しかった。男性に絡まれているところを助けてくださって、気持ちが更に強くなったの。こないだもね、わたしが無理矢理誘って一緒に出掛けたの。従弟の誕生日プレゼント選ぶの手伝ってって言ったら来てくれた。ふふっ、クロヴィス様ってなんだかんだ言って優しいから、こういうの断れないのよね。でも……」
アリス様は眉を八の字に下げる。
「本当はね……わかってたの。わたしの事なんて眼中にないって。全部わたしの自己満足で、一方的な片想いだって」
私はどんな反応をしたらいいのか分からず、戸惑ってしまった。そんな私に力なく笑って、アリス様は口を開いた。
「わたしね。クロヴィス様に告白して、振られたの」
「…………え」
私の口からは掠れたような間抜けな声が出た。
「一緒に出掛けた日の帰りにね。ずっと好きでした、もしよかったら付き合って下さいって言ったの」
私の心臓がバクバクと動きを早める。なんだろう、なんか私、変だ。なんだか動揺してるというか……。
「その……クロヴィス・ナイトレイは何て……?」
「〝アリス嬢の事は友達以上には見れない。申し訳ない〟ってハッキリ振られちゃったわ」
私は驚きのあまり息を飲む。
「家から正式に婚約の申し込みをしたり、政略結婚を持ちかけて逃げられないようにするとか、手段は色々あったんだけどね。でも……そんな事しても彼の心が手に入らないなら意味ないから」
アリス様はふふっ、と笑いながら言った。もしかしてもう吹っ切れたのだろうか。……いや、吹っ切れたフリをしているに違いない。ブルーグリーンの瞳が悲しげに揺れている。
「……アリス様は」
「ん?」
「アリス様は、どうして私にそんな大切な事を話したの?」
そう聞くと、不思議そうにきょとんとした顔で私を見てきた。それから「うーん、そうだなぁ」と唸りながらやわらかそうな金髪をさらりと撫でる。
「リシェル様はわからない?」
「えっ、私? ……申し訳ないけどわからないわ」
「あらまぁ。でも……そっか。ふふっ。なんでだろうね?」
アリス様は曖昧に笑ってはぐらかす。いやいや。答えになってないわよそれ。確かに笑顔はめちゃくちゃ可愛いけどさ。
「実はわたし、前からリシェル様とお話してみたかったの」
「えっ?」
「クロヴィス様とあんなに本音で言い合いが出来る女の子ってどんな子なんだろうって興味があったの。だから今日、少しでも話せて嬉しかったわ」
良いイメージを持たれていなかったのではないだろうかと不安が過ぎる。
「そうだわ! 戻る前に良い事教えてあげる」
「……良い事?」
「ええ。あのね、クロヴィス様には好きな人がいるの」
「……は」
私の口から声にならない声が出た。クロヴィス・ナイトレイに好きな人がいる……? まったく想像が出来ない。
「本人からハッキリ聞いたわけじゃないんだけどね? ……ずっと見てたから。わたしには分かるのよ」
アリス様は肩の力を抜くようにふぅー、と息を吐いた。
「……さてと、話はもうおしまい! 時間取らせちゃってごめんなさい。また明日、学院でね!」
ひらひらと振られた手は白くてしなやかだ。不発弾のような爆弾を残して、アリス様は教室を出て行った。ぽつんと残された私はしばらく呆然としていたが、ゆっくりと動き出した。シン、と静まり返った廊下を一人で歩く。
頭の中を回るのはアリス様の言葉ばかりだった。……クロヴィス・ナイトレイの好きな人、か。今までそんな事まったく想像した事がなかったけど……まぁアイツも年頃だし気になる女性が居てもおかしくはないけど……信じられない。ていうか、相手の女性が可哀想だわ。
だいたいさ、クロヴィス・ナイトレイのくせにあんな学院一の美少女に告白されるなんてなんの冗談よ。しかも振るなんて何様のつもり? ……なんかムカつく。イライラする。面白くない。
「だから違うっつってんだろ!! 勝手な事ばっか言ってんじゃねーよ!!」
突然、うちのクラスの教室から怒鳴り声がして勢い良くドアが開いた。扉はバン! と大きな音をたてる。……び、びっくりした。何? 修羅場?
中から出てきたのは不機嫌極まりない顔をしたクロヴィス・ナイトレイだった。うっ。今この男と会うのはなんとなく気まずいというか……。何か考え込むように下を向いていたクロヴィスの頬は心なしか若干赤い。
「クロヴィス・ナイトレイ?」
私に気付いたクロヴィスはハッと息を飲み、一歩後ずさって口元を手で覆った。え……何この反応。今まで見た事がないくらい狼狽えている。明らかに態度がおかしい。私、今日はまだ何もしてないはずだけど?
「……大丈夫?」
「お、おまッ! こっち見んな! 今すぐ消えろ!」
「はぁ? 突然消えろとか言われても。こっちは偶然通りかかっただけなんですけど」
「それならさっさと行け! こんなとこで止まんな!」
「え……ちょっと本当に大丈夫? ご乱心? なんだか顔も赤いし行動も変だし……風邪? うつさないでよ?」
「う、うるさい! 風邪じゃねーよバーカ!!」
クロヴィスは捨て台詞のような暴言を吐くと、逃げるように慌てて立ち去った。
「…………はぁ!?」
廊下に取り残された私は叫ぶように怒りをぶつける。何今の態度! 私何も悪い事してないのになんであんな態度取られなくちゃならないの!? 教室から出てきたアイツとばったり会っただけなのに! なんなのあの態度!? ほんっっと腹立つ!
「あれ、リシェ? そこに居たの? いつから?」
扉から顔を覗かせたのはディオン様だった。どうやらクロヴィスと一緒に中に居たのはディオン様だったらしい。
「私は教室の前をたまたま通りかかっただけで……ていうか聞いてよ! 今ここからクロヴィス・ナイトレイが出て来たんだけど、人の顔見て暴言吐いて逃げて行ったの! 信じられないと思わない!? 私何もしてないのよ!?」
「あー……それはまぁ……うん。俺も謝る。ごめん」
「えっ、なんでディオン様が謝るの?」
「今クロヴィスとちょっと話しててさ。挑発するような事言ったから。たぶんリシェはそれのとばっちり」
「……そうなの?」
そういえば教室から出てくる時に何か叫んでた気がする。いつも叫んでるイメージがあるあら気にしてなかったけど。
「珍しいわね。ディオン様がそんな事するなんて」
「まぁね。俺たちにも色々あるんですよ、お嬢さん」
ディオン様がからかうように言った。ここ数日様子のおかしかった彼はすっかりいつものディオン様に戻っていた。配役の発表時に悪そうだった機嫌も今は良さそうだし。悩み事が解決したのかしら。私に相談してくれないのはちょっと寂しいけど、解決したならそれで良いわ。
「ジェシーはもう帰っちゃったかしら」
「ああ、ジェシカならカフェテラスで見かけたけど?」
「えっ、本当?」
「多分まだいると思うよ」
「ありがとう。行ってみるわ」
もしかしてジェシー、私の事待っててくれたのかしら? だとしたら急いで向かわなきゃ。そんな事を考えながらディオン様の横顔を見ていると、ふとイタズラ心が湧き上がってきた。私はタイミングを見計らって口を開く。
「それじゃあ。また明日ね、ディー!」
私の言葉に、ディオン様は目を大きくしたまま動かなくなった。私はニヤリと笑ってその場から走り出す。早くしないとジェシーに怒られちゃうからね!




