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「姉さん知ってる? 流れ星に願い事を三回唱えるとその願いが叶うんだって」

「……へぇ」

「俺はね、めっちゃ強くなれますようにってお願いするんだ!」

「……そう」


 夜道を歩くノエルは上機嫌で話しかけてくるが、この状況に絶賛混乱中の私はさっきから生返事ばかりだ。


 あれから結局ノエルの押しに負け、三人で流星群の観察に出掛ける事になったのだ。まさか私とクロヴィスとノエルが並んで夜道を歩いているだなんて……誰が想像出来ただろう。


「姉さんは流れ星を見たら何をお願いする?」

「そうねぇ。家族の健康かしら」

「……こういう時ぐらい自分の事優先すればいいのに」

「あら。健康は大事よ?」

「それはもちろんわかってるけどさぁ」


 ノエルはくるりと振り返ると、今度はクロヴィスに同じ質問をする。


「師匠は?」

「俺は別に……」

「フンッ。どーせ目付きが良くなりますように、とかでしょ?」

「は? そんな事思った事ねーよ」

「え、嘘……本当に?」

「真顔で言うな腹立つ」

「それで? 師匠の願い事は?」


 クロヴィスは見慣れた不機嫌顔で言った。


「……教えねー」

「ええー! ずるい!」


 そんな軽口を叩いていると、二人がいつも練習しているという公園に辿り着いた。敷地内には綺麗に整備された花壇があり、その側にベンチが数台。真ん中に小さな噴水が設置されたシンプルな公園である。周りは木々に囲まれていて、少し奥に進むと山に通じているらしい。そのせいか街の明かりが少なく、夜空の星が見やすいのは確かだ。


「すごいね! 空! 綺麗だ!」


 ノエルが指をさす。見上げると、濃紺の夜空に煌めく無数の小さな光が飛び込んできた。空いっぱいに広がるその姿は美しく、なんだか圧倒されてしまう。


「友達が、星にはそれぞれ名前がついてるって言ってた」


 ノエルは首を伸ばして必死に星を探す。


「特にこの時期は夏の大三角形って呼ばれる星座があるらしいんだけど……どれがどれなのか全然わかんないや」


 夏の大三角形……私も名前ぐらいは聞いた事があるけど、天文学の授業は取ってないし詳しくはわからない。


「……ベガ、デネブ、アルタイル」

「え?」

「夏の大三角形はその三つの星を結んで出来る三角形の事だ。正式には星座じゃない」


 近くで同じように夜空を見上げていたクロヴィス・ナイトレイが、ぼそりと言った。


「この空の中でも一際目立ってる三つの星、見えるか?」

「え? あ、うん」

「空の高い所にある明るい星がベガだ。そのまま右下に下がって見える明るい星がアルタイルで、そこから左にまっすぐいった所にあるのがデネブ。その三つの星を繋げるとどうなる?」


 ノエルは言われた通りの順番で、夜空をなぞるように指を動かす。


「あっ! 三角形が出来た!!」


 感動したように叫んだノエルが、クロヴィスに顔を向ける。


「師匠すごい! 博識!」

「別にすごくも何ともねーよ。ただ……」


 クロヴィスは一瞬躊躇う様子を見せたが、そのまま続けた。


「騎士養成所時代の野営訓練で方角を知るために星について習っただけだ」

「方角?」

「そうだ。例えば交戦中の山奥で迷子になったり、敵地の知らない場所に置き去りにされた場合。やみくもに歩いてはただ体力を消費するだけだ。でも、方角を知ってればそれを目印にして進めるだろ?」


