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リオルド王立学院。
ランチタイムで賑わうカフェテリアの入口でメニューボードを眺めていると、「げっ」という声が聞こえて反射的に振り返る。そこに立っていた人物を目にして、私は思わず顔を顰めた。広大な敷地の我が学院内で、よりによって一番会いたくない人物に会ってしまうなんて……今日は厄日かしら?
同じように顔を顰めた男は、私をギロリと睨みながら不機嫌そうに口を開いた。
「なんでお前がここにいるんだ。リシェル・ヴァイオレット」
「あら、私がここに居て何か不都合があるのかしら? クロヴィス・ナイトレイ」
私が強気で答えると、奴はチッと舌打ちを鳴らした。あらまぁ。相変わらず失礼な男だわ。腹が立つ。
「入口に立ってられると邪魔なんだよ。さっさと退けろ」
「寝言は寝て言ってくれる? 私は端っこに寄ってるし、ちゃんと人が通れるスペースは確保してあるんだけど。まさか見えてないのかしら? 視力大丈夫?」
「うるせぇ。邪魔なもんは邪魔なんだよ。俺の視界に入ってくんな」
「何よそれ。そんな自己中な理由が通用すると思ってるの? だとしたら相当頭が悪いのね」
「なんだと!?」
「まったく。悪いのは目付きだけにしてほしいわ!」
一触即発。
睨み合う私たちの間には見えない火花が飛び散っている。バチバチと効果音まで聞こえてきそうな勢いだ。周りの生徒は関わりたくないのか、遠くから様子を伺ったり、見て見ぬフリをしながら足早に通り過ぎて行くばかりだ。
「ねぇ、二人とも邪魔なんだけど」
険悪な雰囲気をばっさりと切り裂く一声に、私と奴は同時に振り返った。
呆れたような顔を隠そうともせず、腕を組んで気だるげにこちらを見ている女子生徒。溜息をついてこちらに近付くと、ふんわりと巻かれたミルクティー色の長髪と制服のスカートがひらりと揺れた。
「ジェシー!」
声をかけてきたのは、幼馴染で親友のジェシカ・ローウェン侯爵令嬢だった。
彼女はもう一度深く溜息をつくと、うんざりしたように言った。
「貴方たち、またくだらない言い争いしてるわけ? 迷惑極まりないからいい加減にしてくれない? 少しは周りのことも考えなさいよ」
その一言ではっと辺りを見回す。確かに、遠くからこちらを伺っている生徒達は皆困ったような顔をしている。おそらく、この騒動のせいでカフェテリアに入りたくても入れないのだろう。私はすぐに謝罪の言葉を述べた。
「申し訳ございませんでした。この目付きの悪い男が無駄に絡んできたせいで皆様には多大なるご迷惑を……」
「はぁ? 人のせいにすんじゃねーよ!」
「どう考えても貴方のせいでしょ! くだらない言いがかりをつけてきて!」
「言いがかりじゃない! 俺は事実を言っただけだ!」
お互い一歩も引かずに睨み合う。そんな私達を無視して、ジェシーはメニューボードを見ながらデザートを選び始めた。うん、さすがジェシー。相変わらずのマイペースだわ。そんな彼女の姿を目の端に捉えていると、後ろから明るい声が聞こえてきた。
「あれ? みんな揃って何してるの? 楽しそうだね俺も混ぜてよ」
爽やかな笑顔を浮かべてこちらを見ている男子生徒。
「ディオン様!」
彼の姿を見て、私の表情はぱっと明るくなった。ディオン・カークライト侯爵令息。私のもう一人の幼馴染である。
「ちょっと聞いてくれる!? 私、ここでメニューボードを見てただけなのにこの男が急に来て邪魔だから退けろって変な言いがかりつけてきたの! 最低だと思わない!?」
「だから言いがかりじゃない! 邪魔だったのは事実だからな!」
「言いがかりよ! だってそんな事実はないもの!」
「ははっ。二人とも本当に仲が良いなぁ」
「いやふざけんな! 今の流れのどこにそんな要素があったんだよ!?」
思わず私も頷いた。この男と仲が良い? そんな事は絶対にありえないわ!! 私が文句を言う前に、ディオン様が口を開いた。
「リシェルがカフェテリアに来るなんて珍しいね。いつものお弁当は?」
「ノエルが今日はいらないって。なんでも、意中のご令嬢がお弁当を作って来てくれるらしいわ」
「おっと。それは羨ましいな」
「姉としては複雑だけどね。だから、私もたまにはカフェテリアで食べようかなって思って来てみたの」
「リシェルはいつも頑張ってるからね。たまには息抜きするといいよ」
そう言ってディオン様は優しく微笑んだ。そのあたたかな眼差しに、私の頬はふんわりと熱を帯びる。この、金髪碧眼の王子様のような整った外見は長年見ていても慣れない。オマケに紳士的で優しいし。そういうところもモテる要因の一つなのよね、彼。
「ノエルは元気?」
「ええ。王都の生活にも慣れたみたいでとても元気よ。……あ、でも最近私に対してちょっと冷たいのよね。反抗期かしら?」
「十二才だからなぁ。まぁ色々あるんだろ」
「そうよね……」
「せっかく同じ学院の初等部に居るっていうのに、校舎が遠すぎて会う機会が滅多にないもんなぁ」
「王国中の貴族の子供たちが集うんですもの。それなりの広さがなきゃねぇ」
「だよなぁ。ま、何かあったらすぐに相談してくれ」
「ありがとう」
