17
月日が経つのは早いもので、明日からもう学院が始まる。一ヶ月の休みなんてあっという間だ。最後の一日を有意義に過ごさなきゃね。なんて思っていると、聞こえてきた二つの声。
「うう……終わんないよぉ」
「俺も……終わんないよぉ」
ぐずぐずと泣きながらひたすらペンを動かす並んだ背中を見て、わざとらしく溜息をつく。
「今日まで溜めてた自分たちが悪いんでしょ。自業自得よ、自業自得」
私が正論を述べると、直ぐ様振り返って一斉に反論される。
「だって視察が! 領地で父との視察とか忙しかったんだよ!」
「俺も師匠との訓練と当主教育の課題で忙しくて!」
「言い訳は無用!! さっさと手を動かす!」
「優しさを! 優しさをください!」
「うわぁん姉さん厳しい!」
泣こうが喚こうが知った事ではない。スパルタ上等。
「ねぇ、デザートある? 出来れば冷たいの」
「あるわよ。ジェシーは冷やしチーズケーキと冷やしブラウニー、どっちがいい?」
「えっ! 俺も食べたい!」
「俺も俺もー!」
「二人は口より手を動かしなさい!!」
ノエルが課題を最終日まで溜めているのは予想の範囲内だったけど、そこになんとディオン様まで入るとは思わなかった。突然早馬で「課題を手伝ってほしい」という手紙が来た時は本当に驚いた。現在、二人は我が屋敷の一室で必死に課題と向き合っている。そして、そんな彼らを面白がりに……いや、冷やかしに……いや、見守りにやって来たのがジェシーである。
「あー美味し。チョコレートたっぷりで濃厚。でもしつこくない。生地は冷やしてるにも関わらずパサパサじゃなくしっとり。くちどけなめらか。やっぱりリシェルの作るお菓子は最高ね」
「ふふっ、ありがと」
「シカ姉だけずるい」
「ジェシカだけずるい」
「何よ。文句ある?」
「……イイエ」
「……アリマセン」
ジェシーは二人の前でこれ見よがしにブラウニーを食べ始める。さすがドSだ。……なんだか天国と地獄を目の前で見ているような気分だわ。
「ノエルとディオン様の分もちゃんとあるから。そのプリントが終わったら食べていいわよ」
「ホント!? やった! めっちゃやる気出た!」
「俺も頑張ろうっと!」
〝馬の鼻先にニンジン〟効果で急にモチベーションの上がった二人はもくもくと課題に取り掛かる。……単純な奴等だ。
キッチンに戻り冷たいお茶を用意していると、冷やかしに飽きたのか、あるいはお菓子をもう一つねだりに来たのか、ジェシーが私の所にやって来た。
「ねぇ」
「ん?」
「さっきノエル君から聞いたんだけどさ、この家に来たんだって?」
びくり。私の肩が不自然に跳ねる。
「だ、誰がでしょう?」
「何知らばっくれてんのよ。クロヴィス様よ、クロヴィス様。どういう事か説明してくれる?」
腕組みをして威圧感の増したジェシーに真正面から睨まれては言い逃れ出来ない。観念して、私はこの前の出来事を全て話した。
「……は? 家に来たノエル君の師匠の正体がクロヴィス・ナイトレイだった? ……何それどこの恋愛小説?」
「非現実的なのは認めるけど恋愛小説ではないわ。どちらかと言えばホラーよ、ホラー」
「え? しかも何? 一緒にご飯食べて食器洗って? 夜の公園で二人星空の観察して? それってもう完全にデートじゃない。恋人どころか婚約者の関係じゃない。あらオメデト。名物カップルの誕生ね」
「なっ!? ノエルも居たから二人じゃないわ! あれはデートなんかじゃない! 恋人でも婚約者でもない! ましてやカップルなんて気持ち悪いこと言わないで!!」
「そこまで進んでおいてまだそんな事言ってるなんて……」
「進むって何が!? 全然進んでないわよ!?」
ジェシーは呆れたように「はぁ〜」と大きな溜め息をつくと、思い出したように言った。
「あ、そうそう。クロヴィス様、アリス様とは付き合ってないんだってね」
「もしかしてそれもノエルに聞いたの?」
「ええ」
「うわ……我が弟ながら口が軽すぎるわ」
「課題プリント一枚と取り引きしたからね」
「……ああ。それなら喋っても仕方ないか」