 少し考えてから、ノエルはこくんと頷いた。


「空には常に真北にあって動かない、ポラリスっていう星があるんだ。夜になったらまずその星を探し、目印にする。ポラリスは言わば〝迷い人を導く星〟だな」

「へぇ!」

「ポラリスの探し方は色々あって、星座の位置からでも探せる。この夏の大三角形からも探せるぞ」

「本当!? どれ? どれがポラリスなの?」


 クロヴィスの言葉はノエルの好奇心を随分と刺激してくるようだ。


「簡単だ。いいか? 今繋げた三角形を、ベガとデネブの線を軸にパタンと倒すんだ。そうすると三角形の先、アルタイルの近くに明るい星がある。それがポラリスだ」

「えっと、ベガとデネブを軸に倒して……? あっ! もしかしてあれ!? あの光ってるやつ!?」

「たぶんな」

「すごい! 見つけた! 姉さん見つけたよ!」


 まだ流れ星も出ていないというのにこのハイテンション。かくいう私もポラリスを見つけて結構感動しているけれど、これがクロヴィス・ナイトレイの教えだと思うといまいち素直に感動出来ない。


「騎士に限らず、迷子になった時に役立つから覚えておいて損はないぞ」

「うん!」


 ノエルが元気良く返事をする。流星群の出現がいつになるのかわからないので、私たちはベンチに腰を下ろした。


「ねぇ! 俺、もうちょっとあっちで星の観察して来てもいい!?」


 さっきの話で星の何かに目覚めたのか、それとも単にじっとしている事に飽きたのか、ノエルが言った。


「……暗いけど大丈夫?」

「大丈夫! いつも練習してる場所だから!」

「あっ、ちょっと!」


 ノエルは私の話も聞かずとっとと走り去ってしまった。まったく。弟だからって少し甘やかし過ぎたかしら。それとも私が過保護すぎる? 小さく見える背中を見つめ、内心で溜息をついた。



「………………」

「………………」



 ノエルがいなくなると、私たちの周りは急に静かになった。ベンチを一つ挟んで隣に座るクロヴィスも、もちろん私も何も話さない。夜になっていくらか気温は下がったものの、外はまだ熱気を帯びていた。時折り吹いてくる風は生温い。


 私はそっと夜空を見上げる。色濃さを増した紺色の空と光り輝く星々は相変わらず綺麗だけど、その星が流れる様子はない。少しずつ動いて変わっていく夜空の中で、変わらず同じ場所に留まり続けるポラリスをぼんやりと見つめる。……そういえば、こんな風にゆっくり空を見上げるのはいつぶりだろう。随分と久しぶりな気がする。




「…………悪かった」




 空を見続けていた私の耳に、低い小さな声が届いた。


「……え」


 驚いて隣を見ると、クロヴィスもさっきまでの私と同じように夜の空を見上げていた。私がいくら視線を送ってもそのままの状態で、こちらを見ようともしない。……空耳だったのかしら。大体、奴が謝罪の言葉を口にするなんてありえない。何に対して謝ってるのかもわからないし……。突然の事に、私は戸惑いを隠せない。


 夜空から降る光に照らされたクロヴィスの眉間に、珍しくいつものシワは見当たらなかった。



「……高等部の、入学式の時」



 ぼそりと続いたその一言で、あの苦々しい出来事が蘇る。クロヴィスは決まり悪そうに続けた。


「その……お前のハンカチ。踏んで汚して悪かった。……大事なもの、だったのに。……知らなかったとはいえ、俺は人として最低な事を言った。……本当に悪かった」


 クロヴィスは途切れ途切れに、不器用ながらも精一杯の言葉を並べていく。変な緊張感に包まれ、なんだか居心地が悪い。私は思わず溜息を吐き出した。


「……別に。今さら謝らなくてもいいわよ」

「はあ?」

「あの時は本気で怒ってた。落とした私も悪いけど、踏んだことに対して謝らないし、ひどい暴言吐かれるし。あの言動は人間性を疑ったわね。爵位が上だろうが何だろうが、この男だけは一生許さないってずっと思ってたわよ」