私は笑顔で答えた。すると、ジェシーがメニューボードからパッと顔を上げる。
「決めたわ。わたし、デザートはチョコソースを添えたストロベリーホイップケーキにする」
どうやら悩んでいたメニューが決まったらしい。私も隣でメニューボードを覗き込む。
「わぁ、美味しそう! 私もそれにしようかしら? でも、生チョコ仕立てのザッハトルテも気になるわ。ガナッシュが何層もサンドされてるんですって」
「うわ……聞いただけで口の中が甘だるくなるな」
ウキウキした気分に水を差すような言葉が飛んできた。反射的に振り返ると、奴は苦虫を噛み潰したような顔をしてこちらを見ていた。
「ちょっと。女子の会話盗み聞きしないでくれる?」
「はぁ!? 聞きたくなくても聞こえてくるんだよ! おかげで食欲なくなったっつーの!」
「は? 貴方の食欲と今の話に何の関係があるのよ」
「それは……」
奴は眉間にぐっとシワを寄せて口を閉じた。
「ああ、クロヴィスは甘い物が苦手だからね」
「ばっ! おまっ、余計な事言うな!」
あっさりと暴露したディオン様に、奴はギッと鋭い視線を送る。
「へぇ、甘い物が苦手なのね。良い事聞いたわありがとディオン様」
「どういたしまして」
思いがけず弱点を知った事でニヤニヤしていると、奴はチッと盛大な舌打ちを鳴らす。
「……お前、甘い物ばっか食べてると横に成長するぞ」
「なんですって!?」
「これ以上成長しないようにせいぜい気を付ける事だな」
奴はハン、と鼻で笑うと、腹立たしい捨て台詞を残してカフェテリアから去って行った。小さくなっていく後ろ姿を見ながら、私は半ば叫ぶように文句を並べる。
「なんなのアイツ! 本当にムカつくわ!」
「まぁそう言うなって。クロヴィスはああ見えて良い奴なんだから」
「嘘よ! ありえない! 私にはさっぱり理解出来ないわ!」
「あー……確かに誤解されるような性格はしてるけどさ」
「誤解も何も、あれがあの男の本質よ!!」
ディオン様は困ったように苦笑いを浮かべる。
「じゃあ俺も行くね。リシェルはジェシカとランチ楽しんで」
ディオン様は軽く手を上げると、奴の後を追うように歩き出した。……ディオン様とクロヴィスは見た目も性格も正反対なのに、何故かずっと仲が良い。今年同じクラスになるまで接点はなかったはずなのに、一体どうしてだろう。私の中の七不思議の一つである。
「それにしても……貴方たちは相変わらずね」
隣で私たちの様子を観察していたジェシーが溜息を吐きながら言った。
「会えば毎回言い争い……よく飽きないわね。疲れない?」
「だって顔見るだけでイライラするんだもの。仕方ないじゃない」
さっきまで私と口喧嘩をしていた目付きの悪い男子生徒──クロヴィス・ナイトレイ。騎士の家系として有名なナイトレイ伯爵家の次男で、私の憎き天敵だ。
「そんなに嫌う必要ある? ディオンも言ってたけど、クロヴィス様って普通に良い人じゃない」
聞き捨てならない台詞に私はすぐさま牙を向いて噛み付いた。
「はぁ!? あれのどこが良い人なの!? いつも鋭い目付きで睨んできて、私と会うたびに罵詈雑言のシャワーを浴びせてきて!! ていうかさっきの聞いてた!? 横に成長するって言ったのよ!? これ以上成長しないようにって! 女性に対して失礼すぎない!? あれのどこが良い人だって言うの!?」
「それはリシェルにだけでしょう。他の人には全然普通よ」
「それはそれで差別だわ!!」
私の眉間にぐっと力が入る。涼しい顔をしたジェシーが続けた。
「それに、クロヴィス様ってカッコいいし」
しれっと爆弾発言をした彼女に驚きすぎて一瞬全ての動きが止まった。……え? あれ? カッコいい? カッコいいってなんだっけ? 虫の名前? え? ええ? 我にかえった私は叫んだ。
「か、かかかカッコいい!? カッコいいって誰が!? まさか……クロヴィス・ナイトレイッ!?」
「さっきからそう言ってるでしょ」
「嘘でしょう!? だって、だって凶悪犯みたいな目付きの悪さと口の悪さだよ!? 黒髪黒目の悪魔みたいな男だよ!?」
私は熱弁した。
「確かに目付きは悪いけどそこが良いんじゃない。騎士らしいキリッとした印象で」
「ないないないない!! カッコいいとか絶対ない! ジェシーの目大丈夫!? お医者さん呼ぼうか!?」
「少なくとも貴方の目よりは正常よ」
ジェシーは怒ったように言った。いやいや、だって。カッコいいって何。脳が言葉を理解するのを拒んでいるようだ。
「リシェルには信じられないかもしれないけど、クロヴィス様の事はクールでカッコいいってみんな言ってるのよ?」
「はああああああ!? みんなって誰!? 犬!? ゴリラ!?」
「……貴方の中でのクロヴィス様の扱い、本当に酷いわね」
呆れた、と言わんばかりに眉尻を下げるジェシーには悪いけれど、誰に何と言われようがこればかりは仕方が無いのだ。最初に受けた印象が強すぎて、私はあの男を敵としか認識出来ない。私は不満げに目線を外すと、俯いたままぼそりと言った。
「だって…………あの男とは出会いが最悪だったんだもの」
ジェシーの表情が変わった。私はゆっくり目を閉じる。
──忘れもしない。あれは、学院高等部の入学式の時だった。