ノエルにとってこれは死活問題だからなぁ。今後のためにも、入学一年目から悪い印象・成績を残すわけにはいかないし。そういう状況を利用するとはさすがジェシーだ。
「なんかね、あの日はアリス様の従弟の誕生日プレゼント買いに行ったらしいわよ。男の子が欲しい物がわからないから手伝ってほしいって言われたんだって」
「あらまぁ。そんなのただの口実でしょう? ただ単にクロヴィス様と出掛けたかっただけよ。あの日のアリス様、相当気合いの入った服装だったもの」」
「そうよね? 私もそう思う。正直に言うと従弟もホントにいるか怪しいところだわ」
「居たとしても絶対誕生日じゃないわよね。しかしアリス様ってばなかなか積極的じゃない。クロヴィス様が落ちる日も近いんじゃないの?」
ジェシーがニヤリと笑いながら言った。私は眉をひそめる。
「……クロヴィス・ナイトレイが好きとか神経を疑うわ。男の趣味が悪過ぎる」
「それは、」
「終わった終わった! リシェ、俺にもデザートちょうだい。チーズケーキの方」
ジェシーが何かを言いかけたが、それより先にキッチンにディオン様の声が響いた。
「課題は終わったの?」
「まぁね。俺が本気を出せばこんなものさ」
「なら最初から出しなさいよ。そうすればこんな追い詰められた状況にならないのに」
私はお皿に冷やしたチーズケーキを乗せながら言った。
「実は俺、わざと今日まで課題残しておいたんだ……って言ったら怒る?」
「はぁっ!? なんで!?」
「リシェに会いたかったから」
「え?」
わ、私に会いたかったからわざと課題を残してた? ……何よその理由。まぁ、確かに真面目なディオン様が課題を忘れるなんて珍しいなとは思ってたけど……意味がわからない。
「休暇前に遊びに行くって言ってたのに来れなかっただろ?」
「ええ。でもそれは領地で学ぶ事が多くて忙しかったからでしょ? 手紙でも書いてたじゃない」
「そう。領地で色々やってたらあっという間に時間は過ぎて、王都に戻ったのは一昨日の夜。時間がなくて来れなかった……でも俺はリシェに会って、この手作りお菓子が食べたかったんだよ」
ディオン様にしては珍しく不貞腐れたように言った。なんだか子供のようだ。私はストロベリーソースをかけたチーズケーキを二つ、キッチンのテーブルに置く。
「あれ? ジェシカ二個目?」
「悪い?」
「いえ全く。二個でも三個でも好きなだけお食べ下さいジェシカ様」
ジェシーはドヤ顔でチーズケーキを頬張る。ディオン様も嬉しそうにフォークを握った。
「それはそうとディオン様」
「ん?」
私は彼の青い瞳を見ながら言った。
「私、ディオン様に怒ってる事があるんだけど。心当たりあるわよね?」
「あー……」
そのままじーっと睨むようにしていると、観念したのか肩をすくめて口を開いた。
「……ノエルの〝師匠〟について?」
「ご名答」
頷くと、ディオン様は苦笑いを浮かべる。
「貴方、ノエルの師匠がクロヴィス・ナイトレイって知ってたんでしょ? なんで教えてくれなかったのよ」
「ごめんごめん。クロヴィスが絶対にリシェには言うなってしつこく口止めしてきたから」
申し訳なさそうに謝ると、ディオン様は前髪をかきあげた。
「というか、俺もあの日初めて知ったんだよ。ノエルがクロヴィスに剣術指南を受けてるって聞いて驚いた。ついでにあの二人もお互いがリシェと関わりがあるって知って驚いてたよ」
「それは私も驚いたわ。だって師匠の正体を知ったのはこないだ家に来た時よ?」
「……ついでに白状すると、ノエルにクロヴィスを家に招待してやってくれって言ったの俺なんだよね」
私は驚きの声をあげる。
「は、はぁ!? なんでそんな事言ったの!?」
「んー、ちょっとしたサプライズ的な?」
いやいやそれ、まったく嬉しくないサプライズなんですけど。私は溜息をついた。
「でもさ、今回の件で少しはクロヴィスの良さもわかっただろ?」
「……あの男の良さ?」
「そう。クロヴィスは口と目付きは悪いけど根は優しい良い奴なんだよ。困ってる人を放っておけないっていうかさ。リシェだって思い当たる事あるだろ?」