「…………」


 珍しいことにまったく反論してこない。コイツはコイツで一応反省でもしてるのだろうか。うわぁ、似合わない。


「でもまぁ……ほら。私も事情を知らない貴方に色々言ったし、ビンタもしちゃったし。しかも結構強めのやつ」

「……あれは本当に気を付けた方がいいぞ。もし俺が王族だったらお前今頃不敬罪でとんでもない事になってるからな」

「は? どこにそんな目付きの悪い王族がいるのよ」

「そういう事じゃねーよ」

「……冗談よ。そこは本当に気を付ける」


 私は苦笑いを浮かべながら言った。


「それに、私もさっき怪我の事で無神経な事言っちゃったから……ごめんなさい」

「あれは別に……」

「だからさ、お互い様って事で。ね?」


 クロヴィスはいまいち納得していないようで、眉間に一段と深くシワを寄せた。


「あ、でもお互い様で片付けちゃう前に失礼を承知でひとつだけ言っていい?」

「……なんだよ」

「クロヴィス・ナイトレイ。貴方剣術が……いいえ。騎士が好きなんでしょ?」

「なっ!」


 反論が返ってくる前に話を続ける。


「だって、好きじゃなきゃノエルに指導なんてしないもの。いくらノエルが無理やり頼み込んだとしても、本当に嫌なら断ってるはず」

「…………」

「ナイトレイ家が優秀な騎士の一家っていうのは知ってる。私にはよくわからないけど、それなりにプレッシャーとかもあったんだと思う。その中で怪我して、騎士になる夢を諦めなきゃならなかった悔しさや苦しみは簡単には想像出来ないわ。でも…… 騎士団への入団や近衛騎士として出世の道はなくなったとしてもさ、大切な誰かを守れる騎士になればいいんじゃない? って思うのよね」

「……は?」


 クロヴィスの鋭い目が見開かれた。


「騎士団に所属する以外にも騎士の道ってあるじゃない。だって貴方強いんでしょ? その力を発揮しないなんてもったいないわ。それか、指導者としての道もあるわよ。ノエルが師匠の教え方はわかりやすいって言ってたし」

「………………」

「大体、貴方の怪我は誰かを守って負った怪我なんでしょ? それって十分騎士としての役割を果たしてると思うのよね」


 私らしくない言葉が次々と出てくるのは、おそらく夏の暑さのせいだろう。


「あー……何が言いたいのかっていうと、簡単に夢を諦めるなんて貴方らしくないから少しは抗ってみなさいよって事。まぁ、余計なお世話なのかもしれないけど」


 クロヴィスはしばらく難しい顔をして項垂れると、腹の底から吐き出したような溜息をついた。


「……ホント。余計なお世話だな」


 顔を上げてこちらを見ると、クロヴィスは笑顔を見せた。つまり、笑った。……そう。笑ったのだ。あのクロヴィス・ナイトレイが。私を見て。見下すような笑みでも、嫌味ったらしい笑みでもなく。ただ普通に。やわらかい雰囲気で。笑ったのである。


 その衝撃に、私はハッと息を飲んだ。


「……なんだよ」


 私があまりにも見ていたせいか、クロヴィスが眉間にシワを寄せて訝しげに言った。その態度も口調もすっかりいつも通りに戻っていて、惜しいような安心したような複雑な気持ちが胸の中を渦巻く。


「べ、別に?」


 私は動揺を悟られないように平静を装う。


「あっそ。じゃあ……そろそろ弟迎えに行くぞ」


 そう言って、不機嫌そうなクロヴィスが立ち上がった。私も同じように立ち上がる。やっぱりこの態度……ムカつくわ。そう思いながら夜空を見上げると、キラリと輝く一筋の光が見えた。


「あ、流れ星!」

「っ!」

「ちょ、見た!?」

「いや、早すぎて見えなかった」

「ああ、日頃の行いの差ね」

「なんだと!」


 そんな会話を繰り広げている間にも、いくつかの星が流れていく。これが噂の流星群だろうか。


「……綺麗」


 二人並んで空を見上げる。あともう少しだけクロヴィスとこのまま居てもいいかなぁ、なんて。そんな戯れ言が頭の片隅に浮かんだのは、やっぱり夏の暑さのせいに違いない。

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