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 キッチンにはチャプチャプという水の音と、カチャカチャという食器の擦れる音が響く。


「………………なぁ。これどこに置けばいいんだ?」

「えっ? あ、二段目の棚の空いてるとこに……」

「あーここな。了解」


 クロヴィスがスッと背を向けると、私はバレないように静かに息を吐き出した。本当に……何でこんな事になってるのかしら。この状況、普通に考えてありえない。


 上手く固まったデザートのフルーツゼリーまで、キレイさっぱり完食した三人分の皿と使った調理器具を片付けていると、なんとあのクロヴィス・ナイトレイがキッチンまでやって来て「……俺もやる」と言い出し、自ら食器洗いを手伝い始めたのだ。正直に言って気でも狂ったのかと思った。私がやるから良いと断っても「俺は借りは作らない主義なんだ!!」と何故か逆ギレして譲ろうとしない。仕方がないので私が洗い、奴には片付けをお願いすることにした。いくら嫌いな相手でも、伯爵家の次男にこんな事お願いしていいのかしら……まぁ、自分から言ってきたんだからいいわよね、うん。


 ちなみにノエルは食後の体幹トレーニングの真っ最中である。仮にも師匠なのに、コイツにばかり手伝わせていいのだろうか。自分は食事前に手伝ったから食後は任せるって事? はぁ。このマイペースな性格は一体誰に似たのだろう。


「…………ノエルのこと」

「あ?」


 背後でクロヴィスが振り向いた気配がする。私は洗い物を続けながら言った。


「弟のこと、面倒みてくれて感謝してるわ。…………ありがとう」


 流していた水を止めると、途端にキッチンは静かになった。クロヴィスからの反応がまったくなくて逆に怖い。〝別にいい〟とか〝ふざけんなもっと感謝しろ〟とか、いつものムカつく感じでいいから何か言ってくれないとこの空気に耐えられない。


「……ちょっと何よ。無視?」


 クロヴィスから反応があったのは、それから数秒後の事だった。


「……お前が素直に感謝するとか気持ち悪ぃ」

「はぁ!? 私はいつでも素直よ!! 特に貴方の悪口言ってる時はね!!」


 勢いよく振り向くと、クロヴィスは眉間にシワを寄せながら右手で口元を覆っていた。


「……言っておくけど、私にとって貴方は虫けら以下の存在だから」

「……それ感謝した直後に言う言葉じゃねーよな?」

「でも、ノエルが。ノエルが毎日楽しそうに剣術の練習して、師匠が師匠がって嬉しそうに話すから。だから、()()に感謝してるのは本当なの」


 ちょっと待ってて、と言い残して私は一旦自室に向かった。手提げ袋を持ってすぐキッチンに戻ると、クロヴィスの目の前に突き付けるように差し出す。


「これ。()()()()()()に。日頃お世話になってるからお礼」

「……いらねぇよ。別に恩とか売ってるわけじゃねーし。ただの気紛れで付き合ってるだけだから」

「いらなかったら捨てていいわよ。どこにでもある普通のタオルだし。ただ、一応感謝の気持ちだから。クロヴィス・ナイトレイじゃなくて、ノエルの師匠に対してのね!!」


 クロヴィスは難しい顔をしながらも手提げ袋を渋々と受け取った。これでちょっとスッキリしたわ。あとは、もう一つ。


「それと、ハンカチ……。ノエルの落としたハンカチ、見付けてくれてありがとう」


 クロヴィスは視線をさ迷わせ、言おうか言わないか暫く逡巡するように考え込むと、おもむろに口を開いた。


「お前のその……母親って……」

「ああ、ノエルに聞いた? それとも他の誰かに聞いたのかしら? 昔から噂になってたからね」

「……ノエルから、少し」

「まったく。家の事を軽々しく話すなんて、次期当主としての自覚がなさすぎるわ。で? 他に何か言ってた?」

「あー……まぁ、色々」

「本来なら家に報告してお父様や家庭教師に厳しく指導してもらうところだけど……相手が貴方だしまぁいいか。ノエルだって誰かに話を聞いてほしかったんだろうし」


 私はふぅ、と息を吐く。


「……うん。お母様ね。私が十一歳でノエルが六歳の時に亡くなったの。病気で」


 クロヴィスが珍しく静かに私の話を聞いている。


「家族全員悲しみにくれたわ。それから追い打ちをかけるように領地が災害にあって我が子爵家は貧乏暮らしを強いられた。お父様は領地で復興に尽力し、私たち姉弟(きょうだい)はタウンハウスで過ごすようになった。使用人はいないけど、二人で仲良く暮らしてるわ」


 彼は難しい顔そのままに、すっかり大人しくなってしまった。眉間のシワは紙の一枚ぐらい挟めそうなほどに深く刻まれている。


「……ちょっと。何急に黙りこんでるのよ。同情とかやめてよ? そんなのはいらないから」

「同情なんかしてねーよ」

「ならその顔やめてよ。顔怖すぎて顔面凶器みたいになってるんだけど」

「お前本当に腹立つな」

「貴方もね」


 私はふと視線を外す。


「……あのハンカチはね、お母様の形見なの。お母様が動かない体で一針一針刺してくれた刺繍入りの。私たちにとって唯一お母様から貰った大切なものだから……見付けてくれて本当に助かったの。ありがとう」


 クロヴィスは再び口をつぐんだ。私はそのまま話を続ける。


「クロヴィス・ナイトレイ。貴方は?」

「は?」

「貴方は……もう騎士を目指さないの?」

「っ!」


 私はノエルから聞いた師匠の過去を思い出していた。


「ごめん。前にノエルから師匠は怪我して騎士になるのを諦めたって聞いたから」

「あー……」


 クロヴィスはがしがしと頭をかく。呆れたように溜息をつくと、「お前の弟口軽すぎだろ」とぼやく。


 本当にね。あの口の軽さはさすがに心配になっちゃうわ。


「怪我はもう治ってるって聞いたけど……大丈夫なの?」

「ああ。日常生活に支障はないし軽い運動なら何ともない」

「それじゃあ、」

「ただ、肩が上がりづらい。一瞬の動きが命取りになる騎士としては致命傷だ。対象者を守る護衛騎士なんかの場合、特にな」


 静かに言ったクロヴィス・ナイトレイの声に私は何も言えなくなった。そういえば、お父様は騎士団長でお兄様は王族の護衛騎士を務めてるんだっけ。もしかして、彼も目指してたのかしら。だとしたら、私はクロヴィス・ナイトレイの触れてはいけない心の傷に触れてしまったのかもしれない。


 お互い気まずい沈黙が流れる。


「姉さん!! 師匠!!」


 だだだっと勢いよくキッチンに入って来たノエルが私たちを呼ぶ。トレーニングはもう終わったのだろうか。


「友達から聞いたのすっかり忘れてたんだけどさ! 今日、流星群が流れる日なんだって!」

「流星群?」

「そう! 観に行こうよ! 今から!」

「い、今から!?」

「いつも行く公園の裏山が穴場なんだって! せっかく教えてもらったから行きたいんだ! 師匠も一緒に! ね?」


 ノエルは満面の笑みを浮かべて私たちに言った。かく言う私とクロヴィスは、困った顔をしてしばらくノエルと向き合っていた。

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