「………………」
私は荷物を持ってもらった時の事や先日我が屋敷に来た時の事、そして何より、ノエルに剣術を教えている事を思い出す。……果たしてこれらは〝良い奴〟や〝優しさ〟に当てはまるのかしら。いや、意外と律儀な性格っていうだけじゃない? だって本当に良い奴なら人の顔見るたび眉間にシワ寄せて暴言なんて吐かないし、あんなに舌打ち鳴らしたりしないでしょ。うん。やっぱりアイツとは相性が悪いっていうか、生理的に受け付けないっていうか。大体、クロヴィスが良い奴だなんて認めたくない。私は意図的に話を逸らした。
「……ていうかさ、愛称で呼ぶの止めてくれない?」
「なんで? 別にいいだろ」
「いや良くないでしょ。みんなに誤解されちゃうじゃない」
「させておけばいいんだよ」
「良くないから。ご令嬢方に責められるのは私」
「そんなの俺がなんとかするよ。だから早くリシェもディーって呼んでよ。あ、ディオンでもいいよ?」
「だから嫌だってば」
話の途中に、突然「リシェルお姉様ぁぁ……たすけてぇ……」という弱々しい叫び声が聞こえてきた。向こうの部屋に残っているのは我が弟のノエルだけである。まったく……情けない。私は溜め息をつきながら立ち上がる。
「ちょっとノエルの所に行ってくるわ」
二人にそう言い残してから、私はキッチンを後にした。さて。プリントはどこまで進んだのやら。問題を見るのが今から怖い。
*
「ねぇ。ディオンはどうしたいの?」
リシェルが出て行くと、ジェシカは鋭い目をしながら俺に問い掛けた。
「どうしたいって、何が?」
「はぐらかそうとしても無駄よ」
ジェシカはフォークを皿の上に置くと溜息をつく。
「……貴方ってよくわからないわ」
ジェシカは不満そうな顔をして言った。
「今日みたいにいきなり会いに来たり、愛称で呼んでリシェルの心を揺さぶったり。かと思えばクロヴィス様の事を意識させるような言動したり。ディオンはリシェルをクロヴィス様とくっつけたいの? それともくっつけたくないの? どっち?」
「それ……は……」
ハッキリと聞かれ、頭の中を様々な情報が走馬灯のように駆け巡る。しかし、ぐるぐると回り続けるだけで終着点はどこにもない。
「実は……俺もよくわからないんだ」
苦笑いで自分の正直な気持ちを言うと、呆れたように深い溜息をつかれた。
「わたしはリシェルが幸せなら誰とくっついてもいいんだけどね。ディオン・カークライト。貴方は本当にそれでいいの?」
目を真っ直ぐに見られ、俺は小さく息を呑んだ。
「もしかして……気付いてたのか?」
「気付かないわけないでしょ。何年一緒にいると思ってんのよ」
ジェシカはギロリと俺を睨む。
「課題だって本当はもう終わってたんでしょ? 課題や約束はただの口実で、実際はリシェルに会いたかっただけ。もしかして、クロヴィス様がこの家に来たって聞いて嫉妬でもしたのかしら? ノエル君と手紙で近況報告っていうか、情報交換してたんでしょう? 自分で仕掛けたくせにバカね」
……何も言い返せなかった。
「早くしないと手遅れになるわよ? 身分差を気にしてるのか知らないけど、自分の気持ちなんだからいい加減ハッキリさせなさいよね。この意気地無し」
いつも以上に辛辣な言葉を残して、ジェシカは静かにキッチンを出て行った。食べかけのチーズケーキを見て、俺はくしゃりと前髪を掴む。
……参ったなぁ。
この気持ちはとっくの昔に捨てたはずなのに。身分差があるから、嫡男だから、いずれ家のための結婚をしなくちゃならないから。そう言い聞かせて、早いうちに捨てたはずなのに。
……どうせこの想いが実らないのなら、俺の手の届かないところに連れて行ってほしかった。でも、誰でもいいわけじゃない。リシェには幸せになってほしい。だからアイツなら……クロヴィスなら任せられると思ったんだけど……でも。近くであの二人のやりとりを見ていると、やっぱり嫉妬してしまう。羨ましいと思ってしまう。
ああ……本当に。参ったなぁ。




